大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2011年08月31日 | 写詩・写歌・写俳

<13> オトコエシ
         南無大師遍照金剛 男郎花
   オミナエシ(女郎花)の対の花にオトコエシ(男郎花)がある、ともに草丈が一メートルほどになるオミナエシ科の多年草で、 高原や山足などに生え、初秋のころになると茎の上部に花序を出し、小さな花を集めて咲かせる。オミナエシが黄色に対し、オトコエシは白色の花をつける。
  「南無大師遍照金剛」 は真言宗の開祖弘法大師 空海を敬って唱えるもので、真言宗では宝号(ほうこう)と言って、 これを七回唱えるのがならいになっている。概して、仏教は男の宗教と言え、ほかの宗派でも言えるが、開祖を見るに、体躯頑健な男子の印象がうかがえる。浄土真宗を開いた親鸞は妻帯したが、自分のことを愚禿と呼んで、その愚禿をもって真を説いた。女犯の戒めに厳しい仏教における親鸞の愚禿の意味は大きく、男の宗教である仏教をすべての人に平等に開いた功績は大きいと言える。

                          

   しかし、オミナエシは女郎花であり、オトコエシは男郎花である。つまり、男女とも人間であるが、男は男であり、女は女であり、男女はそれぞれにあって、それぞれに敬われなくてはならないように出来ている。これが自然における真の姿であろう。性が逆転している御人も見られるが、この例にしても雌雄同人はなく、どちらかに性は傾いてあり、男女のほかはないというのが普通である。
 吉野の大峯山(山上ヶ岳)は女人禁制になっているが、これは男女間の差別というよりも男の修行の場という解釈で捉えた方が適切であろう。思うに女も男子禁制のこういう場所をつくってみるとよいのではなかろうか。つくれば男女で営む社会における禁制の意味、効用がわかると言える。言わば、修験道の大峯山は護摩を焚いて魔(煩悩)を払う密教の真言宗に関わる男の世界であって、冒頭の句は、即ち、ここのところをイメージして詠んだものである。  写真は左がオトコエシ、右がオミナエシ。
                                                             


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2011年08月30日 | 写詩・写歌・写俳

<12> ケイトウとセセリチョウとカマキリ
        ケイトウが咲いた
     セセリチョウがやって来た
     カマキリもやって来た
     真昼の日差しの中で
     舞台は整い
     生を賭けたドラマが
     始まった
     蜜を求めてやって来た
     セセリチョウを
     カマキリが狙う
     セセリチョウには
     危ないと思った瞬間
     飛び立った
     ほっとして  私は

     胸を撫で下ろす
     だが しかし 
     生きてゆかねばならない
     カマキリには
     無念至極
     涙ぐましくも 辛抱が要る
     ああ 神さま 
     セセリチョウを守りたまえ
     涙ぐましいカマキリに恵みを
     それにしても
     これは悩ましい
     実に悩ましい願いごとだ
     相反する命に関わる
     この舞台の設定
     ドラマの展開
     ケイトウの花は
     真昼の日差しの中で
     いよいよ鮮やかに
     いよいよ際立ちを見せ
     咲いている

  このような光景は自然の中でよく見られる。この自然におけるドラマについて、民俗学者の柳田國男は『野鳥雑記』の「翡翠の嘆き」の中で言っている。金魚を狙うカワセミに触れ、「物の命を取らねばならぬものと、 食われてはたまらぬ者との仲に立っては、仏すらも取捨の裁決に御迷いなされた。 終には御自身の股の肉を割愛して、餓え求むる者に与え去らしめたというがごとき、姑息弥縫の解決手段の外に、この悲しむべき利害の大衝突を、永遠に調和せしむる策を見出し得なかったのである」と。

                         

