大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2013年02月28日 | 写詩・写歌・写俳

<545> 二 月 尽

        山はなほ 雪を抱けり 二月尽

 今日は二月の最終日、二月尽。速さも速し、一月はいぬる。二月は逃げる。三月は去るか。とにかく、月日の経つのが実に速く感じられる。今日は久しぶりに大阪・奈良府県境の金剛山(一一二五メートル)に登った。金剛山と葛城山の鞍部に当たる水越峠から。中腹より残雪を踏みながらの歩き。雪は凍ってアイスバーンになっているところが多く、途中からアイゼンをつけ、足許に注意しながら登った。山に花らしい花はまだ何も見当たらなかった。

 カタクリ、コガネネコノメソウ、ハルトラノオ、ヤマトグサなどが生える山頂付近の登山道周辺は白一色で、その雪景色にはササがよく目についた。国見城跡の山頂広場に着いたのは正午過ぎ。結構多くの登山者がいて、三三五五弁当を開いていた。山頂は雲一つない無風、快晴の天気で、設置されている寒暖計は六℃を示していた。

 この快晴下、視界は悪くなかったが、地上部と高層部の寒暖の差によるものか、開けている大阪方面は地上部がやけに霞み、高層部との間で、くっきりと大気の層が二分され、地上部はまったく見通せない状態で、大気の汚れというものがよくわかった。いつもの晴天であれば、遠く瀬戸内海も見えるはずであるが、今日は手前に位置するPL教団の白い塔がやっと確認出来るほどだった。

                                                     

  黄砂かも知れないという声があったが、最近問題になっているPM2.5が脳裡を過った。今日は無風状態だったのでスギ花粉の飛ぶ量は少なかったはずである。写真左は、くっきりと大気の層が二分された大阪平野。右手前に白いPL教団の塔がかすかに見える。写真右は、山頂付近の雪景色。春の草花はまだ。ササだけがよく目についた。


大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2013年02月27日 | 写詩・写歌・写俳

<544>  心

      九.九 九九九の その心 十に及ばぬ ところを汲まむ

 粘菌の研究などで知られる博学の巨人南方熊楠に次のような言葉がある。

 「10を3にて除するに3.333333333+乃至幾億万回を重ねるも極処に到らず。到らぬが、二回は一回より、三回は二回より実境に近くなる。3.3へ3を乗ずる(9.9)より3.33へ3を乗ずる方(9.99)が百分の九だけ10に近くなる。人のこの世にあるは安心を好む。安心は愉快の極なり。安心に等差あり。9.9の安心あり、9.99の安心あり。また9.999+の安心あり。いまだ10に至らずといえども、安心深きものほど10の安心に近し。この世の安心と身後の安心は種類度数に多少の差あることながら、この世に安心をきらうものなきは、身後の安心あるによる。(中略)とにかく科学では10を3に除し切るほどのこともならぬものなり。また、哲学などは、古人の糟粕、言わば小生の歯の滓一年一年とたまったものを、あとからアルカリ質とか酸性とか論ずるようなもので、いかようにもこれを除き畢らば事畢る」(神坂次郎著『縛られた巨人南方熊楠の生涯』より)と。

 なるほど、私たちは十に及ばない器であろう。十に及ばないということは、完璧ではないということである。その完璧ではない十に及ばない欠如のところで、私たちは一喜一憂し、泣いたり笑ったりしている。その一喜一憂、例えば、泣いたり、笑ったり、怒ったり、悩んだりするところこそが人間らしいところで、歌などもその喜怒哀楽、悲喜苦楽の行き場、置きどころに関わっている。そして、その器たる心に汲むべく詠みなされる。糟粕とは辛辣だが、歌なども糟粕のようなものかも知れない。

                                                   

 夏目漱石は、盗み食いをした餅が餅の粘着力によって口から取れなくなった吾輩(猫)に考えさせた。つまり、「餅は魔物だなと疳(かん)づいた時は既に遅かった。沼へでも落ちた人が足を抜かうと焦慮(あせ)る度にぶくぶく深く沈む様に、噛めば噛む程口が重くなる、歯が働かなくなる。歯答へはあるが、歯答へがある丈(だけ)でどうしても始末をつける事が出来ない。美学者迷亭先生が嘗て吾輩の主人を評して君は割り切れない男だといつた事があるが、成程うまい事をいつたものだ。三で十を割る如く藎未来際方(かた)のつく期(ご)はあるまいと思はれた」と。

