大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2022年08月09日 | 創作

<3855> 短 歌

  今年二月三日、このブログの<3889>作歌ノート「瞑目の軌跡」(十二)において短歌への思いを述べた中で、短歌によって短歌のことを詠むという試作に当たった。以下の十首がそれに当たる。

       短歌とは五七五に七七の韻律による定形短詩

       短歌とは伝統詩形我が国の歴史の歩みとともにあるなり

       短歌とは言葉によれる器なり言葉は思ひのほかにはあらず

       己てふ思ひの船に言葉とふ帆を張らしむる短歌を言へば

       思ひみよ良し悪し評価のあるとして人ある限り短歌の希望

       短歌とは私のもの公の政治と対極して立つ詩形 

       短歌とは個々己がじしなる抒情主体における定形短詩

       政治史と短歌史それは公と私の関係性において見らるる

  短歌とは渚に寄する波のごとあり且つ似て非なりける詩形

        問はるべし和歌がイコール短歌なら短歌はイコール和歌と言へるか

 その後、この方法で短歌たる日本独自の伝統的短詩形の特色とそれにともなう意味についていま少し、短歌によって短歌に迫ってみたいと思い、以後もこの方法によって幾つかの短歌を作って来た。同じような意味内容のものもるとは思われるが、加えるところ以下。  写真はカット。短歌と和歌は一線を引いているようなところがある。

                                 

       短歌とは思ひの器五七五七七に入れ収める詩形

       伊勢源氏古今万葉思ふだに短歌は己がじしありある詩形

       短歌とは個により詠まれ来たりしに千三百年超の思ひの詩形

       伝統の定形短詩なる短歌個々の思ひを汲み来し詩形

      短歌とは日本の歴史に沿ひ来たり時代を映し来たれる詩形

      短歌とは日本の歴史に沿ひて来ぬ沿いて時代の面影映し

      短歌とは伝統詩形我が国の歴史の歩みとともにあるなり

      現代に現代の個々個々に個々の思ひの短歌さまざまにあり

      文化とは時と所と人の綾たとへば短歌における共感

      短歌史を繙くならばまづ万葉思へば人麻呂家持大事

      長々と短歌の歴史そしてなほあるものならむ短歌の未来

      短歌には長くも和歌の時代あり古今和歌集魁として

      革新の明治維新のその後に市民権得し短歌の夜明け

      短歌とは個々己がじしなる抒情主体の詩形定形短詩

     私と公の短歌と政治思ふだにいつの時代も表裏の諸相  

     脈々と継がれ継がれて来し短歌時代の綾が絡みてぞある

     我といふ一人称がそこにあるそして短歌の一つの世界

  漢字より漢字より平仮名片仮名外来語表記に見ゆる短歌の歩み

     短歌とは文体の謂ひ「短」とあるごとく即ち短き詩形

     短歌とは言の葉言の葉とは思ひ即ち短歌は思ひの器

     短歌とは長歌に対する認識において生まれし短き詩形

     短歌史を探れば短歌が日本の歴史に沿ひてあるを知るなり

     短歌より連歌連歌より俳句思へば短歌の七七の意味

     万葉集端初の短歌王朝の和歌の時代と維新のその後

     短歌には市民権得てはばたきし明治維新後の新時代

  短歌には和歌と呼ばれし時代あり長々とあり権威によりて

  短歌とは短歌とは抑止の詩形五七五七七による言葉の抑止

  気息とは生来のもの学ぶにはあらぬものなり短歌の大事

  本歌取り短歌に言はるこれやこの学ぶほかなき作歌の大事

  言 はばそれよ如何に詠めども短歌とは己の袖の内なる思ひ

  短歌とは何かと言へば短歌なり思ひを言葉に託せる器

 


大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2022年08月07日 | 創作

<3853> 写俳二百句(160)  立 秋

           立秋や齢とともにいま少し

                         

 今日七日は立秋。思うに、暦の上のことだが、春は立春、夏は立夏、秋は立秋、冬は立冬。所謂、四季の初め、希望を意味している。この立秋が我が誕生日で、誕生日は毎年かわらないが、二十四節気はずれるので、毎年同じとはならないが、今年は一致。

 七十九回目。立秋は公の決めごとであるが、誕生日は個人のもので、この一致について人様に言ってみても「ほう、珍しい」というくらいが関の山。しかし、当の本人は少し違う。そこには希望が加味されているからである。立秋イコール希望、誕生日イコール希望という意味で本人には立秋イコール誕生日がそこには見えるものがある。

