大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2020年02月15日 | 植物

<2957>  大和の花 (番外) 「1000種の花の紹介に至って」

    森を見て木を見ず木を見て森を見ず 覚束なくもありける知力

 2016年8月1日、大峰山脈の尾根筋に咲くセリ科のオオハナウド(大花独活)よりスタートした大和(奈良県)の草木の花の紹介である「大和の花」は、昨日のニワゼキショウ(庭石菖)をもって1000回、目標の1000種に達した。まだ、紹介出来ていな花があるので、今少し続けたいが、この節目に、1000種の花を各地に訪ねた動機や趣旨について説明しておいた方がよいように思われるので、以下に参考図書などをあげ、触れてみたいと思う。

 花へのとっかかりは、大和(奈良県)における名所の花へのあこがれがあり、社寺や公園の花に向かったことにある。例えば、吉野山のヤマザクラ、長谷寺のボタン、春日大社のフジ、葛城山のツツジ、室生寺のシャクナゲ、矢田寺のアジサイ、唐招提寺のハス、明日香村のヒガンバナ、曽爾高原のススキ、石光寺のカンボタンなどをあげることが出来る。

 こうした名所の花に大判のフィルムカメラで挑戦した。これが2、3年続き、その後、名所の花に飽き足らず、山野に野生する花にも興味が向かい、大和高原のネコヤナギや西吉野村(現五條市)のフクジュソウの自生地に足を運ぶようになり、撮影のフィールドを広げるに至った。これに伴い大判カメラから中判や小型のカメラに切り替え、山岳の花にも魅せられ、野生の花に撮影のシフトを変え、10年ばかり前からはデジタルカメラに移行して今に至っている。

            

 こうして、花の写真を撮り貯めていたが、足が不自由で自由に出歩くことが出来なくなった田舎で独り暮らしをしている花好きの母に短い文章を添え花の写真をプリントして送ることを思いつき、ネコヤナギを皮切りに月に二、三度のペースで送り、施設にお世話になるまでの一年ほど、この便りを続けた。これをきっかけに撮影した花に短文を添えるのが習わしになるとともに野生の花への興味が膨らみ、大和(奈良県)の地に限定し、いよいよ野生の花を撮ることに熱が入り、花の撮影行にのめり込んで行った。

 こののめり込みは定年後のことで、私のいわゆるライフワークになった。その後、2010年1月に矢田丘陵の尾根近くで心筋梗塞の発作に襲われ、何とか下山して、翌朝まで安静にしていのであるが、食欲が戻らず、近畿大学奈良病院に出向き診察を受けたところ、心筋梗塞の診断が下され、即入院となり、カテーテル治療は難しい状態にあるということで、結局、開胸による冠動脈のバイパス手術をすることになった。

 名医で知られる心臓血管外科の西脇登先生のチームによって手術を受け、三月はじめに無事退院することが出来、後遺症もなく、今日に至っている。退院後三ヶ月は車の運転など過激な活動を控え、予後の検査もあって思うように外出出来なかったが、その後は薬の服用のみで、普通に生活出来るようになり、担当医の助言では、山登りも出来るというので、三ヶ月が過ぎたころから山野に出かけ、花の撮影行も再開した。

 一年ほどは恐る恐る歩き、順次高いところを目指したが、担当医の保証の言葉は心強く、背中を押してくれた。今振り返ってみると、花を求めて歩くマイペースの山歩きはよいリハビリになったと思える。そして、いただいた余命の身にして山野に向かう思いにあって、いよいよ野生の花への情熱が湧き、どんな花も出会えた花はなるべく記録することに精進して歩くようになった。

 こういう状況の撮影行になると、花の名を知る必要が生じ、植物本体にも関心が持たれ、先人諸氏が手掛けた文献などにも目を通すことになり、大和(奈良県)の植生の実態も知るところとなり、自然環境のことなども花を通じて考えられるようになって行った。とともに、私たち自身の生にも通じることに気づき、考えるということに導かれて行ったことがあげられる。