  餅はどうにかすれば、取り除くことが出来るが、十を三では永劫割り切ることは出来ない。吾輩(猫)はそこに考えが及んだ。出来なければ、気分は落ち着かず「餅がくっつ付いて居るので毫(がう)も愉快を感じない」ことになってしまう。結局、御三(おさん・下女)に取り除いてもらう。この口に粘りつく餅への気分は主人に対する評に等しく、熊楠の糟粕にも似てなかなか辛辣で、熊楠が「いかようにもこれを除き畢らば事畢る」と看破したごとく、吾輩(猫)も「凡ての動物は直覚的に事物の適不適を豫知す」という一つの真理をこの餅から得たのであった。

 で、吾輩(猫)は以後、餅に関しては二度とこのような失敗をしないであろうことが確信されたのであった。だが、割り切れない主人(人間)については何とも言い難いところであろう。もちろん、読者はすでに解しているはずである。漱石は吾輩(猫)を借りて人間世界にちらちらするところのことを見聞して述べているまでのことである。ところで、この世に二で除し切れないものはないと言えるが、これは実体としてあるものについていうものであり、心というのはそう容易く除せるものではないと言える。 写真はイメージ。

   二で割れぬものがこの世にあるならばそれは即ち心の部分

   除し切れぬものとしてある心映え 思へば ここに我が心あり


大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2013年02月26日 | 写詩・写歌・写俳

<543> 人生について

        人生は 過去と未来と 現在と まさにこの身の 行きゆくにあり

   <人生とは時の旅をしていることにほかならない

 ストア哲学の英知セネカは『人生の短さについて』の中で、「人生は三つの時に分けられる。過去の時と、現在の時と、将来の時である。このうち、われわれが現在過しつつある時は短く、将来過すであろう時は不確かであるが、過去に過した時は確かである。なぜならば、過去は運命がすでにその特権を失っている時であり、またなんぴとの力でも呼び戻されない時だからである」(茂手木元蔵訳)と述べている。で、私もここに「人生とは」という問いにおける一つの詩を作ってみた。

人生とは まさに 生きてあるということ。   生きてあるということは   たとえば 過去と現在と未来、   つまり 時の旅をしていること 。  たとえば 息をしていることプラスα、   つまり 肉体と精神の働き。   たとえば 自問自答、   つまり思いの数にあるということ。   たとえば 悲願と祈願、   つまり 願う心と祈る心にあるということ。   たとえば 一期一会、   つまり 縁による他者との関わり 出会いの日々 。  そして それらをひっくるめて イメージすること 。  最高の人生とは 最高に美しくイメージ出来ること。   薔薇色の人生とは よく言ったものである。   しかし 私たちは みな 死に向かって歩み   ほんのわずかな時の 妙味のうちにある。   知覚すべきは この妙味であり、   妙味を統べ司る神への納得である 。  人生とは イメージもさることながら   この神への信、 つまり 神に寄せる得心への道程ではないか。

                             

 ここで、「神」について少し。「神社仏閣は、次から次へとわれらのまのあたり崩壊して来たが、ただ一つの祭壇、すなわちその上で至高の神へ香を焚く「おのれ」という祭壇は永遠に保存せられている」(岡倉覚三『茶の本』)と、また、「神、おそらく、それを考えない民族はほとんどない」(梅原猛『哲学する心』)というように、神とは自己それぞれのうちの祭壇に、実体を明らかにすることなく、畏怖をもって対する精神的な存在としてあり、そこでは個々に至高の香が焚かれるわけである。その神の座を山に例えるならば、それは如何なるにも動じない深く険しい山岳にあると思われる。写真はイメージ(稲村ヶ岳雪の峰)。

 

 

 


大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2013年02月25日 | 祭り

<542> 菅原神社のおんだ祭り (御田植祭)

        春が来る 大和のおんだ 祭りかな

  二十五日、奈良市菅原町の菅原神社で、一年の開運と無病息災を願う祈年祭と五穀豊穣、子孫繁栄の予祝の祭りであるおんだ祭りの御田植祭が行なわれ、出かけてみた。昨年は雨模様の天候だったが、今年は好天に恵まれ、折りしも梅がほころび始め、多くの人出でにぎわった。では、写真と俳句で祭りを振り返ってみよう。

                  

                                梅に来て 目白もおんだの祭りかな                         日和よし 梅よし 祭りの 人出かな

                      

                      春が来る 牛の出番に 拍手湧く                             牛駈ける 翁も駈ける 春はそこ

                       

