<1107> 万葉の花 (136) え (榎) = エノキ (榎)
紅き実に 鳥影見えて 榎かな
吾が門の 榎の実もり喫(は)む 百千鳥(ももちどり) 千鳥は来れど 君ぞ来まさぬ 巻十六 (3872) 詠人未詳
集中に榎(え)の見えるのはこの巻十六の3872番の歌一首のみである。原文には「吾門之 榎實毛利喫 百千鳥 千鳥者雖来 君曽不来座」とあり、「榎實毛利喫」の「毛利」は「もり」で、「もる」の連用形と見られ、「もる」は小果実の類を捥ぐ(摘む)意によって、岡山、高知、愛媛南部などの方言にも見える言葉である。つまり、ここでは「えのみもりはむ」と読み、榎(え)の実をもぎ取って食べる意で、鳥たちがその実を啄むことを言っている。また、「百千鳥」は千鳥という固有の鳥の名をいうものではなく、鳥の種類、数が多いことを言っているもので、諸鳥(もろとり)の意であろうと言われる。で、歌の意は「わが家の庭の榎の実を啄む鳥はいろいろ来るけれども、私が待ち望んでいるあなたは来てくれない」となる。
この歌は「由縁ある雑歌」の中の一首で、何かの経緯によって詠まれたとされる。その経緯についてははっきりしないが、「右の歌二首」と左注に見え、今一首の3873番の歌は「吾が門に千鳥数(しば)鳴く起きよ起きよわが一夜夫(つま)人に知らゆな」とあり、その意は「門口で多くの鳥が頻りに鳴いている。早く起きて帰ってください。さもないと世間に知られてしまいます」ということで、当時の妻問婚の風習による影響か。3872番の歌との対比、女性の心理が詠まれている歌であるのがわかる。まこと微妙な女性の気持ち。二首には諧謔歌を取り込んでいる巻十六の「由縁ある雑歌」の特徴の一端が示された女性の心理が詠まれた歌として受け取ることが出来る。
ここで本題の榎(え)であるが、榎は『倭名類聚鈔』に「一名 衣(え)」とあり、『新撰字鏡』に「榎 上字衣乃木」とあって、「え」とも「えのき」とも読むことが説明されている。また、木偏に夏の榎は国訓によるもので、中国では別の植物。モクレン科の朴樹と言われる。このような命名の例は、木偏に春の椿に等しい。椿は花が春に咲くことによるが、榎(え、えのき)は枝葉をいっぱいつけ、夏になると日蔭をつくるほど繁るので、この意によって木偏に夏ということになったと言われる。
鎌倉時代の『夫木和歌抄』には「川ばたの岸のえの木の葉をしげみ道行く人のやどらぬはなし」(藤原為家)と詠まれ、この榎(え、えのき)の特徴をよく示していると言える。つまり、榎(え、えのき)は現在のエノキをいうものである。エノキはニレ科の落葉高木で、幹は直径一メートルほどになり、樹高は二十メートルにも及び、多くの枝を分け、左右不相称の楕円形または広卵形の葉を繁らせる。春に淡黄色の小花を開き、球形の小さな果実をつけ、秋に熟すと橙色になり、甘く食べられる。熟し終わると黒くなり、長い柄をつけたまま落ちるが、イカルのような小鳥たちが好む実の一つで、冒頭にあげた3872番の歌にも詠まれている次第である。
なお、この「え・えのき」については、枝の「え」で、枝が多いことによるとか、材が道具の柄に用いられたからとか、「さえのかみ」と呼ばれる道祖神と同じく、この木を神格化した「さえのき」の「さ」を略して「えのき」と言ったとかさまざまな説がなされている。北海道を除く日本各地の山野に見られ、国外では中国に分布し、よく目立つことから江戸時代には街道筋に一里塚の指標として植えられた。これは為家の歌にも通じ、昔から親しまれた木で、地方名も多く見られる。 写真は高々と枝葉を繁らせた夏のエノキ(左)、春の花(中)、橙色に熟した秋の実(右)。