大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2022年03月31日 | 植物

<3725> 奈良県のレッドデータブックの花たち(196)ナンゴクミネカエデ(南国峰楓)    ムクロジ科(旧カエデ科)

                      

[学名] Acer australe

[奈良県のカテゴリー]  希少種

[特徴] 山岳高所の日当たりのよい尾根筋などに生える落葉小高木で、高さは5メートルほどになる。葉は直径3~7センチの掌状で、5~7深裂し、裂片の先が尾状に尖り、縁には切れ込みと重鋸歯が見られる。本種は裂片の先が全部尾状に尖るのに対し、仲間のコミネカエデは中央の大きい裂片3個のみが尾状に尖る。1センチ弱の柄を有し対生する。

 雌雄異株で、花期は5~6月。枝の上部葉腋に伸びる花序に黄緑色の小さな花を10個前後つける。本種の花数はコミネカエデより少ないので、花どきには見分けやすい。ときに赤味の強い花もある。実は蒴果。分果は長さ2センチ弱。

[分布] 日本の固有種。本州の岩手県以南から紀伊半島、四国、九州。

[県内分布] 五條市、川上村、天川村、上北山村。

[記事] 大和(奈良県域)では大峰山脈と大台ヶ原の高所(寒温帯域)に生えているが、個体数が少なく、「シカの活動のはげしい地域なので、幼樹が育つかどうか心配される」と奈良県版レッドデータブックはシカの食害を危険要因にあげ、懸念を示している。  写真は若葉と同時に花をつけたナンゴクミネカエデの雄株(左)と赤味を帯びた雌花(右)。

   生きとし生けるものにして思うに

   もっとも大切なものは生命である

   その生命は身と心の総体であれば

   肉体と精神のその健全が求められ

   その健全を第一義となすべきこと

   然るに生の現実ははなはだ厳しく

   次なる状況において問い問われる

   精神が滅びて肉体が維持されても

   肉体が滅びて精神が維持されても

   生においてそれは十分でないこと

   この現実をその身に負うとすれば

   その生は悩みを深かくするに至る

 


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2022年03月30日 | 創作

<3724> 写俳二百句(121)  スミレ

             一花よし群れてまたよし菫草

             

 春本番。サクラ(ソメイヨシノ)は満開に近く、辺りを明るくしている。この時期になると山野ではスミレが一味違った花を咲かせ、山野に赴く私たちを迎えてくれる。行脚の山路越えの道の辺の花を松尾芭蕉は「山路来て何やらゆかし菫草」と詠んだ。人口に膾炙した句であるが、この句のごとく、山路で出会うその花にはこころ惹かれるものがある。

 スミレといっても、いろいろあってそれはバラエティ―に富み、わが国には五十種ほどが分布すると言われ、変種を含めるともっと多く、自然の山野を誇る大和地方でもいろんな種類のスミレが見られ、私も二十種以上の花に出会って写真にして来た。ここではその中の身近でポピュラーな七種について写真で紹介したいと思う。

   すみれとはいい名ですねすみれちゃん

 スミレの名は距(きょ)を有する花が大工さんの用いる墨壷(墨入れ)に似るので、この「墨入れ」からスミレになったと一説にある。異説もあるようであるが、とにかく、その可憐な花とスミレの名はピッタリマッチして覚えがいい。このため女性の名に用いられることがある。というので上記の句。とにかく、スミレはゆかしい草花で、冒頭の句。

 写真は左からもっともポピュラーな淡紫色の花をつけ群生することが多いタチツボスミレ、濃い紫色の花を咲かせるスミレ属の総称スミレと同じ固有名で知られるスミレ中のスミレ、民家の石垣の間などに見られるかわいい花で、この名があるヒメスミレ、ツボスミレの別名でも知られ、少し湿気のあるところに生え、白い花をつけるニョイスミレ、日当たりのよい草地で見かけるスミレに似た花をつけるが、葉が立つスミレに対し、葉が横向きになる傾向があるノジスミレ、田畑の畦などに群生して白い花を咲かせ、群れて咲くことが多いアリアケスミレ、山路でよく見かける長三角形の葉の裏が紫色をし、この名があるシハイスミレ。


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2022年03月29日 | 植物

<3723> 奈良県のレッドデータブックの花たち(195)ナンゴククガイソウ(南国九蓋草)  オオバコ科(旧ゴマノハグサ科)

                               

[学名] Veronicastrum japonicum var. australe

[奈良県のカテゴリー]  絶滅寸前種(環境省:絶滅危惧Ⅱ類)

[特徴] 日当たりのよい落葉樹林や針葉樹林帯の岩場や草地に生えるクガイソウの変種で知られる多年草で、茎は直立し、高さ80~130センチ。葉は長楕円状披針形から楕円状披針形となり、先は尖り、縁には鋸歯が見られる。クガイソウとほぼ同じく、葉柄はなく、数段に輪生してつく。

 花期は7~8月で、茎頂に穂状の総状花序を出し、淡青紫色の花を密につける。花冠は長さが数ミリの筒状で、先が4裂し、雄しべ2個と糸状の雌しべの花柱1個が花冠より長く伸び出す。花は下から順次咲き、結実する。クガイソウとの違いは、花序軸が無毛であることと、葉の幅がこころなしか広いこと。

