大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2012年12月31日 | 写詩・写歌・写俳

<486> 2012年 大 晦 日

        逝きし人 ありて思ふに 晦日蕎麦

 思えば、このブログもこの一年の間一日も欠かさず更新して来た。よくネタが切れずに続けられたものと思うが、これだけの量になると同じことを記事化しているかも知れない。また、記憶のいい御仁はこの前と同じことを言っているとか、この前と言うことが違うではないかとか、そういう指摘をするかも知れない。だが、時が経ち、状況が変われば、そういうこともあり得ると開き直ることも発信者には出来よう。とにかく、ブログは更新を続け、今に至っている。

 このブログは詩歌と短文と写真の三点セットで、写真は撮り置きもあるけれども、持続には追われるところがあり、気が抜けない。この点においては、記事を企画して穴埋めを試みたりしているが、追われることに変わりはなく、実に忙しない日々であると言える。主婦が毎日の献立に四苦八苦するのに似ているかも知れない。

 そんなこんなで、記事更新にはしんどいときもあるが、何とかここまで来ることが出来た。ここまで来たので、次は五百回連続を果たしたい思いであるが、先のことはどうなるかわからない。いくら忙しくても、中途半端にはならないように自分に言い聞かせている。だが、無理はいけないので、その点にも注意している。

  今年は同期と仕事の先輩が亡くなって、自分の年齢というものを手術したとき以上に感じたことではあるが、手術をクリアして今に至り、このブログの継続も出来ていることに、ありがたいような気分もある次第で、年越しの蕎麦をすすりながらそんなことをいろいろと思い巡らせたことになった。 写真は年越しの蕎麦。庭に咲き始めた山茶花を添えた。

                                                                         

  来年は如何なる年になるのだろうか。穏やかな年になることを第一に望みたい。来年は巳年なので、この記事を仕上げた後、気力を出して、巳の蛇に縁の桜井市三輪の大神神社へ元旦恒例の繞道祭(にょうどうさい)を見に行くことにしている。

 


大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2012年12月30日 | 写詩・写歌・写俳

<485> 今年の漢字 「金」 より 今年(2012年)の回顧

       折り節に 生まれし言葉 掬ひしも 明日への導き なればよからむ

 一年を象徴する漢字一字による「今年の漢字」2012年は「金」に決まった。例年「いい字一字」の漢字の日の「12月12日」に京都の清水寺で発表され、今年も清水の舞台上で森清範同寺貫主によって揮毫され、書き出された。無学たる者、最初は何という字であろうかと、見ていたらテレビのコメンテーターもあれこれと。しばらくして「金」であることがわかり、納得させられた。

 「今年の漢字」は阪神淡路大震災のあった1995年の「震」に始まり、今年で十八回目である。「金」はシドニー五輪のあった2000年に次いで二回目の採用だということで、二回の登場は「金」のみである。今年は、今世紀最後と言われる五月二十一日の金環日食や金星の太陽面通過など「金」に纏わる天体ショーが見られたことのほか、ロンドン五輪における三十八個に及ぶメダルラッシュがあり、殊に五輪三冠、世界大会十三連覇の偉業を達成したレスリングの吉田沙保里選手の「金」の輝きが映え、続いて贈られた国民栄誉賞の金色の真珠ネックレスが話題になった。また、再生医療への応用に道を開くips細胞(万能細胞の一種)の研究によってノーベル医学生理学賞を受賞した山中伸弥京大教授の功績が金字塔としてあげられた。  写真は金環日食(左)と金星の太陽面通過。左側の黒点が金星(右)。ともに特殊フィルターを使用して撮影した。

                                                                      

 また、不本意な「金」のイメージでは、年金基金の運用による詐欺事件や生活保護費の不正受給、東日本大震災復興予算の別事業への振り分け、消費税の増税可決など「金」(かね)に纏わる問題の多発などがあげられる。これらは国内的問題であるが、海外との関係では、竹島や尖閣諸島など韓国や中国などとの国境トラブルが見られ、沖縄では米軍の基地問題が高じ、国民の間に緊張を強いることが多く、日本人の金玉が試される年になって、その結果か、右傾化の様相も見え始めた年として「金」は象徴的な漢字として多くの人々の支持を得たようである。

