2016/09/14 記
--------------
懇話会は無事に終わった。
ボランティア支援は、被災地の復興住宅に被災者が入居した時点でおわる。そこから先は、地元活動に受け継がれるが、コミュニティ形成は根気のいる活動となるため、十年単位のような長期支援となると、難しいものがある。しかし入居高齢被災者が更に歳を重ね孤立していくことに、危機感を感じている。カバーするには専門職の人員不足であり、また彼らには人とつながり友として付き合えるわけではないために、高齢者が必要とする人のつながりが補充できない限界がある。そこに求められるボランティア像を語ってもらった。
また、災害によって負傷したり、家族喪失のような深い心の傷から障がいを抱えることになった「被災障がい者」の支援の必要の話や、復興住宅の空き部屋に対する東日本大震災被災地自治体の対応と、阪神淡路大震災の復興住宅の空き部屋についての神戸市の事情の違いが話題になった。
中高生などの若手の仕事についての話もあった。これは大学生の話だが、「何もしない支援」という仮設・復興住宅空き部屋に一定期間学生が住み込み、入居者と交流支援を行う方法は、高齢者の生きがい作りにもなっている。自治会活性化にもつながり、いい方法だと思うという話も提案された。
語りきれない難はあったものの、全体として有意義な時間となった。牧さん、感謝。
以下は、牧さんへのお礼メールだ。個人がわかる部分は、一部カットしてあるが、ご覧あれ。
---- ここから ----
牧 秀一 様
昨日は取りとめもないテーマにお付き合いいただき、ありがとうございました。訪問支援の命である「人の交流」の大切さ、その方法についても印象深いものがありました。
テーマの大切さで様々な医療・ケア関係者の方々が出入りしますが、ある方には響いても、自分の領域を越える話題には戸惑ってしまう、その戸惑いこそ会の狙いなのですが、そんなこんなで、なかなかうまくいっていません。
今回のお話は、高校教員に聞かせたかったということが一点、長期支援の必要性ということは、支援活動をしているボランティア関係者に聞かせたかった。これがもう一点です。
懇談という形式は、本当に氷山のようです。語りは局所的であり、ランダムに変容しますから、重ねていくことが大事で、おのずと水面下が見えてきます。すべてを語るという欲を捨て去ると、逆に各人が内面補間していくことがわかります。
牧さんを戸惑わせてしまったのではないかと思いますが、参加しているメンバーは、しゃべらせたら何時間もしゃべっている方が大半です。だから突然重いテーマの「孤独死」も振っていただきましたが、受け止めていると思います。前言からすれば矛盾していますが。あえてまとめない。触発された話を持ち帰ってもらえばいいのです。おのずとつながっていくと思います。
勝手なことばかり申しましたが、価値ある時間をいただきました。ありがとうございました。
飛田 拝
---- ここまで ----
夜間傾聴>ひとり
(校正1回目済み)