<2124> 大和の花 (351) ススキ (芒、薄) イネ科 ススキ属
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日当たりのよい陽地を好む大形の多年草で、各地の山野に自生して見える。高さは1メートルから2メートルほどになり、株をつくって群生することが多く、草原の優先種として樹木の伐採跡地などにいち早く生え出し、群落を形成する。樹木が生えて日陰が出来るとススキは衰えるので、ススキ原では日陰をつくる丈の高い樹木が生え出さないようにし、ススキの生育を促すため、毎年山焼きを行なう。
茎(稈)は緑色の円柱形で節があり、中空になって直立する。葉は長い線形で、50センチから80センチほどになり、硬く、先が尖り、縁には細かい鋸歯があって、素手で触れると切り傷を負うことがあるので気をつけなくてはならない。葉の基部は鞘になって茎を抱き、互生する。花期は8月から10月ごろで、茎頂に長さが15センチから20センチの10数個の短枝を有する黄褐色の散房状の花穂をつける。これが所謂ススキの穂で、花穂にも節があり、節ごとに2個の小穂がつく。小穂は長さが3.5ミリほどの披針形で、基部には小穂の1.5倍ほどの白毛が多数生え、先端部には小穂の3倍ほどの芒(のぎ)が見られる。
ススキは典型的な風媒花で、花に匂いはなく、蜜も出さず、色も地味に出来ている。雄しべは3個で、熟すと垂れ、雌しべは1個で、花柱は2個に分れ、風に運ばれて来る花粉を受け止めやすくしている。結実後も実は裂開せず、種子は小穂の長毛とともに風を受けて飛散するようになっている。日を受けて銀白色に輝くススキの穂波は花の時期が過ぎて結実をみる果期のころの姿である。
ススキの名はすくすく育つキ(草)の意とか、神楽に用いる鳴りものの鈴の意の鈴木の転とか、或いは芒(のぎ)があって凄まじい植物ゆえの荒々木(すずき)によるとか、諸説がある。漢名は芒で、薄は「草の聚(あつま)り生ずる」意により特定の植物を指すものでなく、ススキ一種に当てるべきではないと言われる。だが、慣習によってススキには今もこの薄の漢字が用いられることが多い。
ススキは昔から身近にあって、暮らしに取り入れられ、親しまれて来た植物で、別名や地方名も多いが、その中でもよく知られるのがオバナ(尾花)とカヤ(萱・茅)で、オバナは花穂をキツネのような獣の尾に擬えた名として見え、ススキの中では特に花穂の見られる状態にあるものに当てられる。一方のカヤはススキ(芒)、チガヤ(茅)、スゲ(菅)、アシ(葦)、オギ(荻)などと同じく、刈り取って屋根を葺くことによる刈り葺き屋の「り」と「ふき」を省いて生まれた名であるという。このため、カヤは草の字の訓にも用いられて来たが、萱葺き屋根の一番はススキなので、材としてのススキをカヤと呼ぶようになったと言われる。
昔は萱葺きの屋根が多く、ススキの需要が十分にあり、各地にススキを産する萱場のススキ原が見られた。この萱葺きは縄文時代からあったと言われるが、近年に至って生活様式や住宅の変化にともなって減少し、屋根に用いるススキの需要が少なくなり、萱場のススキ原も消滅して行かざるを得ない状況に陥り、今日では古民家や文化財用に細々と生産されるに至って、ススキ原は観光資源としての活用にウエイトが置かれるようになっている。
このように古来よりススキは有用植物として大切にされ、萱葺き屋根のみならず、ほかにも家畜の飼料、燃料、住宅の壁代(かべしろ)、炭俵、草履、縄、箒、簾、箸、串、手漉き和紙の簀(す)などに利用され、薬用としても根茎を解熱、利尿の剤に用いて来た。だが、これらも、手漉き和紙の簀(す)などがわずかに残る程度で、一般家屋にも見られた萱葺き屋根と同様、生活の近代化など時代の変遷によって失われて行った。
また、ススキは日本人に愛され、親しまれて来た植物で、生活用具に止まらず、『万葉集』をはじめとし、文芸、美術、工芸などにも秋の景物として描かれるなど用いられ、和の文化に大いなる貢献を果して来た。万葉植物として山上憶良の「萩の花尾花葛花瞿麦の花女郎花また藤袴朝顔の花」の歌以後、秋の七草として愛でられるようになり、清少納言の『枕草子』には「秋の野のおしなべたるをかしさは、すすきこそあれ」と褒められ、古来より秋を代表する花として、中秋の名月に供えられるなど日本人の伝統的な生活に深く関わって来た。
また、一つには農作物の豊作を願う儀礼植物の一面も見られ、大和(奈良県)では御所市の夏と秋に行なわれる「すすき提灯」が知られところ、また、広陵町の戸閉祭(とたてまつり)の山車(だし)の屋根にはヒノキを削って作られた総が飾られるが、この総も豊作を願う魔除けのススキから来ているものと察せられるところがある。
とにかく、ススキは日本の各地のほか南千島、朝鮮半島、中国などアジアの温暖帯に広く分布し、北米にも帰化していると言われるほどで、繁殖力の旺盛さで知られる。とともに、有機物の乏しい痩せ地にも平気で生え出す強さをもっているため、荒地植物でもあり、ススキによってその地の植生や土壌状態を知ることが出来る指示植物としても認められている。
