大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2017年08月17日 | 植物

2057> 大和の花 (295) ミズアオイ (水葵)                              ミズアオイ科 ミズアオイ属

                                                  

 日本に見られるミズアオイ科の植物は、ミズアオイ属のミズアオイ(水葵)とコナギ(小菜葱)の2種が自生し、ホテイアオイ属のホテイアオイ(布袋葵)とアメリカコナギ属のアメリカコナギの野生化した外来2種が見られる。ここでは自生の2種と帰化して野生化したり植えられたりしている外来のホテイアオイに触れてみたいと思う。

 まずはミズアオイから。ミズアオイは水田や湿地などの水湿地に生え、草丈が20センチから40センチほどになる抽水植物の1年草で、長さが10センチから20センチの葉柄に10センチ前後の心形で厚く光沢のある葉を根生し、この葉がカンアオイ(寒葵)類の葉に似るのでこの名がある。茎葉の柄は短く、葉も小さい。

 花期は9月から10月ごろで、茎は太く、根生葉よりも高く抜きん出て、その上部に青紫色の花を総状につける。花は直径3センチ弱、花被片は6個、雄しべも6個で、そのうちの1個は長く伸び、葯が青紫色、残りの5個は短く、葯は黄色である。実は蒴果で、長さが1センチほどの卵状楕円形になり、熟すと下を向いて垂れる。

 北海道から本州、四国、九州に分布し、朝鮮半島から中国方面にも見られる。大和(奈良県)ではフジバカマ(藤袴)と同じく、2008年の奈良県版レッドデータブック『大切にしたい奈良県の野生動植物』に「近年全く見られない」として絶滅種にあげられている。これについてデータブックの補足説明には、「大和植物誌(岡本1937年)には平和村(現大和郡山市の一部)、磯城郡東村(現田原本町の一部)他平坦部各地と記されているように池沼のほとりや水田にも生育していた。云々」と見える。

  その後、自生地が失われ、自生地の復活が試みられたりしたが、自生地が蘇ったという話は聞かない。昭和時代のはじめごろには大和平野のそこここでミズアオイの青紫色の花は見られたようであるが、今は植栽によるもの以外は見られないようである。写真は植栽によるもの(奈良市の春日大社萬葉植物園など)。

  なお、ミズアオイの別名はウシノシタ(牛の舌)で、本草書によると古くはナギ(水葱)と呼ばれ、食用乃至は薬用にされていたようで、民間療法として、みそ汁の具にミズアオイの茎葉を刻んで入れたり、煎じて服用し、胃潰瘍の治療に用いたという。また、『万葉集』 に見えるなぎはミズアオイと見られ、万葉植物にあげられている。  炎暑なる今日も誰かの救急車

<2058> 大和の花 (296) コナギ (小菜葱)                               ミズアオイ科 ミズアオイ属

               

  水田や沼地などの水湿地に生える抽水植物の1年草で、ミズアオイ(水葵)に似るが、全体に小さく、草丈は30センチ前後、葉は長い柄を有し、披針形から卵心形まで変化が多い。花期は9月から10月ごろで、葉腋に直径1センチから2センチほどの濃い青紫色の花を咲かせる。本州、四国、九州、沖縄に分布し、大和(奈良県)では絶滅種にあげられているミズアオイと異なり、水田の脇などでよく見かける。

  前回のミズアオイの項でも少し触れたが、『日本書紀』や『万葉集』に見えるなぎ(水葱)は食用を意味する菜葱の義でミズアオイとされ、こなぎ(小水葱)はミズアオイの小さいものの意として見られ、現在のコナギ(小菜葱)を指すものと認識されていたようで、ミズアオイと同一視されているところが歌の端々にうかがえる。

  『万葉集』にはなぎが1首に、こなぎが3首に見え、こなぎは「植えこなぎ」の表現で登場している。このように万葉当時には植えられ、茎や葉を羹(あつもの)などに用い、濃い青紫色の花は摺り染めにしていたことが万葉歌からはうかがえる。つまり、コナギはミズアオイと同じく、万葉植物ということになる。『大言海』(大槻文彦著)によると、こなぎは「田ニ植ヘレバ、田水葱(たなぎ)トモ云フ」と「植えこなぎ」をフォローしている。

     春霞春日の里の植ゑこなぎ苗なりと云ひし柄はさしにけむ                                     (巻3-407 大伴駿河麻呂)

