<486> 2012年 大 晦 日
逝きし人 ありて思ふに 晦日蕎麦
思えば、このブログもこの一年の間一日も欠かさず更新して来た。よくネタが切れずに続けられたものと思うが、これだけの量になると同じことを記事化しているかも知れない。また、記憶のいい御仁はこの前と同じことを言っているとか、この前と言うことが違うではないかとか、そういう指摘をするかも知れない。だが、時が経ち、状況が変われば、そういうこともあり得ると開き直ることも発信者には出来よう。とにかく、ブログは更新を続け、今に至っている。
このブログは詩歌と短文と写真の三点セットで、写真は撮り置きもあるけれども、持続には追われるところがあり、気が抜けない。この点においては、記事を企画して穴埋めを試みたりしているが、追われることに変わりはなく、実に忙しない日々であると言える。主婦が毎日の献立に四苦八苦するのに似ているかも知れない。
そんなこんなで、記事更新にはしんどいときもあるが、何とかここまで来ることが出来た。ここまで来たので、次は五百回連続を果たしたい思いであるが、先のことはどうなるかわからない。いくら忙しくても、中途半端にはならないように自分に言い聞かせている。だが、無理はいけないので、その点にも注意している。
今年は同期と仕事の先輩が亡くなって、自分の年齢というものを手術したとき以上に感じたことではあるが、手術をクリアして今に至り、このブログの継続も出来ていることに、ありがたいような気分もある次第で、年越しの蕎麦をすすりながらそんなことをいろいろと思い巡らせたことになった。 写真は年越しの蕎麦。庭に咲き始めた山茶花を添えた。
来年は如何なる年になるのだろうか。穏やかな年になることを第一に望みたい。来年は巳年なので、この記事を仕上げた後、気力を出して、巳の蛇に縁の桜井市三輪の大神神社へ元旦恒例の繞道祭(にょうどうさい)を見に行くことにしている。