<505> 平尾水分神社のおんだ祭り
寒の夜の おんだ祭りの 予祝かな
十八日の夜、宇陀市大宇陀平尾の平尾水分神社で御田植祭のおんだ祭りが行なわれ、出かけてみた。平尾水分神社は大和四水分社の一社で知られる宇太水分神社の末社で、おんだ祭りは大寒に近い一月十八日の夜に行なわれることになっている。祭りの所作は今年の当家である大当、小当の男性二人と「しょとめ」と呼ばれる早乙女役の子供五人によって行なわれる。
七人は白装束で登場し、用いられる農具は鍬一つで、口上を主体に、江戸時代ころの古式が保たれた所作が披露される。祭りは所作の最後に「若宮さん」と呼ばれる病気平癒の人形の登場するのが特徴で、奈良県の無形民俗文化財に指定されている。
所作の進行は台本によって進められ、「鍬初之事」から「苗代角打之事」、「福の種を蒔事」、「御田植之事」などを経て、「追苗取之事」までの十五項目について順次進められ、「御田植之事」で五人の「しょとめ」が登場し、鍬を担いだ大当を先頭に歩く。
「しょとめ」はタケで編んだ大きな笠を背中に、「なえさん」と呼ばれる稲の穂殻とシキミの葉をつけたススキの茎を手にして歩く。本来は男児が務めることになっているが、少子化する近年の事情により、女児も加わるようになったという。「御田植之事」と最後の「追苗取之事」のとき、この祭りのクライマックスとされる黒い翁面をつけた「若宮さん」と呼ばれる人形が小当に抱かれ、間水(けんずい・おやつのこと)とともに登場する。
この「若宮さん」には体のいたるところに紙縒りが巻かれており、この紙縒りを患部に当てるとその病疾は治るということで、来訪者はそれぞれに自分の悪いところを申し出てその部分の紙縒りをもらっていた。家族の分もということで、何本ももらって帰る人も見られた。申し出が終わると、「若宮さん」は小当に抱かれて帰り、奥の箱に納められて祭りは終了となった。
おんだ祭りの御田植祭は、各地で形式や表現が少しずつ違っているが、その祭りに求められる願いは五穀豊穣であり、無病息災であり、子孫繁栄であるのがわかる。そして、予祝という意味合いが強く、ユーモラスな表現をもって行なわれるのが共通点としてあげられる。これらのことをひっくるめておんだ祭りの御田植祭を思うに、そこには農業、殊に稲作というものが、どんなに大変なものであったかということが想像出来るのである。
農耕従事者というのは、飢饉があって一年を棒に振れば、次の一年は食って行けなかった。この人たちにとって、作物の育成技術が未熟だった時代、これは実に深刻な問題だったのである。ゆえに、農耕従事者は貯め置くこと、つまり、貯蓄する知恵を身につけたのである。祭りにユーモアが見られるのは、この深刻さの裏返しにほかならないわけで、ここに予祝の意味がある。
平尾水分神社のおんだ祭りでも、聞かれた「まこよ まこよ 福の種を まこよ」という口上にこの共通する願いが見て取れる次第で、「今年もみんなよい年で」という気分が厳寒の夜の神社の境内にはあったと言える。なお、今年は一段と寒さが厳しかったため、子供たちを夜気に曝すことは出来ないということで、祭りは屋内で行なわれた。
写真の上段は「鍬初之事」の所作。中段は左が福の種を蒔く大当と小当。中は「しょとめ」たちの登場。田植えに向かう所作と見た。右は台本。下段は左が間水桶(手前)と抱かれて登場する「若宮さん」の人形(奥)。中は人形から紙縒りを外す小当。左は小当に抱かれて奥へ帰って行く「若宮さん」。