  これは『万葉集』の歌で、コナギが水田の脇などで今も見られるのは、この万葉歌が詠まれた当時の面影を残すものと言えなくもないように思われる。現在のコナギは雑草として厄介者のように扱われ、当時とは大違いで、その姿には何か身捨てられたものの孤独と憂愁を感じさせるところがある。だが、このようなコナギの姿にも、種子で種を繋いで行く1年草の力強い生の展開が思われ、いじらしさも感じられる。 写真は花を咲かせるコナギ(桜井市東部)。 美味求真美味求真のこころ旅岩間に掬ふ掌の水

<2059> 大和の花 (297) ホテイアオイ (布袋葵)                           ミズアオイ科 ホテイアオイ属

              

  南米原産で、世界の暖地に広く帰化している浮水植物(浮遊植物・根が底に固定せず、植物体が水に浮遊して生育する植物)の多年草で、日本には明治時代に観賞用として渡来した。所謂、外来の帰化植物で、中部地方以西の暖地で野生化している。

  長い柄を有する広倒卵形の光沢のある厚い葉をロゼット状に多数つけ、柄の中ほどに多胞質の袋状の膨らみを持ち、これによって植物体全体が水に浮く仕組みになっている。この膨らみを七福神の布袋さんのお腹に擬え、この名はあるという。花期は8月から10月ごろで、長さが15センチほどの花序を立て、直径4、5センチの6花被片からなる花を数個から10個ほど一度に咲かせる。花は淡紫色で、上側の1個が大きく、紫色のぼかしの中央に黄色い斑点が入り美しい。この花がヒヤシンスを思わせるところから英名はwater hyacinthという。

  花は朝方開いて夕方には萎む1日花で、萎んだ花は花序ごと倒れて水に没し、翌朝には新しい花序が水面に登場し、また一度に花を咲かせ、花が終わるとまた水に没し、水中で結実する。花期中これを繰り返すが、日によって群落の花の数が異同が大きいのはこのためで、天候などに左右されるのではないかと言われる。

  ホテイアオイは根を水中に広げ、水中の窒素分などの栄養分を吸収して成長するので、水質浄化作用があるとして、環境保全を目的に池などに導入されるが、繁殖力が旺盛なことと、冬に茎や葉が枯れて腐臭源になるリスクもあることから、管理が十分になされず害草となった事例もあって、環境省では要注意外来生物にあげている。まさに、私たちには功罪半ばの外来植物と言える。

  だが、一般には花が美しいので、園芸店などでも販売され、よく知られる水生植物で、大和(奈良県)では、橿原市城殿町の本薬師寺跡周辺の水田1.4ヘクタールにホテイアオイが植えられ、休耕田利用による町興しの観光事業として定着し、近くの畝傍北小学校の児童らが植えつけに協力し、毎年、みごとな花を咲かせ、ホテイアオイの名所として知られるようになった。見渡す花の広がりは圧巻で、8月から9月にかけての花の時期には訪れる人も多い。枯れる冬場は来年用の株を確保し、残りは処分されるので腐臭の問題は起きないようになっている。

  写真はホテイアオイの花。左は植栽による群生の花(夕方には全ての花が萎れて水に没するので、日毎に新しい花が登場することになっている)。右は花のアップ。    過去を負ふ旗はそれでも靡きつつ僕らの旅は続けられゐる

 

 

 

 

 

 

 


大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2017年03月06日 | 植物

<1894> 大和の花 (160) サイコクサバノオ (西国鯖の尾)                 キンポウゲ科 シロカネソウ属

                        

 湿気の多い林内や林縁などに生える多年草で、茎の基部から伸ばす数個の副枝は20センチほどの高さになり、茎には軟毛が多い。柄のある根生葉と茎葉が見られ、茎葉は三出複葉で、小葉は三角状卵形で切れ込みがある。花期は3月から4月ごろで、上部の葉腋から花柄を伸ばし、その先端に1花を開く。

  花は白色に濃い紫色のすじが入った花弁状の萼片5個が開き、この萼片の内側に柄を有する黄色い蜜腺の花弁5個があり、なお内側の白い葯の雄しべ10個と雌しべ2個を取り囲む構成になっている。この蜜腺に誘われて花粉の授受を引き受ける虫たちがやって来る次第である。花は柄の首を垂れて下向きに咲くので撮影し難いところがある。実は袋果で、若い実では2個がくっついているが、熟すころになると、開いてサバの尾のようになるのでこの名がある。

