大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2017年10月30日 | 植物

<2132> 大和の花 (357) アブラススキ (油薄)                                       イネ科 アブラススキ属

                  

 高さが1メートル前後になる多年草で、山野に生える。葉は長さが40センチから60センチの線形で、下部の葉では長い柄がある。花期は8月から10月ごろで、茎頂に長さが20センチから30センチの円錐状の花序を出し、花序には糸状の枝がまばらに輪生する。枝は垂れ気味になり、枝の中ほどより上部に小穂がつく。小穂は長さ6ミリほどで、長い芒(のぎ)が小穂の外に突き出る。

 日本全土に分布し、国外では、朝鮮半島から中国、インドまで見られるという。大和(奈良県)でも山野の道端などで見かける。よく似たものにオオアブラススキ(大油薄)やヒメアブラススキ(姫油薄)がある。アブラススキの名は茎や花序の軸に粘液が出て臭気があり、油を塗ったように見えることによる。 写真はアブラススキ(右端の写真は果期)。   濡れ落葉汝の亡骸見届けたり

<2133> 大和の花 (358) コメススキ (米薄)                                      イネ科 コメススキ属

                    

 世界的に分布するコメススキ属の一種の多年草で、日本では亜高山から高山帯の日当たりのよい岩場や砂礫地に自生する。別名はエゾヌカススキ(蝦夷糠薄)。大和(奈良県)では大峰山脈の高所部に見られるが、生育場所が限られ、個体数も少ないことから奈良県ではレッドリストの希少種にあげられている。写真の個体は修験道のメッカで知られる天川村の山上ヶ岳(1719メートル)山頂付近の岩場で撮影したもの。風雪の厳しい風衝地の群落だったが、堅牢な岩に守られている感があった。

 草丈は15センチから60センチほどで、葉は長さが5センチから15センチほど、幅は5ミリから15ミリほどで細い線形。花期は7月から8月ごろで、根生する葉の間から茎を直立させ、先端に花序を出し、紫褐色の小穂をまばらにつける。小穂は長さが4ミリから6ミリ程度で、芒が見られ、中に小花を有する。この小穂が米粒に似るのでこの名がある。 水の色冷たさ増して秋深む

<2134> 大和の花 (359) セイバンモロコシ (西蕃蜀黍)                                イネ科 モロコシ属

                

 地中海沿岸地方原産の多年草で、戦後間もなく渡来し、全国的に広まった外来の帰化植物である。風媒花らしく、風通しのよい草原や川の土手筋などに進出し、地中に強い根茎を伸ばして群生する。大和(奈良県)でも近年急激に広まり、いたるところで普通に見られるようになった。殊に奈良盆地の中央を流れる大和川の堤防で群生しているのを見かける。

 草丈は大きいもので2メートルほど。葉は長さが20センチから60センチの線形で、ススキのようにはざらつかず、先端は垂れ気味になる。花期は8月から10月ごろで、茎頂に円錐状の花序を出し、花序の枝はほぼ輪生し、枝の上半部に無柄と有柄の小穂が対につく。小穂は紫褐色で、花の時期には群生地を染める。なお、その名のセイバン(西蕃)は中国から見た西南域の辺境の地を言う差別語とされる。これは本種が世界的に帰化し、悪名高い畑の強害雑草として知られていたためにこのような名がつけられたのかも。モロコシは雑殻の蜀黍のこと。 写真はセイバンモロコシ。左は大和川の堤を被い尽す花穂群。右は花序の穂。

  秋天や今日といふ日の恵みかな

 

 


大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2017年10月29日 | 写詩・写歌・写俳

<2131> 余聞、余話 「 所 感 」

         変革は時代の要請つまりその時代に生きるものたちに負ふ

 最近、書店が消えている。殊に地方においてその傾向があるようで、私が住んでいる町でも、二軒あった書店がこの一、二年の間に相次いで姿を消した。利用する人が少なくなり、立ちゆかなくなったからだろう。その原因は幾つか考えられるが、その一番は活字がパソコンやスマートフォン(スマホ)などの機器に奪われ、書籍に向かう人が少なくなったことがあげられる。殊にスマホの普及が大きく関わっていると思われる。

