大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2013年03月11日 | 万葉の花

<556> 万葉の花(79) すみれ (須美礼)=スミレ (菫)

       そこここに すみれ見てゆく 野辺の道

   春の野にすみれ採(つ)みにと来(こ)し吾ぞ野をなつかしみ一夜宿(ね)にける                                      巻 八 (1424) 山部赤人

   山吹の咲きたる野辺のつぼすみれこの春の雨に盛りなりけり                                                    巻 八 (1444) 高田女王

   茅花抜く浅茅が原のつぼすみれ今盛なり吾が恋ふらくは                                                               巻 八 (1449) 田村大孃

   ―前略―  山びには 桜花散り、容(かほ)鳥の 間なくしば鳴く 春の野に すみれを摘むと 白𣑥の 袖折り返し 紅の 赤裳裾引き 少女らは 思ひ乱れて 君待つと うら恋ひすなり  ―後略―                                                                   巻十七 (3973) 大伴池主

 集中にすみれの見える歌は上記の長歌一首と短歌三首の計四首で、すみれが二首、これは花でなく、摘み草を詠んだ男性の歌である。ほかの二首はつぼすみれで見え、この二首は花を詠んだ女性の歌で、四首すべてが春に詠まれた歌であるのがわかる。

 原文はすべて万葉仮名による須美礼の表記で、つぼすみれのつぼも万葉仮名で都保と表記されている。この表記に対し、『倭名類聚鈔』には「本草云 菫菜俗謂菫葵 上音謹 須美礼」とあり、すみれに菫菜、菫葵の漢字を当て、現在におけるスミレに等しく、菫の字が見て取れる。

 この菫については、中国においてはスミレを指すものでなく、誤用であるという。漢名を当てる場合は、よくあることで、ほかにも、カキツバタの燕子花、アジサイの紫陽花、ハマナスの玫瑰といった具合で、誤認されたまま用いられ、現在に至っているものが結構見受けられる。

                             

 では、まず、摘み草として詠まれている赤人の1424番の短歌と池主の3973番の長歌の「すみれ」について見てみると、スミレは染料に用いるため摘まれたとする見解もないではないが、菫菜と言われるように、菜は野菜を意味する言葉で、スミレが食用にされていたことを示すものと言え、そのために摘んだというのが妥当な見方ではないかと思われる。

 この二首はともに男性の歌で、当時から摘み草は男女、貴賎を問わず、誰もがやっていたことを示す。このことはセリ(芹)に関わる葛城王(橘諸兄)と宮中の女官との間に交わされた贈答歌でも知られるところで、日常茶飯に行なわれ、摘み草に万全の注意が必要なことは毒草の関係で言えることではあったが、男女を交え、結構楽しくやっていたことが、この二首や「うはぎ」の登場する万葉歌などでもよくわかる。

                           

 花を詠んだ二首については、つぼすみれとあり、つぼは壺で、壺は宮中の中庭を指し、庭のようなところに生えるスミレということになるが、女王の歌では「山吹の咲きたる野辺のつぼすみ」と言い、大孃の歌では「浅茅が原のつぼすみれ」と詠まれており、生える場所をはっきりと表現しているので、山地に生えるスミレではなく、野辺に生える種類のスミレであることがわかる。

 スミレはスミレ科スミレ属の多年草で、花の後ろ側に距と呼ばれる蜜の袋を持つ可憐な花を咲かせる特徴があり、春を代表する誰もが知る草花で、世界に四百種以上、日本にも五十種ほど、変種を加えると百種以上が自然分布していると言われ、大和でも三十種前後が分布している。私はこれまでに変種を含め二十六種ほどに出会っているが、平地、つまり、野辺において見られるものとしては、もっとも一般的なタチツボスミレを筆頭に、ノジスミレ、スミレ、ニョイスミレ(ツボスミレ)、コスミレ、ヒメスミレ、ニオイタチツボスミレ、アリアケスミレ、マルバスミレ、アオイスミレなどをあげることが出来る。

 植物学者の牧野富太郎は『万葉集』のつぼすみれについて「野辺ではこのツボスミレ(タチツボスミレのこと)が最も早く咲き、且つ沢山に咲くので、そこで歌人の心を惹きつけたのであろう」と言っている。私もタチツボスミレが大和の野辺のスミレとしてはふさわしいと思われるが、これは推察するところにほかならず、万葉歌の鑑賞に当たる場合は総称のスミレでもよいのではないかという気がする。

 写真は上左からタチツボスミレ、ノジスミレ、スミレ、ニョイスミレ(ツボスミレ)、コスミレ。下左からヒメスミレ、ニオイタチツボスミレ、アリアケスミレ、マルバスミレ、アオイスミレ。いずれも大和の平地部での撮影による。