大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2015年06月30日 | 写詩・写歌・写俳

<1321> 続々我が家の雨蛙

       犬に猫 雀に蝶に雨蛙 庭を共有 してゐる眼

 我が家の二階ベランダ下の雨樋の上に置物然として居続けていた雨蛙がいなくなって久しかったが、昨日朝また姿を見せ、やはり同じようにじっと座っているのが見られた。昨日は天気がよく、久しぶりに晴れた。雨蛙にはどうも晴天の日が苦手なようで、日がよく照る日に日陰になるこの場所に来るみたいである。今日は午前六時ごろまでいて、それから姿を消した。三度目のことである。天気予報では夕方より雨になるというので、姿を消すだろうと思っていたら、午前中に姿を消した。雨蛙は、その名の通り、雨が好きなのだろう。

                 

 この間見たとき、体つきがぷくぷくしているので、妻が「ぷくぷく」というニックネームをつけた。私が、「男か女か、お兄さんかお姉さんか、お父さんかお母さんか」と訊ねたら、お父さんだと言うので、雨蛙は「ぷくぷくのお父さん」ということになって、今ではそのように呼んでいる。昨日は昼間出かけた関係で、夕方に写真を撮ったので拙い写真になって、今日撮り直すつもりにしていたが、姿が見えなかった。また、帰って来るだろうか。天気がよくなると帰って来るはずである。

 それにしても、ぷくぷくのお父さんはどうなのだろう。伴侶はいるのだろうか。最近、人間の世界もぎくしゃくとして心安らかにいられない様相がうかがい知れる。生きる難題はすべての生きものの上に必然のごとくある。孤高の身とも映るぷくぷくのお父さんの姿は等しく私たちに考えさせる。庭には揚羽が来て花から花へ渡っている。猫が徐に通り行く。犬を連れた御仁が外面を過る。ときおり雀が庭に下り来たって探し物をしている。みなそれぞれに生を営んでいる風景だ。曇天はこの時期を諾うように空を覆っている。「汝らやさしさに向かうべく励むべし」と声なき声。天に従っているぷくぷくのお父さんは何処か、どうか御無事で。明日は雨になるという。


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2015年06月29日 | 写詩・写歌・写俳

<1320> 大和の山岳行 (7) 若 草 山

             雌鹿に 雄鹿やさし 奈良の夏

  今日はよく晴れ、奈良の若草山に登った。よく歩く春日山遊歩道を奈良奥山ドライブウエイまで登り、そこから左に向かって四、五百メートルほど歩き、342メートルと書かれた標柱が立つ山頂に着き、山頂周辺を見て回った後、若草山を下った。

 若草山は山焼きでお馴染みの芝地が広がる草原の山で、山が三層(三重)になっているので、三笠山とも呼ばれる。東隣の国の特別天然記念物である春日山原始林とは対照的な誰もが気安く登れる山である。青垣の山に囲まれた奈良盆地が一望出来る眺望を誇る山で、山頂に立つと奈良大和の地勢がよくわかる。

                                    

 最近、インターネットによる情報が行き届き、奈良を訪れる外国人の観光客の中には、社寺のみならず、この眺望のよい若草山に足を運ぶ人たちも増えていると聞く。今日は、登っている人が数えるほどで、少なかったが、そんな中でも日本人より外国人の方が多いように受け取れた。

  こういう昨今の事情によるのだろう、若草山にロープウエイをつくってはどうかという話が持ち上がった。この話については、若草山が自然豊かな草原の山であるから、ロープウエイの運行によって多数の人が登るようになると自然破壊が進むという意見が出され、観光面のプラスと自然を壊すマイナスの点が議論され、マイナスの方が大きいとして中止の運びになったと聞く。

  これはもっともなことであろう。思うに、何でも成り行きに任せることは後で悔いを残すことになるから、こういう立案はよくよく議論しなて吟味しなければならない。議論の結果、中止に決まったことはまずもってよかったのではなかろうか。

  ところで、奈良公園の鹿を見ていると、概して二通りあるように思われる。一方は町中にいて観光客から食べ物をもらって日々を過ごしている鹿があり、もう一方は観光客に関わりなく、山に入って草木の葉をせっせと食べている連中がいるということである。

  どの鹿がどちらと決めつけられないが、とにかく天然記念物の公園の鹿にはプラス面とマイナス面がある。一方は観光客をもてなす役割を担い、これはプラスに働いている。もう一方は若草山などでせっせと草木を食べている鹿がいることである。こちらは、どちらかと言えば、マイナスに働いているという認識が持たれている。

 若草山を見ていると、鹿によって芝地が保たれているように見えるが、鹿の食害に負けず、矮小かして保たれている植生が見られるのと同時に、鹿が嫌って食べない草木が繁茂しているという傾向があり、植生に偏りが見られることが見て取れる。例えば、鹿が食べないワラビ、コガンピ、レンゲツツジ、ナンキンハゼなどが草原に繁殖しているのが見える。

 ススキは食害の対象で、鹿避けの柵外のものは鹿によって成長を妨げられているのがわかる。ワラビの場合は芽を出した時点のものは食べられず、大きく成長して繁った若葉は食べている。成長したワラビには勢いがあって、鹿の食欲に負けず、保たれているのがわかる。それにしても、若草山を見ると、鹿の食害による植生の偏りと草木の矮小化が特徴となっていることが言える。