 サイコク(西国)とはトウゴク(東国)に対するもの。自生の分布が近畿地方以西と四国に限られる日本の固有種で、その名はトウゴクサバノオ(東国鯖の尾)に比べ、分布が西に偏っていることによる。大和(奈良県)では大阪奈良府県境の金剛山で自生が確認されているのみで、極めて少なく、山頂より西側で見られるところから、金剛山の尾根筋が分布の境になっていることが考えられる。

  なお、大和(奈良県)では極めて絶滅が心配される草花の一つで、奈良県のレッドリストには絶滅寸前種としてあげられ、近畿地方においても絶滅危惧種Cにランクづけされている。 写真はサイコクサバノオ(金剛山)。   やさしくも妻の白髪に春の風

<1895> 大和の花 (161) トウゴクサバノオ (東国          キンポウゲ科 シロカネソウ属

      

 山地の谷沿いや林縁などの湿気のあるところに小群落をつくって生える多年草で、草丈は20センチほど、葉は根生葉と茎葉からなり、根生葉は数個、茎葉は切れ込みや鋸歯がある広卵形の小葉が3個から5個つく複葉で、対生する。花期は4月から5月ごろで、茎葉の葉腋から花柄を伸ばし、その先端に直径7ミリから8ミリほどの1花をつける。

 花はサイコクサバノオと同じく、花弁状の萼片が5個。萼片は淡い黄白色を帯る長楕円形で、花弁は萼片の内側に5個あり、柄がある黄色い軍配形の蜜弁である。花の中央部分には多数の雄しべと2個の雌しべが位置し、雄しべの葯は白色で、雌しべは雄しべに隠れてほとんど見えない。この花もかわいらしく出会えばカメラを向けたくなるところがある。

 分布はサイコクサバノオと異なり、本州の岩手県以南と四国、九州に見られる日本の固有種で、大和(奈良県)では各地の低山帯で見ることが出来る。もっとも身近なところでは春日山の遊歩道で見られる。写真はトウゴクサバノオ。 日の光纏ふものらが春を呼ぶ

<1896> 大和の花 (162 ) ツルシロカネソウ (蔓白銀草)                   キンポウゲ科 シロカネソウ属

                                

  山地の湿った落葉広葉樹林下の草地や岩場などに生える草丈30センチ前後の多年草で、根生葉一個と対生する茎葉がある。茎葉は複葉で、小葉は菱状卵形、欠刻状の鋸歯がある。花期は6月から8月ごろで、上部の葉腋から花柄を伸ばし、その先端に1花をつける。花は白い長楕円形の花弁状の萼片5個が開き、目につく。花弁はシロカネソウ属の仲間に等しい特徴の蜜腺を有し、萼片の内側に五個が取り巻き、黄色い杯状をしている。多数の雄しべと2個の雌しべは白く、混在して見える。実は袋果で、熟すと2個に分かれる。

  単にシロカネソウ(白銀草)とも呼ばれ、本州の神奈川県から近畿地方の太平洋側に分布し、大和(奈良県)が自生の南限に当たると言われ、東吉野村のほか川上村と天川村に自生するが、みな極めて貧弱な群落で、いつ消滅してもおかしくない状況にあるため、奈良県のレッドデータブックは絶滅危惧種にあげ、近畿地方でも絶滅危惧種Cにランクづけしている。 写真はツルシロカネソウ。                初雲雀 大和平野のど真ん中

<1897> 大和の花 (163) セリバオウレン (芹葉黄連)                               キンポウゲ科 オウレン属

                                

  山地の林内に生える多年草で、太い黄橙色の根茎を有し、根生葉が2回三出複葉で小葉がセリ(芹)の葉に似るのでこの名がある。花期は3月から4月ごろで、10センチほどに紫褐色の花茎を伸ばし、その先端に花柄を有する1個から数個の花をつける。花は白い披針形の5個から7個の萼片と8個から10個の花弁を開く。雌雄異株で、雄花では雄しべが多く、雌花では雌しべが目立つ。実は長さが1センチほどの袋果がつく。

  古来より薬用植物として知られ、古くは平安時代に出された『本草和名』や『倭名類聚鈔』にオウレンの名が見える。薬用にされるオウレンは主に在来のセリバオウレンとキクバオウレンがあり、セリバオウレンは本州と四国に分布する日本の固有種で、キクバオウレンは北海道と本州の日本海側、四国に分布する。なお、奈良県ではセリバオウレンを希少種にあげている。

