大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2011年10月31日 | 写詩・写歌・写俳

<59> 秋の草花 (高原)
        生きるとは あるひは持続 花をして言へば 咲き継ぎ ゆく姿なり
  <56>の「秋の草花」は平野部のもので、高原部も見てみたいと思い、奥宇陀の曽爾高原に出向いた。平野部の花は大和の北西部に当たる平群の里であったが、今回の高原部は北東部に当たる。高原は標高七〇〇メートル前後の草原で、ススキの名所として知られ、平野部とはかなり植生の異なることが花の比較でわかる。撮影した花をあげてみると次のようになる。
  アキノキリンソウ、リンドウ、ウメバチソウ、ヤマジノギク、リュウノウギク、センブリ、スズカアザミ?、チカラシバ、コマツカサススキ。ススキはもちろんであるが、これは別格で、以前に紹介しているので、今回は説明を加えず写真のみとした。
  これに山地と山岳部の花を加えて比較すれば、大和における凡その垂直分布を見ることが出来ると思う。そして、四季を通じてこの比較に当たれば、大和の植生の全体像が見えて来ることになる。これはかなりの期日を要するが、やる価値はあるだろう。
  今日は月曜日であったが、ススキの名所だけあって、訪れる人が多かった。高原はこれから徐々に冬に向かい、花も終わりになる。しんがりの草花はリンドウ科のリンドウとセンブリではなかろうかと思うが、終わりはことの始まりであることを花はみんなその中に秘めている。ということで、冒頭の歌が生まれた。
                                                   
  写真は左からアキノキリンソウ(大和では高低を問わず見られる)、リンドウ(アキノキリンソウと同じく分布域が広い)、ウメバチソウ(減少傾向にあり、希少種)、ヤマジノギク(大和では絶滅危惧種)、リュウノウギク(葉に独特のにおいがある)、センブリ(薬用植物の代表格)、スズカアザミ?(アザミの仲間で、近畿の東部以東に分布する)、チカラシバ(山野に見られる)、コマツカサススキ(湿地植物)、ススキ。


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2011年10月30日 | 写詩・写歌・写俳

<58> 雨の日の水面
             さびしさが 岸辺より見ゆ 晩秋の 雨が水面に降り 止まずあり
 我が家の近くに溜池がある。管理がいき届き、結構綺麗な池で、毎年初夏のころになると養殖のために金魚が放たれる。で、出荷する盛夏のころまでは、よく塊まりになって泳ぐ赤い群れを見る。このためか、カワウやシラサギがときおりやって来て姿を見せる。常住しているのはカイツブリで、今日も雨の降る水面で浮き沈みしながら泳いでいる。
 不思議なことにあの貪欲なカラスはいつも頭上でかあかあ鳴いているが、金魚には全く興味を示さず、手出しをしない。業者はときおり金魚に餌を運んで来て与えている。このため水に栄養分が増えるからだろうか、アオコの発生が見られる。稲刈りも終わって、田に水の必要でない時期に来たが、今年は池にまだ十分水が残っている。毎年冬になると池は水を落としてしまうので、底まで干上がる。そして、また、春になると池に水を張り、田植えの時期に備える。
 大和は北部と南部で気候に違いがあるが、殊に雨量に著しい違いがある。紀伊半島に属する南部は日本有数の多雨地帯であるのに対し、盆地と高原に当たる北部は瀬戸内と同様、雨量の少ないことで知られ、その差は南部の年間四五〇〇ミリを越える雨量に対し、三分の一以下という次第である。盆地の地形とこの雨量の少ないことによって溜池が極めて多い土地柄にあり、その数は一万を超すと言われるほどである。我が家に近いこの溜池も同じく、潅漑に活用されている。
 池にはそのうち冬の渡りのカモの類がやって来る。で、池は冬のたたずまいを見せるようになるが、まだ、冬鳥たちの姿はない。池は冬場にときおり干されることがあるので養殖金魚のほか自然の魚の類はほとんど見られず、よって、この池で釣りをする人は見かけない。十年ほど前まで池の下の溝にホタルが見られたが、コンクリートで被われてしまった今日ではホタルのホの字も感じられない。

