大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌写俳~ 小筥集

2015年08月31日 | 写詩・写歌・写俳

<1355> トンボよ チョウよ バッタよ

                 おーい幸せ君

             やけに居心地が

             よさそうじゃあないか

             そうだよな

             何と言ったって

             居心地のいいのが一番だ

                              

  トンボにはトンボの命。そして、トンボの姿。チョウにはチョウの命。そして、チョウの姿。バッタにはバッタの命。そして、バッタの姿。みなそれぞれに生きている。命を張って生きている。常々思うところ、天地の間。移ろう時と風土としての所を得て命あるものは存在している。いわゆる、生きとし生けるものはみなかけがえのない時と所の産物である。

  このことをして言えば、いかなる生も無意味なものは一つだにない。 トンボよ、チョウよ、バッタよ、この上に居心地のよさを感じながらこの時を抱いている幸せを私たちは共有してゆかなければならない。「おーい幸せ君」と呼んでみたら 私の胸にこだまが返って来た。生は互いに頑張るもの。頑張る姿はこのうえなく美しく見える。  写真は左から赤トンボ、ヒョウモンチョウ、バッタ。


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2015年08月30日 | 写詩・写歌・写俳

<1354> 新続々々々々我が家の雨蛙

          新秋や 戸口に覗く 犬の貌

 我が家の雨蛙、ぷくぷくのお父さんが一週間ぶりに、いつもの居場所である二階ベランダ下の雨樋の上に帰って来た。激しい雨の降った後、雨に堪能したかのように。今日は概ね曇りであったが、このぐずつきは秋雨前線の停滞によるようである。姿を消していたこの一週間ばかりはこの夏の暑さに体力を消耗し、どこかで亡くなり、もう帰ることはないような気にさせられた。だが、今朝方見られたのであった。

                

 ぷくぷくのお父さんは初夏に姿を見せたが、今は初秋である。初めのころより元気を失っているように思われるが、相も変わらず樹脂製の樋の上に鎮座して目を瞠っている。この間、長年使って来たク―ラ―が壊れ、新しいのに取り替えたが、暑さのピークを乗り越えて、私たちも今まさに新秋の季節を迎えたといったところである。ぷくぷくのお父さんにはこれから秋、冬に向かってどのようにその体を維持し、暮らしてゆくのだろうか。 写真は帰って来た雨蛙のぷくぷくのお父さん。

   新秋や 熱きコーヒー 欲しくなる

   新秋や 道の火照りも なんとなく


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2015年08月29日 | 写詩・写歌・写俳

<1353> 東京五輪エンブレムのデザイン問題について

          移ろへる 日本列島 残暑かな

 ベルギーのリエージュ劇場のロゴなどに似ていると指摘され訴訟問題にもなっている二〇二〇年東京五輪の公式エンブレムについて、このほど大会組織委員会によって記者会見が行なわれ、エンブレムの制作における経緯などの説明がなされた。その新聞記事によると、リエージュ劇場のロゴに似ていると指摘されるエンブレムは原案から二度の修正を行ない決めたデザインで、模倣したものではないという。

 この記者会見によると、公募で選ばれたS氏の作品が原案としあり、その原案に修正を求めるに及んで、修正を行なった結果、最終的に決定したものが問題になっているエンブレムのデザインであるという。つまり、会見は、原案に修正を加えた結果、リエージュ劇場のロゴに似ていると指摘されているエンブレムが生れたもので、作品はS氏の独創にあり、リエージュ劇場のロゴを真似たものではないというわけである。

  会見は、原案を示してエンブレムのデザイン意図が指摘を受けているロゴとは全く関係なく、似ているのは偶然によるもので問題にされることではないと主張している。写真を見れば、修正は一目瞭然で、似ているという世間の疑惑の目に応える会見だったように思えるが、何かすっきりしないものがうかがえ、考えさせられたのであるが、結果、すっきりしない二点の疑問が湧いて来たのであった。

 その一点は最終的に修正された現在のエンブレムがその意図においてS氏の作品と評価出来るかどうかという点。これをS氏の作品とするならば、公募という方法の性質上その選定内容を、当選作品の発表時点において選評するのが当然で、それがなされていたのかどうか。していなければ、選の納得と公正は得られず、その選には疑念が生じることになる。そういう意味において、今回の公慕は極めて後味の悪い選定結果をもたらしたと言わざるを得ない。

  今一つの疑問点は、不十分な原案の修正をS氏に求める際、その理由の一つとして似ているデザインが商標登録されていたからという事情が会見で明らかにされたことにある。これが事実だとすれば、最終決定したデザインにも、別のところからまた似ているという指摘がなされたのであるから、なお修正を加えるか、別のデザインにするかということがなされなければ、制作過程の論理に筋が通らないことになる。ましてや訴訟問題にまで発展していることを考えると、論理をすっきりさせて出直す方がよいということが言える。殊にS氏が関わる多くの作品に他作品を参考にしたようなパクリ疑惑が浮上している点を考慮に加えれば、それが妥当に思われる。

                                 

  これは公募による新国立競技場の建築設計のすったもんだの経緯に似て、国際的感覚とズレをもってある国内の事情が反映されて生じたものと察せられる。言わば、日本の常識と国際的な感覚の違いがここには露呈していることが言える。著作権の問題などは先進国へ行けば行くほど厳しく問われ、うやむやには出来ないところがある。今回のエンブレムの問題は日本の将来に対する教訓と言え、論理がすっきりしないのであれば、やり直した方が得策であると私などは思うところである。 写真は左からS氏によるエンブレムのデザイン原案、次は修正案で、右は更に修正を加えて決定したエンブレムのデザインである。(写真は新聞記事の複写による)。

