大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2017年06月28日 | 植物

<2007> 大和の花 (255) オオバギボウシ (大葉擬宝珠)                                ユリ科 ギボウシ属

 ここではギボウシ(擬宝珠)類を見てみたいと思う。ギボウシの仲間は東アジアの特産とされ、約40種が見られるという。葉や花が好まれ、丈夫でもある植物で園芸用に改良されたものも多く、また、交雑による中間種も見られるといった状況にある。

 単子葉植物特有の平行脈が目立つ葉が根生し、花が花茎の先に総状に連なり咲く。花は花被片が6個あり、中ほどで合着して筒状になる。この筒状の花の蕾の形が橋の欄干につけられる擬宝珠(ぎぼし)に似るのでこの名があるという。

 花は朝開いて夕方には閉じる1日花であるが、上に蕾が出来、下から次々と咲き出すので一斉に花が開くことはまずない。オオバギボウシ(大葉擬宝珠)、コバギボウシ(小葉擬宝珠)、イワギボウシ(岩擬宝珠)、キヨスミギボウシ(清澄擬宝珠)、ミズギボウシ(水擬宝珠)、バランギボウシ(葉蘭擬宝珠)、スダレギボウシ(簾擬宝珠)などが一般的によく知られるが、雑種や中間的なもの、または地域的変異が見られ、ギボウシは判別し難いものが多いという定評がある。

  という次第で、ここではオオバギボウシ、キヨスミギボウシ、コバギボウシ、ミズギボウシについて見てみたいと思う。イワギボウシは撮影した写真との一致に及ばず、ここでは同定を見送った。ほかについては、まだ出会っていない。では、オオバギボウシからみてみたいと思う。

                        *                                       *                                      *

                                                       

 オオバギボウシは他種に比べ茎や葉が大きいのでこの名がある多年草で、山野の草地や林縁などに生える。葉は長い柄を有し、卵状楕円形で、葉脈は片側に10から17あるとされ、裏面に隆起する。基部は心形で、鋸歯はない。若葉はウルイと呼ばれ、ぬめりがあって、おいしく、山菜として好まれ、お浸しや和えものにされる。

 花期は7月から8月ごろで、1メートルほどになる花茎の先端部に白色乃至は淡紫色の花をほぼ横向きに多数つける。花被は5センチ前後の筒状鐘形で、花のつけ根には緑白色の苞が開出する。全国的に分布する日本の固有種で、大和(奈良県)では自生か否かわからない雰囲気の個体がときに見られる。 写真はオオバギボウシ。左は茶店の門先に植えられたもの。右は野生化したものか(奈良市郊外)。 心得てゐるがピーポー熱中症

<2008> 大和の花 (256) キヨスミギボウシ (清澄擬宝珠)                         ユリ科 ギボウシ属

                                                          

  東大の演習林で知られる房総半島(千葉県)の清澄山(別称妙見山・350メートル)においてはじめて見つかったギボウシで、この名がある。本州の近畿地方から関東地方南部の太平洋側に分布する日本の固有種で、オオバギボウシに似るが、ひと回り小さく、葉脈が少ない。山地の林内や林縁、道路脇の草むらなどに生える多年草で、大和(奈良県)では最も普通に見られるギボウシである。

  草丈は30センチから60センチ。長い柄を有する卵形の葉は根生し、ロゼット状に伸びる。先は尖り、基部は心形で、縁は微細な鋸歯状となり、葉と柄ははっきり区別出来る。葉脈の数は個体によってさまざまであるが、普通片側8つ以下と言われる。

  花期は7月から8月ごろで、茎の先端部において苞をともなう1花ずつつける。花は淡紫色の筒状鐘形で、上下に連なるように咲く。苞は開花時にも完開せず、ボート状になる。 写真はキヨスミギボウシ(ともに十津川村)。  健脚の芭蕉羨(とも)しく夏を歩く

<2009> 大和の花 (257) コバギボウシ (小葉擬宝珠)                                   ユリ科 ギボウシ属

                                          

  山野の日当たりのよい湿地や湿気のあるところに生える多年草で、狭卵形から卵状長楕円形の先が尖る葉を多数根生する。葉の表面は淡緑色で光沢のないものが多く、葉脈が凹み、基部は翼状になって柄に流れ、斜上する特徴がある。

