大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2014年05月31日 | 写詩・写歌・写俳

<1000> ブログ千回目の更新に当たって

          水の流れに等しく時の流れはある

       その時の流れの中にみな存在する

                あなたに大空と大地があるように

       彼らにも等しく大空と大地がある

       あなたに思いや望みがあるように

       彼らにも等しく思いや望みがある

       自由は誰もが欲するところのもの  

       生きる権利はみな等しくあるもの

       あなたに任務はあるものながら

               特権というものはあり得べくない

       彼らにも同じくこのことが言える

       如何なる場合も独占めはよくない

       それは道理に叶わないからである

 このブログ「大和だより~写詩 写歌 写俳~小筥集」は、平成二十三年(二〇一一年)八月十二日の「セリ」の題による「白をもて一面に咲く芹の花」の句をもってスタートし、ほぼ毎日更新を重ね、今日の千回を迎えた。句の「白をもて」は、このブログに際し、「楽は虚に出づ」というがごとく雑念を持たず、白紙で臨むことを自分に言い聞かせる意味を込めたつもりであったが、果たしてその意志通りになったかどうか。甚だ覚束ないことは、千回の内容が示す通りで、諸兄諸氏の受け止めるところである。

 また、ブログは、写真、詩歌並びに句、短文をもってコンパクトにまとめることを念頭に始めたが、それが叶えられない難しさが回を重ねるに従ってわかって来たという次第で、短文が短文たり得ず、次の日に続きを載せるといった具合になってしまったことがある。また、詩歌並びに句においては推敲が避けられず、書き変えることが多々起きて来た。一方、写真は文章との整合性の観点からぴったり来ないものも見られるという次第で、迷うことがしばしばあった。

               

  文章というのは長いのも難しいけれど、短いのも、また、字数が限られると難しくなる。ブログの記事はほぼ毎日のことであるから文章を練ることもままならず、次の日に読み返して、誤字、脱字をチックし、文章の繋がりなどを改めるのが精いっぱいで、読者には迷惑をかけているという認識が常である。そんなことも思われるが、内容は大筋変わることではないので、本人としては許してもらえるのではないかと思って続けて来た。

 このような次第で、このブログも文字数が増える傾向にあり、ときには、こんな長いものを誰が好んで読むものかと思う気持ちにも陥った。けれども、憲法に関わる現今の政治状況について書き込む記事などは、発信しておく必要性が感じられ、力が入り、ついつい文章が長くなった。つまり、誰も読むものがいなくても、書いておいた方がよいという意識が働くわけである。

 今一点、このブログで心がけて来たことは、個人に言及しないということである。友人や知人に関して書きたいことも何回かあったが、個人が特定されることをよしとしないこのブログの趣旨によって、極力そういう情報は避けた。ゆえに、このブログは人事の情報に欠けるところが認められる。これは否めないところで、このブログを読んでもらっている諸兄諸氏には察せられているはずであるが、このブログでは、植物や風景、それに人間以外の動物を表現することによって、そこから人への考察、もしくは人事へのアプローチを試みていることが言える。

 このブログは、やれるかやれないか、何処まで続けられるか、一日一題、日々に更新し、千回を目安にして来た。内容はともかく、回を重ねて一応目標を達成したわけで、これを一つの区切りにしてみたいという気持ちでいる。これは、このブログを中止するというのではなく、週に何回かにして、ほかのことに時間を費やしてみたいという気分になっているという次第である。

 思うに、このブログを始めて時の経つのが極めて速かった。追われる気分になって苦しむことはなかったがテーマが支離滅裂な感じに思われることはあった。大別するに、ドキュメント、創作、随想、評論、研究、これらに哲学的思考を加味することを心がけて来たが、どうだったであろうか。今後はペースを緩めて少しずつという気持ちになっている。 果してどうなるか。写真はイメージで、水の流れと青空。

 


大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2014年05月30日 | 写詩・写歌・写俳

<999> 最近の殺人事件に思う

       人をして人を憎しみ人をして人を殺むる 人とは生まれ

 今日の大和は黄砂現象により盆地の平野部から周辺の青垣の山並が霞んでほとんど見えない状態が終日続いた。気温も上昇し真夏日ではなかったかと思われる。今日はこの話ではなく、最近、テレビや新聞をにぎわせている殺人事件について考えてみたいと思う。殺人と言えば、男性がやるものと思われて来たが、最近は男女を問わず殺人に関わっている。これはどういうことなのであろうか。女性も凶暴化しているということか。どちらにしても、この手の事件は世の中を殺伐とさせる。

