大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2015年02月28日 | 写詩・写歌・写俳

<1272> 二 月 尽

      ほっこりと 日差しの中の つくしんぼ

 今日は二月尽。明日から東大寺二月堂の修二会本行のお水取りである。奈良では二月初旬の立春よりもお水取りの方が冬から春への季節の移ろいが言われる行事として定着している。所謂、奈良においては二月尽が冬の終わりを告げる日と言ってもよいのではないかと思われる。

      

 朝方冷え込んだが、まことによい天気となり、昼間は三月下旬並みの暖かさになった。明るい陽光の下、川沿いでは河原榛の木が茶褐色の雄花序を垂れ下げ、道端の土手では土筆が顔を出すなど、春の息吹がそこここに感じられた。今日は終末とあって、サイクリングやジョギングなど戸外に出て楽しむ人たちが多く見られた。写真は土手の草むらに姿をのぞかせた土筆(左)と河原榛の木の花。

    走りゆく 人に越さるる 二月尽

    土筆取る人が腰上げ「こんにちは」

    さうだよな何処か行きたし二月尽

    家々も春めき合へる日差しかな

    つくしにはつくしの姿よろこばし


大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2015年02月27日 | 写詩・写歌・写俳

<1271> このごろ思うこと

      移りゆく この世にてあり 生きるとは 自らの夢 汲ましむること

 移り変わって行くことについて、これは近辺においてもうかがえる。五年経ち、十年経ちして、時が積み重ねられてゆくと、その間に様子が変わり、何かのきっかけでそれに気づくということがある。自分に無関係なものであれば、それほど気にならないが、関心のあることには意識が向かい、自分の気分にも影響して来ることになる。よくも悪くも、時の流れは何れにも関わり、自分の上にも影響を及ぼして来る。

 町並然り、日々の生活然り、我が家の周りでも、娘が結婚して家を出たとか、元気だった奥さんが倒れたとか、独り暮らしのお年寄りが介護施設に入って、その家が空家になったとか、ここ数年の間で見てもいろいろな人生模様の中で変化が見られた。ということは、これからの十年を思い巡らせても、今が昔というのは当然のことで、それなりの変化が生じるのであろうことが思われる。

                                                           

 こうした過ぎ行く日々に意識が向かい、感覚されるということは、私がそれなりの年齢に至ったからに違いない。言わば、若い時分には時の移ろいによる外界の変化などにはほとんど気など止めず、高村光太郎の「道程」のように、ただひたすら「僕の後ろに道は出来る」くらいに思って歩いていた。これは「遠い道程」が想起されるからで、それは若者の特権であると言ってよい。だが、この人生の道程に諦観をもって臨む年齢になると、尻込みも来たして来ることになるのは誰にも言えることではなかろうか。

 年齢が高じてこのような境地に至っても、人生は夢の中に違いない。けれども、既に人生の道程は「遠い道程」の認識にはなく、そこに展開されている現実の熱情の中にも諦観のニ文字が絡んで見え隠れしているといった具合である。そして、その諦観の中には多少の経験によって得た教訓のようなものもちらちらとして見え、一日一日が思われたりするのである。

 未来よりも過去の方が遥かに長くなった年齢からして言えば、希望がなくては生きて行くに難しいとは言え、無理なく一日一日を過して行ければよいと、そのようにも思えるところがある。日々を積み重ねて一年一年があるわけであるが、一年の通過儀礼のように、その節目には感謝の念も湧いて来ることになる。そして、二月も明日で終わりであるというふうな感慨も湧いてくるという次第である。

 日々の過ぎて行くのが実に速く感じられる昨今。よいのか、悪いのかは別にして、とにかく、安心して日々の営みが叶えられれば言うことはない。春めく日差しを受けて、枯れ原だった草原がいつの間にか生命の喜びを感じさせる緑になって私の気持ちにも伝わり来るのが今朝の日差しには見られた。これは諦観の身にあっても一つの至福のときを意味する。矛盾しているようであるが、これが生きとし生けるものの営みの現れというものであろう。 写真は雪景色の原っぱと日差しを受けて明るい若草の原っぱ。  枯れ原は 若草色に蘇り 日差しの恵み 汲み入れてゐる

 

 

 