  スマホはインターネットに連動した携帯電話で、知りたい情報をはじめ所有者の欲求に対し即座に応えてくれる万能機の趣を有している頼り甲斐のあるメカである。この掌サイズの小さな箱一つを持っていれば、知りたいほとんどの情報をこの箱が即座に叶えてくれる。で、本を読む時間もこの箱に費やすというのが現代人のスタイルになり、今様のこの箱は現代人の必需のものとなり、手放すことが出来ないという状況になっている。殊に若い人にその傾向が顕著に見られる。 

 所謂、この電子の箱が紙の書籍によるところの読書時間を奪い、現代人に読書離れを起こさせている。電車の中の乗客の様子を見れば、それがよくわかる。猫も杓子もスマホに向かっている。二宮金次郎は本を読みながら薪を背負って歩く姿が手本のように立像になって学校の庭などに立っていた。これが昔のスタイルであるが、昨今の状況は専ら歩きスマホの姿であって、よく見かける。だが、これは危なく、注意がなされるというほどである。という次第で、以前に比して電車の中で本や新聞を読んでいる人は明らかに少なくなっている。この電車内の乗客のスマホ使用の光景は書店利用者の減少に通じていると考えられる。

  今一つは、これもインターネットの影響によるところで、書籍の購入がインターネットの通信販売(通販)にシフトして来たこと。つまり、通販の利用が普通に行なわれるようになったことで、書店をあまり利用しなくなった。これは通販の利用がたやすく出来るシステムの構築がなされ、社会全般に行き届き、誰もがこのシステムを利用することが出来るようになり、わざわざ書店に足を運ばなくても書籍の入手が出来るようになった。これはどこで買っても同じ商品である書籍の商品としての特質に負うところがある。という次第で、このインターネット通販の便利さが書店の利用者に影響をもたらした。どちらにしても、この書店の閉鎖の状況にはインターネットの普及が大きく関わっているということが出来る。

                                                                  

  このほど、紙による書籍の状況の指標とも言える岩波書店の『広辞苑』が十年ぶりに改訂され、来年一月に七版が発売されると発表されたが、昭和三十年(一九五五年)より六版までの累計部数が1100万部に及ぶと言われるから辞書を必要とする国民の十人に一人の割合でこの国語辞書は普及していることになり、書籍の状況を物語ると言えるが、インターネットによる通信の自由化によるスマホやパソコンの影響は大きく、今回の改訂七版の部数は以前よりも少なくなると見られている。これは電子辞書の普及が影響していると思われる。

  とにかく、紙の活字離れはいよいよ深刻化している観が地方における書店の閉鎖状況には見て取れるところがある。しかし、これも時代の流れ、あるいは時代の変革というものが思われるところで、この時代というのは時代人が負っているから、誰に文句をつけられるものでもないことが言える。けれども、こうした状況には一抹の淋しさも感じられて来る次第である。

    新刊の歌集に指紋つけしまま買はざりしかば春宵の犯

 嘗て私はこのような歌を作ったが、こういう心持ちも遠い昔の懐かしい思い出となるのかも知れないと思えて来たりする昨今ではある。 写真は私が愛用して来た『広辞苑』(昭和四十四年改訂の第二版)と『国語辞典』。ともに岩波書店であるが、辞書は岩波の信頼により長く愛用して来た。手垢の著しい『国語辞典』は常に使って来たことを物語るが、いざというときには『広辞苑』の出番となる。それにしても製本のしっかりしている質のよいことが思われる。

 

 


大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2017年10月26日 | 植物

<2128> 大和の花 (354) アシ (葭・蘆・葦・芦)                                     イネ科 ヨシ属

         

 河川や池沼、海辺などの水辺や湿地に生える高さが2メートルから3メートルほどになる大形の多年草で、太い根茎が長く這い広がって群生し、よく広大なアシ原を形成する。茎(稈)は緑色を帯びた中空の円柱形で、節間が長く、分枝せず、直立する。葉は長さが20センチから50センチの線形で、縁はざらつき、茎を抱いて互生する。花期は8月から10月ごろで、茎頂に長さ15センチから40センチの円錐状の花序を出し、淡紫色を帯びる多数の小穂に小花がつき、花序を形成する。これがアシの花穂で、花穂は花が終わっても残存し、枯れアシ原に靡く。