  花期は7月から8月ごろで、高さが40センチほどに直立する花茎の上部に淡紫色から濃紫色の筒状鐘形の花を横向きに咲かせる。花の基部にはボート状の苞がつく。その姿は全体的にミズギボウシ(水擬宝珠)に似るが、ミズギボウシの方が、花数が少なく、葉も細い。

 北海道、本州、四国、九州に分布する日本の固有種で、大和(奈良県)では渓谷の岩場や川岸などでよく見かける。 写真はコバギボウシ (天川村川迫川、下市町の丹生川)。  遠近(をちこち)に訃報今年の夏越しかな

<2010> 大和の花 (258) ミズギボウシ (水擬宝珠)                                         ユリ科 ギボウシ属

                

  日当たりのよい湿地や湿気のある草地に生える多年草で、草丈(花茎)は5、60センチになる。根生する葉は線状倒披針形で、日本のギボウシの中ではもっとも細く、葉の基部は翼状になって柄に流れる。花期はよく似るコバギボウシ(小葉擬宝珠)より遅く、8月から10月ごろで、60センチ前後に直立または斜上する花茎に普通数個の筒状鐘形の花をつける。花の基部には普通緑色のボート状の苞が見られる。

  本州の愛知県以西、四国、九州に分布する日本の固有種で、大和(奈良県)では北部に自生地が集中しているが、圃場整備や開発などによって減少の傾向にあり、希少種にあげられている。5年ほど前まで見られた群生場所にその姿がないといった例もあり、草叢に紛れて密かに花を咲かせているのに出会ったりするのが現況である。 写真はミズギボウシ(奈良市の大和高原)。

  山野行花を思へばこの夏も

 

<2011> 大和の花 「ギボウシ追記」

           生きとし生けるものはみな

            誰もが過去を持っている

            過去は経験の集積であり

            経験は経験知

           乃至は経験値であって

           産物にほかならず

           如何なる者にとっても

           この産物は財産になる

           もちろん 財産には

           負の財産もあるけれど

           過去の経験による財産は

           その良し悪しにかかわらず

           未来に向かって歩む

           進行形の今において

           生かすことが求められる

  私が写真に撮り溜めている「大和の花」のフォトライブラリーには種が同定出来ないギボウシが何点か見られる。アザミにもこの状況があって、以前、このブログで触れたが、写真を撮ったものの、撮りっ放しにして写真の検証を怠ったツケのようなものと言ってよい。つまり、写真にした花の種名が特定出来ないということで、その花に説明を施す段になってこの問題が浮上し、考えさせられるということになった次第である。

  どの種であれ生命体たる個体の尊厳という観点において言えば何ら変わるところはなく、その存在は尊いものであるが、属する種の特定が出来ないというのは落ち着かない状況にあると言え、アザミとかツツジとかこのギボウシとか単に総称としてその個体を見る立場では何ら問題になることはないが、種によってその個体を検証するといった場合などは判別点が気になって、写真も使いづらいという事態が生じて来ることになる。

  この事態は、写真を撮り、その写真に検証を加える私の能力によって生じ来たるもので、勉強不足は否めず、何処に訴えることも出来ない。ということで、実に悩ましいところではあるが、日の目を見ないでは撮った甲斐もなく、被写体の花にも申し訳けないという気持ちも働く。ということで、種名がはっきりしないギボウシの花にも登場願うことにした次第である。

                

    (1)        (2)        (3)       (4)        (5)          (6)    

  (1)(2)の写真は、大峰山脈の標高1500メートル付近の尾根筋の岩上に着床し生えている個体で、大岩が砦とも聖域の楽園ともとれるシカの食害を免れている観のギボウシである。岩上の花であればイワギボウシの名が浮かぶが、葉柄に暗紫色の斑点が見られない点で、イワギボウシではないとわかる。では何かと考え、キヨスミギボウシが浮上するところとなった。だが、葉が翼状になって柄に沿っている点が見られるので、これも怪しく思われ、未だ種の同定に至れずにいるといった具合である。