              
 池は今、一段落しているところであるが、勢いよく田に水を送り出していた時期を思うと、何か一抹の寂しさが感じられる。で、冒頭の歌になった。写真は水面に降る雨と二羽で泳ぐカイツブリ。
                     


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2011年10月29日 | 写詩・写歌・写俳

<57> ク  リ
        栗おこは いただき 山里味はへり
  クリの季節である。秋にクリは欠かせない。クリは、つまり、そういう情趣を持った果実である。クリと言えば、何と言っても私には斎藤信夫作詞、海沼実作曲の童謡 「里の秋」 が思い出され、山里がイメージされる。クリの登場する印象的な一番と二番の歌詞をあげてみる。
         (一)
     静かな 静かな 里の秋
   お背戸に木の実の落ちる夜は
   ああ 母さんとただ二人
   栗の実 煮てます いろりばた
        (二)
   明るい 明るい 星の空
   鳴き鳴き夜鴨の渡る夜は
   ああ 父さんのあの笑顔
   栗の実 食べては 思い出す
  これは昭和十六年(一九四一年)に世に出た南方の戦地に赴いている父を思う女の子の心情を歌った歌で、日本の原風景である山里の深まる秋の情景がまことによく表わされている。
  クリはブナ科の落葉高木で、我が国には昔から自生し、各地に見られ、縄文時代の遺跡からはクリの柱が特徴的に見られ、青森市の三内丸山遺跡の直径一メートルに及ぶ巨木柱の痕跡は有名で、当時クリの木が多く生えていたことを物語る。
  果実はイガの中に三個入っているのが普通で、昔は三つ栗と呼ばれ、我が国で文献に登場するのは『古事記』が初めてで、『万葉集』にも山上憶良が「瓜食めば 子ども思ほゆ 栗食めば まして偲ばゆ」と詠み、クリが昔から重要な食糧だったことが示されている。
  大和は山国でクリは各地に植えられているが、自生するものも昔から多く、宇陀市などに栗林が広い範囲に見られた。ところが、昭和三十年代のころから国の指導によって全国的に実施されたスギ、ヒノキの植林事業のため、クリ林は姿を消していったと言われる。
  いつの時代にもついて回り、言えることであるが、一辺倒というのは決してよい結果を生まない。今思えば、クリ林の半分でも残していればと私などは思うのであるが、どうであろうか。クリは毎秋私たちに果実の恵みを与えてくれる。

                                            
   近所の親しい家からクリおこわを頂いたことで、クリが思い出され、クリをとり上げることにしたが、写真に撮るのをうっかり忘れてしまい、おこわの写真はない。おいしく頂いた後に気づいたのであったが、後の祭りで、写真は九月に撮った青いイガの実をつけた木と六月に撮影した尾状の花ということになった。ともに植えられたものである。

                                           


