大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2019年10月31日 | 写詩・写歌・写俳

2854> 余聞、余話 「第70回奈良県美術展(県展)に寄せて」

       秋の日の一日(ひとひ)にありて美術展

 秋晴れの好天に恵まれた三十日、奈良市の県文化会館で開かれている第70回奈良県美術展(県展)に出かけた。会期は十一月二日まで。奈良市は相変わらず外国人観光客が多く、JR奈良駅から奈良公園に至る三条通りは日本人より外国人の方が多いほどで、奈良公園一帯、興福寺や東大寺、春日大社などの観光スポットは外国人観光客に圧倒されるほどのにぎわいを見せている。

 この時期は秋の行楽シーズンのうえ、正倉院展が開かれている関係もあって、一段と人出が多く、にぎやかに感じられる。奈良に出かけると、いつも春日大社や若草山方面に向かって歩くが、この度は美術展が目的で、文化会館に直行した。文化会館は県庁や県警本部などがあるオフィース区域にあり、大通りを隔てた南側の公園区域と違って観光客の姿はほとんどなく、外国人の姿もないというのが普段の風景になっている。言わば、文化会館の展示会場はそのようなところに位置しているので、鑑賞者は結構多いものの、外国人の姿は一人もなかった。

 これはこの美術展が外国人にも見てもらうというような発想の認識が主催者にも関係者にもなく、当たり前としてあり、外国人に美術展の情報が発信されず、観光客などには関係のない催し物として認識され、この認識が常套的に根付いてあるからに違いない。この認識を取っ払って美術展の情報発信をし、外国人にも見てもらうように心がけるのがよいと思われる。奈良が国際観光都市で、外国人の姿が極めて多い特性にあるからで、外国人にも美術展の鑑賞をしてもらうことは、古都の遺産は当然のことながら、現在の奈良県における一般庶民の文化活動の状況やその成果を見てもらう意味で有意義と言えるからである。

  外国人観光客の多くが美術展会場の目と鼻の先まで来ているのに、展示会場の区域は断絶されたようにあって、外国人を受け入れる雰囲気になく、外国人を鑑賞者として迎える体制にはなっていない。この体制を緩めて、公募美術展の趣旨の幅を広げて外国人にも見てもらうという発想の切り替えが望まれるということである。今まで通りの内に籠った美術展では、マンネリ化は免れない。外国人に一般公募の美術展を見てもらうということは、前述した通り、日本人の普段における文化的生活実態を知ってもらい、理解してもらう良いチャンスであり、それによってもっと親しみが増せば有意義であるということになる。そして、何より、美術展に活気を生むことになり、国際観光都市奈良の特質にも敵うものになる。令和の新時代に際する県民の公募美術展を鑑賞するに当たり、以上のような思いが巡った次第である。

          

 今年の内容を見てみると、展示方式は例年通りで、日本画、洋画、彫刻、工芸、書芸、写真の六部門にそれぞれ審査によって選ばれた一人一点の作品が、審査員や招待者の作品とともに披露されていた。展示作品の数は日本画が五十八点、洋画が百二十八点、彫刻が三十五点、工芸が六十八点、書芸が百四十七点、写真が百二十二点で、展示作品の総数は五百五十八点だった。

 各部門の最高賞である県展賞は次の通り(敬称略)である。日本画は「ゴーヤ」 尾崎知永子で、評は「巧みな構成と色調で、ゴーヤをモチーフにゆったりとした空間が表現されています。実の赤い部分の色調と余白の白い空間が、非常に効果的で、作者の思いが伝わってきます」とある。洋画は「秋草の野に映えて」北城卓雄で、評は「コスモスという身近な花をとりあげ、作者の観察力と表現力で秋の空気感をよく表現した作品である。また、飾らない素朴な美しさが感じられたことも魅力のひとつである。作者の感性と自然から学ぶ姿勢に拍手を送り、今後の発展に期待したい」とある。

 彫刻は「天空の家」豊永秀男で、評は「石と他の素材を巧みに組合わせ、特に家と石の絶妙のバランスで、雄大な影を演出されていて、審査員に支持されました。細かい部分の処理も丁寧にされています」とある。工芸は「萌生」松末博子で、評には「作品は作者からの発想で眠っていた植物が発芽し始めた姿をイメージとしての造形で、流動的躍動感のある刻線絞で表現し、全体のバランスと調和を融合させた柔軟な造形作である」とある。

