大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2020年04月14日 | 写詩・写歌・写俳

<3014>  余聞 余話 「ウグイスの美声」

      鶯の美声にあるは何ゆゑか生の懸命なるにあらずや

   コロナウイルスの猛威もあって、最近、馬見丘陵公園の広い園地に赴いて歩くことが多くなった。園内ではいろんな人が歩いているが、野鳥や草木の多いところで、それらを撮影するためカメラを持参して歩く人が結構多い。カメラに望遠レンズをつけている人も見かけるが、この人たちは大方が野鳥の撮影を目的にしている。私もカメラの持参組で、望遠レンズも携帯して歩く。

 という次第で、歩いていると、ときに声をかけられることもある。この間も「今日は何もいませんね。ウグイスはいい声で鳴いていますが」と声をかけられた。「そうですね」と答えた後、撮影するには、「ひたすら待つしかないですよ」とつけ加えようとして、僭越に思い、止めた。野鳥の中でウグイスは撮り辛い鳥の一つである。

   思えば、囀る鳥たちは見晴らしのよいところで囀るので、望遠レンズがあれば、案外撮りやすい。だが、ウグイスは例外で、声はすれども姿は見えずという場合が結構多く、また、姿が見えても枝木や葉に邪魔されて、囀るところは思うように撮れない。目と鼻の先でもそうした条件によって阻まれる。で、待つ時間が長くなったりする。そんなときは、「梅に鶯というけれど、そんなのあるのかな」とそんなことまで脳裡を掠めたりする。

                   

 という次第で、ウグイスの囀る姿の撮影はなかなか難しい。だが、私は一度だけ、曽爾高原のお亀池の湿地で、枯れ葦に止まって美声を披露しているウグイスに出会い、撮影したことがある。草木の花が目的で訪ねたのであるが、400ミリの望遠レンズはいつも持ち歩いているので、素早くレンズを交換して撮ることが出来た。

 暫く鳴いて林へ去って行ったが、そのときの印象は次の通りで、美声とは裏腹にその姿は実に烈しく、嘴を大きく開き、羽を逆立てながら全身を震わせるように美声を響かせていた。そのとき、その美声と全身の姿にギャップが思われたのであったが、直ぐにそれは感動に変わった。烈しいその姿に生が有する本質を認識したからである。

 美声だけを聞いてウグイスに接していたころの自分は、囀るその姿も麗しく想像していた。そして、「梅に鶯」の図なども思われるところがあった。だが、全身全霊を込めて鳴くウグイスの懸命な姿をファインダーの中にうかがったとき、命の荘厳さとでも言えようか、その懸命な姿に印象が一変したのであった。つまり、感動したのである。

   あの美声は雄で、雌への求愛、あるいは、縄張りの主張に違いなく、言わば、ウグイスの懸命な生の行使にほかならないと思った。つまり、美声の内実に生の懸命さがうかがえたゆえに感動したのである。ウグイスの話が出たので、曽爾高原で感動したときのことを思い出した次第である。

   ほかの野鳥でも概ね雄の囀りには見られる現象で、このブログの2018年5月27日の<2340>の「懸命」にも取り上げているが、ウグイスの場合は目撃し難いので、特にその囀る姿には感動があると言える。 写真は囀るウグイス。左は馬見丘陵公園の雑木林で見かけた雄、右は曽爾高原のお亀池の枯れアシにとまる雄。


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1 コメント

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Unknown (jikan314)
2020-04-14 18:04:34
いつも拝見しております。
大阪の淀川の三島江へ行ったときに、ウグイスが盛んに鳴いており、私自身は珍しかったので、スマホで写真を撮りました。
たくさん鳴いていたので、関西はウグイスは珍しい鳥では無いのかなあと思った次第です。奈良はホトトギスがいっぱい鳴いていそうですね。
拙句
うぐひすはここも春よと飛び回り
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