  (3)(4)の写真は曽爾高原で撮影したものであるが、単にギボウシの花の風景として撮り、撮影時に種の問題など意識になかった。現在、この場所にギボウシの姿は皆無状態になっているが、このギボウシは如何なるギボウシか、消えてなくなったのは如何なる理由によるものか。こうした点が、時を隔てて思われるようになった。なくなったのは、多分、シカの食害によるものであろう。十年ほど前までは高原の夏の風景として見られた。写真ではわずかに見える葉の感じからキヨスミギボウシに思えるが定かでない。

  (5)(6)の写真は天川村の川迫川の岩場に生えるギボウシで、ともに川が増水すると濁流に呑まれてしまう環境下に生育している個体である。密につく根生葉の形からすると、コバギボウシに思えるが、葉が斜上している感じがなく、葉の色も緑が濃いのでこの点も気になるところで、種の同定に自信が持てずにいるといった次第である。 

 

 

 

 

 

 


大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2017年06月27日 | 植物

<2006> 余聞、余話 「トマトの季節」

        優れるも劣れるもみな同じ道すべては時の流れにある身

               

 我が家では今年も六本ほど植えて育てて来たトマトが実を生らせ、収穫出来る季節を迎えた。今一番下の枝の実が熟し、赤く色づいている。中ほどの実は青く、もう少し太るはずである。上部の枝には葉腋から花序を出して黄色い花がついている。この可愛らしい花からあの豊かな実が生じる。五十個以上生っているので、八月のはじめごろまで八十個は収穫出来る。

 この間、一番生りを収穫し仏前に供えた。順次日を追って熟して来るだろう。それにしても実はさまざまである。大きいのがあれば、小さいのも見られる。形のいいものがあれば、形の不格好なものも見られる。しかし、どの実も熟す時に向かっている。そうなのである。みな同じ時を共有して育っている。勝れるものもそうでないものもみなこの時のうちにある。 写真は実り始めたトマト(左)とまだ青いトマト(中)、トマトの花(右)


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2017年06月22日 | 植物

<2001> 大和の花 (250) コオニユリ (小鬼百合)                                            ユリ科 ユリ属

          

 高原の草地や山地の崖地などに生える多年草で、テンガイユリ(天蓋百合)の別名でも知られる同類のオニユリ(鬼百合)とよく似るが、鱗茎も草丈も花もオニユリよ小さい。花期は7月から9月ごろで、茎の上部の総状花序に赤橙色に暗紫色の斑点がある6個の花被片からなる花を咲かせ、花被片は先が反り返って下向きに開く。雄しべも雌しべも長く花被の外に伸び出し、濃紅紫色の葯が目につく。この花の姿から鬼を連想したのだろう。この名がある。

 オニユリもコオニユリも全国的に分布し、国外では中国中部から北部に見られるという。大和(奈良県)では高原や山地の崖地で見かけられるが、オニユリは植栽か植栽起源で、純然たる野生にはまだ出会っていない。コオニユリは深山でも見かけることがあるが、オニユリは人里近くでしか見ていない。葉腋に珠芽が出来るオニユリに対し、コオニユリでは珠芽がつかないので、これがもっとも有効な判別点になる。

  なお、コオニユリはよく結実し、オニユリは結実しないが、珠芽によって子孫を増やせるようになっている。因みに、食用のゆり根はオニユリが主で、美味を誇る。 写真はコオニユリ。 左2枚は曽爾高原、3枚目は葛城山。ユリと蝶は相性がよく、ヒョウモンチョウが来ていた。右端はオニユリで、十津川村での撮影。葉腋に珠芽がうかがえる。  夏至過ぎぬ悲喜も苦楽もひっくるめ

<2002> 大和の花 (251) ヒメユリ (姫百合)                                    ユリ科 ユリ属

                                                  

  草地に生える多年草で、小さな鱗茎を有し、茎は高さ30センチから80センチほど、葉は線形で互生する。花期は6月から7月ごろで、茎の上部に花柄を出し、朱赤色に濃い斑点のある花被片6個の花を1個から数個上向きに開く。花被片は倒披針形で長さが3センチから4センチほどとほかの百合に比べて小さいく、この名がある。