 書芸は「李白詩」西井曉で、評は「林散之の書法を元にした創作である。線質や造形、墨量の変化を充分に生かして、表情豊かな作品に仕上げている。特に白と黒のバランスが絶妙である。伸びやかに特徴的に書かれた点画が、広めの余白と呼応している」とある。写真は「月華心清む」藤井鎮雄で、評は「朧月夜の世界の創造に成功している。合成であろうが、月、森、桜の構成もぬかりなく、審査員全員の評価は高かった。佳作である」とある。

 写真は県展賞の展示作品。左から日本画の「ゴーヤ」、洋画の「秋草の野に映えて」、彫刻の「天空の家」、工芸の「萌生」、書芸の「李白詩」、写真の「月華心清む」。なお、写真の展示では作品への前景映り込みが見られ、鑑賞に煩わしさが生じ、作品にマイナス効果を来たしていたのが気になった。ことに県展賞作品に見られたのは残念なところである。

 


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2019年10月29日 | 植物

<2852>  大和の花 (923) ヒルガオ (昼顔)                                             ヒルガオ科 ヒルガオ属

       

 日当たりのよい草むらや道端に生えるつる性の多年草で、白く細い地下茎を有し、地上茎は他物に絡んで伸びる。葉は長さが5センチから10センチほどの鉾形乃至は矢じり形で、基部が斜め後方に張り出す。花期は6月から8月ごろで、葉腋から長い花柄を出し、淡紅色の1花をつける。花は漏斗状で、直径5センチほど。萼が卵形の二個の苞に包まれる。結実はせず、繁殖は地下茎による。

 北海道、本州、四国、九州に分布し、国外では朝鮮半島、中国に見られるという。大和(奈良県)では平野部の草むらや道端などに散見される。『万葉集』の4首に登場を見る「かほばな」にヒルガオ(昼顔)の説があり、万葉植物とされている。ヒルガオ(昼顔)の名は日中に咲くのでこの名がある。なお、ヒルガオは花だけでなく、薬用植物としても知られ、全草を煎じて利尿、糖尿病に用い、虫刺されには生葉の汁がよいという。

 ヒルガオにはよく似たものに在来のコヒルガオ(小昼顔)とヨーロッパ原産のセイヨウヒルガオ(西洋昼顔)があるが、コヒルガオは花冠が直径4センチ弱と小さく、花柄に翼が見られ、セイヨウヒルガオは苞が花柄の途中につき、鱗片状で、見分けられる。 写真はヒルガオ(左・宇陀市)、ヒルガオとコヒルガオの中間型(中・同)、コヒルガオ(花冠が5角状・奈良市佐紀町)。

  不可思議を生きて齢を重ね来て人生今といふ時にあり

 

<2853>  大和の花 (924) マルバルコウソウ (丸葉縷紅草)                     ヒルガオ科 ルコウソウ属

            

 熱帯アメリカ原産のつる性1年草で、アジアをはじめ世界各地に広がり、日本には江戸時代末に観賞用として渡来した。所謂、帰化植物で、野生化が進み、関東地方以西の暖地に分布し、大和(奈良県)ではところによって道端や草むらに群生するのが見られる。

茎は無毛でよく分枝し、他物に絡んで数メートル伸びる。葉は先が尖った卵形で、基部は心形。縁には浅く粗い鋸歯が見られ、短い柄を有して互生する。花期は8月から10月ごろで、葉腋に花序を出し、花冠が直径2センチほどの朱赤色ときに黄色のラッパ状の花をつける。御所市の葛城山の麓ではよく見かける。

 ルコウソウ(縷紅草)の名は、「縷」は細い意で、細い葉の形状による。「紅」は朱赤色の花を指す。「丸葉」は葉に丸味があることによる。仲間にはルコウソウ(縷紅草)とモミジルコウ(紅葉縷紅)があり、ともにマルバルコウソウと同じく、熱帯アメリカ原産で、よく似るが、葉の形状で判別出来る。

  ルコウソウの葉は羽状に裂け、裂片が細い糸状であるのに対し、マルバルコウソウは卵形。ルコウソウとマルバルコウソウの交配種であるモミジルコウは葉がモミジの葉に似る。 写真は赤い花のマルバルコウソウ(左)、黄色い花のマルバルコウソウ(中)、葉がモミジの葉に似るモミジルコウ(右)。ルコウソウにはまだ出会っていない。     情報が身につかずある時の間の覚束なさを人の世の中

