<786> 万葉の花 (113) う も (宇毛) = イ モ (芋)
ほどのよさ 伊予の河原の 芋煮会
蓮葉(はちすは)はかくこそあるもの意吉麻呂が家にあるものは芋(うも)の葉にあらし 巻十六 (3826) 長意吉麻呂
集中にうものイモが登場する歌はこの一首のみ。この歌は巻十六の由縁ある雑歌の項に見える「長忌寸意吉麻呂の歌八首」と題されている歌群の中の一首で、蓮の葉を芋の葉に比して詠んでいる歌であるのがわかる。意吉麻呂は柿本人麻呂とほぼ同じ藤原京時代の渡来系人物と見られ、この八首のほかに持統天皇の行幸に従駕して詠んだ歌など旅の歌六首が『万葉集』に採られている。
意吉麻呂の十四首はすべてが短歌で、巻十六の八首については、宴席などで詠まれた戯笑歌、即ち、戯歌(ざれうた)と見られ、豊富な語彙とそれにともなう比喩的表現を楽しむ知的遊びの色濃い形式の歌と言われている。遊びとしての歌は『古今和歌集』の物名歌などにも見られるが、冒頭にあげた意吉麻呂の歌をはじめとする巻十六のこれらの歌群は、以後の勅選集にその姿を見ることはなく、『万葉集』の幅の広さを特徴づける歌として見ることが出来る。
歌の意は「蓮の葉というのはあのようにこそあるものなのだなあ。それに比べ意吉麻呂(自分)の家にあるものはどうも芋(うも)の葉のようである」というものである。だがこれは比喩の歌であって、宴席の会場で見かけた女性であろうか、その容姿に惹かれて、その女性を蓮の葉に見立て、自分の妻女を芋の葉だと言って、相手を持ち上げた歌であると言われる。つまり、この歌は一種諧謔的趣向による歌で、宴席の笑いを誘ったことが想像される。
これについては、巻十六の3835番の歌に 「勝間田の池はわれ知る蓮(はちす)なし然(しか)言ふ君が鬚(ひげ)なきごとし」 とあり、勝間田の池に生える蓮を詠んだものであるが、冒頭にあげた長意吉麻呂の3826番の歌と同様、蓮を女性になぞらえていることがこの歌の左注によってわかる。所謂、類似歌としてあり、この左注によると、新田部親王が外で遊んで帰ったとき、寵愛する側近の婦人に勝間田の池の蓮が素晴らしかったことを話した。そこで、その話に対し、婦人がこの歌を詠んでやり返したというもの。
歌の意は「嘘をおっしゃい、勝間田の池はよく知っています。蓮など生えていません。あなたさまが言っている蓮とは女性のことでしょう。勝間田の池に蓮があるなんて、あなたさまにひげがないとおっしゃるのと同じですよ」と言っているわけである。言わば、この歌は問答歌の返歌の形を取った歌として見ることが出来るように仕立てられている。
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うもはイモ(芋)の古い呼び方で、芋は平安時代初期の『倭名類聚鈔』に、和名を「以閉都以毛(いへついも)」(即ち、家の芋)と言い、葉は荷(はす)に似て、根はこれを食すことが出来ると言っている。山の芋に比して言われたもので、今の里芋のことであるのがわかる。冒頭にあげた意吉麻呂の3826番の歌に帰れば、妻を言っている「うも」はイモで、イモは妹(いも)をも表していると取れる点、この歌の技巧がより巧みであるのが思われて来るところである。
しかし、この歌を今少し探ってみると、蓮も芋も主に根茎を食し、この点で言えば、芋は蓮に劣るとは言い難く、見映えはわるいものの実質的な価値という点では決して引けを取らず、むしろ、芋の実績を採る御仁もいるのではないかと察せられる。これによく似た例歌が大伴家持の歌に見えるので参考になる。それは、妻を蔑にして遊女にうつつを抜かす部下を喩して詠んだ長歌の反歌4109番の歌で、「紅(くれなゐ)は移ろふものそ橡(つるばみ)の馴れにし衣(きぬ)になほ若(し)かめやも」 と詠んでいる。この歌を意吉麻呂の歌に比してみると、他所の女性である蓮の葉は紅で染めた衣であり、自分の妻であるうもの葉は橡(つるばみ)で染めた衣であることが言える。
それにしても、似るということは、いいこともあるもので、代用が利く。以前にも触れたが、私の子供のころ、実家(岡山)では、お盆になると精霊棚を作り、先祖の霊を迎えた。そのとき蓮の葉の代わりに里芋の葉を用いて、その葉に水を掛けていたのを思い出す。里芋は庶民的な作物で、自給自足で賄っていた。秋が収穫時期で、全国各地で芋煮会が催され、風物詩になっているところも見受けられる。 写真は左が里芋、右が蓮。