  古文献によると、当時、カクマグサやヤマクサと呼んでいたオウレンを中国の黄連に当てたようである。後の評価では日本のオウレンの方が中国のシナオウレン(支那黄連)よりも良質とされ、下痢止め、健胃整腸、結膜炎、中風等多方面の効能によって生薬名黄連の名で薬用に供せられ、このため生産も行なわれ、現在に至っている。

  写真は宇陀市の民家の裏山で撮らせてもらったものであるが、この民家は薬を扱う商家だったということで、植栽起源かも知れない。金剛山に自生しているようであるが、私はまだ出会っていない。撮影時には葉がまだ見られず、紫褐色の花茎と白い花だけだったが、小さい花にもかかわらず、この花によって裏山は早春の気配が感じられた。 写真はセリバオウレン。(写真左は全景、中は雌花で、花の中央に若い袋果の集まり立つのが見える。右は白い葯が目につく雄花)。  遥かなる昔よりなる花として芹葉黄連咲き出しにけり

<1898> 大和の花 (164) ミツバオウレン (三葉黄蓮)                            キンポウゲ科 オウレン属

                                             

  亜高山から高山の少し湿気のある針葉樹林帯に生える多年草で、三出複葉の根生葉が三葉に見えるのでこの名がある。小葉は光沢があり、厚く、倒卵形で、重鋸歯を有する。花期は6月から8月ごろで、高さが5センチから10センチの花茎を立て、1花を上向きに開く。花は白い長楕円形の萼片5個と杯状の黄色い蜜弁5個が目につく。

  北海道と本州の中部地方以北に分布すると言われるが、紀伊山地の踏査に情熱を傾けた幕末の紀州藩士畔田翠山(源伴存)の『和州吉野郡中物産志』(御勢久右衛門編著)によると、「三葉黄連は弥山川の岸に多し。四月、二三寸の茎を抽き、五辯の白花を開く」とある。弥山川(みせんがわ)は大峰山脈の主峰、近畿の最高峰である八経ヶ岳(1915メートル)や隣接する弥山(1895メートル)の渓谷に発し、双門峡の双門の滝を経て、天川村北角熊渡において天ノ川から十津川に至る川迫川(こうせがわ)に流れ入る。言わば、十津川の最上流の一つに当たる険しい渓谷を有する支流である。

  翠山が言う岸が双門の滝より上か、下か、どの辺りの岸を指すのか不明であるが、4月はミツバオウレンの花期からして言えば、旧暦の4月で、現在の5月に当たり、双門の滝より下の白川八丁辺りかと想像される。だが、私はそれよりずっと上の大峰山脈の八経ヶ岳から明星ヶ岳の尾根筋のシラビソやトウヒの風倒木が見られるところで咲き出しているのに出会った。弥山川の最上部の分水嶺に当たる大峯奥駈道の通る付近で、辺りは亜高山帯の自然環境にある針葉樹林帯に当たる。撮影は6月半ばで、ミツバオウレンの花期にぴったり一致する。

  この状況から考えるに、翠山が踏査して記録した弥山川右岸の「三葉黄連」は、近畿地方に分布しないとされるキンポウゲ科オウレン属のミツバオウレンと見て間違いないと思われる。当時はもっと寒さが厳しく、山裾の方まで分布域を広げていたのではないかとも言えそうである。だが、奈良県の野生生物目録(2017年)には掲載が見られない。 写真は花を咲かせるミツバオウレン。       凌ぐ時凌いで尾根の初夏の花  

 

 

 

 

 

 

 

 

 


大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2017年01月02日 | 植物

<1830> 大和の花 (114) オオミネテンナンショウ (大峰天南星)   サトイモ科 テンナンショウ属

                               

 静岡、山梨、近畿地方南部の大台、大峰山系等に分布を限る深山の林縁や草地に見られる日本固有の多年草で、本州の東北南部から中部地方に分布するユモトマムシグサが母種と言われる。高さは大きいものでも50センチから60センチほどである。葉は2個で、倒卵形乃至は楕円形で粗い鋸歯がある小葉は5個から7個が掌状につくのが基本形。偽茎と葉柄がほぼ同長であるのはヒロハテンナンショウに似る。

 雌雄異株で、花期は5月から6月ごろ。花より葉の展開の方が遅く、そのような個体の姿が見られる。仏炎苞は紫褐色から淡紫褐色で、白い条が入り、舷部は短く、先端部が下向きに筒部の開口部を塞ぐ形になるので、正面から見ると開口部が隠れ気味になる。肉穂花序の付属体は紫褐色の棒状で、全体にこじんまりとした姿をしている。