                                春はそこ 翁は福の 種を蒔く                                春はそこ 笑ふ門には 福が来る


大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2013年02月24日 | 万葉の花

<541> 万葉の花 (75) こけ (蘿、薛、苔)=コケ (苔)

        冬の果て 苔よみがへる ころならむ

     妹が名は千代に流れむ姫嶋の小松が末(うれ)にこけむすまでに                             巻 二 (2 2 8)  河辺宮人

     み芳野の青根が峯のこけむしろ誰か織りけむ経緯(たてぬき)無しに                巻 七 (1120) 詠人未詳

     安太へ行く小為手(をすて)の山の真木の葉も久しく見ねばこけむしにけり                 巻 七 (1214) 詠人未詳

     奥山の磐にこけむしかしこけど思ふ心を いかにかもせむ                                   巻 七 (1334) 詠人未詳

  集中にコケの見える歌は十一首あり、常緑で、古くから存在する岩などに生える特性をもって詠まれた「こけ生(む)す」の表現によっている歌が十首にのぼり、後の一首は1120番の「こけむしろ」とコケが一面に青々と生える状態を詠んだ歌である。

 コケは蘚苔植物と呼ばれる代表的な隠花植物で、スギゴケなどの蘚類とゼニゴケなどの苔類、それにツノゴケ類を含めた三群の総称とされる。また、地衣類や菌類もコケと呼ばれ、花粉に代わる胞子によって繁殖する特徴を有する。前者は湿地や森の中、石の上、樹皮などに生育し、鮮やかな緑色の絨毯を敷いたように生えるものが多く、美しく見える。

                      

  『万葉集』の原文表記では蘿が九首、薛が一首、苔が一首で、みなコケと読む。一番多く用いられている蘿はカズラのことであるが、古訓ではコケで、松蘿と言われる深山などの古木に付着して糸屑のように垂れ下がるサルオガセであると言われ、この意に沿えば、蘿は蘚苔植物と見られる。だが、特定の種を指して用いられているのではないことが言えそうである。

 薛については259番の歌一首のみに用いられ、これもツタに当てられた字であるが、古訓ではコケと読む。因みに、よく似た薜はヨモギを意味する文字で、薛のコケとは異なる。一方、苔は蘚苔の苔で、柿本人麻呂歌集より選ばれた歌に用いられており、時代的には早くに用いられているのがわかる。これらを総合してみると、蘿、薛、苔は特定のコケを指すものではなく、総称的に用いられていると思われる。

 冒頭にあげた228番、1214番、1334番の歌は「こけ生(む)す」の例で、228番の歌は、「妹の名はずっと永久に姫嶋の小松の枝にコケが生えるまで」というほどの意になる。また、1214番の歌は、「安太へ行く小為手の山の真木の葉も久しく見ないのでコケが生えたなあ」となり、1334番の歌は、「奥山の岩にコケが生え、この岩と同じように畏敬の念が湧いて来るけれども、私の心は思うに任せないことです」という意に取れる。なお、1120番の歌は、「吉野の青根が峯のコケのむしろは誰が織りなしたのだろうか、経糸も緯糸もなしに」というもので、この一首のみ時間軸によらない歌であるのがわかる。

 『古今和歌集』の賀歌に、「わがきみは千世にやちよにさゞれいしのいはほとなりてこけのむすまで」(読人しらず)とあって、これが我が国の国歌「君が代」の「君が代は 千代に八千代に さざれ石の 巌(いわお)となりて 苔の生(む)すまで」の本歌とされるが、コケにおける『万葉集』の歌を見ると、既に当時、コケという植物が長く続くものに添う意に用いられ、『古今和歌集』へと影響しているのがうかがえる。なお、コケの初見は『古事記』の須佐之男命の八俣大蛇退治の箇所で、大蛇の凄さを、その身にコケと檜榲(ひすぎ)が生えていることで表現している。このコケは長命、檜榲は大きさを表わし、その威力を象徴するのに用いられている。言わば、コケは長命を寿ぐ植物として見られて来たことが言える。

 コケというのは温暖で湿潤な日本列島の風土に適った植物で、太古より見られ、水辺の植物であるアシと同じく、日本列島の特性をよく示すものと言ってよい。このコケの特性は私たち日本人に通じるところがあり、そのゆえに国歌にも反映し、歌い上げられている。つまり、このコケの存在は万葉当時からその認識にあったということになる。  写真はコケの様々な姿。