大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2019年01月27日 | 植物

<2579> 大和の花 (712) イヌガヤ (犬榧)                    イヌガヤ科 イヌガヤ属

           

 イヌガヤ科はイヌガヤ属1属だけで、日本にはイヌガヤと変種のハイイヌガヤ(這犬榧)が自生し、イヌガヤは本州の岩手県以南、四国、九州(屋久島まで)に分布し、東アジア一帯にも見える常緑低木乃至は小高木の針葉樹で、高さは5メートルから希に10数メートルになるものもある。一方のハイイヌガヤは多雪地帯と四国の一部に分布を限る日本の固有変種として知られる。

イヌガヤはあまり日の当たらない樹林内や崖地などの痩せ地に見られ、成長が遅い。樹皮は暗褐色で、縦に裂けて短冊状に剥がれる。葉は長さが3、4センチの線形乃至は線状披針形で、先が尖り、左右2列に並んで対生し、櫛状になる。葉の表面は濃緑色で、裏面には2本の白い気孔帯があり、淡緑色に見える。

 雌雄異株または同株で、花期は3月から4月ごろ。雄花は淡黄色から乳白色で、前年枝の葉腋につき、葉裏側に固まって連なるように咲く。雌花は緑白色で枝先につく。肉質の外種皮に包まれた種子は2センチほどの卵形で、開花翌年の秋に熟し紅紫色になる。

 イヌガヤ(犬榧)の名は、カヤに似るが、使いものにならない意による。だが、材は耐久性に富み、粘りがあり、縄文時代の遺跡からはイヌガヤでつくった弓が出土している。別名はヘダマ、ヒノキダマ。 写真はイヌガヤ。左から崖地に生える個体、雄花をいっぱい咲かせた枝木、葉裏で下向きに咲く雄花群(いずれも川上村)。 人生は生きゆく時の旅にあるこの自明もてこの身も旅す

<2580> 大和の花 (713) イヌマキ (犬槇)                                      マキ科 マキ属

                

 マキ属の仲間は世界に70種ほどあると言われ、日本にはその中のイヌマキ(犬槇)とナギ(梛)の2種が自生している。では、イヌマキから見てみよう。イヌマキは単にマキ(槇)とも呼ばれ、本州の関東地方以西、四国、九州、沖縄に分布し、台湾、中国にも見られる常緑高木の針葉樹で、海岸地方の山に生え、庭木や生垣などにされることが多い。

 高さは20メートルほど。樹皮は灰白色で、浅く裂けて剥がれる。葉は長さが10センチから20センチの広線形で、表面は濃緑色、裏面は淡緑色。全縁で、主脈が目立ち、互生する。花期は5月から6月ごろ。雌雄異株で、雄しべも雌しべも葉腋につく。雄花は長さが3センチほどの円柱形。雌花は長さが1センチほどの花托の上につく。

  なお、花は種子になり、花托は果托となり、果托の上に種子が重なるようにつく。秋になって熟すと果托は赤くなり、甘く、毒性がないので食べられる。種子は毒性を有し食べられない。果托を野鳥が食べるとき種子を散布することで知られるが、種子は樹上で発芽することが珍しくない胎生種子として知られる。

 大和(奈良県)では全域的に見られるが、自生するものは極めて少なく、十津川村の南部域に限られるようで、ほかは植栽起源によるものと言われ、奈良県のレッドデータブックには希少種注目種にあげられている。古木としては奈良市春日野町の東大寺鏡池東傍に推定樹齢400年の個体が見られる。だが、この個体も宿坊の庭に植えられていたものが伐られずに残されたものと見られている。

  なお、イヌマキ(犬槇)の名はスギのマキに劣る意とコウヤマキ(高野槇)をホンマキ(本槇)というのに対してつけられたとも言われる。 写真は左から雄花、雄花のアップ、雌花、実(いずれも植栽)。 わが生の意識界そは天と地の時空間まさに旅するところ