 人は人ゆえに人を愛し、人を憎む。結果として、ときに人を殺めることも起きる。言わば、人はよかれ悪しかれ人に関わって生きている。否、生きなくてはならないようになっている。犬に噛まれても犬を憎むのではなく、犬の飼い主を憎む。そんなことで、と思う御仁もいるだろうが、ときにはそれが原因で殺人事件も起きる。

 その殺人を思い巡らせるに、人は自身の内にある人をして人を憎しみ、自身の内にある人をして人を殺めるということが思われる。これは、因果の果てというか、誇るべき人に生まれながらというか、その例をみるに、大概は犯人の動機が対人にあることが言える。

                                                           

  犯人は人に生まれず、鳥にでも生まれていたら、人を憎むこともなければ、人を殺めることもなかった。ゲーテは「人間こそ、人間にとって最も興味ある存在であり、恐らくは、また、人間だけが人間に興味を感じさせる存在であろう」(『ゲーテ格言集』高橋健二編訳)と言っている。何というか、事件はいつも人と人との関わりによって生まれるもので、みな哀れを含んでいる。

 もちろん、殺人は極端な現象であるが、その因果の端緒には私たちの日常におけるやりきれない腹立たしさのようなものが少なからず影響してあるのではないかと思われる。この腹立たしさのような感情は誰もが多少は経験するところであろう。で、この腹立たしさのような感情の上に極端な殺人事件も起きるのであって、ゲーテが言うように、人は人ゆえに人に関わり、その因を生むことが考えられる。

 この殺人で、最近、動機のよく理解出来ない事件が増える傾向にあるとされる。なぜ動機があるのに動機が理解出来ないのか。それは、一つに社会が複雑化し、社会自体がその動機について理解しようとしないか、理解したくないという意思を持っているかということで、現代社会がそういう傾向にあるからではないか。

  では、どうしてそういう風な状況になるのか。それは、事件の動機が社会自体に向けられているにもかかわらず、社会とは関係なく、事件が本人自身に起因し、その責はすべて本人にあるとする考えをもって処置しようとするからではないかということが考えられる。本人を異常な人格の特別者にしてそれをもって事件を終わりにするという処方意図がそこにはあることがうかがえる。

  例えば、最近の裁判で被疑者側がよく弁護に用いる手法がある。これを思い起こせばわかる。何かと言えば、犯人の精神的異常性を持ち出し、犯人を異常者(廃人)にしてしまい、ことの始末をつけようとする精神鑑定の傾向が著しいことである。思うに、殺人事件に及ぶような心理状況というのは、ほとんどの場合、尋常ではなく、その一瞬の精神状況は異常に違いない。言わば、異常であるから殺人が出来るということになる。

  これは、被疑者の動機が十分に解明出来ない第三者による裁きの限界を示すものであるとともに、被疑者を異常者(廃人)と決めつけることによって被疑者にとっての最悪の判決を免れる効果が得られるからで、弁護の一手法としてあるとともに、裁判全体の意識の底流に、社会そのものもが社会の病弊たる事件を認めたくないという心理に至り、無意識のうちに事件から逃避したいという意を働かせ、裁判に迫るからではないかということが思われる。

  つまり、事件が個人的事情、特異性に発したもので、社会とは無関係に起きたものであるとする構図の成り立ちを理屈の前提に事件を片付けたいとする意志が働くからだということが思われて来るのである。これは、いわゆる、裁判の妥協的光景で、すっきりしないこともある。裁判は妥協せざるを得ない舞台ではあるが、社会性から言って納得が行かないときもある。最近の事件に思うところつらつら。写真は黄砂現象の大和平野。後方の金剛葛城の山並は全く見えない。

    これやこの 人を憎むも自らの人をしてなす心と言はむ

    憎むこと 憤ること 妬むこと 人は人ゆゑに人に拘る

    人にして人を憎しみ 人にして人を殺むる 哀れの極み

    人ゆゑに人を殺むるその因果 人に生まれてとは人の声

    憎しみの果てと思へるまた殺し 曇天が引き鉄かも知れぬ

    殺めたるものと殺められしもの 二人の間の因縁因果

    人が人を殺めなくてはならぬとは 聞けば哀れな経緯なども

        事件にはいつも臭ひがつき纏ふ 人間臭といふその臭ひ

        事件にはいつも被疑者と被害者に加ふるところその傍観者

 


