大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2013年03月22日 | 植物

<567> イヌノフグリへのエール

        いまここに あるべき花の あるゆゑは すなはち無事の ゆゑなる証

 今年もあなた方に会えてほっとしている。あなた方をこの池の石垣に見たのは三年前だった。歩いていて何げなく足許を見ていたら、石垣から生え出して小さな花を咲かせていた。あなた方は外来の仲間に棲み処を追われ、いつの間にか道端や草むらから姿を消していた。それが偶然にも三年前の春、この石垣で出会った。

 あのときは、こんなところにエスケープしていたのかと、少しいじらしいような気持ちになり、無事でよかったと思った。あなた方は二年草で、二年が生涯であり、その間に芽吹き、成長し、花を咲かせ、実をつける。その実の中の種によって次の世代にバトンタッチして行くように出来ている。つまり、、二年経つと、何処にあってもあなた方は根こそぎ枯れて一生を終える。言わば、あなた方はそういう一生のシステムによっている植物である。そして、年が巡り、春になると、落としておいた種からまた芽が出て、あなた方は新しい命を育み、ずっとこの命の循環をもって生き継いでゆく。あなた方はそういうシステムによっている植物である。

 極めて小さいものながら、盃のような形をした淡い瑠璃色の花は大切な機能を持った存在である。二年草のあなた方には、花を咲かせることがまず一番の仕事であるということが出来る。私が、今年も見られてほっとしているのは、昨年の夏、外来のアメリカオニアザミが池の周りに生え出し、抜き取るのに合わせて、石垣の草も取り払われ、あなた方の姿を見なくなっていたからである。

                                         

 しかし、あなた方は二年草の特質で、種はすでに石垣の隙間の土の中に取り入れられ、除草が行なわれたときには出番を待つ状態にあった。故に、いつもの年と変わりなく、春になって生え出すことが出来た。これは石垣が堅牢なお陰であるが、このお陰に与かっている限り、あなた方にはそこを棲み処にしていつまでも無事を保っていられるのではないかと思う。

 この池の石垣にあなた方を見かけて三年になるわけであるが、この間に世間ではいろいろな出来事があり、その都度考えさせられて来た。あなた方は窮地に追い込まれながらも懸命に生き継ぎ、こうして居場所を得て、今に至っている。あなた方のように細々ながらも生き継いでいる命があるかと思えば、東日本大震災の津波に飲み込まれて一瞬のうちに命を断たれた陸前高田の松原のような立場にある木々も見て取れる。

 これは運命というよりほかなく、津波の光景は無惨で、なくなってしまった松原には無念が纏うところであるが、翻ってあなた方を思うに、どんなに小さくても命といのは尊く、花はその命を繋いでゆくものであるから、どんなにあっても大切であることが言えて来る。外来に追われ、時の情勢に翻弄されながらも、耐え忍んで生き継いで花を咲かせているあなた方のその小さな花に出会うと、惜しみないエールを送りたい気持ちになる。

 写真は左が池の石垣から生え出し花を咲かせる在来のイヌノフグリ。右はいたるところに見られる外来のオオイヌノフグリ。なお、イヌノフグリは最近激減し、今や大和では希少種にあげられるほど簡単には出会えない花になっている。