<2581> 大和の花 (714) ナギ (梛)                                               マキ科 マキ属

                               

 暖地の海岸地方に多く自生する常緑高木で、高さは20メートル、幹の太さは直径60センチほど。枝葉が密生しこんもりとした円形の樹冠になる。樹皮は赤褐色で、ところどころ剥がれ、リョウブのような幹の質感がある。葉は長さが4センチから6センチの楕円形で、先は鈍く尖る。基部はくさび形で、対生する。質は革質で厚く、表面は濃緑色で光沢があり、裏面は紛白色。細い平行脈があり、主脈はない。

 花期は5月から6月ごろ。雌雄異株で、雄花も雌花も前年枝の葉腋につく。雄花は淡黄褐色の円柱形で、数個ずつ集まりつく。雌花は淡緑青色で、胚珠が1、2個つく。種子は花の後直径1.5センチほどに肥大し、球形の核果状になる。種子はじめ粉白の緑色で、秋に熟すと褐色を帯びる。ナギ(梛)の名は、葉がミズアオイ科のコナギ(小菜葱・古名ナギ)の葉に似ることによるという。

 本州の伊豆諸島(式根島)、紀伊半島、山口県、四国、九州、沖縄に分布し、台湾、中国にも見られるという。大和(奈良県)では「暖地の海岸付近にみられるもので、県内に自生はない。しかし奈良市春日大社境内のナギ群落は、個体数・個体密度・群落の広さからいっても全国に例のないすばらしいものである」(『奈良県樹木分布誌』(森本範正著)という。

  本誌は続いて「昔春日神社に献木されたのが起源とされるが、現在ではその分布が御蓋山全域におよび、春日山、高円山にも侵入している。このような群落の成立と分布の拡大は、シカがこの植物を食べずに、競争者である他の植物を食べることに原因があるとみられ、春日山原始林にとっては脅威となりつつある。御蓋山西麓のものは国指定の天然記念物となっている」と春日山におけるナギの繁茂に懸念も指摘している。

 思うに、御蓋山におけるナギの勢力拡大はシカの影響もさることながら、地球温暖化により暖地性のナギにはより住みよくなっていることが考えられる。これは紀伊山地の高所における寒地性のシラビソやトウヒの衰微する状況とは真逆の現象と見てよいのではなかろうか。

  なお、ナギは熊野信仰との結びつきが強く、中世の歌人藤原定家は「千早振る熊野の宮のなぎの葉を変わらぬ千代のためしにぞ折る」と熊野速玉神社のナギの大木を詠んだ。また、ナギは凪に通じ、船のお守りなどにされている。一方、種子から採れる油は神社の灯火に用いられて来た。 写真は左から雄花、色づき始めた種子、ナギの木。 終はりある生の憂愁老いたるは記憶を辿り故郷を目指す

<2582> 大和の花 (715) イチイ (一位)                                            イチイ科 イチイ属

            

 写真の個体は金剛山の自然林の中で撮ったものであるが、寒冷地を適地とする樹木なので、植栽起源の可能性が高い。また、常緑高木の針葉樹で、高さは20メートルほどになるが、この個体は10メートルに及ばない若木の感じがあった。10月21日の撮影で、いっぱいにつけた輝く赤い実が印象的だった。

 樹皮は赤褐色で、縦に浅く剥がれ落ちる。葉は長さが2センチほどの線形で、先は尖るが、触れても痛くない。普通螺旋状に互生するが、側枝では2列に並び羽状になる。表面は濃緑色、裏面は淡緑色。雌雄異株(まれに同株)で、花期は3月から5月ごろ。雌雄とも葉腋につき、雄花は淡黄色で、10個ほどの雄しべが球状に集まる。雌花は淡緑色で、胚珠は1個。

 種子は長さが5ミリほどの卵球形で、花の後、肥大して仮種皮に包まれる。秋になって種子が熟すと仮種皮は赤く色づく。種子は毒性が強いが、赤くなった仮種皮は甘く、食べられる。イチイ(一位)の名は、昔、この材で位階を示す笏を作ったことによるもので、正一位や従一位などの一位による。

