<1615> カエルの声に寄せて
梅雨の候 かはづの夜会 始まれり
先日、ホトトギスの初鳴きを聞いた。それからは聞いていないが、いよいよ夏は梅雨の時期である。田植えのために水を張った田も見られるようになり、夜になるとカエルの合唱が聞かれるようになった。ホトトギスにも言えるが、カエルの鳴く声にも季節の到来、即ち、移ろいがあり、昔から聴覚をしてその季節の移り変わりを感じ、表して来たことがうかがえる。これが日本であり、日本人の感性であって、その感性の足跡は歌に見られ、日本人の文化的一端を物語る。そして、現代にもその感性は引き継がれ、理解されていると言ってよい。これは四季の国日本の自然、即ち、風土によるところが大きい。
この自然を基盤にした風土の状況が失われて来た都市部においては、この自然に育まれて来た生活環境やその環境よりなる生活リズムの崩れが顕著になり、都市部では新しい感性が目覚めているのに違いなく、私のような高齢者にはその昔から培って来た感性と新しい感性の間にあって、途惑うようなときもあると言ったところで、ときにはその新しさに抵抗したくなる気分にもなるわけである。そして、昔から育まれて来た感性が時節の変わり目などに発揮出来るとき、何かほっとするような、或るは郷愁のような気分に捉われたりするのである。
そして、日本人というのはその旧と新、昔と今のどちらも完全否定するのではなく、そのどちらも取り入れて、未来の感性を生んで行く方法をもってやって来たところがある。それは良しにつけ悪しきにつけ日本のやり方としてあり、今もそのやり方に違いないと思われる。それは、やはり、地球上における日本の地理的位置、即ち、日本が極東の島国(列島の国)であることに深く関係していると言ってよいように思われる。大陸的思想にはなく、やはり良くも悪くも日本は島国であり、日本人は島国の感性にあると言える。
ここで、元の話に帰るのであるが、その歴史を振り返ってみるに、その日本人の底辺にある感性は貴重に思えて来る。四季の変わり目を耳目の目の方だけでなく、耳、即ち、聴覚によっていることは野鳥(渡り鳥)に関しても言えることで、その鳴き声を捉えた歌の表現が見て取れる。前述したホトトギスがよい例で、奈良時代の『万葉集』でも、平安時代の『古今和歌集』でも、鎌倉時代の『新古今和歌集』でもほぼ全部が鳴き声の登場であり、その鳴き声に夏の到来を感受している。一例をあげると次のような歌が見える。
神奈火の磐瀬の杜のほととぎす毛無の岳(をか)に何時か来鳴かむ 『万葉集』 巻八(1466) 志貴皇子
ほととぎすなくやさ月のあやめぐさあやめもしらぬこひもする哉 『古今和歌集』 巻十一(469) 読人しらず
ほととぎすそのかみ山のたび枕ほのかたらへし空ぞ忘れぬ 『新古今和歌集』巻十六(1484)式子内親王
以上のごとくである。カエルで言えば、近代短歌に有名な歌がある。
死に近き母に添寝のしんしんと遠田のかはづ天に聞ゆる 『赤火』 「死にたまふ母」 斎藤茂吉
生母いくの死に際して詠んだ一連中の一首であるが、いくの死は五月二十三日であるから、みちのく山形は田植えの時期だったと思われる。「遠田のかはづ」の表現はまこと田舎育ちの私などにはよくわかる。死に近き母に添寝しながら聞くそのかはづ(カエル)の鳴き声は、まさに天命にも通じる切なくも聞こえる声だったろう。また、季節の移ろいをその感性によって捉えた極みの歌は次の歌であろう。この歌も名高い歌である。
あききぬとめにはさやかに見えねども風のおとにぞおどろかれぬる 『古今和歌集』巻四秋歌上(169) 藤原敏行
ほかにも類似歌が見受けられる。例えば、「手にならす夏の扇と思へどもただ秋風のすみかなりけり」(『秋篠月清集』九条良経)、「うたたねの朝けの袖にかはるなりならす扇の秋の初風」(『新古今和歌集』式子内親王、「手もたゆくならす扇のおきどころ忘るばかりに秋風ぞふく」(『同』相模)などがある。なお、「ならす」は慣らすと鳴らすの意をかけている。これらの歌には、聴覚と皮膚感覚による繊細な心持ちがうかがい知れるところである。とにかく、日本人の感性の繊細さは生来のものであり、この感性は大切にしたいものである。 写真は田植えの準備のため水を張った田。