大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2011年12月31日 | 写詩・写歌・写俳

<120> 晦 日 蕎 麦
       往く知り 来るを思ひて 晦日蕎麦
   往く年、 来る年の区切りである大晦日から元日は格別な気分になる。日ごろと変わらない人もいるだろうが、 ほとんどの人がいつもと違った気持ちで過ごすのではないか。一年の最後の日である大晦日にソバを食べる風習はいつごろからか。ソバは切れ易いことから、この年のしがらみを断ち切って新年に向う意味がある。で、しがらみを断ち切った後、元日を迎える次第で、元日に神社へ出かける人は多く、神社に詣でて一年がよい年になることを祈願し、スタートを切る。 私たちには晦日ソバも神前て掌を合わせることも、ともに無事を願う心持ちから生じて来るものである。
 ところで、大晦日にソバを食べるということは、世の中のしがらみの中で、悪いことを断つ気持ちによるから、その年に悪いことがあったと感じていない人はソバを食べる必要がないわけであるが、 そんなことはなく、みんなこの風習に従ってソバを食べる。 その年に生じたよい運を持続したいためにソバを食べない人がいてもよさそうであるが、晦日ソバにそういう話はとんと聞かない。ということは、ほとんどの人が何らかにおいて悪いことがその年にあったと感じているという理屈が成り立つ。

                    
 要するに、大晦日にソバを食べるということは、私たちの実生活に、自分の思い通りにならない悪いと感じられることが 多いことを示しているとも言えるわけである。言葉を換えて言えば、 それは人生の厳しさを指すことを意味するものでもあるということが言える。それゆえ、 元日の初詣もあり、 神前に向って掌を合わせ、 祈る姿も見られると言える。では、その厳しさを思いつつ、今年の最後の日に詩を一つ。

     大地が動くのを見た
     海が圧し寄せて来るのを見た
     車が流され 家が倒れ 街が壊れゆくのを見た
     そして 逃げ惑う人たちがいるのを見た
     多くの自失を見た 不安を見た
     悲しみや無念や辛さを見た
     瓦礫が散乱する一変した町々を見た
     耐え忍んで頑張っている人たちを見た

     怒りを見た 訴える人たちを見た
     かろうじてだが 感動する光景を見た
     荒れ果てた町に 花が咲くのを見た
     多くの人が尽力し 励ましているのを見た
     寄り添う人たちが 歌を歌う姿を見た
     助け合いながら 復興に向かう人たちを見た
     私の目と心の2011年 あの大震災とあれ以来の光景
     しかし それは 私にとって テレビなどによる
     ほとんど非現実な 仮想的感覚にほかならなかった
     それは 私の実生活とは ほど遠かった
     私の生活圏は ほんの10キロ内外の中に過ぎない
     私の日常は このありふれた暮らしの中にある
     今も それに変わるところはないが
     あの日以来 心に突き刺さるものがある
     あの日 私の心は虚を突かれ とまどい 混乱した 
     そして 心は 祈願を蘇らせるに至った
     誰のためでもなく 私自身のために 私は祈った
     見聞を強いるあの報道の目と耳 あの悲しみも辛さも 
     私の心と同等に 明日へ向ってあらねばならない
     私が気持ちよく 幸せでいられることは
     私が関わるすべてのものにおいて 私に叶うこと
     だから 私は祈る すべてのものを含めて 祈る
     祈願の縁者の一人として 祈願を蘇らせた私の心と
     すべてのものが 和していられるべく 祈る
     3・11のあのとき以来 斯くはあった 2011年よ
     なお 来る年がある 私たちには
     この来る年のために 心よ 祈りを続けなくてはならない


大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2011年12月30日 | 写詩・写歌・写俳

<119> 迎春準備 (栗きんとん作り)
             「経験の弟子」 と レオナルド・ダ・ヴィンチ
        「智慧は経験の娘」 とも
         私は栗きんとんを作りながら
         経験に優る教えはないと思った

   車の掃除も済ませ、やるべきことはやって、午後から栗きんとん作りに挑戦した。 料理本と妻の助けを借りて始めた。 材料は写真の通り、 種子島産の安納イモ三個(350グラム)、クリの甘露煮一ビン(実の部分100グラム)、生クリーム適宜、 梅肉少々。但し、生クリームはイモが甘く軟らかかったので使用しなかった。まず、イモの皮を剥き、蒸し器で蒸し、蒸し上がったところで、冷めないうちに潰して 裏ごしして練り、 甘露煮のつゆを軟らかさに応じて少量入れ、 なお練り上げた 中に半分に切ったクリの実を混ぜて、八等分したものをガーゼで絞り、 形を整え、その上に梅肉を載せて出来上がった。
                                     