 ノーベル賞の山中教授は、受賞式の後、記者の質問に対し「ノーベル賞はこれで私にとって過去のことになりました。(略)一科学者としてこれからすべきことを粛々とやっていきたい」と述べたが、これは、ips細胞の研究が未だ半ばにあることと、受賞によって今後の研究に集中出来ず、支障を来たすことのないよう自分自身に言い聞かせたもので、賞を励みにはしても満足とはしないとする強い意志が感じられる。この戒めの言葉は聞く者に感銘を与えたが、教授が科学者であるとともに教育者でもあることをして思えば、この言葉は多くの後進(若者)への「金言」であると言え、私にはここにも「金」の字が思われる次第である。

 

 


大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2012年12月29日 | 万葉の花

<484> 万葉の花 (62) すぎ (須疑、榲、杉、椙)=スギ (杉)

        雪の日も すっくと立てる 杉の雄

     三諸の 神の神杉 夢にだに 見むとすれども 寝(い)ねぬ夜ぞ多き                              巻 二  (1 5 6 )  高 市 皇 子

      古(いにしへ)の 人の植ゑけむ杉が枝(え)に 霞たなびく春は来ぬらし                    巻 十 (1814)  柿本人麻呂歌集

    石上 布留の神杉 神さびて 恋をも我は更にするかも                           巻十一 (2417) 詠人未詳

 集中にすぎの見える歌は十二首。原文表記では、杉が八首で、須疑が二首、榲と椙が一首ずつとなっている。156番の高市皇子の歌は「十市皇女薨(かむあが)りましし時、高市皇子尊の御作歌三首」の詞書がある中の一首で、「三諸(三輪山)の神の神杉よ 夢にさえ見ようと思うけれども悲しみのあまり寝られない夜が多いので見ることが出来ない」という意に解せる。

  高市皇子と十市皇女は天武天皇の長男と長女で、高市皇子が胸形君徳善の娘尼子娘(あまこのいらつめ)、十市皇女が額田王を母とする異母兄妹で、夫婦関係にあったとも言われるほど仲睦まじい兄妹であった。この歌の「ども」が原文では「共」の字が用いられていることと二人が夫婦関係にあったと言われることから共寝の意に見られ、解釈がさまざまに及んでいるけれども、薨去後の挽歌であることを思えば、前述のように解してよいのではないかと思われる。この歌に登場するスギは神木で、樹齢遥かな巨樹が想像される。

 次に1814番の人麻呂歌集の歌は、春の雑歌の項の中の叙景歌で、「昔の人が植えたであろう杉の木の枝に霞が棚引く。春になったようだ」というほどの意に取れる。当時からスギは植林されていたのだろう。この歌にも当時のスギという樹木の一面が見て取れる。作者不詳の2417番の歌は、石上布留」(いそのかみふる)とあるように、現在の天理市布留町の石上神宮付近一帯の神杉に準え「物に寄せて思ひを陳ぶ」とある恋の情を詠んだ歌の中の一首で、「石上の布留の神杉は長らえている。私もそのように長らえ、恋も更にする」という意に取れる。この歌の場合も天高く聳える古木の巨樹たる神木のスギが思い巡らされる。

 で、十二首を概観してみると、場所の特定出来る歌が九首に及び、その内訳をみると、三諸、神南備、三輪の三輪山一帯の登場する歌が四首、石上布留(天理市の石上神宮一帯)が詠まれた歌が三首、香具山(奈良県・明日香村)、足柄山(神奈川県・箱根)がともに一首で、足柄山の一首を除く八首が奈良盆地の東側、青垣の山に沿った一帯であるのがわかる。