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2015年02月26日 | 写詩・写歌・写俳

<1270> 名 前

      わたくしも あなたも 名を持て 意味を持て 成り立ってゐる この世の中に

 寺山修司は『誰か故郷を想はざる』の中で「神というのも名付親の選びだした一つの名にすぎないのだろう――」ということを指摘して言っている。つまり、神を岩でも空でも最初に名づけたものはどうにでも名づけられたはずであるが、神(かみ)という名をもって神を表し共有した。これは一例に過ぎず、この世のあらゆるものに名付親たちは名をつけ、その名を共有して認識することにより生の営みを成り立たせて来た。

 その名は膨大な量に及び覚え切れないということがあるほか、実物と一致しないということも生じる。この実態は過誤に繋がることであり、共有する認識の妨げになることもあって、コミュニケーションに不都合を生じたり、社会に混乱を招く仕儀に陥るということにも繋がることが言える。

             

 私は山野に草木の花を求めてよく歩くのであるが、実地に出会う花とその花の名が撮影する自分の中で、不明なことがときどきある。このようなときにはなるべく観察を密にし、細部にわたって写真を撮るよう心がけ、後で写真と図鑑を照らし合わせ、その名を判定するようにしている。

 例えば、スミレについて言えば、スミレにもいろんな種類があり、これを見分けることが必要になる。このため、撮影者には撮影するスミレとその固有の名の一致が求められるわけで、こういう事態になったときは、花の色や形に始まり、毛の有無、雌蕊の形、花の後ろに突き出ている雄蕊の距の色や形、花茎が地上茎かどうか、また、葉の色や形ということも調べる必要が生じて来る。

 そして、写真が出来上がるのを待って図鑑と照らし合わせるとい作業になる。それでもあやふやな場合は、このスミレに対しては、固有の名をもって言うことが出来ないということになる。所謂、名というものは正しく用いられて初めてその共有は有効に働くことになるのである。 写真は植物図鑑のスミレの頁と私が撮影したサクラスミレの花。サクラスミレはスミレの女王と呼ばれ、花の色は赤紫色で、サクラの花のように花びらの先端が少し凹む特徴があり、花が他のスミレよりも少し大きいのが特徴としてある。

 

 


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2015年02月25日 | 写詩・写歌・写俳

<1269> 福 寿 草

       福寿草 咲いてる 咲いてる 咲いてゐる

 五條市西吉野町津越の福寿草を見に出かけた。パラボラアンテナのような黄色い花が畑や果樹園の斜面に群がって咲いていた。津越は福寿草の自生地として知られ、奈良県の天然記念物に指定されている。今年は雪が少ないようで、自生地に残雪は全く見られず、草地に咲き出し、そこここに見られた。斜面を辿って行くと、咲いてる、咲いてると、浮き立つような気分になる。今年の花は勢いがあって綺麗に見えた。日当たりのよくないところはまだ蕾が目立ち、これからのようである。

        

 訪れる人はちらほらで、一週間前はまだ花が見られなかったというから、この三、四日の暖かさで一気に咲いたのだろう。光沢のある黄色い花はまことに春を呼ぶにふさわしく、地元の人には待ち遠しい花である。花木では蝋梅が花盛りで、梅や早咲きの桜なども順に咲き出す。半月もすれば、辺りは春の花でいっぱいになる。 写真は咲き盛る福寿草(左)と花のアップ。黄色い雄蕊は雌蕊を囲んでダンスをしているように見える。


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2015年02月24日 | 写詩・写歌・写俳

<1268> 黄 砂

      黄砂にて 朝より霞む 青垣の 覚束なくも 見ゆる山並

 本格的な春の先触れであろうか。今日は黄砂の予報通り、ほぼ全国的に黄砂現象が見られたようである。奈良盆地の大和地方でも朝から黄砂に霞み、終日、青垣の山並が見えないほどの状態だった。近辺ではこのところの暖かさに梅の花がそこここで見られるようになった。黄砂は昔と異なり、人体によくない物質を含む公害の意味合いをもって注意喚起されているが、何しろ発生の源が中国であるので、日本にはどうすることも出来ないところがある。

   

  この公害物質を含む黄砂については、中国の観光客が見せる爆買にも連動していると思われるのであるが、これは中国自身がもっと深刻に考えなくてはならないことである。私たちには、黄砂が春を告げる風情に違和なく浸れるような昔に返して欲しいところである。そのようになれば、中国にとってもハッピーなことだと思うのであるが、その対策がなされずにあるというのはどうしてなのだろうか。中国人観光客による爆買のことについては後日機会があったら触れてみたいと思う。 写真は黄砂に霞む青垣の山並と咲き出した白梅。