 


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2019年10月28日 | 創作

<2851> 作歌ノート 感と知の来歴   序

     感と知の来歴にして我が短歌あるは涙ぐましき雫

 ここに主体としての自分という存在があり、意識無意識を問わず自分以外の客体としての他者に相対している。主体たる自分はこの客体たる他者より直接、間接に感と知を得て思惟する存在であり、この主体は自分のみに存するものではなく、自分以外の客体たるすべての他者にも存するもので、それは数多の錯雑たる関係にあるものとしてあり、その関係は主体にも客体にも等しく自他の公平性によってバランスされ、機能されるような仕組みによって成り立っている。

 つまり、私たちの社会は、それぞれが、立場を変えてみればわかるように、主体が客体で、客体が主体であるという輻輳した相互接触によって成り立つ数多の心理の関係性にあって、互いのさまざまな感と知がその関係性には生じ、その感と知に思いが及び、それが様相となって時の経過の上に反映されて見られるという構図にある。

 その相互接触に関与しているのが言葉であって、その言葉を組み合わせて作られる詩歌などもその言葉の役割のうちに含まれている。主体、即ち、自分は自らの意思、意向を客体たる他者、即ち、相手に伝えんとし、ここに言葉の必要性が認識されるわけで、この言葉の関与は往古より変化しつつも連綿としてあり、現在へと受け継がれている。

     

 主体も客体も常に感じて思う知性の身であるから、ここに感性と知性が言われることになり、感性の働きによる感(情)と知性の働きによる知(念)が思われるわけで、詩歌の評価などもここに関わり、その出来不出来などもこの主体と客体の関係性において問われるところとなる。即ち、ここに「感と知の来歴」が詩歌の上にも述べ得ることになる。

 仕事でも、遊びでも、私たちにはあらゆる面に感性と知性が働きとしてともない、主体と客体の間にあって、間接的でもそこに意義を生み、ともに豊かであることが望まれる。感性はことの始まりに働きとなり、知性はことを進めていく上に働きとなることが大きく、私たちに欠くべからざるもので、その働きにおいては尊厳と品格が望まれ、尊厳は矜持に通じ、品格は蛮行を認めず、常識論などもここに言われることになる。

 言わば、私の短歌なども、この主体と客体の構図の中における私という一個の客体を内在させる主体たる個性の顕現(感性と知性の発露)であって、評価のほどはいざ知らず、一首一首はその感性の来歴を示すものにほかならず、同時に知性の来歴をも示すものであって、ここに「感と知の来歴」のテーマが掲げ得ることになる。

 歌はほぼ青年時代から数十年、幾らかの中断はあるものながら、この感と知の顕現は私の人生の折り節の眺めに等しく、あるは自らの実力において感性と知性が客体の状況に及び得ず、真意を見過ごして来たことも度々であったろう。また、感性が過ぎて知性における思惟に混乱を来たし、心の襤褸を招いたようなこともあったけれど、これが私のいままで辿ってきた歌の道だったと言ってよい。

 そして、これらの歌については、主体たる私自身における意義と客体たる他者における意義とを合わせ、その存在に「願わくは」とは思うところ、自負の反面、覚束なさもあるが、私の短歌は紛れもなく主体たる私から生まれたもので、私の感性と知性の融合の証左であって、それはまさに私の「感と知の来歴」をいうものにほかならず、私からすれば、涙ぐましさもある。

 では、私の感性と知性における「感と知の来歴」、この来歴を意識に置いてまとめた歌をこの項ではあげてみたいと思う。 写真はイメージ。川の流れ。(一部改変して再掲)

         誰もみな己における感と知の来歴を身に負ひて来し裔

 


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2019年10月25日 | 植物

<2848>  大和の花 (920) アサガオ (朝顔)                                       ヒルガオ科 サツマイモ属

          

 主に熱帯地方が原産のつる性1年草で、つるは左巻き(反時計回り)に巻き上がり、葉は3裂するものや裂けず丸いものなど変化があり、互生する。茎にも葉にも細毛が見られる。花は漏斗状で、夏から秋にかけて早朝に咲き、日が当たる午後には萎むものが多い。また、花は赤系統から青系統まで多彩で、変化に富む。これはアサガオの他花授精の特質により種々の組み合わせが可能で、栽培変種が多いことによるという。