 この一帯は大和朝廷が栄えた我が国発祥の地で、背後に神を祀る神域が設けられ、この神域を荘厳に保つ巨樹のスギが大切にされ、以来、スギは年月を経て古木となり神木化され、今に至っていると考えられる。スギに恋歌は、一見似合わないような気がするが、この神さびた神域のスギに恋の長く続くことを祈願する気持ちが当時の人々にあったということである。十二首中、恋の歌が八首あり、高市皇子の挽歌も愛しい人への情を詠んだものであるから、この歌も加えれば、九首に及ぶことになる。

                                                                 

  なお、スギはスギ科スギ属の常緑高木の針葉樹で、本州、四国、九州に自然分布する日本固有の樹種として知られる。スギはすくすく真っ直ぐに育つ「直ぐ」から生まれた名であると一説にあるごとく天を指して直立し、高さは大きいもので数十メートルにも及ぶものがある。各地に古木が見られ、推定樹齢四千年と言われる屋久島の縄文杉は殊に有名である。ヒノキとともに全国各地に植林され、人工林の形成が見られ、今では我が国の山地における景観をなすに至っている。

  大和は昔から木の国として知られ、吉野杉のブランド名で名高い産地であることに加え、大和朝廷の時代に遡る古社が多く、その境内地には神木として崇められるスギの古木や巨樹が多く、この由来によって、奈良県はスギを県木に指定しているほどである。写真の左は雪に覆われたスギの人工林。スギは雌雄同株で、写真中央は雄花、右は若い球果。なお、全国的に植林され、花粉の飛散が激しく、花粉のアレルギー症状が蔓延していることはよく知られるところで、環境に影響された現代病の一つと言ってよい。

 


大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2012年12月28日 | 写詩・写歌・写俳

<483> ごまめ (田作)

      田作や 庶民ゆかりの すがたなり

 昨年は栗きんとんに挑戦したが、今年はごまめ(田作)を作った。極めて簡単な手順だが、作ってみてわかったのは、シンプルな料理はシンプルなりに味とか舌触りとか微妙な違いが生じ、上手下手が出て来るように思われる。以下に示すように、資料通りにやったが、今ひとつの仕上がりになった。これは火加減とかひしこ(煮干し)の大きさなどに微妙な違いがあったからで、後で気づいた。妻が言うに、「はじめてにしてはうまく出来ている」らしいが、我が印象では、艶やかさに欠け、歯応えにぱさぱさ過ぎる感じがあるように思われる。とりあえず、この正月はこれで我慢しよう。

 「ごまめ」とは「ひしこ(かたくちいわしの幼魚)を干したもの。炒って飴煮にして正月の食膳に供する。農家が田植祝いの祝膳に用いたので、田作(たづくり)の名がある。田の肥料にしたので田作りの説もある。武家では小殿原」と呼んだ。「小さいながらも尾頭があるので、めでたいとされたのであろう」(『日本大歳時記』講談社版。新年)という。正月三が日には欠かせない一品である。

                                                              

 レシピは次の通り。ひしこ(50グラム)。飴煮の材料は砂糖(大匙1)、醤油(大匙1)、みりん(大匙2分の1)、酒(大匙2分の1)。まず、フライパンでひしこを二回に分けて約10分間ずつ弱火で炒り、更に両方を入れて10分ほどこれも弱火で炒って火を止め、10分ほど置く。鍋に用意した飴煮の調味料を入れて、火を通し、約半量に煮詰まったところへ炒ったひしこの全量を入れ、手早く絡めて取り出し、バットに広げて冷やす。今日の不十分は、飴煮にひしこを絡めるとき、時間をかけて絡め過ぎたのではないかと思われる。

 


大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2012年12月27日 | 写詩・写歌・写俳

<482> 新政権に思う

       耐へてこそ ありけれ しなひつつぞある 涙ぐましき 列島日本

 昨今の大和は晴れたり曇ったり、昨日と今日が異なり、今日でも午前と午後で天気が変わるという具合で、定まらない。何か我が国の国政を思わせるようなところがあるが、そんなこんなにあっても何とかやっているというのが庶民の感懐である。とにかく、日本列島は涙ぐましくも、しないつつ耐えているという感じである。政権がどう変わろうが、したたかに頑張っている国民の一端に私などもいる。どなたの歌であったか思い出せないが、次のような歌が思われる。

