大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2014年04月30日 | 植物

<969> 花の大和 (4)  シャクナゲ (石楠花)

        石楠花や 平和憲法 掲げ咲く

 シャクナゲは前回のツツジの項で触れたように、ツツジ科ツツジ属シャクナゲ亜属の常緑低木で、大きいもので七メートルほどになる。冷涼多湿で水はけのよい尾根の斜面などに群落をつくり自生している。全国的に分布するが、地方によって特徴が見られ、大和に自生するものは南部の紀伊山地に多く、九州や四国に見られるのと同じツクシシャクナゲと本州の中部に多く自生するホンシャクナゲであると言われる。

 自生する野生のシャクナゲをあげると、大台ヶ原山(駐車場・一五八〇メートル)があり、大蛇周遊コースのシャクナゲ廻廊のツクシシャクナゲはよく知られる。ほかには、天川村の稲村ヶ岳(一七二六メートル)、五條市大塔町の七面山(一六二四メートル)、上北山村の七曜岳(一五八四メートル)等がある。十津川村の玉置山(一〇七六メートル)山頂にも群落が見られるが、これは植栽によるホンシャクナゲだと言われる。

       

 また、平地部で見られるシャクナゲについて見れば、宇陀市室生の室生寺がよく知られ、ほかには明日香村の岡寺、村おこしで植えられた室生上田口の弁財天石楠花の丘がある。平地ではないが、十津川村の玉置神社のシャクナゲは古社に彩りを添える。玉置山の麓にある21世紀の森・紀伊半島森林植物公園では世界から集められたシャクナゲが見られる。

 園芸種のシャクナゲには春に咲く花もあるが、自生の花は概ね標高一〇〇〇メートル以上の深山に見られ、初夏の花の印象がある。大和の山岳に見られる花は五月から六月にかけて咲く。平地部のお寺の花はゴールデンウイークが例年見ごろとなる。室生寺のシャクナゲは長谷寺のボタンと花期を同じくするので、セットにしたバスツアーなども組まれている。

 なお、シャクナゲは深山の花で、近年まで一般には知られていなかったのだろう。古文献には登場を見ず、江戸時代中期の『和漢三才図会』に「石南」として登場するくらいである。シカの食害に悩む紀伊山地でよく群落が残っているのは、ツツジと同じく毒性を有するからだろう。

 ただ、シャクナゲは魔除けの木として崇められ、修験信者の土産に採取された天川村の山上ヶ岳(一七一九メートル)ではほとんど見られなくなっている。谷を隔てた同じ山容の稲村ヶ岳では採取を厳しく取り締まり、今もシャクナゲの群落が残っているが、自然保護の意識が芽生えた証と言えよう。よく守られたと思う。

 このようなシャクナゲであるが、その花は五月の花であり、五月と言えば、憲法記念日が思われ、五月晴れの下に咲くこの気品に満ちた花に平和憲法がイメージされ、私には重なって来るところがある。 写真は左が室生寺のシャクナゲ、中央は大台ヶ原の日出ヶ岳(一六九五メートル)直下のホンシャクナゲ、右は21世紀の森・紀伊半島森林植物公園の西洋シャクナゲ。

 


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2014年04月29日 | 植物

<968> 花の大和 (3) ツツジ (躑躅)

      満開の 躑躅に人みな 観賞者

 ツツジ科ツツジ属の植物を総称して一般にツツジと呼ぶ。単にツツジと言えば、この総称をして言うもので、個別にはミツバツツジとかヤマツツジとかサツキとか、それぞれ種名をもって呼ばれる。つまり、ツツジというのはその種の全体を称して言うものである。花はみな漏斗状に開き美しい。ただ、シャクナゲはツツジ属であるが、シャクナゲ亜属としてツツジとは言われない。