 


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2015年08月28日 | 写詩・写歌・写俳

<1352> 微妙な変化

         一本の木にも移ろふ時が見ゆ 樹齢を加へ 枯れゆく姿

 昨日、天川村の観音峰展望台(一二〇八メートル)に登った。絶滅危惧種に惹かれて山野を歩いているが、この展望台の一帯にも何点か見られる。最近は立入規制のロープが張り替えられ、保護に当たっている様子がうかがえる。この時期はススキが繁茂し、登山道を塞ぐほどで、歩き辛いが、植生の保護には好適なのかも知れない。しかし、草原は放置すると自然の法則に従って草から低木や陽樹、そして、最後は常緑樹による極相林へと植生の遷移が進み、保護対象の植生を台無しにすることも考えられるので、草原の管理には難しさがある。

 観音峰展望台付近の草原には、一昔前まで、奈良県の絶滅危惧種にあげられている自生のヒオウギが群生し、夏場に朱赤色の花が見られた。しかし、現在は姿を消しているようで、見受けられない。この草原には鹿の群がよく目撃されるので、多分、鹿の食害によるのではないかと察せられるが、昨日はその鹿を見なかった。この草原にはツツジの仲間のレンゲツツジが見られるが、レンゲツツジには強い毒性があるので鹿は食べないとみえ、その群落は今も残っている。

              

 ところで、時の移ろいには変化がつきもので、希少な絶滅が心配される草木だけでなく、失われてゆくものが見られるのは悲しいかな、常のことである。観音峰展望台には一本のアオハダ(?)が見られ、秋になると赤い実を沢山つけ、登山者を楽しませていた。昨日は、一つにそのアオハダの実(?)を楽しみに登ったのであるが、枯れて半ば白骨化状態になっているのが見られた。何が原因なのか、時の移ろいは草木にも等しく言えることで、それは無常な姿であった。

 左の写真は赤い実をいっぱいにつけたアオハダ(?・平成十五年十月二十六日撮影)。右の写真は枯れて半ば白骨状態に陥った同じアオハダ(?・平成二十七年八月二十七日撮影)。つまり、この二枚の写真からは十二年に及ぶ歳月の隔たりをうかがうことが出来る。で、旺盛に実を生らせていた当時が懐かしく思い出される。この赤い実の大半は自らの本分を果せず終わったのであろうが、思うに、その年月においてこの赤い実は毎年数ある鳥たちを育んで来たとも言えるのである。


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2015年08月27日 | 写詩・写歌・写俳

<1351> 大和の山岳行 (13 )  観 音 峰

         トンボには トンボの命 赤トンボ

 今回は天川村の観音峰(一三四七メートル)の観音峰展望台(一二〇八メートル)までを往復した。観音峰は大峰山脈の支峰の一つで、天川村の川合から洞川に向って県道二十一号を走り、虻トンネルを抜けたすぐのところ、右手の駐車場が登山口になっている。

すぐ傍を紅葉の名所で知られる御手洗渓谷の上流に当たる山上川が流れ、その川に架かる吊り橋を渡り、上りの道を取ると、観音峰への登山道は一本道で、迷うことなく登れる。この峰は南北朝時代の秘話でも知られるところで、登山道は整備され、案内も見られ、登りやすい道になっている。上りの道をずっと辿れば、稲村ヶ岳登山道の法力峠に出合い、稲村ヶ岳の山上辻を経て山上ヶ岳に上り着き、大峯奥駈道に出合う。

         

 展望台の一帯はススキを主にした草原で、中央付近に「観音峯展望台」と書かれた石碑が建てられ、いつもここで折り返す。観音峰山頂までの三分の二ほどの距離にあり、展望台からは周囲が見渡せ、眺望がよいこともあって人気がある。この登山道は何回も歩いているので、勝手知った道ではあるが、展望台からの眺望は変化に富み、飽きることがない。また、歩く度に植生の発見があるのも楽しい山である。

 山上川は清流で、夏休みの最後を川に下りて楽しむ家族連れなども見られた。晴れ模様の天気だったが、展望台から眺める大峰山脈の尾根筋は雲に阻まれ見えなかった。登山道ではミカン科の多年草であるマツカゼソウ(松風草)が白い小さな四弁花を多数咲かせているのが見られ、群生しているところでは微かに甘酸っぱいような匂いが漂っていた。

            

 標高によるからか、展望台付近の草原では、ススキが穂を出しはじめているのも見られた。平野部では残暑の厳しい日だったようであるが、草原では赤トンボも飛び交い、通り行く風も涼しく、秋の感じがあった。今日の観音峰天望台への登山に当たっての印象は、夏秋同居が見られたことである。標高の高い尾根には秋が、麓の川はまだ夏模様で、水遊びに興じる家族づれの姿が見られたという次第。 

  写真は上段左から観音峰展望台から見る大峰山脈の眺望(雲に被われバリゴヤノ頭が少し見える程度だった)。次は穂を出し始めたススキ。右は山上川でゴムボートを浮かべ遊ぶ家族連れ。 下段の写真は左から観音峰展望台の石碑。群生して花を咲かせるマツカゼソウとマツカゼソウのアップ。右はススキの枯れた茎にとまる赤トンボ。