 こうして撮影して来た草木の花を思うに、大和(奈良県)という自然と風土における、時と所のいわゆる環境にあって、大きく三点のことが、私には思い巡らされるようになって行ったことがある。その一点目は、万葉集に登場する植物にも関わるが、太古からの種を繋ぐ生命の表象としての花が思われるところで、生が歴史の上に存しているということへの認識を野生の花たちが示し物語っていることに気づいたこと。

 二点目は、こうして歴史を纏い、種の生命を繋いでいる野生の花たちであるが、今における厳しい環境においてその生が保ち難く存在する現状に撮影行の目が捉えることを余儀なくされ、それらの草木の花たちに対し、耳目を傾け、気持ちを寄せて行くことに及び、哀惜の念とともに記録しておく必要があるというような思いにも駆られるに至ったということ。

 三点目は、山野の自然に恵まれてある大和(奈良県)における植生の多様性と豊かさについて考えさせられること。大和(奈良県)は海がなく、海に面した海辺が見られないこと。また、標高2〇〇〇メートル以上の山がなく、海辺の植生に欠け、高山植物の少ない点があげられる。だが、山野に豊富な植生が見られ、それにともなう花も多く、平野部では外来種の繁殖も見られ、多様性を誇っていること。

 この点については、大和(奈良県)の山野を隈なく歩いている自負において言えるが、山地ではシカやイノシシの食害の問題が大きく横たわり、平地では新天地を得てはびこる帰化植物の外来種に圧され、激減している在来種があるのも事実で、植生の多様性におけるバランスの大切さも考えさせられるところがある。普段あまり意識しないが、植物は私たちにとっての地球環境に貴重な存在としてあり、こうした点でも、山野に野生する草木の花の風景が思われて来るところとなっている。

 とにかく、こうして、いろいろと思いを巡らしながら、山野に赴き、花たちに向き合っているというのが「大和の花」への心持ちである。私たちには平地の生活圏では私たちが主体の存在であるが、一歩山中に入ると私たちは客体になり、主体は木々草々であることを感じる。山道を歩いているとブナのおじさんが「ようおいで」と声を掛けて来る気がしたりする。そして、木々草々、つまり、一木一草が山を緑に染め、ときに彩り豊かな花を見せるということをその折々に思ったりする。

 私の花を訪ねて歩く撮影行は以上のようであるが、その結果としての写真をまとめるに際し、必要とした参考図書について、以下にあげ、「大和の花」の話を終えたいと思う。写真は「大和の花」に因む群落の花。左からヤマザクラ(吉野山)、アケボノツツジ(大峰山脈の釈迦ヶ岳南東部)、ヒツジグサ(宇陀市の勾玉池、消滅し現存しない)、ススキ(曽爾高原)。

 山渓ハンディ図鑑1「野に咲く花」、2「山に咲く花」、3「樹に咲く花・離弁花1」、4「樹に咲く花・離弁花2」、5「樹に咲く花・合弁花・単子葉・裸子植物」、6「日本のスミレ」、8「高山に咲く花」、11「日本の野菊」(以上山と渓谷社)。▷日本帰化植物写真図鑑(全国農村教育協会)▷日本の固有植物(東海大学出版部)▷樹木大図鑑(永岡書店)▷樹木見分けのポイント図鑑・野草見分けのポイント図鑑(講談社)▷花と樹の事典(柏書房)▷薬草カラー図鑑1・2・3(主婦の友社)▷萬葉植物歌の鑑賞(渓声出版)▷奈良県樹木分布誌(森本範正)▷大切にしたい奈良県の野生動植物(奈良県版レッドデータブック2016改訂版)▷奈良県野生生物目録(奈良県)。


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1 コメント

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Unknown (chantake123)
2020-02-15 22:52:22
初めまして。数年前からこのブログを楽しく拝見しております。そして、植物の種類について勉強させていただいております。
このブログでは在来種だけでなく外来種も紹介されていて、このブログを開いて種類を確認したこともありました。
自分自身生き物が好きで、奈良周辺の虫や花を見に行っては写真に撮っています。
1000種類というのは想像がつきません!
自分が10年余りチョウを撮ってきてもせいぜい100種類程度です。
ただただすごいと思い、ついついお邪魔してコメントしました。
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