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2011年10月28日 | 写詩・写歌・写俳

<56> 秋の草花
          秋草の 花を数へて 歩く里
 大和はまさにゆく秋の季節である。このところ晴天で気持ちのいい日が続いている。この秋晴れに誘われて平群の里を歩いた。秋の草花の様子を観察するためで、千光寺の周辺を見て回った。午後に出かけたので、強い日射しのため花が萎れ気味で、生彩に欠けるものが多く、思うような写真にならなかった。花はやはり朝方がよい。
 田んぼではほぼ稲刈りが済んで、農家では一服の感が見られるのは前回の「<55>すくも焼き」で述べた通りであり、この風景はまさに晩秋である。畦道などの草ではキクの仲間に花を咲かせるものが多く、ヨメナをはじめ、ノコンギク、シロヨメナ、ヤクシソウ、コウゾリナ。それに他科のものではイヌタデ、ツリガネニンジン、イヌホオズキなどがゆく秋を惜しむように咲いていた。
 山上憶良は秋の七草を次のように詠んで、『万葉集』巻八(一五三七・一五三八)に載っている。
   秋の野に咲きたる花を指(おゆび)折りかき数ふれば七種の花
   萩の花尾花葛花瞿麥(なでしこ)の花女郎花また藤袴朝顔の花
 朝顔には諸説あるが、キキョウという説が有力である。万葉時代にはこれらの花が大和の秋の野において自然に見られたのであろう。千三百年を経た現在ではどうであろうか。憶良があげた七種(ななくさ)の花の中で今も大和の山野に見られる花はフジバカマを除いてみなあげることが出来るけれども、ごく普通に見られるものはハギと尾花のススキとクズくらいで、園芸種では珍しくなくとも、自生するものはそう簡単には見られないことが言える。
 大和ではフジバカマはすでに絶滅していると言われ、朝顔のキキョウも絶滅危惧種で自然のものにはなかなかお目にかかれない。瞿麥のカワラナデシコとオミナエシも園芸種は珍しくないが、自然に生えるものは最近少なくなりつつある。晩秋であるからかも知れないが、今日歩いて観察した中には憶良のあげた秋の七草はススキのほか一つもなく、草花も時代によって微妙に変化しているのがうかがえる。私はかつて園芸種も含めて秋の七草を次のように詠んだことがある。人によって評価は異なるだろうが、私には秋の七草が斯く認識された。
   萩の花尾花桔梗(きちかう)女郎花野菊撫子龍胆の花
 コスモスも入れたいところであるが、帰化植物というイメージがマイナスに働き、採用に至らなかった。自然の花のみで七草をあげるとすれば、選ぶ人によってまちまちになり、結構難しいのではないかと思われる。貴方ならどう選びあげて詠むだろうか。
                                  
 写真は左からヨメナ、ヤクシソウ、ノコンギク、シロヨメナ、コウゾリナ、ツリガネニンジン、イヌタデ、イヌホオズキ。


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2011年10月27日 | 写詩・写歌・写俳

<55> すくも焼き
            穫り入れを 終へし田が見ゆ すくも焼く
  すくもは籾殻のことで、兵庫、岡山、鳥取の一帯でこう呼ぶと言われる。私の出身地備前でも籾殻をすくもと呼ぶ。田舎ではよく納屋などに穴を掘り、 イモ類などの貯蔵をするが、 私の小さいころには四角く掘った人の背丈ほどの穴にすくもの籾殻を入れて、 その中にサツマイモなどの収穫物を埋めて保存していた。
  すくもは気温の寒暖に左右されず、 温度を一定に保つことが出来、 湿気を寄せつけないので、どの家でも保存庫に用いていた。 また、リンゴやタマゴなど傷みやすいものを送るときにはよくすくもを緩衝用に入れていた。焼いて炭化したすくもは田畑に鋤き込んだり、種を播いた上に被せたりしたもので、霜や雪避けになって被害を防ぐのに役立ち、ここでもその効用があって、農家ではよく利用していた。 つまり、すくも焼きは 稲作地帯でよく見られる風物詩として私たちの 年代には懐かしい晩秋の光景である。だが、最近は稲作も機
械化が進み、すくも焼きもめっきり少なくなった。

                   
 昨日は 低気圧にともなう前線が 日本列島を通過し、 その後、 寒気が張り出し、 急に寒くなって、木枯らし一号の報があったが、 今日の大和は朝方冷え込み、終日雲一つない快晴の天気となって、懐かしいすくも焼きが見られた。 今日のすくも焼きは背景が悪いので、写真は以前明日香村で撮影したものを使用した。今日のすくも焼きも煙突を立て、写真と同じようなやり方だった。 ここで焼きイモをすればうまいのが出来るだろう。
 とにかく、すくもを焼く光景には穫り入れを終えて一服する農家の心持ちのようなものがうかがえ、晩秋の田園風景として私には伝わって来るものがある。