   晴のち雨 雨のち晴を繰り返しおたまじゃくしは蛙となりぬ

  まあ、こんなもので、どんなにあっても、頑張って少しずつ大きくなって、一点を越える。この逞しさをもって、新政権なども見ている。では、ここで、少し新政権のことについて語ってみよう。このブログもこの歌の蛙を思う庶民の言い分で、お気に召すかどうかはわからないが、このような思いにある国民もいるということである。では、以下に。

                                                                                  

  二十六日に野田内閣が総辞職し、特別国会が開かれ、選挙に圧勝した自民党を中心にした自公連立内閣が発足し、第二次安倍内閣がスタートした。新政権は大幅な財政出動によってデフレを脱却し、二パーセントの物価上昇による景気の回復を目標に掲げ、日銀に対し、市中にお金が出回るように出動圧力をかけ、あわただしく動いて国民に期待を持たせる雰囲気づくりをしている。

  これは、いつもの通りで、政権が変わったときに現われる現象であるが、それはいつも淡い期待に終わる。前政権などは期待に終わるどころか、裏切りの気持ちを国民に持たせ、それが選挙の結果に現われた。このような経緯があるので、新政権においても国民は全面的に望みを託しているわけではなく、懐疑的に様子見をしている感じがある。例えば、安倍政権の打ち出している金融政策に株式市場は好感の円安株高という動きに向って展開しているけれども、このような動向にも想像力を働かせる者たちは諸手を上げて喜ぶことなどなく、一面においては懐疑をもって見ているところがある。

  日銀がお金を大量に刷って市中に出すのはよいとして、そのお金が我が国にとって幸せなお金になって、有効に機能すればよいのであるが、その点がはっきりしない。ただ出動しただけで機能しなければ、そのお金は市中銀行に溜まるか、でなければ、海外に流出することになる。これでは何をしていることやらわからないことになり、物価だけが上昇して、国内の景気にはかえってマイナスになる。短期的にはプラスに働いても長期的には景気の立て直しは出来ず、日本の資産状況を苦しくすることにつながる。

  現在、株価が上昇しているが、これは実体経済に基づくものではなく、単に、海外のヘッジファンドなどの機関投資家による思惑買いに過ぎない。つまり、金儲けのための投資に操られている状況に過ぎないということである。一ヶ月や二ヶ月で急上昇するような株価に信用性があるとは到底思えない。これは当然のことで、この状況に懐疑を抱かない者がいるだろうか。短期間に上がった数字は短期間に下がる可能性が大いにある。欲張りな機関投資家は上がりのころ合いを見計らって上昇株を売りに出し、その上下する株価によって大金を懐にする。このような禿鷹的な連中の餌じきにならないとも限らない金融の足許が思われるゆえに、新政権の方針というのも懸念に繋がるわけである。これは、個人的な話ではなく、国を危くする話に通じるのである。

  また、財政出動をして公共事業を展開するという話であるが、またしても、国債を大量に発行して、借金を増やし、将来につけ回しをするという。公共事業が成長戦略に繋がるのであれば、実体的であるが、今までのようなばらまきでは、ただ単にお金を使うというだけで、成長には繋がらず、当然、そこには行き詰まりが生じる。もっと、経済的戦略を立てなくては、我が国の資産価値はどんどん低下して行き、挙句の果てはどん詰まりということになる。プライマリーバランスなどという言葉はどこに行ってしまったのか。

  日銀がじゃぶじゃぶお金を出すことも、それによって国債を買いやすくすることも、言ってみれば、国の借金を膨らませ、国民の資産を減らして行く方向に何ら変わらず、このような実体の伴わない政策では、日本は浮揚して行かない。これは誰が考えても明らかであると言える。金融の揺さぶりによってブレることのないような実体経済の構築こそが大事で、環太平洋の米国と友好を深めることも必要であるが、前政権が台無しにした隣国の中国や韓国との関係を修復し、アジア地域に活路を見い出すことが極東日本の立場として重要であることが言える。