大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2017年03月27日 | 植物

<1915> 大和の花 (176) スミレ (菫)                                          スミレ科 スミレ属

           

 スミレ(菫)はスミレ科スミレ属(Viola)の総称であり、スミレ属の中の1個体の種名(Viola mandshurica)でもある。一般にスミレと言えば、総称としてのイメージで語られる場合が多いが、そのスミレ属の仲間は世界に広く分布し、分類上からすれば、約500種、日本には50数種が見られ、亜種や変種を含めると更に多く、その上、交雑種があって見分けの難しい点のあることも指摘されている。

  では、こうした事情のスミレの中で、私が出会った大和(奈良県)に見られるスミレを図鑑に照らしながら紹介したいと思う。日本に見られるスミレ科スミレ属のスミレは全てが多年草で、スミレの分類にはタチツボスミレに代表される地上茎のあるものと、ミヤマスミレに代表される地上茎のないものに大きく分けられるが、ここでは生える場所の垂直分布によって主に平地・平野地域、丘陵・低山地域、深山・山岳地域に見られるものに分け、まずは、平地・平野地域を主な生活圏にしているスミレから始めたいと思う。

  種名がスミレのスミレはスミレの中のスミレとして知られ、スミレと言えば、このスミレがイメージされるほど馴染みのあるスミレで、地上茎のないスミレの代表格として知られる。日本全土に分布し、国外では朝鮮半島、中国、ウスリーに見られるという。平地から丘陵地、草原や棚田の畦など日当たりのよいところに生える。葉は翼のある長い柄を有し、長楕円状披針形から三角状披針形に成長し、先は尖らず、花時には立つように束生する特徴がある。葉や花が似るノジスミレ(野路菫)とはノジスミレの葉があまり立たず、乱れた感じに受け止められるので判別出来る。

  花期は3月下旬から6月ごろで、7センチから15センチほどの花柄を立て、先端にスミレ色と称せられる濃紫色の1花を咲かせる。スミレの花はいずれも下側の花弁である唇弁の後ろに蜜腺を有する距という部分が突き出ているのが特徴で、このスミレではこの部分が普通細長いが、変化がある。花の両側の側弁の基部に白い毛が見られ、唇弁の中央部は白地に紫色のすじが入る。花は葉とともにすっきりとした感じに見て取れる。

  宝塚歌劇団の愛唱歌で知られる「すみれの花咲く頃」の「すみれ」は、フランスで歌われていた原曲のリラ(ラィアラック)に変えて日本の春を代表する花として歌われるようになったというエピソードがある。これはこのスミレのイメージの1例であるが、これは私たちの身近に見え、その花のやさしくも品位のある姿が他のスミレの追随を許さずあるからではないかと想像される。

  花には稀に白色品も見られるが、私には野生の白い花に未だ出会っていない。なお、スミレの語源については、花が大工の用いる墨入れの形に似るからなど諸説あるが、どの説も推察の域を出ず、はっきりしていない。なお、スミレ(Viola mandshurica)は朝鮮から中国東北部一帯などにも分布し、日本の特産ではなく、学名は「 mandshurica」で、中国の旧満州に因むものである。また、スミレは『万葉集』に見える万葉植物で、古来より知られ、親しみを持たれて来たが、万葉植物としてのスミレについては次のタチツボスミレ(立坪菫)の項で触れたいと思う。 写真は左から棚田の畔に群がり咲くスミレ、すっくと立って咲くスミレ、花のアップ、葉が三角状になった中に閉鎖花が見られるスミレ、裂開して飛び散る寸前のスミレの蒴果。

  すみれとはああすみれとはすみれとは

 

<1916> 大和の花 (177) タチツボスミレ (立坪菫)                       スミレ科 スミレ属

          

 地上茎を有するスミレの代表格のスミレで、この仲間は北半球の暖温帯に広く分布し、日本においても全土に見られ、変異が多く、更に細かく分類され、スミレ(Viola mandshurica)と並んで、日本を代表するスミレとして知られる。大和(奈良県)でも各地に見られ、垂直分布で見ても平地から丘陵、低山、深山に至るまで幅広く生えているのがうかがえる。