  本州の東北地方南部以南、四国、九州に分布し、国外では朝鮮半島、中国、アムール地方に自生すると言われる。日本では稀に見られ、大和(奈良県)における自生地は曽爾高原の一箇所で、絶滅寸前種にあげられて久しく、高原を歩いて出会えればラッキーと言える花である。

  『万葉集』には巻8(1500番)の相聞の1首に見える。大伴坂上郎女(おおとものさかのうえのいらつめ・大伴旅人の異母妹で、大伴家持の叔母に当たり、姑でもある)の歌で、次のように詠まれている。

        夏の野の繁みに咲ける姫百合の知らえぬ恋は苦しきものぞ

  歌の意は「夏の野の繁みに埋もれて咲いている姫百合の花のように誰にも知られず、自分ひとりの心に秘めている恋は苦しいものです」となる。忍ぶ恋の典型で、忍べば忍ぶほど募る恋である。高原の緑一色の茅原に埋もれるように咲く紅一点のこの花を見ていると、鮮やかな花だけにかえって孤独に映り、郎女の苦しい胸のうちが伝わって来る。

  ヒメユリ(姫百合)は後の歌にも「百済野のちがやが下の姫百合の根もころ人に知られぬぞ憂き」(藤原仲実『夫木和歌抄』)と詠まれているように百済野が大和平野の真ん中辺りであれば、古くは、大和の平野部でも見られたものと推察出来る。今は消滅が危惧される花であるが、万葉当時はその姿に触れることが出来たと考えられる。とすれば、郎女にも接触出来た花で、ヒメユリは万葉植物として認め得ることになる。

 写真は曽爾高原のヒメユリ。青々と広がる草原の中で紅一点の花は鮮やかなだけにかえって孤独に見える。郎女の苦しい胸の内を重ねて見ていると、訪れるチョウがその孤独を慰めているようにも思えて来る。  六月や水鏡にして奈良盆地   

<2003> 大和の花 (252) クルマユリ (車百合)                                           ユリ科 ユリ属

                     

  亜高山帯に多く見られる多年草で、ほかのユリと同じく、鱗茎を有し、茎を立て、大きいもので1メートルほどの高さになる。葉は披針形で、茎の中ほどで輪生状につく。この葉の形が車輪状に茎を取り巻くのでこの名があるという。

  花期は7月から8月ごろで、茎の先端部に1個から数個の花をつける。花は橙赤色に濃い斑点が見られる6花被片からなり、花被片は先端が強く反り返って下向きに開く。コオニユリの花に似るが、葉の形により容易に判別出来る。花にはほとんど匂いはないが、艶やかなので目立ち、渡りをする旅蝶アサギマダラがよく来る。

  北海道、本州、四国(剣山)に分布し、朝鮮半島、中国、サハリン、カムチャッカ半島、千島等に見られるという。大和(奈良県)では大峰山脈の尾根から高所部の草地に見え、本州の南限とされている。近年、シカの食害による減少が目立ち、絶滅寸前種にあげられている。 写真はクルマユリ(山上ヶ岳ほか)。アサギマダラが来て蜜を吸う花(左)、輪生状につく葉(中)、裂開前の若い実(右)。  草刈りの音聞こえ来る暑さかな

<2004> 大和の花 (253) ウバユリ (姥百合)                                            ユリ科 ユリ属

                    

  山野の湿った木陰や草地に生える多年草で、太い茎が直立し、1メートル前後の高さになる。茎の中ほどに長い柄のある卵状楕円形の葉をつける。葉は大きいもので長さが25センチほどになり、単子葉植物とも思えないところがある。

  花期は7月から8月ごろで、花の咲く時期になると葉が虫に食われたり、枯れたりしてぼろぼろになるので、葉を齒に見立て、傷んだ葉に老女を重ねこの名が生まれたという。花は長さが10数センチほどになる緑白色の6花被片からなり、裂片は完開せず、ほかのユリ類に比べると地味で、葉のみならず、この花もウバユリのイメージに繋がっている。

  本州の関東地方以西、四国、九州に分布し、国外ではカラフト、千島に見られるという。大和(奈良県)では山地や山間地でよく見かける。花は茎の上部に数個から10個ほどが固まってつく。花の多いオオウバユリは中部地方以北に分布し、大和(奈良県)では見られない。 写真はウバユリ(上北山村の和佐又山ほか)。群生して咲く花(左)、木陰に咲く花(中)、裂開して枯れた果穂(右)。  梅雨曇り大和平野を被ひけり