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2014年05月29日 | 植物

<998> 金剛山のクリンソウ

        ほととぎす 金剛山に 初音聞く

 カメラを持って山歩きをしていると、出会う人に何を撮っているのかと訊かれることがある。望遠レンズと三脚を携帯しているときは「鳥ですか」と訊かれるが、答えは一つ。「花です」と返す。花に望遠レンズは不必要に思われるが、これが役に立つ。山での撮影は自然相手で、花を目撃しても障害があって近づけない場合が結構多く、このとき望遠レンズが役に立つ。

 また、山には木々の花も見られ、木々の花を撮る場合も望遠レンズが欠かせない。ために荷物が重くなるけれども、これを承知で持参する。全く使わず、骨折り損になる場合もあるが、持参してよかったと思うことの方が圧倒的に多い。これは、手を抜いてはいけないという気分にあることにもよるから納得である。撮る花を決めて出かける場合でも、山では思わぬ花に出会うことが多いので無駄になっても持参することになる。

 という次第で、昨日は金剛山に登った。別段目的があったわけではなかったが、登れば何かの花に出会えるだろうと思い三脚と四百ミリの望遠レンズも持参した。やはり、今日も男性登山者に訊かれた。「鳥ですか」と。「花です」と答えたら、いろいろと教えてくれた。で、クリンソウが見ごろだということで、クリンソウの生える場所は知っていたので、案内を乞うまでもなく出かけた。行ってみると、咲いていた。四、五年前に訪れたときよりも株数が増え、一面に紅紫色の花がみごとで、一部に白い花も見られた。既に二組ほど訪れ、花の撮影をしていた。「随分増えたですね」と話しかけると殖やしている人たちがいるという。なるほどとその一面の花群に納得がいったことではあった。

                    

 金剛山に草花の多いのは、一つに草花を大切にする登山者が多いこと。今一つには草を好んで食べるシカの少ないことがあげられる。また、金剛山にはいろんな目的で登る登山者が見られるが、金剛山の登山者ほど草花に詳しい登山者もいないように思われる。どこにどんな花がいつごろ咲くか、よく知っている。花を求めて登る私などは知らない方に属するかも知れない。

  東京で言えば、標高は半分ほどであるが、聞くところ、高尾山(五五九メートル・八王子市)に比することが出来ようか。大阪奈良府県境に位置し、大阪側にはロープウエイがあり、市民の憩いの場として、登山者には老若男女が見られる。私のように、花だけが目的の登山者はさほど多くないと思われるが、花に関心を抱いて登る登山者は多いように感じられる。

  クリンソウはサクラソウ科の多年草で、山地の湿り気のあるところに生える。根際に大きな倒卵状長楕円形の葉を放射状に広げ、その中心から八十センチほどの花茎を立て、五、六月ごろ、その先端部に紅紫色の花を段階輪状に咲かせるので、この名がある。奈良県では自生地が少なくなり、絶滅寸前種にあげられている。写真は群生するクリンソウ。アップは望遠レンズで撮影した。

 


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2014年05月28日 | 植物

<997> トチノキ (栃の木、橡の木)

       黒蝶が 栃の花へと  まっしぐら

 果実を栃餅にするトチノキ科のトチノキは、クルミ科のサワグルミとともに巨木になる落葉高木で、大和では南部の紀伊山地に多く、渓谷沿いでよく見られる。高さが三十メートルほどになる個体もあり、下北山村前鬼のトチノキ巨樹群は名高く、奈良県の天然記念物に指定されている。ちょうど今が花の時期で、山歩きをすると谷筋で見かける

                                                                

  花は掌状複葉の中から二十センチ前後の円錐花序を立て白い小花を多数つけ、樹冠一面に咲くのでよく目につく。雌雄同株で、花序の先端部分に雄花がつき、下部に両性花がつく。果実は球形の果で、熟すと落ちて裂け、それを収穫して、栃餅を作り、上北山村や下北山村では特産品として販売されている。秋には黄葉し、みごとである。

 トチノキの花の時期には、ウツギやミズキ類など白色系の花が多く、蝶や蜂などの昆虫も活発な時期で、花の周辺はにぎやかである。写真には撮り得なかったが、尾根の方から一直線に飛んで来た黒蝶が私の眼前を過って谷筋の向かいに今を盛りに咲くトチノキ(写真=川上村神之谷)に向かって飛んで行った。では、トチノキの花に寄せる句をなお三句。

    そそり立ち 天を指しゐる 栃の花

    栃の花そそり立つなり 意志希望

    栃の木の あたり明るき 花のとき

 


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2014年05月27日 | 万葉の花

<996> 万葉の花 (123)  かには (櫻皮) = ウワミズザクラ (上溝桜)