  イモが蒸し上がったとき、黒ずんだイモも見られたが、 これは剥き方が 浅かったために渋が 残っていたもので、 これをそのまま裏ごしすると色が悪くなり、渋味が加わるのでよくないと妻の助言があって、少し作るのに時間がかかった。これについては本に書いていないので、本だけを頼りにしていたら失敗しただろう。
  妻はいろいろのケースでこれまでに経験しているので、 マニュアルには見られないところにも注意がゆくことになる。「料理は臨機応変」と妻は言うが、これは経験に裏打ちされているということである。で、 栗きんとんを作りながら上述の詩を思いついたのであった。安納イモの栗きんとんは甘味料を入れなくても甘いので、 これは成功だった。正月が楽しみである。

  


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2011年12月29日 | 写詩・写歌・写俳

<118> 回 顧 一 年
        年の瀬や 回顧一年 速きかな
  2011年の今年も残すところ後二日。あっと言う間の一年であった。齢をゆくほどにそのスピードが加速しているように思われる。この一年もいろいろあった。回顧するに、何と言っても、 東日本大震災による巨大津波の被害とこれに伴う福島第一原発の放射能汚染事故。それに、台風十二号による紀伊半島の豪雨災害が加わり、今年は災害年の極めつけの年だった。何をするにつけても、この二つの大きな災害は意識にのぼり、精神的影響を及ぼすところとなっている。
 海外ではアラブの春と呼ばれるチュニジア、リビア、エジプトで長期政権の崩壊。ウサマ・ビン・ラデイン、カダフィ、金正日など要人の訃報。ギリシャの財政破綻に始まるヨーロッパの危機、タイの長期洪水による日系企業の被害等々、世界も大揺れに揺れた。
  明るいニュースでは女子サッカーのなでしこジャパンがW杯のドイツ大会で金メダルを獲得し一躍有名になったことがあげられよう。
 日本の政治の世界もめまぐるしく、菅から野田へ政権が変わり、大阪府市の知事と市長のダブル選挙では地方政党、 維新の会の松井、橋本が圧勝し、改革に乗り出したこと。 今年は斯くのごとくであったが、来年は果たしてどんな年になり、 私たちの暮らしはどのように推移して行くのか。

                                      
  写真は2011年の私の写真活動の一部である。左から1、奈良の雪景色(2/11)、2、十津川村の雲海(5/25)、3、大日岳のアケボノツツジ(5/25)、 4、釈迦ヶ岳の釈迦像(5/25)、5、大峰山系のニホンジカ(5/25)、6、つがうキチョウ(7/24)、7、野生のヒオウギ(8/10)、 8、法起寺近くの田んぼの稲穂(9/17)。写真は概ね破壊の進む大和の自然に焦点を当てて撮っている。3のアケボノツツジは希少種であるが、大峰山脈の大日岳付近ではその群落がよく残っていて貴重な風景である。6のニホンジカは食害によって植生を荒らすとして全国各地で問題化されているが、 果してその罪をすべてシカにおしつけてよいものかどうか考えさせられる。7のヒオウギは今や大和では絶滅危惧種にあげられるほど野生のものが少なくなっている等々。

                                             


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2011年12月28日 | 写詩・写歌・写俳

<117> 迎 春 準 備
       行く年や それなりにして ある思ひ
  何においても、 迎えるにはそれなりに準備が要る。正月を迎えるにもそれが言える。 迎春準備は結構いろいろとあって忙しい。まず、一年の埃を払う大掃除がある。すす払いというが、 これは煮焚きをかまどで行なっていた時代の名残りであるが、一年の内に溜まった埃をきれいに払い、すがすがしく新年を迎えることにある。
  今日は役所の御用納めで、いよいよ正月へのスタートの日。まずは、大掃除があるわけで、我が家でも上から順に、神棚、仏壇、お客用の蒲団干し、部屋回り、庭や外回り等々。 風呂場や炊事場などの水周りは早いうちに妻が済ませ、終わっている。玄関などのお飾りはいつのころからか簡素になって、 今は何もかも形だけになっているきらいがあるが、これも飾りつけた。
  また、子供のころの話になるが、我が家は三代が同居する七人家族で、正月用の餅は鏡餅をはじめ、必ず三十日に搗いていた。 何臼も搗くので、半日はかかる家族総出の大仕事であった。 二十九日には「九」が「苦」ということで、お飾りも鏡餅もこの日には神棚に上げず、一夜飾りも嫌うので必ず三十日にしたものである。