 <2005> 大和の花 (254) タカサゴユリ (高砂百合)                                   ユリ科 ユリ属

                             

  タカサゴ(高砂)の名が示すとおり台湾原産の多年草で、別名はタイワンユリ(台湾百合)。大正時代の末に庭の花や切り花の観賞用に導入された外来のいわゆる帰化植物である。黄色を帯びた鱗茎を有し、高さが1.5メートルほどに茎を立て、線形の葉を密につける。花期は盛夏のころからで、茎の先端部にラッパ形の花被片6個からなるテッポウユリ(鉄砲百合)に似た花を総状につける。純白のテッポウユリに対し、花の内側が乳白色で、外側が紫褐色を帯びるものが多い。

  種子の発芽から半年ほどで開花する勢いで野生化し、全国的に広まった。大和(奈良県)でも野生化した姿がそこここに見られ、在来のユリに減少傾向が見られるのとは対象的にタカサゴユリは増える勢いにある。整備された道路の法面や切り通しの斜面などでは植えられたと思われるものが一面に群生しているのに出会ったりする。何処から舞い込んだか、我が家の庭でもタカサゴユリが生え出し、毎年花を咲かせている。 写真はタカサゴユリ。道路脇の斜面一面に咲いた花(左)と草地に生え出して咲いた花(右)。

    雨に濡れゐるもの梅雨の真っただ中

 

 

 

 


大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2017年06月21日 | 写詩・写歌・写俳

<2000> 余聞、余話 「 錯覚と誤認 」

       夏至近し今年も半ば速きかな

 今日は夏至。写真は六月二十日に撮ったもので、法隆寺五重塔の背後から昇り来る朝日である。久しぶりに雨となった今日のブログに載せるには躊躇されたが、「錯覚と誤認」をテーマに記したかったので、イメージ写真として、敢えて載せることにした。午前五時前の撮影で、棚引く雲の切れ間からわずかに霞む太陽が見られた。

 この写真のように太陽が昇ったり沈んだりする風景に出会うと、ふと思い浮かぶことがある。この思い浮かぶところのものが今回のテーマの「錯覚と誤認」である。太陽が昇ったり、沈んだりするのを目の当たりにすると、太陽の運行が思われると同時に、私には私たちが自分の立場でしかものごとを見たり感じたりしないという習性をもって日々を過ごしているということに思いが至る。これは、即ち一種の錯覚であり、誤認であって、私たちにはこういうところがある。

 この写真に見られる昇り来る太陽の姿は、太陽が動いているのではなく、地球が自転しているからあるもので、太陽が位置を変えているのではない。知識ではわかっているはずであるが、私たちには太陽が動いているとしか感じ得ない。これは対象があまりにも大きく、その実体が私たちには把握出来ないからである。言わば、これは錯覚と誤認によるもので、この錯覚や誤認が私たちの習性になっているということにほかならない。これは私たちの能力によるものであるが、これだけではない。私たちにはほかにも多くの錯覚や誤認の状況が取り巻き生の世界に影響している。

                                       

 私はよく花を求めて山野に赴くが、草木に被われた山に入るとよく思わせられることがある。それは山が植物の世界であるということ。山に草木が繁っていることは山に入らず、遠望してもわかる。しかし、山に入ってみると、一木一草の息づかいが直に感じられ、植物が都会に集まる多くの人間同様、そこに草木の存在が実感出来る。地球上の生きものは動物と植物とある種の生物によって展開されているが、山に入ると、この地球生命における動物と植物の対等性が理解に及ぶ。

 人間が集中している都会では人間の豊かさと利便のために明け暮れ、草木、即ち、植物のことなどさほど眼中にはなく、そこいらに植えられている草木は人間が作り出し、配置するものくらいの考えによっているという雰囲気が見られる。こうしたところに生活圏を有する都会人によってほとんどが支配されて行く地球というのは、この動物と植物の対等性を無視する形で現われて来ることになる。こうした傾向は、やはり、私たちの自分本意による錯覚や誤認とともに、私たちの周りでも現われて来るということになる。