 一方、ドウダンツツジやアブラツツジのようにツツジの名を持つものがあるが、これらはツツジ科ではあるが、ツツジ属ではなく、漏斗状花をつけないので総称のツツジには入れ難く、一般にもその認識があるように思われる。また、ヒカゲツツジはツツジ属ではないが、黄色い漏斗状花を咲かせるので、一般に言われる総称のツツジの中に入れられるものであろう。ツツジの仲間はこういう事情があるからややこしいところがある。このことを念頭に置いて大和のツツジを紹介したいと思う。

 ツツジにはミツバツツジのように春先に咲く花期の早いツツジからその名でもわかるように旧暦の五月ごろ開花するサツキや春から夏にかけて長く見られるヤマツツジのようなツツジもある。大和はツツジの宝庫で、平地から深山まで十種以上のツツジが自生分布している。

 ツツジは乾燥した痩せ地や岩場などに多く見られ、壮年期の峻嶮な地勢にある大和南部の山岳地帯にはいろんなツツジが自生している。ツツジの漢名は躑躅(てきちょく)で、これはふらふらになっている足取りを言うもので、ツツジを食べた家畜がそのような症状に陥ったことによるという。

                               

  この家畜の状況はツツジ類に毒性のある証で、シカの食害が深刻な大和南部の山岳地帯にあって、ツツジが多く見られるのは、ツツジが自らの毒性によって被害を免れていることを物語るものと言える。中でもレンゲツツジは毒性が強く、シカの多い奈良市の若草山の草地にレンゲツツジが多く見られるのも納得されるところである。

 一方、刈り込みや管理がしやすい低木のツツジは社寺や公園などに多く植えられ、そこでは園芸種の花が楽しまれている。中でも花の艶やかなヒラドツツジ、キリシマツツジ、オオムラサキ、サツキ、クルメツツジなどが目を引く。殊にゴールデンウイークに花期を迎えるヒラドツツジやオオムラサキ、キリシマツツジなどはこの時期の花として見逃せないものがある。

 大和でツツジの名所と言えば、何と言っても大阪・奈良府県境の大和葛城山(九五九メートル)をあげることが出来る。山頂より南の斜面一帯に「一目百万本」と言われるヤマツツジやレンゲツツジが見られる。花期はゴールデンウイークより遅く、五月中ごろが見ごろになる。

  ほかには、宇陀市榛原の鳥見山自然公園や大和高原の主峰、神野山(六一九メートル)のツツジがあり、花期はゴールデンウイークのころからが見ごろである。平野部では寺院でよく見られ、私の知る限りでは、天理市柳本町の山の辺の道近くの長岳寺、大和郡山市小泉町の慈光院、御所市船路の船宿寺などがあり、ヒラドツツジなどがゴールデンウイーク前後に花を見せる。

 五月から六月にかけては深山にも各種ツツジの花が見られるが、ここでは省略したいと思う。どちらにしても、ツツジは美しい花を咲かせる花木の代表格であることに間違いない。写真は左が長岳寺のヒラドツツジ。中央は葛城山のヤマツツジ群。右は鳥見山自然公園のヤマツツジ。

 なお、『万葉集』にはツツジを詠んだ歌が九首見えるが、やはり、花に関心が持たれているのがわかる。花の色では「白」や「丹」の字が見える。「丹」はヤマツツジやミツバツツジ類が想像されるが、「白」は園芸種のなかった時代ゆえ、シロバナウンゼンツツジではないかと思われる。生える場所で「岩つつじ」と見えるのはサツキではないか。このブログの「万葉の花 つつじ」の項を参照されたい。

 


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2014年04月28日 | 植物

<967> 花の大和  (2)  ボタン (牡丹)

           句を添へて 大和だよりの 大牡丹

 ボタン(牡丹)は中国原産の落葉低木で、我が国には奈良時代の末に僧空海が唐より持ち帰ったのが最初であると言われる。空海は栄西に先がけ、チャも持ち帰っているので、ボタンはチャとともにこの大和の地にもたらされたということになる。