  大和(奈良県)の大峰(大峯)がその名のもとであろう。大和(奈良県)では紀伊山地に当たる大台ヶ原や大峰山脈の深山(標高1000メートル以上)の草地で見受けられるが、自生地が限られ、減少していることから奈良県では絶滅危惧種にあげられている。 写真は左から深山の草地に見えるオオミネテンナンショウ(大台ヶ原山の標高1600メートル付近)、仏炎苞に続き葉の展開が始まったオオミネテンナンショウ(弥山登山道の標高1650メートル付近)。  咲き出づる我が邂逅の縁なる大峰天南星の花かも

<1831> 大和の花 (115) ホロテンナンショウ (幌天南星)              サトイモ科 テンナンショウ属

               

  深山の林内に生える高さが40センチ前後の多年草で、テンナンショウ属の中では小形である。地中の球茎から地上に立ち上がる偽茎は葉柄とほぼ同長で、花茎は極めて短く、仏炎苞は葉より下に開く。葉は普通1個で、披針形乃至は長楕円形の小葉が鳥趾状に7個から10数個つく。

  花期は4月から5月ごろ。雌雄異株で、仏炎苞は筒部が淡緑色、舷部が濃紫褐色に太い白条が4、5本入り、印象的。舷部の先端は尾状に伸び、アーチ形に曲がる。この舷部と筒部の口辺部が内側に湾曲し幌(母衣)状になるのでこの名がある。肉穂花序の付属体は緑白色の細い棒状であるが見え難い。実は赤塾する。

  分布は紀伊半島(三重県と奈良県)に限られる日本の固有種で、最近の情報では和歌山県にも分布するようであるが、自生地が極めて少なく、大和(奈良県)では絶滅寸前種にあげられている。私は上北山村の大普賢岳登山道、天川村の山上ヶ岳、十津川の源流の一つである弥山川の白川八丁付近の渓谷沿いの三箇所で出会ったことがある。 写真は葉が一個の特徴を持つホロテンナンショウ。仏炎苞の舷部や口辺部が内側に湾曲している(左)とホロテンナンショウの舷部の上側。くっきりとした縞模様がある(右)。

  春の山出会ふ花にも春の色

 

<1832> 大和の花 (116) ユキモチソウ (雪餅草)                       サトイモ科 テンナンショウ属

                   

  山地の林床や林縁などの少し湿気のあるところに生えるテンナンショウ属の多年草で、仏炎苞の開口部から覗く肉穂花序の付属体の先端部が丸く、白い餅のように見えるのでこの名がある。本州の紀伊半島と兵庫県、四国に分布する日本の固有種で、大和(奈良県)では自生するものが極めて少なく、レッドリストの絶滅寸前種にあげられている。

  高さは60センチほど。地中の扁球茎から普通2個の葉が出る。小葉は狹卵形から長楕円形で先端が尖り、2個から5個が鳥趾状につく。雌雄異株で、花期は4月から5月。仏炎苞は表面が紫褐色で、内部は純白、舷部は真っ直ぐ立ち、太い棍棒状の肉穂花序の付属体が露わに見え、先端は前述の通り、白い餅のようで、軟らかく印象的。ユキモチソウ(雪餅草)の仏炎苞は葉よりも上に突き出てつくのでよく目につく。

  この一風変わった仏炎苞の美しい姿によって採取され、野生の減少が著しいと言われる。園芸種は広く行き渡り、道の駅などで鉢植えにしたものが売られたりしている。これは観賞によいが、全体に有毒で、殊に地中の扁球茎は猛毒を含むので要注意とされている。  写真は低木林の下草の中に生えるユキモチソウ(桜井市東部)と白い餅のような付属体が印象的な仏炎苞のアップ(御杖村)。

    穏やかに三が日過ぎさて今年  

 

<1833> 大和の花 (117) ウラシマソウ (浦島草)          サトイモ科 テンナンショウ属

                 

  山野の木陰や湿った草地に生えるテンナンショウ属の多年草で、仏炎苞に包まれた肉穂花序の付属体が長く釣り糸状になって外に伸び出す。この姿に釣り糸を垂れる浦島太郎を連想しこの名が生まれたという。地中の球茎は多数の子球をつくり、繁殖するので、群生することが多い。

