大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2020年02月03日 | 祭り

<2946> 余聞 余話 「節分祭の福寿豆撒き式

      人数多大神神社節分祭

 三日の今日は節分の日。各地の社寺では恒例の節分祭や節分会が催され、招福除厄の追儺式や豆まきの鬼追いの行事が行われた。桜井市の大神神社では節分祭である福寿豆撒き式があり、出かけてみた。節分は四季の変わり目に当たる立春、立夏、立秋、立冬の称であったが、年初に当たる立春の前日乃至は当日に限定して呼ばれ、今日節分と言えば、暦などにも記されているように、立春の前日であるのが一般の認識するところ、節分の行事もこの認識に従っている。

          

 言わば、節分は大晦日の除夜と同じで、この日に災厄を除き、福を招いて新年を迎えたいとする願いが込められ、災厄を鬼に見立て、豆撒きによってその鬼を追い払う行事が行われる。つまり、新春を迎えるに当たり、災厄を除き、新しい年がよい年になることを祈願するわけである。という次第で、節分祭に災厄の鬼を追い払う豆撒き式が恒例となっている次第である。

         

 大神神社では拝殿に紅白の幕が巡らされ、午前十一時から年男や年女ら百五十人が参列し、招福除厄のご祈祷式典が行われ、続いて正午ごろ、太鼓の合図とともに、宮司の「福は山」の発声により年男や年女らによって豆撒きが行われた。拝殿前の広庭には多くの参拝者が詰めかけ、撒かれた福豆や福餅に歓声が上がった。一般では「福は内」と言われるが、大神神社は三輪山自体が神という所謂神体山であることから「福は山」と言うようである。

 今年は月曜日であるということと、中国に発して今問題になっている新型コロナウイルスによる肺炎の広がりが心配されるからか、関係者によると、例年に比べ、参拝者が少ないということだった。私も同様であるが、マスクをつけた参拝者が多く、目についた。やはり、コロナウイルスによる肺炎の影響と思われる。まさに、除ウイルスを願いたい豆撒き式の光景ではあった。 写真は節分祭の豆撒き式(大神神社、マスクをつけた参拝者が多く、目についた)。

 


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2012年02月05日 | 祭り

<156> おんだ祭り (御田植祭) (1) 
         春を呼ぶ 飛鳥坐社の奇祭 おんだ祭りの 夫婦和合絵
  大和の奇祭として全国的に知られる高市郡明日香村の飛鳥坐神社(あすかにいますじんじゃ)のおんだ祭りが 二月の第一日曜日の五日に行なわれた。午後二時から拝殿前の神楽殿で五穀豊穣を祈願する田植えの所作があり、続いて子孫繁栄を願う縁結びと夫婦和合の所作が披露され、境内は参拝者や見物人で埋め尽くされた。
                                  
  第一部のお田植えは、作物のコメ、マメ、早苗の苗松、アワが供えられ、翁と天狗と牛男が登場し、田起こしや代かきの所作によって始められた。 宮司による籾播きと早苗に見立てた苗松の植えつけが所作として行われ、早苗の苗松を牛男たちが見物衆に投げて終了した。牛男が暴れたり、寝そべったりして見物衆の笑いを誘う場面もあり、和やかな中に、神楽の舞いを挟んで第二部の夫婦和合の所作に移った。翁に導かれて神楽殿に登場した天狗とお多福は神前で夫婦の契りをし、早速、床を取り、翁の介添えによって和合を果たした。
                                                   
 結ばれた後の夫婦紙は福の紙と言われ、 これを手に入れた者は 子宝に恵まれるということで、 投げられると見物衆は競ってこの福の紙を取り合った。和合は二度行なわれ、 二度目は所作も大胆になるというリアリテイ―を加味し、ユーモラスで、こちらも見物衆の笑いを誘った。 奇祭の神事は夫婦の和合をもって無事に終わり、紅白の福モチが福の紙に包まれて撒かれ、お開きとなった。
 なお、翁をはじめ、儀式を盛り上げた所作役の天狗、お多福、牛男が竹の棒で参拝者や見物衆の尻を叩いて回り、 奇祭を盛り上げた。叩かれると厄を落とすと言われ、若い人には縁結びや子宝に恵まれるということで、中には進んで叩いてもらう人も見られた。
 因みに飛鳥坐神社は、事代主神や大物主神など四神を祀る神社で、 朱鳥元年(六八六年)天武天皇の病気平癒のため奉幣されたことによって生まれたと言われるが、奇祭であるおんだ祭りについては起源等不明であるという。