<120> 晦 日 蕎 麦
往くを知り 来るを思ひて 晦日蕎麦
往く年、 来る年の区切りである大晦日から元日は格別な気分になる。日ごろと変わらない人もいるだろうが、 ほとんどの人がいつもと違った気持ちで過ごすのではないか。一年の最後の日である大晦日にソバを食べる風習はいつごろからか。ソバは切れ易いことから、この年のしがらみを断ち切って新年に向う意味がある。で、しがらみを断ち切った後、元日を迎える次第で、元日に神社へ出かける人は多く、神社に詣でて一年がよい年になることを祈願し、スタートを切る。 私たちには晦日ソバも神前て掌を合わせることも、ともに無事を願う心持ちから生じて来るものである。
ところで、大晦日にソバを食べるということは、世の中のしがらみの中で、悪いことを断つ気持ちによるから、その年に悪いことがあったと感じていない人はソバを食べる必要がないわけであるが、 そんなことはなく、みんなこの風習に従ってソバを食べる。 その年に生じたよい運を持続したいためにソバを食べない人がいてもよさそうであるが、晦日ソバにそういう話はとんと聞かない。ということは、ほとんどの人が何らかにおいて悪いことがその年にあったと感じているという理屈が成り立つ。
要するに、大晦日にソバを食べるということは、私たちの実生活に、自分の思い通りにならない悪いと感じられることが 多いことを示しているとも言えるわけである。言葉を換えて言えば、 それは人生の厳しさを指すことを意味するものでもあるということが言える。それゆえ、 元日の初詣もあり、 神前に向って掌を合わせ、 祈る姿も見られると言える。では、その厳しさを思いつつ、今年の最後の日に詩を一つ。
大地が動くのを見た
海が圧し寄せて来るのを見た
車が流され 家が倒れ 街が壊れゆくのを見た
そして 逃げ惑う人たちがいるのを見た
多くの自失を見た 不安を見た
悲しみや無念や辛さを見た
瓦礫が散乱する一変した町々を見た
耐え忍んで頑張っている人たちを見た
怒りを見た 訴える人たちを見た
かろうじてだが 感動する光景を見た
荒れ果てた町に 花が咲くのを見た
多くの人が尽力し 励ましているのを見た
寄り添う人たちが 歌を歌う姿を見た
助け合いながら 復興に向かう人たちを見た
私の目と心の2011年 あの大震災とあれ以来の光景
しかし それは 私にとって テレビなどによる
ほとんど非現実な 仮想的感覚にほかならなかった
それは 私の実生活とは ほど遠かった
私の生活圏は ほんの10キロ内外の中に過ぎない
私の日常は このありふれた暮らしの中にある
今も それに変わるところはないが
あの日以来 心に突き刺さるものがある
あの日 私の心は虚を突かれ とまどい 混乱した
そして 心は 祈願を蘇らせるに至った
誰のためでもなく 私自身のために 私は祈った
見聞を強いるあの報道の目と耳 あの悲しみも辛さも
私の心と同等に 明日へ向ってあらねばならない
私が気持ちよく 幸せでいられることは
私が関わるすべてのものにおいて 私に叶うこと
だから 私は祈る すべてのものを含めて 祈る
祈願の縁者の一人として 祈願を蘇らせた私の心と
すべてのものが 和していられるべく 祈る
3・11のあのとき以来 斯くはあった 2011年よ
なお 来る年がある 私たちには
この来る年のために 心よ 祈りを続けなくてはならない