 ボタンは豪華な花を咲かせ、中国では花王、花神、富貴草などと呼ばれるほどであるが、根皮に消炎、止血、沈痛などの効能があり、主に婦人病に用いる薬用植物として名高い。ということで、空海は花が目的ではなく、薬用としてボタンやチャを持ち帰り、チャは空海ゆかりの仏隆寺の所在地、宇陀市榛原赤埴に植え、ボタンは奈良の寺院などに植えたと見られている。いわゆる、我が国のボタンは奈良が発祥の地ということになる。

                                                         

  このように、ボタンは薬用として八世紀末には我が国に渡来していたと見られるが、花が立派なため、花に主眼が置かれるようになって行き、ボタンが一般に知られるようになるのは花によるもので、少し遅れ、『万葉集』や『古今和歌集』にはその姿が見られず、平安時代中期の『枕草子』に「露台の前に植ゑられたりけるぼうたんのからめきおかしきこと」と、「ぼうたん」の名で登場を見ることになる。なお、和歌には『詞花和歌集』と『新古今和歌集』にボタンを詠んだ次のような歌が見える。これも平安時代の中期以降である。

   咲きしより散り果つるまで見しほどに花のもとにて二十日へにけり                                            藤 原 忠 通

   かたみとてみれば歎きのふかみ草なに中々の匂ひなるらん                                                太宰大貳重家

  両歌とも歌にボタンの名は見えないが、詞書に「牡丹」とあるので、ボタンの花を詠んだものと知れる。これらの歌が詠まれた後、ボタンは「二十日草」、「ふかみ草」と呼ばれるようになったと言われる。ただ、立派な花とは言われるものの、現在見られる豪華な花はボタンの栽培が盛んになる江戸時代以降に改良されたもので、当時は、まだ、原種に近い濃い紫色の花ではなかったかと思われる。

 これらのことを踏まえて、大和におけるボタンを見ると、ボタンは、やはり、お寺で、まず、一番にあげられるのが、西国三十三所観音霊場の八番札所である桜井市初瀬の長谷寺である。長谷寺には百五十種、七千株以上のボタンが境内の各所に植えられ、花のころはみごとである。

  次にボタンでよく知られるのは、葛城市當麻町の当麻寺や石光寺で、石光寺の寒牡丹は名高い。また、五條市野原町の金剛寺もボタンの花で知られるお寺である。花はどこもゴールデンウイークのころが盛りで、この時期のボタン寺は沢山の人出でにぎわう。 写真は左が長谷寺のボタン、右が当麻寺奥院のボタン。

 

 


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2014年04月27日 | 植物

<966> 花の大和 (1) フジ (藤)

            藤の花 春日の宮の そこここに

  桜はほぼ終わったが、大和のゴールデンウイークは、桜に続く花がこれからであり、花のゴールデンウイークと呼んでもよい。山野に恵まれた大和には古社寺も多く、山野はもちろんのこと、社寺には庭がつきもので、その庭には草木が見られ、草木にはゴールデンウイークのこの時期に花が咲くものが結構多く見られる。まず、フジ(藤)が咲き、ボタン(牡丹)、そして、シャクナゲ(石楠花)、ツツジ(躑躅)、カキツバタ(杜若)と次々に花を見せる。という次第で、この項から順次、大和のこれらの花について紹介してみたいと思う。では、最初にフジの花。

                                                        

 大和はフジの多いところで、自生するものは低山帯に多く見られ、蔓性であるため、他の木に巻きついて生育する。植えられたフジは棚に這わせ、棚から一面に花が垂れ下るところを鑑賞する。『万葉集』には次のような奈良におけるフジの花を詠んだ歌がある。

   藤波の花は盛りになりにけり平城(なら)の京(みやこ)を思ほすや君            巻 三 ( 330 )     大伴四綱 

   春日野の藤は散りにて何をかも御狩の人の折りてかざさむ                                巻 十 (1974) 詠人未詳

 この万葉歌が示すように、フジの多い大和においても、奈良の春日山周辺はフジの多いところだったのだろう。現在も多いところであるが、これは藤原氏に縁の春日大社があり、神紋にもフジの花が用いられているように、特別天然記念物である春日山原始林の森とともにフジを大切に扱って来たことにもその要因が見受けられる。