 北海道、本州、四国、九州に分布し、アジア東北部に見られるという。大和(奈良県)では大峰山脈や台高山脈の高所にわずかしか自生しないところからレッドリストには絶滅寸前種としてあげられている。オンコ、アララギの別名を有し、庭木や生垣にされる。材は建築や彫刻に用いられる。 写真は赤い実をつけた枝。花は撮り得ていない。 輝きは生に宜しきものなれり勢ひづいて輝けるもの

<2583> 大和の花 (716) カヤ (榧)                                                 イチイ科 カヤ属

          

 山地に生える常緑高木の針葉樹で、高さは25メートル、幹の直径は2メートルになる。若木の樹冠は円錐形で、古木になると丸くなる特徴がある。樹皮は灰褐色で、縦に浅く割れ、繊維状に細かく剥がれる。葉は長さが2センチほどの線形で、螺旋状につき、側枝では2列に並び羽状になる。表面は濃緑色で、光沢があり、裏面は2本の白い気孔帯がある。先は鋭く尖り、触れると痛い。

 雌雄異株(まれに同株)で、花期は5月ごろ。雄花は前年枝の葉腋につき、長さが1センチほどの楕円形で、緑白色。雌花は新枝の基部につく。種子は緑色の仮種皮に包まれ、長さが2センチから4センチの楕円形で、開花翌年の秋に熟す。繊維質の仮種皮が緑のまま落ちる。

 本州の宮城県以南、四国、九州(屋久島まで)に分布し、国外では韓国の済州島に見られるという。大和(奈良県)ではほぼ全域的に見られるが、里の近くに見られるものは植栽された雌株がほとんどだと言われる。これは実から油を採り、食用や灯火に用いたことによる。

 カヤ(榧)の名は古名カへの転訛と言われ、『万葉集』にはカへ(柏)で1首に登場を見る。所謂、万葉植物である。大和(奈良県)にはカヤの古木が多いが、中でも平群町の聖徳太子ゆかりの朝護孫子寺境内のカヤは推定樹齢1500年と言われ、万葉当時から存在している県下一の古木である。また、大和(奈良県)には下市町栃原、奈良市吐山、曽爾村等のヒダリマキガヤ(左巻榧)、宇陀市菟田野、同市牧内のシブナシガヤ(無渋榧)が見られ、みな県の天然記念物に指定されている。

 なお、漢名は榧(ひ)で、別名はホンガヤ(本榧)。種から採れる油のほか、材は緻密で木目が美しく、腐り難いので、建築、器具、造船材として用いられ、ほどよい粘りがあるため碁盤や将棋盤にされることで知られる。実は榧実(ひじつ)と呼ばれ、虫下しにされて来た。また、昔は枝葉を焚いて蚊遣りにした。 写真はカヤ。左からカヤの木、実をつけた枝木(以上は奈良市田原)、シブナシガヤの木、シブナシガヤの種子(以上は宇陀市菟田野)。   榧の実を競ひ拾ひし遠き日の少年けんちゃんたっちゃんの夏

 

 


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2019年01月26日 | 写詩・写歌・写俳

<2578> 余聞、余話 「法隆寺の消防訓練」

       放水と高さを競ふ寒の塔

 文化財防火デーの二十六日、奈良県斑鳩町の法隆寺(世界文化遺産)で消防訓練が行われた。西和消防署、地元斑鳩町の消防団、法隆寺の関係者らによって防火祈願の法要の後、午前十一時から消防車六台と消火栓によって一斉放水が行われた。

                                 

  今年の放水は昨年までの聖霊院前鏡池畔から正面の中門(国宝)前に変更され、避難誘導、救助訓練も加えられ、大々的に行われた。昨年末中門の解体修理が完了し、壁画焼損七十年、消防訓練が始められて六十五年目に当たることによるという。