  多くの品種が世界に広がり、親しまれているが、日本には平安時代の初期に中国から渡来したアサガオが初で、最初は薬用植物としてあり、ケンゴシ・ケニゴシ(牽牛子)、ケンゴカ(牽牛花)の漢名があった。「牽牛」は毒性のある種子が下剤や利尿によく利き、牛を牽いてアサガオの種子と交換に来たことによるという。

  この名が日本では朝咲く花の意によってアサガオ(朝顔)になったという。時代が下るに従って、薬用より花の魅力に関心が移り、町民文化が花開いた江戸時代に花の観賞が盛んになったと言われ、朝顔市なども開かれるようになり、現在に至っている。

  日本では『倭名類聚鈔』(平安時代前期・927年)に「阿佐加保」とあるのが文献上の初出で、『万葉集』の秋の七種を詠んだ旋頭歌「萩の花尾花葛花嬰麦の花女郎花また藤袴朝貌の花」(巻8・1538・山上憶良)に見える朝貌(あさがほ)は、当時まだ馴染みがなかったとして、キキョウ(桔梗)の説が専らである。

  ここでは、ときに野生状態にあるものが見られる普通のアサガオのほか、熱帯アメリカ原産の帰化植物として知られ、秋遅くにまで大輪の花を咲かせるマルバアサガオ(丸葉朝顔)、それにこれも野生化が著しい同原産のマルバアメリカアサガオ(丸葉亜米利加朝顔)を紹介したいと思う。なお、在来のアサガオに本州の伊豆半島、紀伊半島以西、沖縄に分布を限るつる性多年草のノアサガオ(野朝顔)があるが、大和(奈良県)に自生は聞かない。

 写真は左から日除けに植えられ、花を咲かせた和風のアサガオ、野生状態で花をつけたアサガオ、大輪の花を秋遅くまで咲かせるマルバアサガオ、野生化が著しい淡青色の小振りな花が特徴のマルバアメリカアサガオ(右)。

  何処にも誰においてもそれぞれに限る命の人生がある

 

<2849>  大和の花 (921) マメアサガオ (豆朝顔)                                 ヒルガオ科 サツマイモ属

                                               

 北アメリカ原産のつる性の1年草で、戦後(1955年ごろ)東京近郊で見つかり、関東地方以西に広がりを見せている帰化植物である。全体にほぼ無毛で、つるの茎はよく分枝し、他物に絡みつきながら長さ数メートルに伸びる。葉は先の尖った長卵形乃至は心形で、3裂するものとしないものとがあり、長い柄を有して互生する。

 花期は6月から10月ごろと長く、葉腋に1、2個の花茎を出し、直径が1.5センチほどの淡紅色から白色の漏斗状の花を1、2個つける。花柄に疣状の突起が密生するのが特徴で、柄には稜がある。大和(奈良県)では道端や休耕地で群生しているのをよく見かける。 写真はマメアサガオ。左は花の淡紅色タイプ。右は白色タイプ。いずれも斑鳩の里。   

      全体の中の一個の身のほどを生きてゐるなり人生と呼び

 

<2850>  大和の花 (922) ホシアサガオ (星朝顔)                               ヒルガオ科 サツマイモ属

          

 熱帯アメリカ原産のつる性の1年草で、北アメリカ、オーストラリア、東南アジアなどに伝わり、日本には戦後入って来た帰化植物で、関東地方以西に広まり、大和(奈良県)では道端や休耕地などでよく見られるようになった。

 全体に無毛で、つるの茎はよく分枝し、他物に絡まって伸び、数メートルに及ぶ。葉は先が尖る卵円形乃至は心形で、3裂するものとしないものがあり、柄を有して互生する。花期は7月から9月ごろで、葉腋に葉柄よりも長い花柄を出し、直径1.5センチほどの淡紅紫色の漏斗状の花を多いもので数個固まってつける。

 花の基部が濃くなり、星形に開くのでホシアサガオ(星朝顔)の名がある。花柄に稜はあるが、疣状の突起はほとんどなく、よく似るマメアサガオ(豆朝顔)とはこの点判別出来る。蒴果の実はやや縦長の球形で、普通数個ずつ集まってつく。 写真はホシアサガオ。左からつるを伸ばして花をつける姿、花のアップ、果期の姿(いずれも斑鳩の里)。 