 地上茎に柄と鋸歯のある心形の葉がつき、花期の3月から5月ごろにはその葉腋に花柄を伸ばし、先端に淡紫色から白色まで変化の見られる1花をつける。草丈は15センチほどで、群生して一面に花を咲かせることが多く、土手の斜面などでよく見かける。花の後ろ側に突き出る距はやや細長く、側弁は無毛で、托葉が櫛目状に切れ込む特徴がある。

 スミレは『万葉集』の4首に登場をみる万葉植物であるが、原文では須美礼(すみれ)が2首、都保須美礼(つぼすみれ)が2首見え、須美礼の方は摘み草として男性が詠んでいるのに対し、都保須美礼の方は盛りの花を愛でる女性の詠んだ歌である違いが見て取れる。植物学者の牧野富太郎は『万葉集』に登場する4首のスミレについて現在のタチツボスミレ(立坪菫)としているが、異説も見られる。

 果たして、万葉のスミレは如何なるスミレなのか。須美礼と都保須美礼は歌の内容とかを考慮してみると、採取される摘み草としての須美礼は今日言われるスミレ(Viola mandshurica)で、花が愛でられた都保須美礼の方は野辺を彩るタチツボスミレが思われて来るが、ともに推察の域を出るものではなく、総称としてのスミレで鑑賞してもよい気がする。

 写真は左から群れて花を咲かせるタチツボスミレ、葉脈に沿って紅紫色の模様が入るアカフタチツボスミレ(赤斑立坪菫)、増水すると水に浸かる渓流の岩陰に咲くケイリュウタチツボスミレ(渓流立坪菫)、山地の木陰に咲くオトメスミレ(乙女菫)。これらはみなタチツボスミレの品種と見られている。 春昼やよき日なりけり奈良盆地

<1917> 大和の花 (178) ニョイスミレ (如意菫)                                     スミレ科 スミレ属

        

   平地から丘陵、ときに山地の湿気のあるところに生えるスミレで、別名をツボスミレ(坪菫)と言い、図鑑によっては別名の方で見える場合もある。地上茎を有するスミレで、大きいものでは草丈が25センチほどになる。長い柄を有する葉は先が尖った心形から腎形で、基部が深く切れ込むのが特徴。ニョイ(如意)の名はこの葉が如意という僧侶が読経のとき手にする仏具に似るからという。ツボスミレのツボ(坪)は庭の意で、『万葉集』に見える都保須美礼(つぼすみれ)の都保と同じ意であるが、『万葉集』のそれとは直接の関係はなく、『万葉集』の都保須美礼は野辺に多く見られるタチツボスミレ(立坪菫)であるとする説の方が有力視されている。

   花期はスミレの中では遅い方で、4月から6月ごろ。葉腋から花柄を上に伸ばし、先端に1花をつける。1花は直径1センチ前後と小さく、距も短いかわいらしい花である。唇弁と側弁の一部に濃い紅紫色のすじが入り、側弁の基部には毛が生える。ほぼ日本全土に分布し、南では屋久島まで見られ、国外では東アジア一帯に分布すると言われる。垂直分布もタチツボスミレとほぼ同じく、平地から深山まで見られるが、湿気を好むので生える場所を異にするところがある。

 写真は湿気のあるところに生え、花を咲かせるニョイスミレ(左の2枚)と花柄を真っ直ぐに立て、1花をつけるニョイスミレ(3枚目)、花のアップ(右端)。  陽春や固き鋭頭ほぐれたり

<1918> 大和の花 (179) ノジスミレ (野路菫)                                      スミレ科 スミレ属

              

  野原や丘陵、棚田の畦などでよく見かけるスミレで、楕円状披針形の葉や濃紫色の花がスミレ(Viola mandshurica)に似るが、葉の幅が少し広く、花に青味が加わる感じに受け取れる。スミレは葉も花もすっきり立って上品に感じられるのに対し、ノジスミレには姿整にすっきりしないところがうかがえる。もっともはっきりした違いは、スミレの側弁には毛があり、ノジミレの側弁には毛がないことである。