  葉は普通一個が根生し、葉柄は暗紫色に紫褐色の斑点がある円柱形で太く、茎のように見える。小葉は狭卵形乃至は長楕円形で、10数個が鳥趾状につく。雌雄異株で、花期は3月から5月ごろであるが、俳句の季語は夏。葉柄は50センチほどと長く、仏炎苞は小葉の下側につくので、破れ傘を差したように見える。仏炎苞は普通紫褐色に白く細い条が入る。有毒植物なので要注意。

  舷部は広卵形で、先端が尾状に伸び、花の経過とともに垂下する。筒部の口辺部はやや開出し、紫褐色の付属体は前述の通り釣り糸状に長く外に伸び出し、立ち上がって先端は垂れる。長いものでは60センチにも及ぶ個体もある。この釣り糸のように伸びる付属体は如何なる理由によるのだろうか。定かではないが、花粉を運んでくれる虫を仏炎苞の中に咲く花へ誘う工夫ではないかと想像される。

 北海道南端部から本州、四国、九州北部に分布する日本の固有種で、大和(奈良県)では珍しくない。 写真は仏炎苞の付属体が長く伸び出したウラシマソウ(奈良市と明日香村)。子球の繁殖によって群生することが多い。  寒の入り温かきもの欲しくなる

 

 

 

 

 


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2016年12月27日 | 植物

<1824> 大和の花 (111) ホソバテンナンショウ (細葉天南星)     サトイモ科 テンナンショウ属

                  

  続いてテンナンショウ属の仲間の紹介。大和(奈良県)はテンナンショウ属の多い土地柄にあり、山道を歩いているといろんなテンナンショウ属の仲間に出会う。出会った場合、取りあえず撮影しておくようにしている。現場では微妙に判別がつかないものが多いからである。このホソバテンナンショウも細い葉が気になってカメラを向けた。本州の関東地方から近畿地方にかけて分布する日本の固有種で、山地の林内や林縁などに生える多年草である。

 葉は2個つき、葉柄の基部が偽茎に重なり、下の葉が上の葉よりも大きい。披針形から線状披針形の小葉は鳥趾状に10個から20個前後つく。雌雄異株で、花期は5月から6月ごろ。仏炎苞の開口部は広く、口辺部は耳状に張り出す。舷部は卵形で、筒部より短いのが特徴で、先は尖る。肉穂花序の付属体は細い棒状で、先端は緑色を帯びるが、ムロウテンナンショウほど濃くない。 写真は白い条の入った仏炎苞を開くホソバテンナンショウ(左)、仏炎苞のアップ(中)、赤い実をつけたホソバテンナンショウ。

 花は時 時を定めて訪ひ行くに 花は訪ひ行く数に関はる

 

<1825> 大和の花 (112) ヒロハテンナンショウ (広葉天南星)    サトイモ科 テンナンショウ属

               

 ブナ帯に生えると言われる多年草で、高さは大きい個体で50センチ前後とテンナンショウ属の中では小形の部類に入る。地中の球茎は多数の子球をつけ、子球からも偽茎が立ち上がるので群生することが多い。偽茎は葉柄と同長で、葉は普通1個、稀に2個つくものもある。小葉は狭卵形乃至は楕円形で、5個から7個が掌状につく。

 雌雄異株で、花期は5月から6月ごろ。仏炎苞は葉より下につき、黄緑色から緑色で、隆起する白い条が見られる。筒部は7センチほどで、口辺部は多少開出し、舷部は卵形で先が尖る。肉穂花序の付属体は黄緑色乃至緑色で棒状になる。ヒロハテンナンショウは北海道から本州の日本海側と九州北部に分布する日本の固有種であるが、ここで示す写真の個体は東吉野村の明神平(標高1320メートル)の草地で見かけたもの。葉が細く見えるのは展開が終わっていない状況によるものと思われる。 

 写真は群生して生えるヒロハテンナンショウ(左)と仲良く並んで仏炎苞を開くヒロハテンナンショウ(右)。花茎の基部に襟のような襞が見られるのもヒロハテンナンショウの特徴であると言われる。(いずれも東吉野村の明神平)

    花に会うにはねえ 花は歩いて来ないから こちらから出向くほかない

    それも花どきに 咲いていたら みんな拒むことなどなく 迎えてくれる

    花との出会いは 言わば これの繰り返しなんだ 四季を通していつも 

 

<1826> 大和の花 (113) コウライテンナンショウ (高麗天南星)    サトイモ科 テンナンショウ属

              