[分布] 日本の固有種。本州の紀伊半島、中国地方、四国、九州。

[県内分布] 上北山村と天川村の大峰山脈稜線部。

[記事] 大和(奈良県域)では自生地も個体数も極めて少なく、奈良県のレッドデータブックは「シカによる被食も危険要因の1つである」としている。なお、本種もクガイソウ同様、食用や薬用に用いる。薬としては根茎を利尿、リュウマチ、関節炎等に用いる。

 写真は岩場の草地で花を咲かせるナンゴククガイソウ(左・大峰山脈高所)と虫媒花らしく花にアサギマダラやシロチョウ、ハナバチの仲間が来ていた(右・無毛の花序軸が見える)。

   万物は

   如何なるものも

         みな

   何らかの役目をもって

   存在している

 


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2022年03月28日 | 写詩・写歌・写俳

<3722> 野鳥百態(45) 幸せの光景

      幸せとは望みに向かい

    その望みが叶えられること

    ささやかな望みでも

    その望みが叶えられること

    意識 無意識にかかわらず

    幸せの光景とは

    日ごろ 日常坐臥において

    その望みがふんわりと

    そこここに見られ

    そこここで叶えられ

    感じられてあること

               

 生きるということは望みに向かって存在すること。この望みは千差万別、個々それぞれながらすべての生きものが持っていると想像される。言い方を変えれば、欲望という言葉が思い浮かんで来る。みんなが生きているこの世の世界では自分の望み(欲望)を叶えようとすることが起きる。これは必定で、この必定にあっては往々にしてほかの生きものの望み(欲望)と対立し、互いに阻害することも起きる。となれば、阻害された生きものは当然のこと不快になる。ということで、こういうことも起きるのでこの世の生の世界は複雑であるが、個々の生におけるところの幸せを思い巡らせるに、幸せとは生きて行く上に生じて来る望み(欲望)が叶えられることにあることが思われる。

 この幸せをいま少し思い巡らせてみると、生におけるもっとも基本的な望み(欲望)は生きて行く上に必須の食欲であろうことが考えられる。食欲は生の根本にあり、日々のことで、これを叶えることは幸せの基本と言ってよい、とそう思える。これは人間のみならずほかの生きものにも当てはめて言える。ロシアの軍事侵攻によって破壊され、日常生活が奪われたウクライナの人々を思うに、生活の中で食料が満足に得られないという状況が生じている。この状況をして言えば、最も基本的な幸せが奪われたということになる。

 これは人間世界の一断面であるが、野鳥に目を向けてみると、そこにも生における食欲の光景が日々に展開され、それぞれがそれぞれに食欲に向かい過しいているということがわかる。この光景はそれぞれながら一途で、それなりに食欲を叶えている。これはまさに野鳥たちにとって幸せなことで、その一途な姿はそれを観察している私の目に幸せな光景として映る。そして、結論的に思うに、幸せは自らが感じ得るもの、ということになる。

 写真は小鳥たちの実を啄む幸せな光景。左からヘクソカズラの実を嘴に挟むメジロ、ナワシログミの実を啄むヒヨドリ、コナラのドングリを脚で抑え食べるシジュウカラ、カシの実を嘴にするヤマガラ。

 


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2022年03月27日 | 写詩・写歌・写俳

<3721> 野鳥百態(44)  換 羽

            生きものは自らが接する環境に適応する努力を重ねながら生きている

    野鳥たちが見せる換羽による羽毛の更新もその一端と見なせるだろう

  鳥は羽毛に被われている。この羽毛は自身の保温と保護、それに、美しく見せたり、強く見せたりするなどの役目を担い、ほとんど常に身に纏い暮らしている。この羽毛は成長並びに季節によってその一部または全部が抜け替わり、生え替わる、所謂、更新が行われるようになっている。この羽毛の生え替わりは鳥によってさまざまで一定しないようであるが、これを換羽(かんう)という。

                  

 季節によるこの換羽では、春夏の夏羽と秋冬の冬羽があるようで、春夏秋冬の四季の中で、年に二回行われるということになるのだろう。もっとも換羽は一定せず、間隔が長い鳥もいるようである。どちらにしても換羽による羽毛の更新は鳥たちにとって欠かせないもので、これによって鳥たちは自らの身をよく保ち暮らしているということになる。

 ここではアオサギの冬と夏の姿を写真で見てみたいと思う。よくはわからないが、冬の姿は冬羽なのだろう。左の写真は一月二十七日の寒中の撮影。寒い日で、まんまるに膨れ上って寒さの中に蹲っていた。一方、右の写真は六月八日に撮影したもので、こちらは蒸し暑い日だった。翼を半開きにして、その身は直立し、暑さを凌いる感があった。隣の葦原では頻りにオオヨシキリが囀っていた。多分、纏っているのは夏羽だろう、黒い頭上の飾り羽の冠毛が少し見える。 写真はアオサギの冬の姿(左)と夏の姿(右)。