  花期は3月から4月ごろで、スミレよりも早くに咲き始め、暖かいところでは冬の時期にも花の見られることがある。花は淡紫色から紅紫色まで変化がある。こうした変化もスミレと異なるところ。本州、四国、九州に分布し、アジア一帯に見られるという。大和(奈良県)では各地に見られ、棚田で知られる明日香村では多く見られる。 写真はノジスミレ。右端の写真は12月の撮影で、帰り花。  どの道を登るか金剛山の春

<1919> 大和の花 (180) ヒメスミレ (姫菫)                                       スミレ科 スミレ属

                      

  人家の近くでよく見かけるスミレで、スミレ(Viola mandshurica)を小振りにしたような濃紫色の花の姿がかわいらしく、姫の名がある。三角状披針形で表面が濃緑色、裏面が紫色を帯びる鋸歯のある葉もスミレより小さい。花期は4月ごろで、よくコンクリートや石垣の隙間に花を咲かせているのを見かける。

  本州、四国、九州に分布し、国外では台湾に見られるという。大和(奈良県)でも各地に見られる。どのスミレも可憐でかわいらしい花を咲かせるが、そのかわいらしさの点で言えば、ヒメスミレではなかろうか。写真はヒメスミレ。 左の写真は舗装道路の傍のわずかな隙間に生え出して花を咲かせ、右の写真は石垣の間から顔を覗かせるように花を咲かせるヒメスミレ。

 日月はまことに速し弥生尽

 

 

 

 


大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2017年03月26日 | 写詩・写歌・写俳

<1914> 余聞・余話 「大相撲春場所で稀勢の里が逆転優勝」

        春場所や強くなったな稀勢の里

 今年の春場所は久方ぶりに日本人力士の横綱が誕生して初めての場所となったが、その新横綱稀勢の里が無敗で優勢を保ち、終盤を迎えた。ところが、13日目の横綱日馬富士との戦いで先輩横綱の意地を見せた日馬富士の速攻に敗れ、左肩を負傷するというアクシデントに見舞われ、続く十四日目の横綱鶴竜戦でも傷めた左肩の影響が出てあっさりと負けた。この負け方に誰もが万事休すと思ったはずである。一敗を保持した大関照ノ富士に逆王手をかけられたからで、またしてもモンゴル勢にしてやられるかと思った。ところが千秋楽にその照ノ富士と戦い、手負いにもかかわらず、稀勢の里は本割を凌ぎ、照ノ富士と星を並べて優勝決定戦に持ち込み、これにも勝って二場所連続、横綱になって最初の場所を優勝で飾ったのであった。

            

  新横綱の初めての場所で優勝したのは貴乃花以来二十二年ぶりだという。このところ、森友学園問題などスキャンダル絡みの腹立たしいニュースばかりが連日報じられ、大相撲も何処かへ押し遣られた感のなきにしもあらずの状況だったが、稀勢の里の逆転優勝は実に晴れ晴れとした感動を私たちにもたらした。日馬富士の意地もさることながら、稀勢の里の凌ぐ力は見るべきものがあった。「強くなったな」という思いがする。稀勢の里の相撲に一呼吸の余裕が感じられたのは私だけではないと思う。今場所は白鵬が欠場だったので、次の場所の戦いがおもしろくなった。教訓:強さとは肉体と精神に基づく凌ぐ力の現われである。 写真は優勝決定戦で照ノ富士を小手投げに破り優勝した稀勢の里と賜杯を胸に感きわまる稀勢の里(テレビのニュースによる)。  


大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2017年03月25日 | 植物

<1913> 余聞・余話 「植物の名について」 (勉強ノートより)

