大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2012年02月23日 | 吾輩は猫

<174> 吾輩は猫 (5)   ~<173>よりの続き~
         先生の 猫にはとほく 及ばぬが 思ひをもって ここにあるなり
 そんなわけで、時の移り変わりというものは、身辺の状況はもとより自身の心持ちまでも変えるもので、吾輩は野良猫に変わりないのに飼い猫然として次第に周囲にも慣れ、Tさんの家ではホーム炬燵の中なんかにも入り込んで、 自由に体を伸ばし、仰向けになって平気で休むことも出来るようになった。 或る夜、その自由の甘えが高じて、三人が食べるすき焼きの牛肉に食指を伸ばしたものだから、Tさんの激しい剣幕に遭い、「お前の食べるものではない」と、吾輩はしたたかに叩かれた。したたかだったのでそれはとても痛かったけれども、食欲に負けて食指を伸ばした吾輩に非があるので、それからというものは、ちゃんとわきまえるよう心がけている。
 心がけると言えば、家の中では絶対に用を足さないこと。 このことも守っている。泊めてもらった翌日の明け方におしっこがしたくなると、夫婦の寝室まで赴き、扉の前で二度三度「ミャー」と声をかける。すると、奥さんかTさんのどちらかが起きて来て、 居間の窓を開けてくれる。吾輩は裸足なので、 奥さんは吾輩が家の中に入るときはいつもきれいに足を拭いてくれる。また、Tさんが夜遅く帰宅したときなど、生垣の暗闇で吾輩が「ミヤー」と声をかけると、立ち止まって手を差しのべて来たりする。以前ならその手に噛みついて逃げたものであるが、今は決してそのようなことはせず、 素早くついて行って、 家の中に入れてもらう。そんなわけで、一家は吾輩に大変よくしてくれる。
  吾輩はどんな風体の猫かと言えば、三毛猫の雄で、吾輩から言うのも何ではあるが、風貌には自信がある。半野良猫の暮らしをしているゆえか、 よく肥えていて、 一家に出入りするようになってからは、 娘さんが「ふうた」という名前をつけてくれた。で、いつの間にか「ふうた」とか、「た」を省いて「ふう」とか呼ばれるようになり、 今に至っている。 なぜ 「ふうた」なのかよくわからなかったが、 娘さんが吾輩を抱き寄せ、「ふうたはいつ見ても太っちょね」と言うのを聞いて、なるほど、太っちょだから「ふうた」なのかも知れないと思うようになった。
 先生の猫には名前がなく、 名前のないまま通したようであるので、この点においては、 失礼ながら先生の猫より吾輩の方が人間さまに遇せられていると言える。しかし、名誉ある先生の家に寄遇する頭脳を誇る身でありながら、名声などには全く頓着せず、 名前をもらうために媚を売るようなことなどもなく、その身を保って誇る頭脳の働きを楽しみ、 飄然と独歩に生きて、終生「吾輩」で通し、名無しなどとは誰にも言わせず、まさに「吾輩」を誇り、 姑息な意図など少しもなく、 斯くも有名になったことは、先生のお陰とは言え、あっぱれ至極、見上げたもので、全く猫の鑑と言ってよい。
 余談はさておき、 吾輩「ふうた」と一家三人の仲は極めて良好で、 楽しく交わっている。 九星の吉凶でいうところの相性がいいのかも知れない。吾輩は今も野良猫に変わりないが、一家には随分とお世話になっており、この身の半分は飼い猫の立場にある。  (以下は次回に続く)