という次第で、山国である大和(奈良県)には昔からの萱場を含め、ススキの名所が見られ、奥宇陀の曽爾高原を筆頭に、大和葛城山、天川村の観音峰展望台、上北山村の和佐又山、奈良市の若草山などが知られるところである。なお、若草山のススキは変種のイトススキ(糸芒・糸薄)で、これについては次回に触れたいと思う。なお、若草山や曽爾高原でお馴染みの山焼きはススキの保持、成長を促す春先の風物詩である。 写真は左から曽爾高原のススキ原。株をつくって花穂が立つススキ。ススキの花穂。花穂のアップ(黄色い雄しべの葯は花粉を出し始めている。白毛は見えない)。 風渡る 渡るたびごと白銀(しろがね)の波打つ薄原の海原
<2125> 大和の花 (352) イトススキ (糸芒、糸薄) イネ科 ススキ属
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ススキ(芒・薄)の変種で、ススキよりも葉が細いのでこの名がある。草丈はススキの半分ほど、1メートル前後になる。葉は幅が5ミリ程度の狭線形で、あまり横に広がらず、立つようにつくので、どちらかと言えば、固まって見える。花期は8月から10月ごろで、ススキと同じような花穂をつける。花穂にもススキより繊細な感じを受ける。
北海道から沖縄まで日本全土に自生し、国外では朝鮮半島から中国、台湾、南千島と広範囲に見られるという。大和(奈良県)では奈良市の若草山の群落がよく知られるが、登山者の増加やシカの食害のほか、街路樹に導入されたナンキンハゼ(南京櫨)の進出等にも影響され、その群落は減少している。奈良県版のレッドデータブックには若草山のイトススキ群落は消滅寸前にあるとして保護の必要性が訴えられている。
若草山のイトススキは、大和(奈良県)にとって珍しく、希少な植生で、奈良の風物詩になっている山焼きに欠かせない存在としてあり、消滅は大きな損失と考えられるが、天然記念物のシカの重要性と美しい街路樹であるナンキンハゼの存在との関係にあっては、その調整の難しさがあり、悩まされるという次第で、若草山に登るとその状況が目撃される。
写真は若草山のイトススキ。左から株立ちして輝く花穂(後方は御蓋山)、咲き始めの花穂(後方の大屋根は東大寺大仏殿)、みごとな花穂群、ナンキンハゼの進出によって圧迫される群落の姿(ともに後方は春日山原始林)。 秋は来ぬ朝は温かなるミルク
<2126> 大和の花 (353) オギ (荻) イネ科 ススキ属
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河原のような水辺に生える草丈が1メートルから2.5メートルほどになる大形の多年草で、根茎が長く横に這い広がり、ススキのような株をつくることなく、這う根茎の節々から茎(稈)を立ち上げて、ときには河川敷を埋め尽くすほど大きな群落をつくる。葉は長さ50センチから80センチほどの線形で、茎を抱き、先端は垂れ気味になる。
花期は9月から10月ごろで、茎頂に花序を出す。花序はススキより大きく、長さが25センチから80センチほどになり、枝も多く、多数の小穂をつける。小穂にススキのような明らかな芒(のぎ)はなく、長さが小穂の2倍から4倍の軟らかな毛が密生する。これがオギの花穂で、花穂にはふさふさとしたボリューム感がある。河原一面のこの花穂群が日を受けて銀白色に輝くところはススキに劣らずみごとである。
オギ(荻)はよく似るアシ(葦)やススキ(芒・薄)とともに万葉植物で、アシと同じ水辺に生え、よく似るので、万葉歌には、「妹なろがつかふ河津のささら荻あし(葦)と一言語り寄らしも」(巻14-3446)という歌が見える。難解な歌であるが、ささら荻を共寝の床と意訳すれば、その意は「あの子がいつも使う川の渡し場に生える気持ちのよいすばらしいささら荻なのに、それを世間の人たちは葦(悪し)、即ち悪い草だと言って噂している」というほどになり、葦は女性を連想させる。この歌はこのように読み解かれているが、ここにはオギとアシが混同されがちな植物であるということが、前提にあると言ってよい。
これについては、時代が下って南北朝時代に出された連歌集の『菟玖波集』(二条良基選著)に「草の名も所によりて変はるなりなには(難波)のあし(葦)はいせ(伊勢)のはまをぎ(浜荻)」という歌と関連して来る。この歌の成立はよく似たアシとオギの生える場所が同じ水辺によるからで、この歌から今一度『万葉集』に立ち帰ると、「神風の伊勢の浜荻折り伏せて旅寝やすらむ荒き浜辺に」(巻4-500・碁檀越の妻)という歌が見え、詠まれている「浜荻」はアシ(葦)ということになる。
野生の花を撮り続けている私としては、確かに花穂の出始めのころのオギはアシと似るところがあるが、それよりも、オギはススキ属の仲間で、ススキとの混同が気になるところである。実際、昔の写真集では、オギをススキと見ている風景写真にも出会うといった具合である。ススキとオギの違いは、オギでは株立ちせず、花穂の小穂に芒(のぎ)の見られない点をあげることが出来る。
北海道から本州、四国、九州に分布し、国外では、朝鮮半島から中国北部、ウスリー地方に見られるという。大和(奈良県)では吉野川や大和川の中流域でその群落は見られる。ススキほどの利用来歴はないが、屋根を葺いたり、箒に用いられたりして来た。オギの名は花穂の特徴によるとする説が多いが、はっきり言えるほどの説はない。荻は漢名。 写真はオギ。左から川原一面に広がる群落の花穂、花穂のアップ(ともに大淀町付近の吉野川)、夕陽を受けて映える果穂(斑鳩町)。 夕陽燃えみな染められて秋の色