<1000> ブログ千回目の更新に当たって
水の流れに等しく時の流れはある
その時の流れの中にみな存在する
あなたに大空と大地があるように
彼らにも等しく大空と大地がある
あなたに思いや望みがあるように
彼らにも等しく思いや望みがある
自由は誰もが欲するところのもの
生きる権利はみな等しくあるもの
あなたに任務はあるものながら
特権というものはあり得べくない
彼らにも同じくこのことが言える
如何なる場合も独占めはよくない
それは道理に叶わないからである
このブログ「大和だより~写詩 写歌 写俳~小筥集」は、平成二十三年(二〇一一年)八月十二日の「セリ」の題による「白をもて一面に咲く芹の花」の句をもってスタートし、ほぼ毎日更新を重ね、今日の千回を迎えた。句の「白をもて」は、このブログに際し、「楽は虚に出づ」というがごとく雑念を持たず、白紙で臨むことを自分に言い聞かせる意味を込めたつもりであったが、果たしてその意志通りになったかどうか。甚だ覚束ないことは、千回の内容が示す通りで、諸兄諸氏の受け止めるところである。
また、ブログは、写真、詩歌並びに句、短文をもってコンパクトにまとめることを念頭に始めたが、それが叶えられない難しさが回を重ねるに従ってわかって来たという次第で、短文が短文たり得ず、次の日に続きを載せるといった具合になってしまったことがある。また、詩歌並びに句においては推敲が避けられず、書き変えることが多々起きて来た。一方、写真は文章との整合性の観点からぴったり来ないものも見られるという次第で、迷うことがしばしばあった。
文章というのは長いのも難しいけれど、短いのも、また、字数が限られると難しくなる。ブログの記事はほぼ毎日のことであるから文章を練ることもままならず、次の日に読み返して、誤字、脱字をチックし、文章の繋がりなどを改めるのが精いっぱいで、読者には迷惑をかけているという認識が常である。そんなことも思われるが、内容は大筋変わることではないので、本人としては許してもらえるのではないかと思って続けて来た。
このような次第で、このブログも文字数が増える傾向にあり、ときには、こんな長いものを誰が好んで読むものかと思う気持ちにも陥った。けれども、憲法に関わる現今の政治状況について書き込む記事などは、発信しておく必要性が感じられ、力が入り、ついつい文章が長くなった。つまり、誰も読むものがいなくても、書いておいた方がよいという意識が働くわけである。
今一点、このブログで心がけて来たことは、個人に言及しないということである。友人や知人に関して書きたいことも何回かあったが、個人が特定されることをよしとしないこのブログの趣旨によって、極力そういう情報は避けた。ゆえに、このブログは人事の情報に欠けるところが認められる。これは否めないところで、このブログを読んでもらっている諸兄諸氏には察せられているはずであるが、このブログでは、植物や風景、それに人間以外の動物を表現することによって、そこから人への考察、もしくは人事へのアプローチを試みていることが言える。
このブログは、やれるかやれないか、何処まで続けられるか、一日一題、日々に更新し、千回を目安にして来た。内容はともかく、回を重ねて一応目標を達成したわけで、これを一つの区切りにしてみたいという気持ちでいる。これは、このブログを中止するというのではなく、週に何回かにして、ほかのことに時間を費やしてみたいという気分になっているという次第である。
思うに、このブログを始めて時の経つのが極めて速かった。追われる気分になって苦しむことはなかったが、テーマが支離滅裂な感じに思われることはあった。大別するに、ドキュメント、創作、随想、評論、研究、これらに哲学的思考を加味することを心がけて来たが、どうだったであろうか。今後はペースを緩めて少しずつという気持ちになっている。 果してどうなるか。写真はイメージで、水の流れと青空。