  今日は涼しい風があって、この時期にしては歩きやすかった。まずは、こともなしの若草山ではあった。何はともあれ、奈良大和は穏やかな昨今の日々。若草山からの眺望はそれを諾うごとくに眺められた。 写真は若草山からの眺望(手前の大屋根は東大寺大仏殿。後方は生駒山)と仲睦まじい雄鹿と雌鹿。珍しいシロバナニガナ。鹿の影響により草丈が矮小化しているのがわかる。

 


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2015年06月25日 | 写詩・写歌・写俳

<1319> 大和の山岳行 (6)  金 剛 山

           みそさざいの声の洗礼受けながら登る金剛山の渓道

 今日は大和葛城山のお隣の金剛山に登った。標高一一二五メートル、青垣の山の中では一番高い山である。大阪奈良府県境に位置する市民の山で、登山道は張り巡らされ、四方八方から登れるようになっている。今日は大阪側、千早赤阪村からカトラ谷の谷筋を登って、尾根筋のセトを経由して下った。

 平野部は晴の天気だったが、山の上空には結構厚い雲があって山中はずっと日差しのない状態だった。その分山歩きにはよかったが、大気中の湿度が高いからか、やたらに汗を掻いた。山中に入ると、まず、高らかに啼くミソサザイに迎えられた。下界の穢れを払うように、それはまさに洗礼という言葉の雰囲気があった。

            

 今、何処もアジサイの季節で、各地の名所は盛んにPRして呼び込みに余念がなく、新聞やテレビのニュースにもなっているが、谷筋を山中深く入るに従ってヤマアジサイが見られ、今が花の盛りといったところ、そこここに青紫色の群落が見られた。谷の真上に当たる国見城跡には午前十一時着。そこから一時間ばかりで山頂を一周して元に戻り、セトへの道を選んで下山した。山はいつも「来る者は拒まず」との姿である。 写真は左から枯れ枝にとまって高らかに鳴くミソサザイ、満開のヤマアジサイ、国見城跡の時計台。


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2015年06月20日 | 写詩・写歌・写俳

<1318> 大和の山岳行 (5) 大和葛城山

          曇天を 意として笹百合 咲きにけり

 今日は曇のち遅くに雨の天気予報だったので雨具を用意してこの間登れなかった大和葛城山(九五九メートル)に登った。ロープウエイが休止しているため、駐車場も休んで使うことが出来ない関係もあって、側道に駐車出来る大阪側の青崩(あおげ)から山頂を目指した。帰りはダイヤモンドトレ―ルを水越峠に下った。言わば、登山道一周のコース。案内板によると、約七キロの歩きだった。土曜日だったが、ロープウエイが利用出来ないこともあって、山頂に人影がまばらなほど登山者は少なかった。空模様はよくなかったが、雨にはならず、雨具を使用することなく帰れた。

  青崩からのコースは初めてで、谷筋に当たる登山道は水越峠のダイヤモンドトレールよりも遠路であったが、植生の豊かさがうかがえた。隣の金剛山も水の豊富な山であるが、葛城山の青崩の谷も綺麗な水が豊かに流れていた。ほとんどがスギやヒノキの植林帯であるが、谷に沿った道は植林が途絶え、明るさがあって、いろんな草木が見られた。今はヤマアジサイとマタタビの花で、よく目についた。また、黄色いサワギクも多く見られた。

        

  午前八時前に登山口を出発し、ゆっくり歩いて、山頂には午前十時過ぎ着いた。山頂の付近一帯の笹原ではササユリが花盛りで、ところどころに点在するように咲いていた。また、草原ではオカトラノオも咲き始めていた。南東斜面のツツジはすっかり花を終え、ツツジの群落は一息ついているような感じがあった。鮮やかなノアザミの花も点在して見られ、アゲハチョウやマルハナバチが蜜を求めて集まっていた。花々には曇天もまたよしということであろう。自然の植生は自然に負って存在している。 写真は左からサワギク、ササユリ、雲に覆われた山頂の空模様、花が終り、人の姿が見えないツツジ苑、咲き始めたオカトラノオ(いずれも葛城山で)。

 


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2015年06月16日 | 写詩・写歌・写俳

<1317> 短 歌 「現代の風景」

    現代の風景をして評すれば 日本極楽橋の片隅

                                  ケア施設そこここに建つ現代の風景にして老い人の歌

                           田を埋めてコンビニ建てられゐたるなり うらうらうららな陽春の中

                          病院の待合ひ時間長ければ命の枕詞を思ふ

                                     太陽光発電のパネル並べられ田園風景変はりゆくなり

                                     子らの声久しく聞かれ得ぬ団地 未来の構図に 夢が語れぬ

                                     歩みゆく足の重さに比例してありける齢を老と呼ぶなり

                                     理解にはまだほど遠き歩のうちに言葉を探し得ざる歯がゆさ

                                     論に論 されど論破に及ばねば 言葉は澱(おり)のごとくに沈む

                                     高らかに何ゆゑ標榜出来ぬのか 平和日本国の憲法

                                      「非国民」嘗て使はれたる言葉 復活させてはならざる言葉

                                     言葉もてありける身なり 人我ら一矢穂先に何を込めるか

                                     過疎の波そこにも及び少子化の止まざるにある日の本 日本

                   個々にして総体はある 個々にして衰へゆくは総体もまた

                                     ありありとあるものながら掴み得ぬ鵺とは言へる現身の闇

                

                             写真はイメージ。新しく出来たコンビニ(左)と設置された太陽光発電のパネル。