大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2012年03月16日 | 吾輩は猫

<196> 吾輩は猫 (13)    ~<192>よりの続き~
          やさしさは やさしさゆゑに やさしさを 持てやさしさを 生むべくぞある
 自治会回覧の一件などは、「餅は餅屋、猫には猫で、猫の事なら矢張り猫でなくては分らぬ」と先生の猫が述べた通り、当たらずとも遠からじで、 猫に対する理解不能な輩には対処のしようがなく、 猫一同からすれば、先生の猫のごとく虎の夢を実行に移すことも頭の隅に浮かぶ。 しかし、闇夜に紛れて猫排除派の首謀者に噛みついて一撃を喰らわせるなどというような策は 憂さ晴らしの何ものでもなく、妄想と言われるところ、奇であって、奇は怪で、怪は現実においては悲劇への途にほかならず、人間社会のテロと同じく、いよいよもって人間の猫に対する気分を厳しくする口実となり、 猫にとっての進展はどこにもなく、猫一同にはいよいよ暮らしを窮屈にすることに繋がるから得策とは言えない。で、虎になる夢は夢の条というに止めおくのが何よりのことと結論づけられる。
 回覧の趣旨が住民に行き届けば、 猫一同には住みよさを狭められることになり、人間とともに暮らしている以上、 致し方ないと承知しなければならず、弱者の立場は情けないが、ここは辛抱に徹するほかにない。そこで吾輩は思うのであるが、猫としてやらなければならないことは啓蒙の精神を培い、人間との共生をいかによりよく運ぶかで、猫は猫なりに考えなくてはならず、その努力が必要になる
。 努力は報われるもので、 そう願って精進しなければならないが、 無理はことを損じるのでよくよく考えなくてはならない。これはまさに教訓である。前にも述べた短歌ではないけれど、星や月でも見上げて気持ちを切り換えることも必要になる。
 前にも触れた通り、猫の大方は人間に関わって暮らしており、猫の思いというものも大方はその辺にある。で、人間に思いを巡らさずして暮らすことなどまず考えられないと言える。 一方、人間の方も猫に対しての思いがあるはずで、ともに暮らすうえにおいては持ちつ持たれつでなくてはなるまいという考えが浮かんで来る。 吾輩などはこの点についていろいろと思いを巡らせるところで、 ここに吾輩が提唱する啓蒙の精神がある。人間との争いは得策でなく、虎になる夢は夢の条として、あまり卑屈になってもいけないが、 現実においてはまず冷静に、日々に人間と和して暮らせるように考えを巡らせることが肝要であると思われるのである。
 吾輩にとってTさんの家では主婦である奥さんとの接触が多く、時間も長い。Tさんは勤めに出、娘さんは中学生で、 奥さんの在宅時間が一番長いからである。吾輩は家の外では玄関先の日当たりのよい植え込みの傍、家の中では居間のソファーの付近。 冬にはホーム炬燵の中にも入ることは前に述べた。 奥さんはテレビよりラジオをよく聴く人で、在宅時にはいつも点けている。ラジオを聞きながら掃除もするし、 食事も作る。だから吾輩もラジオをよく聞く。吾輩が世の中のことをよく知っているのはこのラジオのお陰と言ってよい。奥さんは吾輩に恬澹と接してくれるので何とも心持ちがいい。ときに吾輩が蹲っている傍を通るときは吾輩の頭を撫でて行ったりする。 そんなときは、 吾輩もそれに応えて「ミヤ―」と一声掛けるようにしている。 Tさんも娘さんもときに吾輩がびくっとするほど乱暴な行為に出ることもあるけれど、奥さんは決してそんなことはなく、いつもやさしく接してくれる。   (以下は次回に続く)