 ところがこのところ体調劣悪で、立秋にも誕生日の祝福モードにも及べず、今日の日になったという次第である。 写真は今日、立秋の日に眺めた大和平野の風景。昨日に変わりないが、立秋の風景である。絶不調の体の方、どうも自信が湧いて来ないが、いま少し頑張ってみよう。  立秋や齢とともに生きて来ぬ


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2022年08月06日 | 創作

<3852> 写俳二百句(159) 八 月

                    八月や思へ日本の平和主義

                       

 今日六日は一九四五年 八月、終戦直前の広島市に人類史上初の原爆が投下され、未曽有の悲劇を生んだ「広島原爆の日」。九日は長崎市への投下がり、長崎の原爆忌。この悲惨極まりない連続の光景に日本は重い腰を上げ、敗戦を認めた。そして、十五日の終戦の日。こうした日本の八月はこの太平洋戦争の敗戦による終結に不戦と平和を常ながら考えさせられるところとなり、今に至っている。

 その今を思うに、核使用をちらつかせるロシアのウクライナへの軍事侵攻が始まり、果たして、戦火を長引き、世界を混乱に巻き込む状況に至っている。この状況は決して浅からず、日本にも影響を及ぼしている。しかし、敗戦の悲劇に基づく、日本並びに日本人の反省も加えるその体験的平和主義は変わらず、担保され続けているのを八月のこの時期になると思われて来る。

 なお、今日から始まった夏の高校野球なども平和主義の根幹に乗っかっている大会に思える。平和にあって感動の試合がある。ということなども加味して、つまり、日本の平和主義における精神の力は生半可ではないと言えるのではないか。 写真はイメージで、湧き上がる夏の雲。


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2022年08月04日 | 創作

<3850> 写俳二百句(158) ヘクソカズラ(屁糞葛)

             屁糞葛次々咲いて実の豊富

                 

 真夏の今の時期、道端の草叢などに蔓を他物に絡めて伸び上がり、外側が白く、内側が紫色のかわいらしい筒状花をつけるヘクソカズラが見られる。へクソは屁糞で、あまりな名に思えるが、茎葉などに独特の臭気があり、名づけ親には実感であろう。この花には似つかわしくないとは言えるが、古名はクソカズラで、『万葉集』にも見えるから、昔も今もかわりないということなのであろう。

 現在ではほかにもヤイトバナ、サオトメバナの別名でも呼ばれる。ともに花から来ている名で、ヤイトバナは花の内側の紫色をお灸に見立てたことによる。また、サオトメバナはこの花の紫色に早乙女の紅を差した唇を連想したのであろう。どちらの名も説得力を持つが、古名クソカズラの意を引くヘクソカズラの屁糞のインパクトが強かったということであろう。

 このヘクソカズラに対し、私は野鳥を撮り始めて評価を改めさせることになった。蔓性のヘクソカズラは他物に絡んで伸び広がり、次々に咲く花はかわいらしい。だが、横暴に見えるところもある。花は直径数ミリの球形の実に成長し、冬場になると茎葉が枯れて、実がよく目立つようになる。この実は野の小鳥たちの好物で、赤く熟す先から競うように啄む。

 この冬場の光景に接し、ヘクソカズラが冬場の小鳥たちを大いに養っていることに意識が行った。ヘクソカズラだけでなく、ほかにも多くの実が見られるが、ヘクソカズラの実には小鳥たちがよく来る。もちろん、これは広く種子の散布をし、子孫を繋ぐヘクソカズラの戦略の一端で、持ちつ持たれつの生の世界の光景と見て取れる。そういう意味で、ヘクソカズラのことが思われたという次第。

 写真は真夏のヘクソカズラの花(左)と野の小鳥たちを養うヘクソカズラの冬場の実(右・啄んでいるのはジョウビタキのオス)。


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2022年08月02日 | 創作

<3848> 写俳二百句(157) 八月来たる

             八月来雲の白さに照らされて     来(く)

                           

 七月三十一日(日曜日)に四回目の新型コロナウイルスのワクチン接種を受けた。体調がよくないので気になって出かけたが、接種した方がよいという医師の助言もあって受けることにした。翌朝、接種したところに痛みが出たが、ほかに症状はなく、過去の経験からして痛みは二、三日で取れるはずである。

 感染者が増えている新型コロナウイルスもさることながら熱中症も厳戒の暑さで、こちらも気が抜けない。このような心理の日々にあって八月を迎えた。周囲を山々に囲まれた奈良盆地の大和地方は、その山々の上に白い夏雲が湧き上がり、帯のようになったその雲の白さに照らされ、八月入りの風景を見せた。二日も真夏の天気になった。

 写真は東の山並上に帯となって白く輝く雲の峰々(八月一日午後一時過ぎ、斑鳩の里から写す)。