 アシは世界の温帯から熱帯の湿地に広く分布し、人々との接触が密なため、世界の各地でアシに関わる言葉や逸話が残されているという特異な存在の植物として知られる。日本の歴史においては、まず、『古事記』の天地開闢神話に登場し、「葦牙(あしかび)のごとく萌え騰(あ)がるものによりて成れる神」として宇摩志阿斯訶備比古遅神が見え、最初に造り出された国土を「豊葦原瑞穂国」と称したとある。

  アシの語源には諸説あるが、この『古事記』の神話に基づく初めの意による「ハシ」に由来するとの説がまずある。海に囲まれた国土の日本は、河川や池沼も多く、各地に水辺があり、アシの生える領域が広く見られ、太古のころからアシが豊富に生え、このことが豊かさの象徴だったことが、国造りの神話である『古事記』にはよく表されていると言ってよい。

 アシは日本最初の詞華集である『万葉集』の52首に詠まれ、集中に登場する植物中の上位にある万葉植物である。その中の1首に「葦辺ゆく鴨の羽がひに霜ふりて寒き夕は大和し思ほゆ」(巻1-64・志貴皇子)とあるように、冬の渡り鳥であるカモやツルといった大形の水鳥と抱き合わせに詠まれた歌が見られ、当時の自然がアシの風景とともにあったことを想像させる。

 アシはヨシとも呼ばれるが、これはアシが悪しに通じ、縁起が悪いので、善しのヨシと呼ぶようになったと言われ、地名にもそれが現われている。難波では芦原(あしはら)だが、江戸では葭原(よしわら)と呼ばれ、幕府公認の遊郭が出来、移転して吉原と呼ばれたという。これは難波も江戸も当時アシの広い群落地が形成されていたからで、悪しと善しの言葉に関わり、気にしないタイプの難波っ子と気にするタイプの江戸っ子の気質をもアシは問わしめているところがうかがえる。

 中国ではアシを成長の段階に合せ、芽出しのころのものを葭(か)、成長半ばのまだ穂に出ないものを蘆(ろ)、成長して穂の出たものを葦(い)と呼んでいたことが、中国の本草書『本草綱目』(1596年・李時珍著)に見える。また、漢方薬としても知られ、蘆根(ろこん)の生薬名で、根茎を煎じて利尿、吐き気止めなどに用いて来た。また、若芽を食用に、成長した茎は日避けの葭簀にしたりパルプの原料に用いて来た。

 一方、西洋にもアシの話は多く、中空の茎を利用して笛などの楽器にした。例えば、ギリシャ神話には、牧神パンに追われた妖精シュリンクスがアシに変身し、それを見届けたパンがそのアシを刈り取ってアシ笛を作ったという話がある。また、聖書にもアシはよく登場し、例えば、『新約聖書』の「マタイによる福音書」には、十字架に架けられたイエスにブドウ酒を含ませた海綿をアシの棒につけて飲ませようとした話が出て来る。近代になってからは、パスカルが『パンセ』の中で述べた「人は自然の中で最も弱い一本のアシに過ぎない。しかし、それは考えるアシである」という有名な言葉を遺している。

 アシ原が広く見られた大阪府ではアシを府の花にしている。葭簀の材にされる琵琶湖畔のヨシの成長を促すヨシ焼きはよく知られるところであるが、最近、アシが水質浄化によいということで、アシの自然環境に役立つ有用植物としての認識がなされているという。 写真はアシ。左から群生して靡く葦の時期の花穂群、花穂のアップ、葭の時期の姿(若芽は食べられる)、蘆の時期のアシ原。初夏のこの時期になるとウグイス科のオオヨシキリがやって来て、頻りに鳴き立て、巣づくりをし、子育てをする。

    人生は愛がテーマの物語何を愛するかだと思へる

 

<2129> 大和の花 (355) ツルヨシ (蔓葦)                                                イネ科 ヨシ属

                      