  で、古来より春日大社には内侍殿北側の七寄生木の藤、春日若宮の八房藤(八つ藤・樹齢五百年超)、前庭の砂ずりの藤(樹齢七百年超)などが知られるとともに、社殿の周辺にもフジが多く自生して見える。また、春日大社神苑の萬葉植物園には「藤の園」が設けられ、二十種二百本のフジが一同に植えられ、ゴールデンウイーク中が見ごろである。 写真は砂ずりの藤(左)と春日奥山のフジ。春日若宮の八房藤とこの春日奥山のフジは花期が遅く、五月十日過ぎが見ごろとなる。なお、これらのフジは一名ノダフジというフジで、蔓が右巻きに巻き上がるヤマフジに対し、左巻きに巻き上がる特徴がある。大和に野生するフジはほぼこのノダフジのフジであると言われる。

 

 


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2014年04月26日 | 創作

<965> 童話 「小鳥たちの歌声」 (2)

          木を伐らば 木に寄るものの営みも 乳母車一つ 青葉の下に

  年老いたきこりは寝床の中から歌声のする窓の方を見て微笑んだ。しかし、その微笑みには力がなく、小鳥たちにはとても淋しく見えた。「お爺さんどうしたのですか。何か病気なのですか」と母親の小鳥が尋ねると、「何かよくわからんが、起き上がるのも辛い」と年老いたきこりは訴えた。

 小鳥たちは、何かいい薬はないか、ほかの鳥たちにも尋ねたりして、病気に効く木の実や草などを探した。実の熟す季節ではなかったので、実は見つけることが出来なかったが、薬草があったので、その薬草を年老いたきこりの家へ運んだ。年老いたきこりは小鳥たちが運んでくれたその薬草を煎じて飲んだ。すると、病気はみるみるうちによくなり、きこりはまたもとのように元気を取り戻すことが出来た。

                                                          

  それからしばらくして、年老いたきこりはまた山へ出かけることが出来るようになり、山へ行くと、また、小鳥たちの澄んだ歌声が聞こえて来た。次の冬は厳しいと思い、そのことを小鳥たちに話すと、小鳥たちは秋になると山には元気になる実が沢山出来るので、それを取って来ておじいさんの家に運ぶ約束をした。そして、また、うたい出した。

         おじいさん

         おじいさん

         私の好きなおじいさん

         輝いているのはお日さまで

         うたっているのは私たち

         とっておきのしあわせは

         今日のお空のようですね 

                           みんなと一緒に遊びましょう

 年老いたきこりはそれからも天気のいい日には毎日欠かさず山に入ったが、それからは木を伐ることを止め、一日中小鳥たちの歌声を聞きながらのんびりと過ごした。そうしているうち、麓の村に町から若い夫婦がやって来て、空き家を直して住むようになった。夫の方は年老いたきこりのあとを継いで山に入るようになり、木を伐ることをはじめ、山の色々なことを年老いたきこりから教わった。妻の方は夫を山に送り出した後、畑に出て働いた。夫婦には間もなく女の子が生まれた。それからというもの、妻は畑に行くとき、いつも女の子を乳母車に乗せて出かけた。そして、いつも畑のそばのけやきの木陰に乳母車を止めて畑仕事に精を出すようになった。

 二人は、年老いたきこりから歌をうたう小鳥たちのことを聞き、いい話だなあと思った。冬の雪が沢山降り積もった朝、木の枝にとまっていたのがその小鳥たちではなかったかと思った。そして、また、木はむやみに伐れないなあとも思った。二人はまだ年老いたきこりのように小鳥たちの話を理解することは出来なかったが、小鳥たちの歌声はいつも気持ちよく聞いた。小鳥たちはときに乳母車のすぐそばまでやって来てうたうこともあった。写真はイメージ。 おわり。