大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2013年03月08日 | 写詩・写歌・写俳

<553> 大和の歌碑・句碑 ・詩碑 (2)

        [碑文]          水取や 籠りの僧の 沓乃音                                                                              松尾芭蕉

 水取は東大寺二月堂の修二会におけるお水取りのこと。修二会は本尊の十一面観世音菩薩にすべての人の罪や過ちを懺悔し、穢れを払って、みんなの幸せを祈る悔過法要を言い、通常、陰暦二月一日から十四日(現在は三月一日から十四日)までの間行なわれる本行をいうものである。お水取りは修二会の十二日深夜(十三日未明)、十一面観世音菩薩に二月堂前の閼伽井屋(あかいや)の若狭井から汲み上げた一年分の御香水を供える儀式で、この修二会自体もお水取りと呼ばれる。なお、修二会には本行の前の二月二十日から二十五日(閏年は二十六日)の間、準備の精進期間として「別火」と呼ばれる前行が行なわれる。

  修二会は十一人の籠りの僧(練行衆)によって行なわれ、参拝者も参籠することが出来る。芭蕉は貞享元年(一六八四年)秋八月より翌年夏四月まで弟子の千里をともない駿河、伊勢、大和、京、美濃などを巡り、故郷の伊賀で越年する旅をした。この旅は『野ざらし紀行』と称されているが、この紀行の際、修二会の行なわれていた二月堂を訪れ、参籠してこの句を得たのであった。

 『野ざらし紀行』には「水とりや氷の僧の沓の音」とあり、真蹟を含め諸本には「籠り」の箇所が「氷」と見え、どちらが正しいかで話題になっているが、『芭蕉翁発句集』や『芭蕉翁絵詞伝』には「籠り」とあり、碑はこちらの方を採用したのに違いない。「氷」と「籠り」を平仮名で書けば、「こほり」と「こもり」になり、「ほ」と「も」の一字違いで、ここに問題が起きたと察せられる。

 修二会は、「六時の行法」に従って日夜を問わず、一日六回行なわれ、余寒烈烈たる深夜未明にも及ぶ厳しい行法で知られる。籠りの僧(練行衆)が用いる沓というのはヒノキで作られ、鼻緒をつけた差掛で、続飯(そくい)を何度も塗り固めて干し、石のように堅くしているので、この沓を踏み鳴らす音が芭蕉には氷を打ちつけるように聞こえたのであろう。言わば、「氷の僧の沓の音」は聴覚をもって感じ取った表現描写であり、「氷」がその状況をよく伝えているのに対し、「籠りの僧の沓の音」の方は平明で、説明的であるのがわかる。

                                          

 お水取りの修二会には、籠りの僧(練行衆)が堂に入るとき、毎夜、その足許を照らす道明かりの大松明が舞台に上がり、運行されるので、火祭りの趣があり、舞台の下で見上げる一般の人々には舞台上を走る大松明の火の粉を浴びながらその火の粉の感動に浸る。観客に等しい舞台下の人々には芭蕉と異なり、大松明の視覚によってお水取りの雰囲気を味わうということになる。

  御香水を供えた後、達陀という行法が行われ、達陀大松明を抱えて堂内を駆け巡る。芭蕉はその大松明の火などには一切触れることなく、「籠りの僧の沓の音」、つまり、聴覚を澄まして厳しい行法を感受し、僅か十七音をもって修二会のお水取りを表現したのであった。そこには、練行衆の籠りの僧に等しく、俳人を越えた芭蕉の求道者たる姿が彷彿として感じられる。

 碑は南側石段下の石で固めた土台の上に建てられている。人の背丈よりも遥かに高く、見上げるほどの碑で、句碑にしては大き過ぎるほどであるが、二月堂の舞台に比して建てられたのであろう。諾うかな。今はちょうどお水取りの最中。お水取りが終わると、奈良には春が来ると言われる。      走る焔(ひ)を みなと見上げる お水取り