 アシと同様水辺に生える大形の多年草で、日当たりのよい河川や谷川の流れの傍などに群生するのが見られる。吉野川のような大きい河川では中流から下流域にヨシが生え、上流域にツルヨシがうかがえる。言わば、ツルヨシは支流域に姿を見せる植生ということになる。

  高さは1.5メートルから2メートルほどで、その草丈は小さい個体のアシと同じくらいである。葉は20センチから30センチの線形で、先が垂れ、アシと間違いやすいが、地表を這う長い匐枝が特徴で、その匐枝の節ごとに白い毛が生えているので見分けられる。アシと同じく群生するが、匐枝の節から地中に根を下ろし、新しい株をつくって群落を広げる。

 川の上流域ではこのツルヨシが最も水の流れに近いところに生え、そこを占有しているのがうかがえる。匐枝は5メートル以上に及び、根はしっかり地をつかんで、増水時も押し寄せる濁流の猛威に耐える。この特徴をもってジシバリ(地縛り)の別名もあるが、キク科にもジシバリ(地縛り)が見られるので紛らわしい。

  花期は7月から9月ごろで、茎頂に長さが30センチ前後の円錐状の花穂を出し、1センチ前後の紫褐色の小穂を多数つけ、小穂には3個から4個の小花がつく。ツルヨシはススキやアシと同じ、風を頼りの風媒花で、風通しのよいところを選んで生える傾向も見られる。

  北海道から沖縄まで日本のほぼ全土に分布し、国外では朝鮮半島から中国、台湾、シベリア東北部まで見られるという。大和(奈良県)では吉野川の最上流域に当たる高見川の支流、四郷川などでその群落が見かけられる。 写真は流れのすぐそばで群生し花穂を見せるツルヨシ(左)とツルヨシの葉で休む水辺に棲息するハグロトンボ(右)。   秋の日や大和も文化の香に匂ふ

<2130> 大和の花 (356) セイコノヨシ (西湖の葦)                                        イネ科 ヨシ属

                                     

 川岸や海岸などの水辺や湿地に生える大形の多年草で、分枝することなく、直径2センチほどの太い茎(稈)は直立し、高さが4メートルに及ぶものも見られる。葉は長さが40センチから70センチの線形で、質が硬く、互生してアシのように先端が垂れることなく、左右交互に斜上するので、アシとはこの点で見分けられる。

 花期は8月から10月ごろで、茎頂に長さが30センチから70センチになる花穂を円錐状に多数出し、1センチに満たない紫褐色の小穂を連ねる。本州の関東地方以西、四国、九州、沖縄に分布し、国外では中国をはじめ、世界の暖温帯から熱帯に広く見られるという。

 セイコノヨシ(西湖の葦)の和名は、中国・杭州市の名所として知られる西湖に因むもので、海水から真水に移行させた西湖には、その昔からセイコノヨシが多く見られたのだろう。別名はセイタカヨシ(背高葦)で、この名は草丈の高いことによる。

  これらの名から帰化植物と見られがちであるが、外来種ではない。茎(稈)が長く太いので利用価値があるように思われるが、葭簾の端に用いられて来た程度だと言われる。 写真はセイコノヨシ。砂地の河原を埋め尽くすほどの花穂群(左)と日差しを受けて白く輝く花穂(右)。ともに大和川の中流域で写す。   人生は百年それも叶はぬを思ひの丈の櫓を漕ぎゐたる

 

 


大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2017年10月25日 | 写詩・写歌・写俳

<2127> 余聞、余話  「 姿を見せたジョウビタキ 」

       ほらあそこあの鳥影は上鶲

 台風一過の昨日、二十四日、馬見丘陵公園の雑木林でジョウビタキ(上鶲)を見かけた。目線の先の低木の枝にちらちら動くものがあったので、よく見るとジョウビタキのメスだった。素早くカメラをセットし撮影した。高い木のてっぺんではモズが鋭い声で縄張りを主張し、シジュウカラ(四十雀)数羽が鳴きながら忙しく梢から梢へと渡って行くのが見られた。

                                      