                             

 なお、この消防訓練は昭和二十四年一月二十六日(一九四九年)、解体修理中の金堂(世界最古の木造建築物・現国宝)から出火、金堂は全焼を免れたが、壁画を焼損(現重要文化財)した。国はこの火災を機に、文化財の保護強化のため、文化財保護法を定め、一月二十六日を文化財防火デーとした。これにともない法隆寺では毎年この日に消防訓練を行うようになった。

 今日は寒波の襲来で雪模様の雲の多い天候だったが、中門前に変更された一斉放水は五重塔や中門などの国宝の建物群を背景に高々と上げられ、五重塔も中門も放水の水の勢いに霞んで見えなくなるほどだった。見物の人たちは放水の雨に濡れながらスマホのカメラを向けるなどしていた。 写真上段は一斉放水、下段は避難訓練(左)と救助訓練(右)。


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2019年01月25日 | 写詩・写歌・写俳

<2577> 余聞、余話 「消防演習の準備 ―法隆寺―」

      冬晴れやかんかんとかんかんと法隆寺

 二十五日、文化財防火デーの消防演習を明日に控えた奈良県斑鳩町の法隆寺(世界文化遺産)で、その準備風景が見られた。法隆寺では雨漏りなどの傷みによる中門(国宝)の解体修理が行われていたが、昨年末に修理が終わったことから、今年は一斉放水を聖霊院前鏡池傍から中門前の正面広場に変更して行うことになった。このため、中門の左右に安置されている阿吽二体の金剛力士(仁王)像に一斉放水の水がかからないように半透明のビニールシートの被いを施した。

       

 この二体の像は、高さが4メートル弱の塑造の立像で、奈良時代の作とされ、この種の金剛力士像では最古とされるので国宝に値する仏像であるが、度重なる修理がなされていることと、室町時代の修理の際に吽形像の体部が木造にされたことなどによって、国宝には指定されていない。だが、塑造としての歴史が古く、国の重要文化財に位置づけられている。

 塑造は水に弱いので、一斉放水の水がかからないように、日ごろは素通しの外辺をビニールシートで被ったという次第。果たしてどのような一斉放水が行われるのだろうか。 写真は金剛力士像に一斉放水の水がかからないようにビニールシートを取り付ける作業員ら(法隆寺の中門で、25日午前11時写す)。 


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2019年01月21日 | 植物

<2573> 大和の花 (708) ヒノキ (檜)                                             ヒノキ科 ヒノキ属

              

 ヒノキ属の仲間は世界に6種、日本にはヒノキ(檜)とサワラ(椹)の2種が自生し、ともに日本の固有種として知られる。ヒノキは山地を生育地とし、標高の高い山岳にも見られる常緑高木の針葉樹で、高さは30メートル、太さは60センチほどになる。樹形は円錐形になるが、先端は丸まり、尾根筋などの風衝地や岩場に生えるものは低木になることもある。

 樹皮は赤褐色で、縦に剥がれる。葉は長さが1ミリから3ミリの鱗片状で、十字対生し、単葉で構成されているが、全体では複葉のように見える。表面は濃緑色で光沢があり、裏面は淡緑色で、葉の境に白い気孔帯がY字形に入る特徴がある。

 雌雄同株で、花期は4月ごろ。雌雄とも枝先につき、雄花は長さが2、3ミリの楕円形で、赤味を帯びる。雌花は直径3ミリから5ミリほどの球形で、ともに多数つく。球果は直径が1センチほどの球形で、開花年の秋に熟し、赤褐色になる。熟すと果鱗が開き、種子を出す。

 本州の福島県以西、四国、九州(屋久島まで)に分布、大和(奈良県)では広く県全域に植林され、どこでも見られるが、自生のヒノキは「県中、南部の崖や岩場、またおおよそ1500m以上の高所に生えている」との報告がある。自然林としては大台ヶ原の温帯性ヒノキ群集(上北山村)、妹山樹叢のヒノキ群落(吉野町)、吉野山地ヒノキ・ツクシシャクナゲ群集(吉野郡一円)が知られる。