  丘陵地から山地の林縁や林内に生えるテンナンショウ属の多年草で、全国的に見られ、中国東北部、シベリア南東部、朝鮮半島にも分布するのでコウライ(高麗)の名がある。高さは70センチから80センチほど。葉は2個で、先が尖る長楕円形乃至は楕円形の小葉が鳥趾状に数個から10数個つく。

  雌雄異株で、花期は4月から6月ごろ。仏炎苞は普通緑色で、卵形の舷部は縦に白条が入り、先が細く尖って。白条のはっきりしない個体はマムシグサと判別が難しいところがある。肉穂花序の付属体は緑色を帯びた白色のやや棍棒状で、開口部はやや広く、口辺部は少し張り出す。 

 写真は緑色の仏炎苞をつけるコウライテンナンショウ(左)、背後から見た白い条の入ったコウライテンナンショウの仏炎苞(右)。白い縦の条は光に透けて花粉を運ぶ虫たちの興味を引き、仏炎苞の中にある花へ誘うようになっているのだろう。仏円苞の内部の奥にはトウモロコシ状に実を生らせるように小さな花が花序にびっしりついている(野迫川村の伯母子岳登山道)。

 天の時地の利に山野の草木も花を咲かせる恵みとはなし   

 

 


大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2016年12月22日 | 植物

<1819> 大和の花 (107) マムシグサ(蝮草)                   サトイモ科 テンナンショウ属

                                                     

 今回から大和(奈良県)の地に見られるテンナンショウ属の仲間の中で私が出会ったものの幾種かにについて紹介したいと思う。この仲間は宿根性の多年草で、地下の球茎から伸び上がる筒状の葉鞘が重なった偽茎を有し、花は単性で、花被はなく仏炎苞で知られ、地中の球茎の大きさ(栄養状態)によって大きいものは雌株になると言われる雌雄異株で、変異が多く、地名や地域名がつけられた個体が多く見られる特徴がある。

 大和(奈良県)は紀伊山地をはじめとして山域が広く、テンナンショウ属の仲間の豊富な土地柄にあるうえ、有毒植物であるためシカの食害に遭うことがなく、多く見られるのだと思われる。大和(奈良県)においても名に地名の見える仲間が何種かあげられる。では、全国的に分布する最もポピュラーなマムシグサ(蝮草)から取り上げてみたいと思う。

  マムシグサは湿り気のある林内に生える多年草で、地下の球茎から紫褐色の斑が入った偽茎を真っ直ぐ上に向かって伸ばし、その上部に葉柄のある葉を二個つけ、多数の小葉を鳥趾状につける。花期は4月から6月ごろで、偽茎の先端から更に花茎を伸ばし、仏炎苞を一つ開く。仏炎苞は淡緑色から淡紫色と変化が見られ、普通白条が入る。花の屋根に当たる舷部はそれほど長くはないが、伸びて尖る。偽茎は花茎や葉柄より長い特徴が見られる。この斑入りの偽茎や花茎と仏炎苞の姿をマムシに見立てたことによりこの名がある。

 雌雄異株で、仏炎苞の内側に肉穂花序を有し、花序には付属体が見られ、付属体は上に伸びて仏炎苞の口から覗くが、マムシグサでは棒状から棍棒状に見える。花が終わると仏炎苞は枯れ、雌花では肉穂花序にびっしりとついた丸い実が露わになり、秋には光沢のある赤色に熟す。なお、マムシグサは有毒植物ではあるが、漢方では球茎を輪切りにして干したものを去痰、鎮痙薬に用いて来た。

 本州の関東地方以西、四国、九州に分布し、国外では朝鮮半島、ウスリー、アムール、サハリンなどに見られるという。 写真はマムシグサの花(左)と熟し始めたマムシグサの実(右)。金剛山ほか。    霜枯れてコスモス畑広がれり 時は果して移ろひゆける

<1820> 大和の花 (108) ムロウマムシグサ (室生蝮草)                   サトイモ科  テンナンショウ属

       

 本州の近畿地方とその隣接県に分布を限る日本の固有種。大和(奈良県)には多く見られるマムシグサの仲間の多年草で、山中の木陰や林縁などに生える。高さは6、70センチほど。葉は普通2個で、倒卵形または長楕円形の小葉が鳥趾状に5個から7個つく。葉には鋸歯のあるものとないものが見られる。花期は4、5月ごろで、8センチ前後の花茎の先に葉と同時くらいに仏炎苞を開く。仏炎苞は淡紫褐色で、濃淡の違いが見られ、縦に条が入る。