  公園の池には冬の使者であるカモなどの水鳥はまだ一羽も姿を見せていないが、そのうち飛来するだろう。そんな水鳥に先がけて冬の渡り鳥ジョウビタキが姿を見せたのである。オスも来ているのだろうが、メスにしか出会えなかった。それにしても季節は次へと巡っている。冬鳥であるジョウビタキの姿はそれを示している。それにしても、ジョウビタキの円らな目は可愛らしい。

 なお、ジョウビタキはツグミ科の小鳥で、夏場は繁殖地のシベリアや中国東北部、沿海州などで過し、冬になると日本など南の国に渡り越冬する。所謂、冬の渡り鳥で、十一月ごろ渡って来るが、早いものは十月に姿を見せる。人里によく現われ、あまり人を恐れず、冬場には人家の庭などにも来て寒々とした植木の枯れ枝などに止まっているのを見かける。

  雌雄ともスズメ大で、オスは額から背、肩羽が黒色、腰、上尾、腹部が濃い赤錆色で翼の白い紋が目立ち、派手な姿である。メスは体の上面が赤錆色を帯びた灰褐色、下面が淡黄白色を帯びた淡褐色で、暗褐色の翼にはオスと同じような白い紋が見られる。 写真は姿を見せたジョウビタキのメス(左)とシジュウカラ(右)。いずれも馬見丘陵公園。 

 

 

 


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2017年10月22日 | 植物

<2124> 大和の花 (351) ススキ (芒、薄)                                            イネ科 ススキ属

           

 日当たりのよい陽地を好む大形の多年草で、各地の山野に自生して見える。高さは1メートルから2メートルほどになり、株をつくって群生することが多く、草原の優先種として樹木の伐採跡地などにいち早く生え出し、群落を形成する。樹木が生えて日陰が出来るとススキは衰えるので、ススキ原では日陰をつくる丈の高い樹木が生え出さないようにし、ススキの生育を促すため、毎年山焼きを行なう。

  茎(稈)は緑色の円柱形で節があり、中空になって直立する。葉は長い線形で、50センチから80センチほどになり、硬く、先が尖り、縁には細かい鋸歯があって、素手で触れると切り傷を負うことがあるので気をつけなくてはならない。葉の基部は鞘になって茎を抱き、互生する。花期は8月から10月ごろで、茎頂に長さが15センチから20センチの10数個の短枝を有する黄褐色の散房状の花穂をつける。これが所謂ススキの穂で、花穂にも節があり、節ごとに2個の小穂がつく。小穂は長さが3.5ミリほどの披針形で、基部には小穂の1.5倍ほどの白毛が多数生え、先端部には小穂の3倍ほどの芒(のぎ)が見られる。

  ススキは典型的な風媒花で、花に匂いはなく、蜜も出さず、色も地味に出来ている。雄しべは3個で、熟すと垂れ、雌しべは1個で、花柱は2個に分れ、風に運ばれて来る花粉を受け止めやすくしている。結実後も実は裂開せず、種子は小穂の長毛とともに風を受けて飛散するようになっている。日を受けて銀白色に輝くススキの穂波は花の時期が過ぎて結実をみる果期のころの姿である。

  ススキの名はすくすく育つキ(草)の意とか、神楽に用いる鳴りものの鈴の意の鈴木の転とか、或いは芒(のぎ)があって凄まじい植物ゆえの荒々木(すずき)によるとか、諸説がある。漢名は芒で、薄は「草の聚(あつま)り生ずる」意により特定の植物を指すものでなく、ススキ一種に当てるべきではないと言われる。だが、慣習によってススキには今もこの薄の漢字が用いられることが多い。

  ススキは昔から身近にあって、暮らしに取り入れられ、親しまれて来た植物で、別名や地方名も多いが、その中でもよく知られるのがオバナ(尾花)とカヤ(萱・茅)で、オバナは花穂をキツネのような獣の尾に擬えた名として見え、ススキの中では特に花穂の見られる状態にあるものに当てられる。一方のカヤはススキ(芒)、チガヤ(茅)、スゲ(菅)、アシ(葦)、オギ(荻)などと同じく、刈り取って屋根を葺くことによる刈り葺き屋の「り」と「ふき」を省いて生まれた名であるという。このため、カヤは草の字の訓にも用いられて来たが、萱葺き屋根の一番はススキなので、材としてのススキをカヤと呼ぶようになったと言われる。