 ヒノキは『古事記』の須佐之男命の神話に登場するなど古くより知られ、『万葉集』にも檜(ヒ)の古名で9首に見える万葉植物である。殊に檜原、檜山の用例が目につくことや『日本書紀』にスギ、マキ、クスノキなどとともに有用樹の認識による記述があることから、当時すでに植林されていた可能性がうかがえる。

  材は緻密で耐久性に富み、精油分を含むことにより特有の芳香と光沢があるので、昔から第一級の建築材として用いられ、世界最古の木造建築物を誇る法隆寺に用いられていることはよく知られる。また、持統天皇代の藤原宮(橿原市)の造営に当たり、近江(滋賀県)の田上山(たなかみやま)から伐り出し運んだ民(えのたみ)の歌が『万葉集』に見え、宮殿をヒノキで造ったことが伝えられている。

  ヒノキはスギとともに日本の造林の主役で木曽のヒノキは名高く、伊勢神宮の20年に一度の遷宮には木曽ヒノキが用いられるという。一般にも高級材として用いられ、檜普請と言えば第一級の木造建築物として高い評価を得ている。また、風呂は檜風呂で知られ、その名を高らしめている。一方、樹皮も檜皮葺と呼ばれ、これで屋根を葺く。神社の屋根はこの檜皮葺が今も通例になっている。他にも使い道が豊富で、仏像の彫像などにも用いられ、葉や材に含まれる精油は薬用にも供せられている。

 なお、ヒノキ(檜)の名は一説に「火の木」の意で、この木を擦り合わせて火を熾したことに因むという。また、日の木、霊(ひ)の木との説もある。 写真は左からヒノキ林、風衝地でコメツガ(右)と根を合体させて立つ個体、まだ熟していない球果、成熟した球果(大台ヶ原山ほか)。    名はあるは評価の聞こへたとふれば吉野杉あり木曽檜あり

<2574> 大和の花 (709) コノテガシワ (児手柏・側柏)                               ヒノキ科 クロベ属

                  

 中国原産の常緑小高木の針葉樹で、日本に自生は見られない外来種として知られる。高さは5メートルから10メートルほどになり、園芸品種も多く、育てやすいことから公園などに植えられる。樹皮は赤褐色で、古木になると縦に繊維状の裂け目が出来る。

葉は長さが2ミリほどの鱗状の単葉からなり、ヒノキの葉に似て一見複葉に見える。しかし、直立する枝に側立ちするので容易に判別出来る。葉はくすんだ緑色で、光沢がなく、表裏がないのも判別点になる。この葉の特徴により、『万葉集』の2首に登場を見るコノテカシハ(古乃弖加之波・兒手柏)に当てる説が見られる。

  だが、2首には地名が見られ、1首には「奈良山の」とあり、他の1首には「千葉の野の」とあることから、中国原産であるこのコノテガシワに当てるには無理があるとの反論も出ている。歌を詳細に検分するとなかなか難しく、諸説が見られるのも当然と思われる。

  『万葉集』に登場する植物には、①現存の植物とはっきり一致するもの、②現存の植物のどの植物に該当するか判断に迷いが生じ断定出来ないもの、③全くはっきりせず推論の方が先走っているものの概して3つのタイプが考えられるが、コノテカシハ(古乃弖加之波・兒手柏)は②のタイプに属するということが出来る。これは極めて情報が限られ、決定的な情報がないからで、言わば、諸説は諸説であって諸説の域を出ていないのが、『万葉集』のコノテカシハ(古乃弖加之波・兒手柏)には言えるということになる。

 雌雄同株で、花期は3月から4月ごろ。雌雄とも枝先につき、雄花は黄褐色で多数つき、雌花は乳白色で1個ずつつく。球果の実は長さが2センチ前後の長楕円形で、若い球果は青白色で、秋に熟すと褐色になり、果鱗が裂開して種子を出す。

