<13> オトコエシ
南無大師遍照金剛 男郎花
オミナエシ(女郎花)の対の花にオトコエシ(男郎花)がある、ともに草丈が一メートルほどになるオミナエシ科の多年草で、 高原や山足などに生え、初秋のころになると茎の上部に花序を出し、小さな花を集めて咲かせる。オミナエシが黄色に対し、オトコエシは白色の花をつける。
「南無大師遍照金剛」 は真言宗の開祖弘法大師 空海を敬って唱えるもので、真言宗では宝号(ほうこう)と言って、 これを七回唱えるのがならいになっている。概して、仏教は男の宗教と言え、ほかの宗派でも言えるが、開祖を見るに、体躯頑健な男子の印象がうかがえる。浄土真宗を開いた親鸞は妻帯したが、自分のことを愚禿と呼んで、その愚禿をもって真を説いた。女犯の戒めに厳しい仏教における親鸞の愚禿の意味は大きく、男の宗教である仏教をすべての人に平等に開いた功績は大きいと言える。
しかし、オミナエシは女郎花であり、オトコエシは男郎花である。つまり、男女とも人間であるが、男は男であり、女は女であり、男女はそれぞれにあって、それぞれに敬われなくてはならないように出来ている。これが自然における真の姿であろう。性が逆転している御人も見られるが、この例にしても雌雄同人はなく、どちらかに性は傾いてあり、男女のほかはないというのが普通である。
吉野の大峯山(山上ヶ岳)は女人禁制になっているが、これは男女間の差別というよりも男の修行の場という解釈で捉えた方が適切であろう。思うに女も男子禁制のこういう場所をつくってみるとよいのではなかろうか。つくれば男女で営む社会における禁制の意味、効用がわかると言える。言わば、修験道の大峯山は護摩を焚いて魔(煩悩)を払う密教の真言宗に関わる男の世界であって、冒頭の句は、即ち、ここのところをイメージして詠んだものである。 写真は左がオトコエシ、右がオミナエシ。