      桜とは 思へず 上溝桜かな

味さはふ 妹が目離(か)れて 敷𣑥(しきたへ)の 枕も纏(ま)かず 櫻皮纏き 作れる舟に 眞楫(まかぢ)貫き 吾が漕ぎ来れば 淡路の 野島も過ぎ 印南端(いなみつま) 辛荷の島の 島の際(ま)ゆ 吾家を見れば 青山の 其處(そこ)とも見えず 白雲も 千重(ちへ)になり来ぬ 漕ぎ廻(た)むる 浦のことごと 行き隠る 島の崎崎 隈も置かず 思ひそ吾が来る 旅の日(け)長み                                                                          巻 六(942) 山部赤人

 集中にかにはの見えるのはこの長歌一首のみである。この長歌は、詞書に「辛荷の島を過ぐる時に、山部宿彌赤人の作る歌一首」とあるように、反歌三首をともなう羇旅の歌である。「辛荷の島」は竜野市御津町沖に、地の唐荷島、中の唐荷島、沖の唐荷島の小島があり、『播磨風土記』の揖保郡の条に、韓国の船が難破して、これらの島にこの難破船の積み荷が漂着したので、韓荷島と名づけたとあることから、赤人の舟は瀬戸内海のこの辺りに差しかかっていたことになる。この近くには古来より名高い室津の港があり、当時も船旅ではこの港に立ち寄ったのではなかろうか。

 難破するような海域ではないように思われるが、韓国の船は台風にでも遇ったのだろうか。歌をみると、「味さはふ」は目にかかり、「敷𣑥の」は枕にかかる枕詞として用いられ、その意は「妻と別れて、枕もともにせず、櫻皮(かには)を巻いて作った舟に楫を通して漕いで来ると、淡路の野島も過ぎ、印南野のはずれ、辛荷の島の間から振り返って大和の我が家の方を見ると、白雲が幾重にも重なって望まれる。漕ぎ廻る浦々でも、行き隠れる島の崎々でも、絶えず家のことを思いながら来たことではある。旅が長いので」となる。

 赤人は何のために、何処に向かって旅していたのだろうか。柿本人麻呂にも瀬戸内海の旅に関わる歌が残されていて、何か似通うようなところがある。それはさて置き、本題のかにはについて、如何なる樹木を指していうものか。原文では「櫻皮」とあるので、この櫻皮を頼りに考えてみたいと思う。

                                       

 『倭名類聚鈔』(九三八年、源順)によると、「樺」の項に、樺は和名を加波、または加仁波と呼び、炬(かがりび)に用いる木の皮を言うもので、「今櫻皮有之」とあるから、平安時代初期には櫻皮イコール樺と見ていたことがわかる。樺は白樺などカバノキ科の樹種をいうもので、かばともかんばとも呼ばれるが、桜類にも適用していたことが、『倭名類聚鈔』からは察せられる。

 だとすれば、櫻皮は白樺などカバノキ類かヤマザクラ類と見なしてよいように思われるが、白樺などは水に弱いとされ、曲物師が用いる桜の皮はヤマカンバとも呼ばれるチョウジザクラであることから、舟に用いたこの櫻皮ではチョウジザクラ説が有力視されるところとなった。ただ、チョウジザクラは石灰岩の山地に限定分布し、極めて少なく、大きいものでも高さが六メートルほどの小高木で、舟に用いる材としてはどうかということが考えられる。そこで大和をはじめ、西日本に多いウワミズザクラではないかと考えられた。ただ、ウワミズザクラには波波迦(ははか)という古名があり、『古事記』に登場をみる。

 かにはをウワミズザクラとすれば、かにはは波波迦(ははか)ということになる。なお、『古事記』の神話には、天照大神が天の岩屋に籠ったとき、天香具山の朱櫻(ははか)を取って、これを用いて雄鹿の肩骨を焼いて占ったとあり、当時、ウワミズザクラが占いに用いられていたことを物語っている。また、当時においてはウワミズザクラの材の上に溝を彫って、亀甲の占いもしたことから、この占いの上溝(うわみぞ)が訛って、ウワミズになったと言われる。なお、橿原市の香久山の北西麓の天香山神社には、『古事記』の波波迦(ははか)伝承地として、参道脇にウワミズザクラが見られる。 写真は花を咲かせるウワミズザクラ(左)と穂状の花序に白い小花をいっぱい咲かせ、ビンを洗うブラシのように見えるウワミズザクラの花(右)。