 なお、漢名は側柏または柏で、葉には精油分が含まれ、漢方では側柏葉(そくはくよう)と呼ばれ、煎じて服用すれば、整腸、下痢止めに、種子は柏子仁(はくしにん)と称され、滋養強壮によいと言われる。 写真はコノテガシワ。左から雌花をつけた枝々、雌花のアップ、枝先の雄花群、側立ちする枝葉。 命とは生とはまさに未完なるゆゑにあるなりそしてゆくべく

2575> 大和の花 (710) ネズ (杜松)                                        ヒノキ科 ビャクシン属

             

 丘陵や山地、または、尾根や岩場の日当たりのよい痩せ地に生える常緑小高木乃至は低木の針葉樹で、樹形は直立して、大きいものでは高さが10メートルほどになる。樹皮は赤褐色で灰色を帯び、枝は古くなると先端が垂れることが多い。葉は長さが2センチ前後の針形で、堅く、尖り、小枝の節ごとに3輪生する。

 雌雄異株で、花期は4月ごろ。雌雄とも花は前年枝の葉腋につき、球果は直径9ミリ前後の球形で、翌年の秋に熟し、緑色から黒紫色になる。球果は杜松子(としょうし)と呼ばれ、利尿薬に、種子から採れる杜松子油は灯火に用いられて来た。また、ジンは球果の汁で香りづけした蒸留酒。材は淡褐色で、堅く緻密で、光沢があり、和白檀の名で知られ、ビャクダン(白檀)の代用として床柱や彫刻、細工物に用いられる。

 本州の岩手県以南、四国、九州に分布し、国外では朝鮮半島から中国北部に見られるという。ネズの名は別名のネズミサシ(鼠刺)の略で、堅く尖った枝葉によってネズミ避けにしたことによる。杜松は漢名。古名はムロ(室)・ムロノキ(室木)で、『万葉集』の7首に見える万葉植物で、殊に瀬戸内海の海路の要衝鞆の浦(広島県)のムロノキはよく知られ、船旅の目印になっていたのであろう。覚束ない船の旅の心持ちに添い来て旅人を慰めた様子がうかがえ、万葉歌の樹木中、特異な存在として見える。

  大和(奈良県)では北中部の低山帯の二次林中に見えるが、多くない。写真は左から直立して生える雄株、枝先の雄花、実をつけて垂れ下がる雌株の枝、裂開し種子が見える球果(當麻町の二上山ほか)。 死は未完なる完成に押印のごとあり訃報意識を強ひる

<2576> 大和の花 (711) コウヤマキ (高野槇)                             コウヤマキ科 コウヤマキ属

           

 以前はスギ科に分類されていたが、葉や維管束などの形態の違いから独立科として扱われるに至り、現在は1属1種の日本固有の科であるコウヤマキ科に分類されている常緑高木の針葉樹で、北半球の中生代白亜紀以降の地層から化石が見つかっている。しかし、「第三紀末から第四紀初期にかけて、日本以外の場所からは絶滅した。したがって、かつては北半球に広範囲に分布していたものが、気候変動にともなって分布域を縮小し、ついには日本列島だけに残存した」(『日本の固有植物』)という。所謂、遺存植物である。

 山地の岩場などに生え、他樹と混生し、高さは大きいもので30メートル超、幹の直径は80センチに及ぶものが見られるという。樹皮は赤褐色で、縦に長く裂けて剥がれる。枝は長枝と短枝からなり、葉は長枝に褐色の小さな鱗片葉が螺旋状につき、短枝に長さが10センチ前後の針葉が輪生状に多数ついて逆傘状になる。針葉は2個が合着し、先端が少し凹み、しなやかで、触れても痛くない。表面は緑色で光沢があり、裏面は淡緑色で、中央の合着部分に白い気孔帯がある。