 日本は山の多い列島の国で、水と草木の緑に恵まれた国で、自然災害は多いものの、概ね温暖で穏やかな国である。その草木の緑をして世界に目を転じて見ると、それはそこに暮らす人々の精神にも影響し、概して、植物の恵みに乏しく、植物が大切に扱われていない国ほど、その精神状況はよくなく、人間本位、即ち自分本意の精神的現われが進み、殺伐とした争いごとなども起きていることが指摘出来る。これも言わば、自分本意による錯覚と誤認によるところが大きいと言える。

 ヘイトスピーチなどは、相手があってなされる言動であるが、自分本意の立場で、相手を理解することなく、攻撃的に行なわれる。これなども、やはり、相手への理解を妨げる錯覚や誤認が大きく影響している。敢えてこの錯覚や誤認を利用して対立を煽るということなども仕向けられたりする。私の経験で言えば、どんなに貧しい国でも、その国を訪れると親しみが湧いて来て、以後、印象がよくなるということがある。これはその国やその国の人たちに理解が及ぶことによる

 人工衛星から地球を見て、地球をマーブルのようだと言った宇宙飛行士は誰だったか。このほど引退した将棋の加藤一二三九段は対局の休憩中に相手の側から対局の盤面を見ていたという。この宇宙飛行士や加藤九段の逸話なども、錯覚や誤認に陥りやすい私たちには参考になるのではないか。私たちにこの錯覚や誤認が少しでもなくなれば、その関係性において世界はもっと明るいものになることが思われる。 写真は法隆寺五重塔の背後から昇る朝日。 

 

 


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2017年06月19日 | 植物

<1998> 大和の花 (248) ササユリ (笹百合)                                            ユリ科 ユリ属

      

 ユリ(百合)はユリ科ユリ属の総称で、北半球の亜熱帯から亜寒帯まで90種以上が分布し、日本にはその中の15種ほどが自生、花が魅力的な見るべきユリが多く、ユリの宝庫と言われる。登場の歴史も古く、『古事記』や『万葉集』にその名が見える万葉植物である。現在の大和(奈良県)における野生のユリで言えば、花期の早いササユリ(笹百合)をはじめ、ヤマユリ(山百合)、オニユリ(鬼百合)、コオニユリ(小鬼百合)、ヒメユリ(姫百合)、ノヒメユリ(野姫百合)、ウバユリ(姥百合)、クルマユリ(車百合)、タカサゴユリ(高砂百合)等があげられる。

 このようにユリを見てみると、ユリは大和(奈良県)を代表する花の1つと言ってもよいように思われる。因みに、タカサゴユリは台湾が原産の外来種で、植えられたものが逸出等によって野生化しているものであり、オニユリは野生状態の花が見られるけれども純然たる自生ではなく、植栽起源を思わせるところがある。一方、ノヒメユリは自生地が知られているものの、私にはまだ実際に出会っていないまぼろしのユリである。また、クルマユリは深山山岳のユリで、滅多に出会えないユリである。現存するこれらのユリを概観すると、野生のユリは減少傾向が顕著で、絶滅が懸念されているユリも見られるほどである。これに加え、植栽された園芸種のユリが彩りを添えているのが大和(奈良県)のユリの現在の状況になっている。

  ユリは世界的に知られる花で、古くはギリシャ神話に登場し、『聖書』の世界にもよく登場を見、聖母マリアの持ち物とされる純白の聖母百合(マドンナ・リリー)はキリスト教の宗教儀式に欠かせない花として敬われ愛されている。また、西洋では王家の紋章にも用いられ、貴品に満ちた高貴な花として捉えられている。日本で純白のユリと言えば、香りもよい南西諸島に自生する為朝百合(おためゆり)の異名をもつテッポウユリ(鉄砲百合)がよく知られるところであるが、大和(奈良県)で野生化している話は聞かない。とにかく、ユリは古い歴史を有し、洋の東西を問わず迎えられている花の1つである。

  なお、ユリの名は茎がしなやかで大きな花がそよ風にも揺れることによると一説にある。これはヤマブキ(山吹)の命名譚と同じ発想による。また、百合は鱗茎の形から来ているとされる。この鱗茎は「ゆり根」と呼ばれ、美味で食用に供せられている。という次第で、今回は大和(奈良県)に野生するユリを見てみたいと思う。まずは、ササユリから。