          ははこぐさすみれたんぽぽれんげそう春とは花の彩りに負ふ

 五七五の一句すべてが春の季語という句を作ってみた。漢字にすると次のようになる。母子草菫蒲公英蓮華草。すべて春の野の草花である。さて、世の中に知られている生物にはみな名がつけられている。植物を見ると、よく知られるところでは科名、属名、種小名。この中の属名と種小名を合せた合体名が学名で、ラテン語のイタリック体で表記され、頭文字を大文字にする規則になっていると言われる。ラテン語は古代ローマ帝国(紀元前二十七年~)の標準語で、その後普及せず、現在に至っているが、学術語に用いられ、植物名にも世界の共通名にラテン語表記が使われている。 例えば、ウメ(梅)は、科名ROSACEAE(バラ)、属名Prunus(サクラ)、種小名mume(ムメ)、学名Prunua mume(サクラ ムメ)ということになる。

 これに加え、各国や地域によってよく用いられている名があり、これを普通名という。英語圏では英名、仏語圏では仏名、中国語圏では漢名ということになり、日本においては和名と言われるが、概ね最も一般的な和名を標準和名とし、そのほかの名については別名として扱われている。しかし、標準和名の基準が曖昧な点が見られ、和名すべてが統一されているわけではないところがうかがえる。また、別名の中には地方の呼び名が多くにのぼり、これについては地方名とか方言名という言い方でまとめられているものもある。また、古くからある名は古名と言われる。一方、一つの和名が複数の植物に及ぶ場合(例ヤグルマソウ)や一つの和名が類似する複数の植物の総称として用いられているもの(例スミレ)といったものから、あまり知られていないような和名もある(例シクラメンのカガリビバナ)。また、外来語に由来する名については和名とは言わない。

                                                            

 以上のように植物にはそれぞれに幾つかの名が見られるが、名にはそれぞれに語源、命名の由来があるはずで、その由来には人と植物の関わり、あるいは命名者の植物への思い入れといったものがあることが思われるところである。春に芽を出し、秋口に花を咲かせるイタドリ(虎杖)という雌雄異株のタデ科の多年草は「大和の花」でも紹介したが、和名が別名、地方名を含め、何と七百以上にのぼるというような例も見られる。この数字はギネスものと思えるほどであるが、これは地域性に富む日本という国の人的事情の反映だろうと思われる。

 それにしても和名というのは表記上実によく出来ていると思う。これは日本語の特徴と言えよう。例えば、サクラは「さくら」「桜」と表記出来、「SAKURA」とも書ける。これは使い道においてバリエーションを持たせることが可能になることを物語るもので、書き手には選択の余地が生まれる。一字一句が大切な詩歌などにおいては重宝なところがうかがえる。とにかく、植物の名というのはよくお国柄を表し、身近な呼び名から学術名まで、さまざまであることが言える。 写真はウメ(左・白梅と紅梅)とヤマザクラ(右)。


大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2017年03月22日 | 植物

<1910> 大和の花 (173) カンサイタンポポ (関西蒲公英)                                      キク科 タンポポ属

                       

 タンポポは日本人なら誰もが知る親しみのある草花であるが、詳しくは次のように言える。タンポポはキク科タンポポ亜科の中の1群であるタンポポ属の総称で、詩歌など一般に登場するタンポポは総称の認識によるものと言ってよい。世界に約400種、北半球に多く、日本には変種などを含めると20種以上にのぼるという。その特徴はタンポポ亜科の特質である頭花が両性の舌状花だけを集め、舌状花の先がハサミで切ったように切形になって5歯に浅く裂けていること、また、茎や葉に乳管が見られ、切ると乳液が出ることなどがある。

  この特質に加え、タンポポ属では葉がすべて根生し、ロゼット状になること。葉腋から花茎を伸ばし、先端に舌状花が集合した頭花1花をつけること。花茎は分枝せず、茎葉がないこと。花は日が当たると開き、雨や曇の日、夜など日差しのないときには閉じる習性があること。実は痩果で、先に羽毛状の冠毛がつくこと。これらの特徴的な条件を揃えていることでタンポポと分類される。

