大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2012年04月30日 | 写詩・写歌・写俳

<241> コチョウラン (胡蝶蘭)

        胡蝶蘭 「咲いた」と妻の 声透る

 妻が丹精込めて育てていたコチョウランが花を咲かせた。小さな鉢植えで、株も小さく、わずかに一輪であるが、みごとな花をつけた。一昨日まではまだ蕾の状態だったが、昨日の朝、妻が「咲いた」というので見たら、半分開いた状態になっていた。その花が今朝は写真のように完全に開き切っていた。ほかに蕾がないのでこの一花のみであるが、よく咲いたと思う。

 このコチョウランは妻が昨年秋に誰からかもらったもので、花を咲かせてみたいと世話をして来たもので、半月ほど前から蕾をつけていたのであるが、蕾はみな黄色くなって開く前に落ちてしまい、最後の蕾が開いたのであった。  写真は左が三日前、右が今朝。

                                            


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2012年04月29日 | 祭り

<240> おんだ祭り (御田植祭) (15)

          その昔(かみ)も 今も変はらぬ あれあのその あれあのそのの この世なりけり

 大和高原の一角にある奈良市吐山(はやま)町の恵比須神社と下部(おりべ)神社でおんだ祭り(御田植祭)が行なわれた。恵比須神社と下部神社は一つ山の両脇に隣り合わせに鎮座する神社で、ここのおんだ祭り(御田植祭)はお渡りの行列と幼児によるお田植えの所作、それに小学生による的打ちの行なわれるのが特徴としてあげられる。

 お渡りは幟を先頭に下部神社を出発、恵比須神社を経て神社周辺を一周した後、もと来た道を引き返して行なわれるもので、神輿の代わりに作られた榊を飾った輿を「神子(かんこ)」と呼ばれる五人の小学生たちが担ぎ、この輿を中心にして総勢三十人ほどが三十分ほどをかけて歩くもので、この日は暑く、途中で休む光景も見られた。

 お田植えは、お渡りが終わった後、まず下部神社で行なわれ、次に恵比須神社に移って行なわれた。各地区から選ばれた「式士(しきし)」という年配の男子によって田打ちの所作が行なわれ、続いて「御田子(おんだこ)」と呼ばれる稚児が父親とともに苗に見立てたスギの葉を投げてお田植えの所作をした。

 次に的打ちが行われ、「射手乳子」と呼ばれる小学生が、赤い装束を身に纏い、タケの棒に挟んだスギの板を弓矢で射ぬいていった。三度場所を変えて行い、一枚一枚、計九枚の板を射た。説明によれば、この的打ちは男女の合体を表しているということで、この稚児によるお田植えと小学生による的打ちは、おんだ祭り(御田植祭)が五穀豊穣と子孫繁栄を願って行なわれる農耕に因む祭りであることをよく物語っている。

 なお、この的打ちは『古事記』の神武天皇の項を思わせるところがあって、おもしろく感じられた。それというのは、この的打ちの所作が神武天皇の妃になる比賣多多良伊須氣余理比賣(ひめたたらいすけよりひめ)の出生の逸話における表現手段と重なるところがあるからである。

 祭りは、最後に御供撒き(餅撒き)が行なわれ、これをもって終了した。ところで、大和高原のこの辺りも過疎化現象が見られ、子供が少なくなり、祭りに必要な人数が集まり難く、男子のみで行なわれて来たこの祭りも女子を加えてはどうかという意見の具申がなされているという。何か皇室の事情に似ている気がするが、これは我が国が直面している課題に等しく、日本の縮図と言ってよい現象であるように思われる。

 写真は左からお渡りの行列、神子に担がれてゆく神輿の代わりの榊、式士による田打ちの所作、御田子によるお田植えの所作、的打ちでみごとに仕留めた射手乳子の男児、御供撒きで賑わう恵比須神社の境内。

                                  


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2012年04月28日 | 植物

<239> 金剛山の春の花

        花はアピールだ

     花にやって来る

           蝶や蜂たちは

     みなその証だ

 では、約束通り、大阪奈良府県境の代表的な山である金剛山(一一二五メートル)の四月二十七日撮影分の春の草花を写真で紹介したいと思う。十一点を揃えたが、これが全部というわけではない。ほかにもミヤマカタバミやヨゴレネコノメソウなどが見られ、紹介するのは目にしたものの半数くらいであろうか。これにヤマブキやナガバノモミジイチゴ、ニワトコなど樹木の花を加えると、その数はもっと増えることになる。とにかく、金剛山の登山道は新緑とともに花盛りである。

 二十七日に見た花はどの花もゴールデンウイーク中、見られるであろう。そして、ここに紹介する花に加え、これからはイチリンソウ、ユキザサ、チゴユリ、エンレイソウ、ヤマシャクヤク、ヤマブキソウ、クリンソウ、ヤマトグサなどが控えており、花は引き継ぐように順次咲き出して来る。この春から初夏にかけては金剛山が最も花に恵まれる季節である。