  昔は萱葺きの屋根が多く、ススキの需要が十分にあり、各地にススキを産する萱場のススキ原が見られた。この萱葺きは縄文時代からあったと言われるが、近年に至って生活様式や住宅の変化にともなって減少し、屋根に用いるススキの需要が少なくなり、萱場のススキ原も消滅して行かざるを得ない状況に陥り、今日では古民家や文化財用に細々と生産されるに至って、ススキ原は観光資源としての活用にウエイトが置かれるようになっている。

  このように古来よりススキは有用植物として大切にされ、萱葺き屋根のみならず、ほかにも家畜の飼料、燃料、住宅の壁代(かべしろ)、炭俵、草履、縄、箒、簾、箸、串、手漉き和紙の簀(す)などに利用され、薬用としても根茎を解熱、利尿の剤に用いて来た。だが、これらも、手漉き和紙の簀(す)などがわずかに残る程度で、一般家屋にも見られた萱葺き屋根と同様、生活の近代化など時代の変遷によって失われて行った。

  また、ススキは日本人に愛され、親しまれて来た植物で、生活用具に止まらず、『万葉集』をはじめとし、文芸、美術、工芸などにも秋の景物として描かれるなど用いられ、和の文化に大いなる貢献を果して来た。万葉植物として山上憶良の「萩の花尾花葛花瞿麦の花女郎花また藤袴朝顔の花」の歌以後、秋の七草として愛でられるようになり、清少納言の『枕草子』には「秋の野のおしなべたるをかしさは、すすきこそあれ」と褒められ、古来より秋を代表する花として、中秋の名月に供えられるなど日本人の伝統的な生活に深く関わって来た。

  また、一つには農作物の豊作を願う儀礼植物の一面も見られ、大和(奈良県)では御所市の夏と秋に行なわれる「すすき提灯」が知られところ、また、広陵町の戸閉祭(とたてまつり)の山車(だし)の屋根にはヒノキを削って作られた総が飾られるが、この総も豊作を願う魔除けのススキから来ているものと察せられるところがある。

  とにかく、ススキは日本の各地のほか南千島、朝鮮半島、中国などアジアの温暖帯に広く分布し、北米にも帰化していると言われるほどで、繁殖力の旺盛さで知られる。とともに、有機物の乏しい痩せ地にも平気で生え出す強さをもっているため、荒地植物でもあり、ススキによってその地の植生や土壌状態を知ることが出来る指示植物としても認められている。

  という次第で、山国である大和(奈良県)には昔からの萱場を含め、ススキの名所が見られ、奥宇陀の曽爾高原を筆頭に、大和葛城山、天川村の観音峰展望台、上北山村の和佐又山、奈良市の若草山などが知られるところである。なお、若草山のススキは変種のイトススキ(糸芒・糸薄)で、これについては次回に触れたいと思う。なお、若草山や曽爾高原でお馴染みの山焼きはススキの保持、成長を促す春先の風物詩である。 写真は左から曽爾高原のススキ原。株をつくって花穂が立つススキ。ススキの花穂。花穂のアップ(黄色い雄しべの葯は花粉を出し始めている。白毛は見えない)。 風渡る 渡るたびごと白銀(しろがね)の波打つ薄原の海原

<2125> 大和の花 (352) イトススキ (糸芒、糸薄)                                   イネ科 ススキ属

           

 ススキ(芒・薄)の変種で、ススキよりも葉が細いのでこの名がある。草丈はススキの半分ほど、1メートル前後になる。葉は幅が5ミリ程度の狭線形で、あまり横に広がらず、立つようにつくので、どちらかと言えば、固まって見える。花期は8月から10月ごろで、ススキと同じような花穂をつける。花穂にもススキより繊細な感じを受ける。

 北海道から沖縄まで日本全土に自生し、国外では朝鮮半島から中国、台湾、南千島と広範囲に見られるという。大和(奈良県)では奈良市の若草山の群落がよく知られるが、登山者の増加やシカの食害のほか、街路樹に導入されたナンキンハゼ(南京櫨)の進出等にも影響され、その群落は減少している。奈良県版のレッドデータブックには若草山のイトススキ群落は消滅寸前にあるとして保護の必要性が訴えられている。