 日本に見られる在来種は地域的変異が見られ、単にタンポポと言っても、地方によって微妙に異なるところがあり、その名に地域を表す言葉が冠せられている特徴を持っている多年草である。大和(奈良県)に見られるものとしてはカンサイタンポポ(関西蒲公英)があり、シロバナタンポポ(白花蒲公英)、セイヨウタンポポ(西洋蒲公英)、ヤマザトタンポポ(山里蒲公英)があげられる。加えて、最近は雑種も繁茂していると言われる。ヤマザトタンポポについてはごく限られたところにしか見えず、奈良県では絶滅寸前種としてレッドリストにあげられているが、私にはまだ出会っていない。各地で普通に見られるのは在来のカンサイタンポポで、まず、このタンポポから紹介したいと思う。

 カンサイタンポポは長野県以西、四国、九州、沖縄に分布し、西日本一帯に見られ、関西エリアに多い小振りなタンポポで、この名がある。根生葉は線状倒披針形で羽状に中裂する。花期は春から夏で、他種よりも花茎が細く、高さも20センチほどと短い傾向にあり、黄色の舌状花も小振りで、他種に比べると少なく、その姿はやさしい感じを受ける。頭花の裏側の総苞片がめくれていない点が外来のセイヨウタンポポとの判別点になる。セイヨウタンポポはめくれて反り返る。

 写真は左から一面に花を咲かせたカンサイタンポポと棚田の土手に咲くカンサイタンポポ。次はスミレとともに花を咲かせるカンサイタンポポと冠毛のカンサイタンポポ。右端の写真はミツバチの姿が見えるカンサイタンポポの花。カンサイタンポポは単為生殖をしないので、ミツバチのような花粉媒介者を必要とする。  たんぽぽのぽっぽと咲いて子らの声

<1911> 大和の花 (174) セイヨウタンポポ (西洋蒲公英)                                      キク科 タンポポ属

                    

  セイヨウタンポポ(西洋蒲公英)の紹介の前に、今少し総称としてのタンポポについて触れて置きたいと思う。タンポポの語源にはタンポポのタンはタンポポの古名タナの転で、ポポは花後の冠毛が綿毛のようにほうけているホホから来ているという説など諸説が見えるが、別名のツヅミグサ(鼓草・花茎の両端を細かく裂き水に浸すと放射状に反り返り、鼓のような形になるからという)に由来し、鼓の音を擬した「タン ポンポン」からタンポポの名が生まれたという民俗学者柳田国男の説が有力視されている。

  タンポポは身近な雑草としてある草花で、親しまれている関係で、別名や地方名が多く、古名のタナのほか、チチグサ、タンポコ、ムジナ、フジナ、カジャ、クマクマ等々、あげれば切りがないほどである。蒲公英は漢名で、タンポポの和名にはこの漢字が当てられている。英名のDandelion(ライオンの歯)は葉の切れ込みによるものと言われる。なお、タンポポの若菜は古くから食用にされ、薬用としても乾燥した根の部分を煎じて服用し、健胃薬にされて来た経歴がある。ということで、日本におけるタンポポはスミレと同じく古くから知られていたはずであるが、『万葉集』や『古今和歌集』などには登場を見ず、タンポポが認識されるのは江戸時代になってからという。

  セイヨウタンポポは世界中に帰化している欧州原産の多年草で、欧州では葉を野菜サラダや養鶏の飼料にし、乳牛の乳の出をよくする目的によって北海道に導入され、野菜として栽培されたが、単為生殖の旺盛な繁殖力によって日本全土に広がり、在来種とのせめぎ合いが生じ、「タンポポ戦争」などとも呼ばれ、一時は在来種を圧倒し、在来種の危機が問われたこともあった。最近は在来種が巻き返しているといわれるが、果たしてどのように落ち着くのだろうか。雑種の存在も確認されているのが今日のタンポポ界の情勢と見て取れる。

  こうしたタンポポの行く末というのは、人間社会の文化に同じく、極東の島国日本の外来を受け入れて今日にある歴史に実証を見る多様性を有する風土(山や谷や平野や海岸を有する地形的多様な土地柄)の環境に沿ってその在外来の植生はうまく馴染み、落ち着くところに落ち着くのではないかということが思われたりする。ということで、セイヨウタンポポもいつしか日本の風土(環境)に馴染み、、外来の意識なく、普通に見られるようになるのではないかと思われたりする。 