 単に金魚がかわいそうだという理由のみではカワセミを納得させるに十分ではなく、これが自然の世界だという。 食われたものは食ったものの中で働きとなって浮かばれるというのが自然の掟にはあり、ここに生の公平性が成り立っていると言えるが、 ここで二者の仲立ちとなるのが「感謝」という言葉ではなかろうかと思われる。セセリチョウを捕まえたカマキリが感謝の念を持つならば、 セセリチョウには恨みは生じないだろう。食われたセセリチョウにはカマキリの中で生きることになるから。これが生の連鎖の実情であり、生の連鎖にはこの「感謝」という言葉がキーワードとして考えられるということになる。

                


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2011年08月28日 | 写詩・写歌・写俳

<11> セミの骸
         死にゆきし蝉に見開きたる眼 地に落ちてなほ見しものは何
 三年前、心筋梗塞の発作に襲われ、冠動脈のバイパス手術を受け、一命を取りとめた。 幸い後遺症もなく、 再び山野に出かけることが出来るようになり、いまにある。 バイパスは自分の胸部と左腕の血管を利用し、最低でも十五年は大丈夫と手術に当たった担当医から保証の言葉をもらっているので、男子のiいまの平均寿命くらいは生きられるかなという気がしている。十五年とは長いと言えるか、短いと言えるか。この十五年というのは気になるところである。

                  

 で、最近は生と死についてよく考えるようになった。
   暁の薄明に死をおもふことあり除外例なき死といへるもの                 斎藤茂吉
 死はいつか来るものである。十分とはならないだろうけれども、とにかく、残りの人生、思いを込めて生きねばならない。 担当医からは死ななかったことが奇跡のように言われたが、この奇跡の立場を裏切らないように努めなくてはならないと思う昨今ではある。 写真は地に落ちたアブラゼミの骸。
                   


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2011年08月26日 | 写詩・写歌・写俳

<10> 雑  草 
      雑草に 雑草の夏 過ぎゆけり
    我が国は四季の国。季の移り変わりが自然の中にはっきりと見える国である。その移り変わってゆく季はすべてのものに共有されているものであるが、 ゆく夏のいまで言えば、 私たちには私たちに、雑草には雑草にそれが現われ、それぞれにゆく夏の彩りに加わっているのが見て取れる。 写真は穂を出したアキノエノコログサ。

                 

 雑草は夏の盛りを旺盛に繁茂し、ゆく夏の季を迎えたいまもその旺盛さに変わりないが、 よく見ると、 中には穂を出し、 実をつけ始めているものも見られ、この季節の移ろいに彩りを添えているのがわかる。 虫の音はまだ聞こえて来ないが、もうすぐだろう。虫の声が聞かれるようになると季はまた一つ進み、秋の本番を迎えることになる。
                   


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2011年08月25日 | 写詩・写歌・写俳

<9> アサガオ
     朝顔の 一二三四 五六七
  「一二三四 五六七」は「ひーふーみーよ いつむーな」と読む。 玄関先でアサガオを咲かせている家があったので撮らせてもらった。 葦簀(よしず)を背に咲く何んとも涼しげでビジュアルな晩夏の趣に和風のよさを感じつつカメラを向けた。アサガオは熱帯アジアが原産とみられる一年草で、奈良時代の終わりから平安時代のはじめごろにかけて中国から入って来たとされ、当初は種子を下痢薬とし、中国では牛を牽いてアサガオの種子と交換に来たといわれほどで、 牽牛子( けんごし)の名もある。いまでもアサガオの生薬名には漢名のこの名がついている。花が美しいので、時代が下るにつれて観賞に重きがおかれるようになり、江戸時代には人気を博し、庶民の間にも広まって多くの品種が生まれた。 写真は葦簀とアサガオ。

                      

 明治時代に入ると、東京の入谷に朝顔市が開かれるようになり、いまも市はにぎわいを見せている。在来にはノアサガオがあり、これは暖地の海岸地方に自生する。だが、一般に普及している園芸種は中国からの渡来が基になっており、グローバル化の最近は熱帯アメリカ原産の品種も見られ、花は一層カラフルになっている。それにしても、「今日はいくつ咲いたかな 」と朝起き立てにアサガオの花を数えるのは楽しい。 娘が小学生のころ夏休みの課題に花の観察日記を書いていたのをいまも思い出す。