                   *                         *                         

 ササユリは二次林の林縁や草地に生える多年草で、鱗茎から一茎を立ち上げ、大きいものでは1メートルほどになる。互生する単子葉の葉は披針形で、ササ(笹)の葉に似るのでこの名がある。花期は6月から8月ごろで、成長すると茎の先端が3枝に分れ、大型で香りのよい淡紅色の花被片6個の花をその枝先に咲かせるので、古くはサイクサ(三枝)、あるいはサイ(佐韋)などと呼ばれた。

  ササユリは『古事記』の神武天皇の条に佐韋の名で登場、この佐韋が日本におけるユリの初出であると言われている。天皇と皇后の出会いの場である三輪山の麓の佐韋河(現在の狭井川)の辺りに佐韋のササユリが沢山生え、ササユリの花園があった。天皇はこのササユリの花園で皇后と出逢い、結ばれた。言わば、ササユリは二人の出会いの場を飾り、その場の雰囲気を盛り上げたのである。ササユリは二人にとって思い出深い花になったわけで、ササユリは建国に関わる花と言ってよく、『古事記』の神話に香っているという次第である。

 奈良市本子守町の率川(いさがわ)神社では毎年ササユリが咲く時期に当たる6月17日に皇后とササユリの『古事記』の記事に因む例祭三枝祭(さいくさまつり)が催される。率川神社は三輪山を御神体とする大神神社の摂社で、皇后と皇后の父母3神を祭神とする神社で、祭りは天皇との出会いを寿ぎ、皇后神に捧げる魂鎮めの祭りとして、一家平安、国家安寧の祈願の趣が見られ、三枝(さいくさ)の古名とともにササユリ(笹百合)が欠かせない祭りとして、ゆり祭りの別称でも呼ばれ、親しまれて今日に至っている。

 この『古事記』の逸話と率川神社の三枝祭を思うに、ササユリは女性的な趣のある花で、祭神の皇后とイメージのダブルところがうかがえる。これについては次回のヤマユリの項で触れたいと思うが、ユリは日本を象徴する花に思える。それはさて置き、ササユリは、ヤマユリとともに一昔前まで吉野や宇陀の山地や山間地に多く見られ、珍しい花ではなかった。それが、ササユリの紅色の花粉が女性の化粧用の紅に好適とされ、高価に取り引きされるようになって減少して行ったと言われる。もちろん、これだけではなく、イノシシなどの食害も考えられるが、近年、絶滅が懸念される状況に至り、大和(奈良県)においては希少種にあげられるほどになった。

 このため、率川神社の三枝祭で神前に捧げられるササユリの花の確保も難しくなり、大神神社の奉賛会などが試験場などの協力を得て、人工による繁殖は難しいとされていたササユリの育成に取り組み、『古事記』所縁の地である大神神社の境内地において試行錯誤を重ね、ようやく育生にこぎつけ、三枝祭のササユリも提供出来るようになった。結果、最近では大神神社の境内がササユリの名所になり、新聞やテレビ等でも報じられるところとなっている。 

 なお、ササユリは本州の新潟県以西、四国、九州に分布する西日本型のユリで、近畿地方以東に分布する東日本型のヤマユリとは好対照の日本特産のユリとして知られる。この2つのユリはその分布状況から『古事記』の神武天皇の条の記事とともに建国に関わる象徴的花として見ることが出来る。 写真はササユリ。二次林の林縁の草地に咲く花(左)、花のアップ(濃紅色の葯が印象的・中)、 茎の先端が3枝にわかれ花をつける古株(この3枝が古名三枝のいわれのもとになった・右)。  建国の神話に馨る百合の花

<1999> 大和の花 (249) ヤマユリ (山百合)                 ユリ科 ユリ属

    

  山地の林縁や草地、あるいは丘陵地に生える多年草で、大きい鱗茎から一茎を立て、高さが大きいもので1.5メートルほどになる。披針形の葉は10数センチになり、茎に対し輪生状に互生して密につく。花期はササユリ(笹百合)よりも半月から1ヶ月遅く、7月から8月ごろで、茎の上部に数個の花をほぼ横向きに開く。個体によっては20個以上の花をつけるものも見られる。