 雌雄同株で、花期は4月から5月ごろ。雄花は長さが7ミリほどの楕円形で、枝先に多数固まってつく。雌花は長さが数センチの楕円形で、枝先に1、2個つく。球果は楕円形で、開花翌年の秋に熟し、褐色になり松ぼっくりに似る。

 本州の福島県以西、四国、九州(宮崎県まで)に分布し、大和(奈良県)では主に西南日本を2分する中央構造線の南側外帯に当たる紀伊山地に片寄って自生し、崖地や岩場に見られる。その名は和歌山県の高野山に多いことに因む。材は堅く、耐久性に富み、芳香があって建築材や風呂桶などに用いられ、枝葉は仏前に供えられる。これらの需要により植林され、吉野山のコウヤマキ群落は古くに植えられたものと見られ、奈良県の天然記念物に指定されている。

   なお、コウヤマキ(高野槇)は秋篠宮家、悠仁さまのお印(御印章)で知られる。写真は左から崖地にゴヨウマツとともに生える個体、雄花をつけた枝、新旧の球果が見える個体(いずれも大台ヶ原山)。 我といふ生の存在他者といふまたの存在ともに身のほど

 

 


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2019年01月20日 | 写詩・写歌・写俳

<2572> 余聞、余話 「 大 寒 」

       命あるものの営み何処にもそれぞれにありそれぞれにして

 今日二十日は二十四節気の最後に当たる大寒で、暦の上では最も寒い日とされる。この日を境に徐々に暖かくなり、立春を迎える。今日の大和地方は雨模様で、それなりに寒いけれど、大寒のイメージには遠い感じである。昨日はよい晴れの天気だったので馬見丘陵公園を歩いたのであるが、今日よりも暖かく、暖冬を感じた。野鳥を撮影している人に話を聞くと、昨年群れをなして北国からやって来たレンジャク科のヒレンジャクやキレンジャクの姿が今冬は見られないという。理由は冬が暖かく、北の鳥たちにはここまで南下しなくてもエサにありつけているからではないかという。

                                

 そうかも知れないと思いながら歩いていると、その暖冬の異変か、仲よくしているカルガモの番が目に留まった。オスとメスに違いなく、向き合ってともに嘴を水面につけるリズミカルな動きを始めたので、カメラを取り出して望遠レンズで二羽に焦点を当てた。公園の下池でのこと。二羽の幸せそうな光景は波紋となって広がる感があった。

                 

  下池にはカモ類が多く、あまり人に警戒心を持たないコガモやオオバンとともにカルガモも人の集まる岸近くまで来る。そんな中でカルガモ二羽が水辺の片隅で親密にしているのが見られたという次第である。顔を突き合わせている二羽には何かが起きる予感がした。という雰囲気が感じられ、カメラを向けたのであるが、予感は的中し、体の一回り大きいオスがメスの斜め横に回り込み、素早くメスの上に乗った。その瞬間メスは水に沈み込み、悲鳴に似た一声を発した。

                                

 それは一瞬の出来事で、連続して四コマほど撮影した後、オスはメスから下りて離れた。まさに交尾の光景だったが、この日はメジロにも交尾の一瞬が見られた。メジロの方は落葉と雑木に邪魔され、今一つ十分な写真にならなかったが、これも暖冬の影響によるのかも知れない。それにしてもこの大寒の時期にという気がした。そして、それは暖かな冬がそう仕向けているのだろうと思えたことではあった。

  これらの写真については、秘めて置くべきという考えも頭の隅を過ったが、倫理に障るほどでもなかろうし、鳥も生あるものなれば、斯くはあるという思いによって掲載に及んだ。番うカルガモの愛の行為による波紋が美しく見えた。 写真上段はむつみ合うカルガモの番。写真中段は寄り添う番(左)、交尾に入った番(中)、交尾を終えて離れる番(右)。写真下段はメジロの交尾の様子(いずれも馬見丘陵公園)。