 仏炎苞の屋根の部分に当たる舷部は先が尾状から糸状に筒部より長く横に伸び、垂下するものが多く、他種との判別点になる。肉穂花序の付属体は濃い紫褐色の棒状乃至は棍棒状で上部は開口部から伸び出して見える。雌雄異株で、雌株では花茎が葉柄より短くなる特徴がある。

 ムロウマムシグサ(室生蝮草)の名は、奈良県宇陀地方の女人高野の室生寺で知られる室生の山中で見つかったことによる。キシダマムシグサ(岸田蝮草)とも呼ばれるが、これは最初に見つけて発表した明治時代の博物学者岸田若松氏を記念してつけられたもの。 写真は左から群生するムロウマムシグサ、舷部先端が垂下する雄株の仏炎苞、葉に鋸歯が明瞭なタイプ、葉に鋸歯がないタイプ。  底冷えや大和国中盆の底

<1821> 大和の花 (109) ムロウテンナンショウ (室生天南星)        サトイモ科 テンナンショウ属

                                                   

  地名の室生に因むテンナンショウ属の仲間に今一つムロウテンナンショウ(室生天南星)がある。やはり、宇陀地方の室生山中で発見され、この名がつけられた。山地の林内や林縁などに生える多年草で、近畿地方とその隣接地域に分布を限る日本の固有種として知られ、大和地方(奈良県下)では普通に見られる。高さは80センチ前後であるが、ときに1メートルを越す個体も見られる。葉は2個つき、楕円形乃至披針形の小葉を鳥趾状に5個から10数個つける。

  雌雄異株で、花期は4月から6月ごろ。仏炎苞のほとんどは緑色であるが、稀に紫色を帯びるものも見られる。仏炎苞の屋根に当たる舷部は筒部よりも短く、先端が鋭く尖って開口部がムロウマムシグサよりもよく見える。仏炎苞の内面に乳頭状の突起が密生するのが特徴。また、仏炎苞に包まれた肉穂花序の付属体は緑白色で、上部が前に傾くものが多く、先端が丸く膨らみ、濃い緑色になるのもこの種の特徴で、この濃緑色の膨らみを見れば、他種との見分けがつく。

  同じ地名のムロウ(室生)をその名に負うが、マムシグサ(蝮草)とテンナンショウ(天南星)ではイメージに違いがある。天南星は漢名で、語源は定かでないが、その姿に毒蛇のマムシを連想した写実的な命名と天南の星という宇宙を意識した浪漫的な命名の違いが、山歩きなどでよく見かけるムロウマムシグサとムロウテンナンショウには思われるところである。 写真は草丈の高いムロウテンナンショウ(左)と正面から見たムロウテンナンショウの開口部。肉穂花序の付属体が先端で丸く膨らみ、その部分が濃緑色であるのがわかる。  冬の月凛然と冴え奈良盆地

<1822> 大和の花 (110) ヤマトテンナンショウ (大和天南星)        サトイモ科 テンナンショウ属

            

  山地の林内や林縁に生える高さが1メートルほどになる多年草で、群馬県から紀伊半島にかけて点在して分布する日本の固有種で、主に三重県と奈良県に多く、大和(奈良県)では東部の一帯でよく見られ、この名がある。葉は普通2個つき、長楕円形から披針形の小葉が鳥趾状に7個から10数個つく。

  雌雄異株で、花期は5月から7月と他種に比べて遅く、仏炎苞は葉の展開後に見られ、葉よりも高く花茎を伸ばし、その茎頂に開出するのでよく目につく。筒部は5、6センチ。緑紫色を帯びる白色で、濃い条が入る。屋根に当たる舷部は長三角形で、全体が黒紫色に彩られ、花の盛りにはほぼ水平に長く伸び、その姿は力を振り絞ってその形を保っているように見え、みごとである。

  写真左は舷部がほぼ水平に伸ばたヤマトテンナンショウの仏炎苞。盛りが過ぎると垂れ下って枯れて行く。写真中は赤く熟したヤマトテンナンショウの実(いずれも奥宇陀の山中)。右の図は仏炎苞(テンナンショウ属)の模式図。一定の様式を持ち、極めて小さな花被が仏炎苞の中の太い肉穂花序の周りに多数密につく。花序の付属体や舷部の色合いなどは種や個体によって微妙に異なるが、仏炎苞の奥の花被群まで花粉の運び屋である虫たちを誘う仕組みになっている。  花に虫 虫に花なるつまりそのともにしてある待ち遠しき春