  長さが20センチ近くになる6個の花被片は白色で、赤褐色の斑点が見られ、花被片の中脈には黄色の太いすじが入り、花が開き切ると先が反り返る。花粉は赤褐色で、他種に比べ、芳香が強く、女性的なササユリとは趣を異にする男性的な花で、豪華さを誇る。

  因みに、園芸品種のカサブランカはヤマユリから開発されたユリで、祝宴の場などに飾られ、人気を博している。ヤマユリは本州の近畿地方以東、東北地方までに分布する日本の固有種(特産)で、西日本型のササユリに対し東日本型のユリとして知られ、大和(奈良県)は両ユリの混在地で、多産する。この分布からは、大和(奈良県)が昔から両ユリの生育出来る気侯的自然環境にあることが見て取れる。

  このヤマユリとササユリの日本列島における分布状況と『古事記』の神武天皇の条の記事を合せ考えると、ユリが建国を象徴する花として見え、都の選定場所に関わりがあったことに想像が巡る。記事によると、天皇と皇后が出会って結ばれた三輪山の麓の佐韋河のほとりには佐韋という山由理草が咲き乱れていた。

  即ち、神武天皇の条の記事には次のようにある。「ここにその伊須氣余理比賣命(皇后)の家、佐韋河の上にありき。天皇、その河の辺に山由理草多にありき。故、その山由理草の名を取りて、佐韋河と號けき。山由理草の本の名は佐韋と云ひき」と。

  佐韋は三枝(さいくさ)の「さい」であり、これは1茎3花のササユリのことで、山由理草と記して、わざわざ佐韋と断りの文言を差し入れている。何とも思わせぶりな断りであるが、『古事記』の作者は山由理草と佐韋にこだわり、敢えてこの断りの文言を入れたのではないかと想像される。

  所謂、山由理草はヤマユリを思わせ、佐韋は三枝のササユリであれば、ここに神武天皇と皇后伊須氣余理比賣命が連想されて来るわけである。神武は天照大神の天津系であり、伊須氣余理比賣命は三輪の大物主の娘で、神話を遡れば須佐之男命の国津系であることがわかる。二人が結ばれれば、神話における天照と須佐之の神の世界の反目は解消され、国を一つにまとめ治めることが出来る。

  ここで『古事記』は断りの文言をもってヤマユリとササユリの登場を記事中に忍ばせた。これはヤマユリとササユリの分布圏が意識され、東西両方のユリが混在する良好な気侯的自然環境の住みよい温暖地の大和に国の中心を置くのがよいという意志決定に至った。つまり、この点において両ユリが関わったということになる。言わば、ここに登場するユリはイコール人で、人を象徴していると考えられる。

  この『古事記』におけるヤマユリとササユリの存在は天津系と国津系の合体を意味するもので、これを寿ぐために『古事記』の作者は敢えてこの山由理草イコール佐韋の断りの文言を記事中に入れたと推察出来るわけである。ということで、『古事記』の記事とこの両ユリの分布の状況から私は「建国ユリ説」なる仮説を立てるに至った。ササユリが女性的であり、ヤマユリが男性的である点は逆で矛盾めくが、神話の系譜に当て嵌めてみれば、ササユリは女神の天照大神に通じ、ヤマユリは男神の須佐之男命に通じるのである。

  このように見てみると、ユリは日本にとって大切な花の趣にあることが言える。果たしてヤマユリとササユリは日本を象徴する花に思えて来るのである。ところが、現在の大和(奈良県)ではヤマユリもササユリも減少傾向が著しく、両方とも希少植物として奈良県版のレッドデータブックにあげられるほど野生の状況がおもわしくなく、落ち込んでいる。まことにさびしい現状とは言える。

   写真はヤマユリ。宇陀市榛原赤埴の大和茶発祥の地として知られる仏隆寺山域での撮影。現在はイノシシの食害によるものか、皆無状態にあり、訪問者の私などはこの写真のような風景にまた出会いたいという願いがある(左)、沢山の花をつけた古株(中)、花のアップ(右)。 百合の花刈り残されてそこここに