                                               
  お飾りは毎年大小すべて祖父が作っていた。 どこの家でもそのようであったが、年配者が作り方を知っていて、 山から裏白なども取って来て自給自足で賄っていた。 それがいつの時代からか買うようになり、 だんだん簡素化されて今に至っている。
  これは戦後の我が国が歩んできた姿を象徴するもので、 第一次産業から第二次、 第三次産業への移行による貿易立国の国家的政策、 また、 それにともなう人口の都市集中と半面の過疎化、 及び、 欧米の物質文明の導入による消費、娯楽への暮らしの傾斜とその半面の伝統的風習や文化の衰退、大家族から核家族化による少子高齢化等々、これらの現象と軌を一にするところがある。昔はおせちなども自前でみな作っていたものであるが、今や購入する家が大半である。 我が家でも買うようになって久しく、今年も黒マメ、叩きゴボウ、ゴマメくらいを自前で作り、後はセットのものを予約している。
  ところで、自由を求めて来た核家族化は、 行き着くところ、 老齢と未婚の一人暮らしを増やす結果となり、一人は独りで、自由ではあるけれども、寂しい状況を生み出すこととなり、社会全体の問題にもなって来た。 こういう昨今の現状の最中にあって3・11の東日本大震災は起きたのであった。この災害は、我が国が突き進んで来た戦後の欧米的経済優先の生き方に途惑いを見せていたところへ打撃を与える結果になり、「絆」という言葉が語られるように、昔のごとく家族というものが大切であるという認識を芽生えさせ、これまでは一人で自由に生きたいと言っていた若者たちに結婚願望をの兆しが芽生えて来た感がある

  私などは子供のころの家族的な楽しい雰囲気を経験している世代なので、時代回帰のこの傾向をよしと思うが、 消費経済優先の政策者などはどのように考えているのだろうか。今後の我が国のあり方が問われ、今はその岐路に立たされている時代とも言えようが、果たして、来年はどのように展開してゆくのだろうか。 写真は一年の埃を払った我が家の神棚。


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2011年12月27日 | 写詩・写歌・写俳

<116> 霜
        霜の朝 けんちゃん たっちゃん 少年期
  私の少年時代はよく扁桃腺を腫らし熱を出して、時には寝込むこともあった。言ってみれば病弱な一面もその記憶にはあるが、そのほかは概ね元気で、今ごろの子供と違って、よく外に出てみんなと一緒に遊んでいた。冬の寒い日でも、メンコをしたり、相撲を取ったり、城盗り合戦をしたり、いろんな遊びを見つけ出して、とにかく動き回っていた。昔は今よりも一段と寒く、私の郷里は瀬戸内で温暖な土地柄であったが、冬には池にびっしりと氷が張るほどで、霜もよく降りた。しかし、子供たちはみんな寒さに負けない風の子であった。

                                    
  霜の降りた朝は、よく晴れ、冷え込んだ。子供たちは一緒に登校したが、そんな霜の降りた朝はみんな白い息を吐きながら歩いたものである。学校でも勉強の合間には外に出て遊び、みんな健やかであった。いじめのような深刻な問題など皆無で、子供たちは伸び伸びとした環境にあった。
  一面に降りた霜の景色を見ていると、その少年のころが思い起こされる。霜は放射冷却によって冷え込み、地表面の水分が凍る現象をいうもので、普通、「降りる」と表現されるが、古歌では「降る」とか「置く」と表現されていることが多い。用例をあげると、次のような歌が見える。
   葦辺ゆく鴨の羽交に霜ふりて寒き夕べは大和し思ほゆ                                                                           志貴皇子
   鵲の渡せる橋に置く霜の白きを見れば夜ぞ更けにける                                                                         大伴家持
   ともに名高い万葉歌人の歌であるが、「降る」や「置く」は「降りる」よりも五七五七七の短歌に用いやすいからかも知れない。では、少年のころを思い起こし、今一句。     霜降りて かがやく中に 母の声