  若草山のイトススキは、大和(奈良県)にとって珍しく、希少な植生で、奈良の風物詩になっている山焼きに欠かせない存在としてあり、消滅は大きな損失と考えられるが、天然記念物のシカの重要性と美しい街路樹であるナンキンハゼの存在との関係にあっては、その調整の難しさがあり、悩まされるという次第で、若草山に登るとその状況が目撃される。

 写真は若草山のイトススキ。左から株立ちして輝く花穂(後方は御蓋山)、咲き始めの花穂(後方の大屋根は東大寺大仏殿)、みごとな花穂群、ナンキンハゼの進出によって圧迫される群落の姿(ともに後方は春日山原始林)。  秋は来ぬ朝は温かなるミルク

<2126> 大和の花 (353) オギ (荻)                                                   イネ科 ススキ属

         

 河原のような水辺に生える草丈が1メートルから2.5メートルほどになる大形の多年草で、根茎が長く横に這い広がり、ススキのような株をつくることなく、這う根茎の節々から茎(稈)を立ち上げて、ときには河川敷を埋め尽くすほど大きな群落をつくる。葉は長さ50センチから80センチほどの線形で、茎を抱き、先端は垂れ気味になる。

  花期は9月から10月ごろで、茎頂に花序を出す。花序はススキより大きく、長さが25センチから80センチほどになり、枝も多く、多数の小穂をつける。小穂にススキのような明らかな芒(のぎ)はなく、長さが小穂の2倍から4倍の軟らかな毛が密生する。これがオギの花穂で、花穂にはふさふさとしたボリューム感がある。河原一面のこの花穂群が日を受けて銀白色に輝くところはススキに劣らずみごとである。

 オギ(荻)はよく似るアシ(葦)やススキ(芒・薄)とともに万葉植物で、アシと同じ水辺に生え、よく似るので、万葉歌には、「妹なろがつかふ河津のささら荻あし(葦)と一言語り寄らしも」(巻14-3446)という歌が見える。難解な歌であるが、ささら荻を共寝の床と意訳すれば、その意は「あの子がいつも使う川の渡し場に生える気持ちのよいすばらしいささら荻なのに、それを世間の人たちは葦(悪し)、即ち悪い草だと言って噂している」というほどになり、葦は女性を連想させる。この歌はこのように読み解かれているが、ここにはオギとアシが混同されがちな植物であるということが、前提にあると言ってよい。

 これについては、時代が下って南北朝時代に出された連歌集の『菟玖波集』(二条良基選著)に「草の名も所によりて変はるなりなには(難波)のあし(葦)はいせ(伊勢)のはまをぎ(浜荻)」という歌と関連して来る。この歌の成立はよく似たアシとオギの生える場所が同じ水辺によるからで、この歌から今一度『万葉集』に立ち帰ると、「神風の伊勢の浜荻折り伏せて旅寝やすらむ荒き浜辺に」(巻4-500・碁檀越の妻)という歌が見え、詠まれている「浜荻」はアシ(葦)ということになる。

 野生の花を撮り続けている私としては、確かに花穂の出始めのころのオギはアシと似るところがあるが、それよりも、オギはススキ属の仲間で、ススキとの混同が気になるところである。実際、昔の写真集では、オギをススキと見ている風景写真にも出会うといった具合である。ススキとオギの違いは、オギでは株立ちせず、花穂の小穂に芒(のぎ)の見られない点をあげることが出来る。

 北海道から本州、四国、九州に分布し、国外では、朝鮮半島から中国北部、ウスリー地方に見られるという。大和(奈良県)では吉野川や大和川の中流域でその群落は見られる。ススキほどの利用来歴はないが、屋根を葺いたり、箒に用いられたりして来た。オギの名は花穂の特徴によるとする説が多いが、はっきり言えるほどの説はない。荻は漢名。 写真はオギ。左から川原一面に広がる群落の花穂、花穂のアップ(ともに大淀町付近の吉野川)、夕陽を受けて映える果穂(斑鳩町)。   夕陽燃えみな染められて秋の色