 ところで、これらの花を見ていると、実にさまざまであるのがわかる。形といい、色といい、千差万別である。ところが、これらの花はみな同じ機能を持っている。それは子孫を継いでゆくための生殖器としての機能である。そして、その千差万別の形や色は花の機能を有効に働かせるためにあることが言える。つまり、主要な目的は雄しべの花粉を雌しべに運んでもらう昆虫へのアピールと言ってよい。

 十一点の草花を個々に説明していると長くなるので、詳しくは図鑑を見ていただきたいと思う。  写真は上段左からツルカノコソウ、ミヤマキケマン、ツルキンバイ、ニリンソウ、ミヤマハコベ(以上は水越峠よりの林道沿い)。下段左からオカスミレ?(アカネスミレの変種)、タチツボスミレ、ショウジョウバカマ、コガネネコノメソウ、カタクリ、ハルトラノオ(以上は登山道上部から山頂付近)。なお、奈良県版レッドデータブックには、オカスミレの母種に当たるアカネスミレとカタクリが絶滅危惧種。ツルキンバイ、コガネネコノメソウ、ハルトラノオが希少種としてあげられている。

                    

                          

 


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2012年04月27日 | 写詩・写歌・写俳

<238> 新緑の金剛山

        若葉萌え囀るものに導かれ金剛山を登り行きたり 

  快晴の晩春、若葉が際立つ金剛山へ。水越峠より登る。日差しは強かったが、風はひんやりと心地よかった。しかし、新緑は山頂までは達せず、国見城址の金剛桜も花芽を吹いたばかりで、花はゴールデンウイークの後半かと思われる。金剛山は花の多い山で、峠から山頂まで、春のいろんな花が見られた。これについては次回に紹介するとして、今回は新緑のみをお届けする。

                                                                          


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2012年04月26日 | 写詩・写歌・写俳

<237> 奈良公園の芝草

      生は自分本位に出来ている

      これを基にして

      すべての生きものは

          その生を展開している

      そのすべての中の個々は

      個々それぞれに

           自分を本位として

      ほかの個々の生を

           許容しながら

           互いに生きている

        どんなに大きくとも

      どんなに小さくとも

      みなこの本位に基づき

      許容とのバランスによって

      その生を成り立たせている

 奈良公園の芝生はいつ見ても奇麗に見える。それなりに手入れがなされているからだろうが、芝刈りなどという光景は一度も目にしたことがない。しかし、よく見ていると、シカがせっせと芝草に向かって口を動かし食べている。言うならば、シカが芝刈り機の役目を担っていることがわかる。

 その奈良公園のシカは千頭を越えているようであるが、それは千の草刈り機をもって芝草を刈り込んでいることになる。それも毎日欠かさず、休むことなく隅々まで。よって、あんなに広大な芝原がいつもみごとに保たれているわけである。

                                                                      

 芝草というのは根が強く、食べた先から葉を伸ばす勢いがある。しかし、雑草が生えて、その雑草に被われ、日当たりが悪くなると勢いがなくなり、雑草に負けて駄目になる。ところが、シカは芝草と同時に雑草もこまめに食べてゆくので芝草にはよい環境が保たれることになる。 さらに、シカはところ構わず糞尿をし、その糞尿が芝草に効用となり、役立っている。糞尿が芝草の養分になることは言わずもがなであるが、この糞尿のお陰というか、影響によって立入禁止の規制が行われなくても人の立ち入りが抑えられるというわけで、ここにもシカの芝草に対する効用が言える。

 糞尿と言えば、どんな糞尿も不浄なもので、住宅地などではイヌやネコがこの件で非難の的になり、『吾輩は猫』の中でもこの問題を扱ったが、奈良公園のシカは神のシカという位置づけがあり、国の天然記念物で、観光資源としても役立てられていることから「奈良公園は糞尿公園」などという陰口はされても、それ以上に問題化されることなく今に至る次第である。

 つまり、奈良公園のシカと芝草は私たち人間に対する互いの効用のバランスにおいて成り立っていることが言えるわけである。これは、紀伊山地のシカが食害によって私たち人間との敵対関係を生じているのと対照的で、考えさせられるが、紀伊山地の場合はシカが生きる上の効用において、自他のバランスを欠いていることによるわけで、その関係上、強者の人間側がシカの駆除という手段に出るという次第になっているのである。

 つまり、奈良公園の芝草はシカとの自他におけるバランスの上に成り立っており、公園を利用する私たちをも納得させていると言ってよい。この公園の芝原にマクロレンズを向けてズームインしてみると、春には花が見られる。花は地味なものであるけれども矮小化しつつ咲いている。植物があるからは、花が見られるのは当たり前であるが、芝原に花は一つの発見で、感動ものである。そして、加えるところ、シバの花の傍らに一、二年草のツメクサが生え、シカの食害を免れて白い五弁花を咲かせているのを発見した。これはシバの花以上に感動的で、そこには、いじらしくも、明日への希望を繋ぐ姿があった。

 ツメクサは芝草の陰で、その強靭な根に寄り添いながら護られているのがレンズを覗いていてわかった。シカが食べ残して行った幸運の花と言ってよかろう。この花を撮っているとき冒頭の詩の発想を得た。生は如何なる生も自分本位に生きているけれども、自他の生のバランスの上に成り立っていると言える。 写真は左がシバの花。右がツメクサの花 (奈良公園で)。