 写真はセイヨウタンポポの花と冠毛。左から一面に花を咲かせるセイヨウタンポポ、舌状花がびっしりとついたセイヨウタンポポの花、花の基部の総苞片がめくれるセイヨウタンポポ、花後に出来たセイヨウタンポポの冠毛。   蒲公英の花一面の賑やかさそれぞれならむ咲ける歓び

<1912> 大和の花 (175) シロバナタンポポ (白花蒲公英)                                     キク科 タンポポ属

               

  白い花を咲かせるのでシロバナタンポポ(白花蒲公英)という。ロゼット状の根生葉は切れ込みがあって他種と変わりないが、その葉は地に貼りつくのではなく、どちらかと言えば、立ち上がるように生え、色も浅い緑色で、全体に繊細さが欠けるように感じられる。セイヨウタンポポと同じく単為生殖をする。

  関東地方以西、四国、九州に分布し、西へ向うほどシロバナタンポポの割合が増し、四国や九州ではシロバナタンポポだけしか見られない地域もあるという。大和(奈良県)は混在地で、カンサイタンポポやセイヨウタンポポに混じってシロバナタンポポも散見される。 写真はシロバナタンポポの花と冠毛。右端の写真はセイヨウタンポポと隣り合わせに咲くシロバナタンポポ。  常のこと光と風と花の春加へてもってこの身の思ひ

 

 


大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2017年03月21日 | 写詩・写歌・写俳

<1909> 余聞・余話 「 初 燕 」

        初燕疲れを知らぬ飛翔かな

  この間、3月16日に馬見丘陵公園の下池の上空高く10羽ほどのツバメが勢いよく飛び回っているのが見えた。ときに低空飛翔を見せることもあったが、ほとんどが高くを飛び回っていた。私には今年初めてのツバメで、所謂、俳句では春の季語である初燕であった。多分、到来して間のないツバメたちに違いない。その飛翔の勢いには新天地への長い旅の目的を果たした達成感に浮き立っているような感じがあった。

                         

  池にはまだ大半のカモが残って三三五五水面を陣取っているのが見られたが、冬鳥のカモたちには近々姿を消すことになる。思うに、ツバメは暖かな季節の使者である。飛び回るツバメを見ていると、ツバメほど飛翔を誇る鳥はいないと気づく。距離にしても、スピードにしても、自在な動きにしても、どれをとってもツバメの動体の能力は一級である。

  夏の渡り鳥であるこのツバメの今一つの印象は人家に巣を作って棲みつき、田畑の害虫を捕ってくれる益鳥としてあること。ということで、私にとってツバメは郷愁の存在と言ってもよい鳥である。子供のころ、夏になると、家には必ずツバメがやって来て土間の梁に田の泥土をもって巣を作り、その巣を棲みかにして子育てをした。玄関は引き戸であったが、把手の部分をくり抜いて留守のときでもツバメが出入り出来る穴を開けていた。土間には糞が落ちるが、下には新聞紙を敷いたりしていたのを覚えている。言わば、家の中にツバメが巣を作ることに何ら不潔感や違和感はなく、家族同然のようにツバメを迎え入れていたのが思い出される。

                          

  母の臨終に際して山形の郷里に帰り、母に寄り添って詠んだ斎藤茂吉の『赤光』の中の「死にたまふ母」一連の絶唱はよく知られ、その中の一首に「のど赤き玄鳥(つばくらめ)ふたつ屋梁(はり)にゐて足乳ねの母は死にたまふなり」とツバメに寄せて詠んだ心情の歌があるが、この歌の光景が私には子供のころのツバメに重なってよく理解出来る。所謂、ツバメというのは農耕民族である日本人には親しみのある夏の渡り鳥たる確固たる存在としてある。では、初燕を記念して以下に我がツバメの句を披露したいと思う。 写真は大空を飛び回るツバメたちの姿。

    燕とは自在な飛翔の名士なり

    燕とは郷愁そして父母の家

    空を斬る燕の翼みごとなり

    最善を尽くし通せよ初燕

    暖かさ運びて来たる燕かな