大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2012年02月10日 | 祭り

<161> おんだ祭り (御田植祭) (3)
       健やかな 子らの声あり 春が来る
  今日は天理市の大和神社(おおやまとじんじゃ)の御田植祭(おんだ祭り)を見に出かけた。この神社の御田植祭は中学一年生と小学六年生の九人に大人一人が加わった子供が所作役の「子供おんだ」が特徴の祭りであるのがわかった。 神殿でお祓いを受けた後、子供たちは古式に従って少し緊張気味に所作をこなして行った。
  神社の庭を水田に見立て、巫女役が打つ太鼓を合図に祭りの所作は始められた。 祭りは鋤き入れから田起こし、代搔きと続き、マメの植えつけと田植えが行われ、 早苗に見立てた苗松を五人の早乙女役が植え終わると、 抽選券がつけられた苗松は見物人や参拝者が競って拾い、賑やかなうちに祭りは終わった。
                             
  下級生約五十人が見学に訪れ、お兄さんやお姉さんの所作に拍手を送っていた。祭りの主催者によると、最近、 子供たちが少なくなり、本来は中学一年生の十三歳が所作役を務めるのであるが、今年は欠員が出て、小学六年生の応援を求めたという。 これも少子化によるようであるが、農業の変遷が影響しているとも考えられる。
  因みに、大和神社は第十代崇神天皇の皇居内に祀られていた天照大神が天皇六年に現在の檜原神社付近に遷されたとき、 同様に祭神の日本大国魂大神(大地主=おおとこぬし)がこの地に遷され、 創建されたもので、二千年余前のこととされ、 日本最古社の謂われがあるようである。
  ここでも御田植祭の起源は はっきりしないが、 五穀豊穣と子孫繁栄を祈願し、予祝の意味合いが見られ、 ほかのおんだ祭(御田植祭)に等しいように思われる。苗松は田の水の取り入れ口に差して置けば、稲に虫がつかず、豊作が望めるという言い伝えがある。 写真は左から太鼓を打つ巫女役、マメの種を播く穴をつくる農夫役、マメの種を播く農夫役と灰で穴を塞ぐ馬子役、田起こしに向かう牛役と農夫役に声援を送る下級生たち、代を掻く牛役と農夫役、苗松の早苗を配る農夫役と馬子役、苗松で田植えをする早乙女役、役を終えカメラに笑顔を見せる女生徒たち。