  亡ぶものあれば生まれ出づるものあるがこの世の生の風景

 

 


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2019年10月24日 | 創作

<2847>  作歌ノート 見聞の記  示 唆

     レオナルド・ダ・ヴィンチの言葉に見ゆる示唆「経験の弟子」「経験の娘」

 「経験の弟子レオナルド・ダ・ヴィンチ」とレオナルド・ダ・ヴィンチは自らをこう言っている。「知恵は経験の娘である」とも。要するに、レオナルド・ダ・ヴィンチは、人生において経験に勝るものはないという認識にあったということになる。

  ところで、経験にはさまざまある。刹那の経験から長きに渡る経験まで。間接的な経験も経験の範疇と言えよう。それは千差万別で、人生そのものが経験の旅である。このように考えると、見聞は経験の一端と言って差し支えないということになる。

  見聞を経験として捉える認識は、見聞が私たちに示唆をもってあることを思わせる。そして、示唆はレオナルド・ダ・ヴィンチが指摘する「知恵」、即ち、教訓に通じると思えて来たりする。以下にあげた歌は、経験を有する汝(我)等、即ち、私たちへの示唆に通じる歌のように思えるところがある。 写真はイメージで、団栗と枇杷の花

                     

      しもたやの塀より覗く枇杷の花冬の花なるこの花の意味

  億万の旗立つごときビル群を統べて染めゐる夕陽の眼

  この論と高なる彼のその論と寒林の上の須臾の流星

  思慕にしてその風景のあるところゆゑのその意における叙景歌

     君は吾(あ)の比喩吾は君の精神の鬣に投げやれる一茎

  地球儀に積もりし埃偏執を言はれど我らにアジアは誇る

  君の目と我が目と二つあるところ我が目選ばれてあるにはあらず

  父がゐて母がゐてこの身命に関はる葉月 百日紅咲く

  雄々しさを君にも告げむ秋鯖が群て千里の青海を来る

  胸元に引き絞りゐる弓弦は先行く文明射止めんがため

  我は我我にしてあり君は君君にしてあり生の存在

  汝(なれ)も見よこの肉体とこの精神(こころ)都を指せる一騎の姿 

  蛮行を容れぬ意思ある硬骨を語る汝(なれ)にも潔癖の父  

  相ひ感じ相ひ思ふべき友であれ緑極まり夏は過ぎゆく

  より来たりより去る我らいまここにありけるところ人生半ば

  掌に汝が開く文庫本パンセの重さあこがれし秋

  我らみな皮相にあらず遙かなる思ひを歩みゆくものの裔

  八方に付和雷同の声満つる逃げよ籠もれよ狂人太郎

  来し人はゴルゴタよりの裔の人汝に黙(もだ)あるところを聞かむ   

  君のみの君の曠野を歩むべしアダムスの月の曠野は広し

  汝来よgentle heart一番の友なりしかば歌ごころまで

  投げられしボ-ル受け止め投げ返す孤独は常に自らのもの

  聖火高く汝次代へひた走るランナ-なれば掲げゆくべし

  汝いづこより来たりしか我もまた旅人ここに目見えてゐたり

  歳月が汝に贈りし示唆ならむ思ふに汝の歌なるその意

  告白者破戒者汝の自負自責あらたな苦悩の扉の自覚

  枯野にも海にも兆す春あらば君の心の悲の部分にも

  柿若葉雨に緑の増すこころ志を断つなかれ寸暇を惜しめ

  恥あらば辱めたるもののあり人の子汝こころの我等

  万頃を焼く火の火種「業」と呼ぶ、誰かの指摘「汝にもあり」

  倒されし樹に降り止まぬ冬の雨怨念説を纏ふ一景

  冷え冷えと生駒の山に連なる灯率ゐるものは汝の父か

  痛ましく疲れ果てたる苦患人汝が仰ぎ見しものは何

    献辞には聖書の一句紙の香に君が志をもて過ぎし日月  

  蚊が一つクロスに落ちてもがきゐる汝の術なきほどの心底 

  天の青泰山木の花のとき汝迷はば王道を採れ

  掌の一顆の林檎常ながら詩は精神の重さを担ふ   

  枇杷の花底冷えの日の開花には来夏に点す黄橙の果

  数々の汝数々の我汝すなはち見聞の示唆に関る

  団栗が転がってゐるそれぞれに明日に向かひて秋を彩り