湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネ学習的就労支援活動・災害ボランティアの実践を書き溜めていきます。

5/27 パンフレット「今後の災害ボランティアのふたつの道について」本文

2012-05-28 06:08:52 | 引きこもり
パンフレット「今後の災害ボランティアのふたつの道について」が完成した。
本文を掲載する。





☆☆☆「今後の災害ボランティアのふたつの道について」☆☆☆
「わーく」編集部

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~はじめに・衰退する災害ボランティア活動の現状について~
(資料に見る現状) GW被災地ボランティア 7割減

●「2012年5月9日 読売新聞岩手版」


~環境整備・産業復興支援活動と並ぶ生活支援の道を作る~

**被災地滞在型ボランティアと受け皿企画の貧困**
もともとボランティア活動とは、他者・公共のために自主的に行動することが基本とされてきた。言い変えると、「受け皿があるところで参加か否かという自由」を自主性として、「受け皿枠の中の工夫」を創造性として営んできた。ところが、環境整備や地場産業復興支援と異なる家庭生活の支援と、ひとの心、孤立を防ぎ喜怒哀楽をともに分かち合う活動が必要とされるに至って、受け皿のデザインを手がける必要が出てきた。

ところがボランティア自身が「受け皿」を意識していないために、この議論はなかなか進展しない。状況を変革するためには自覚的なメンバーの生活支援プロジェクトを立ち上げ、受け皿の拡張を見通した試行と経験交流を早急に進める必要がある。ひとつは個別の社会的課題にとりあえず手探りでも応えていくこと。もうひとつは、皆が参加しうるような「生活支援活動のスタイルを生み出す事」ここに自覚的に取り組むことだ。

**被災地滞在型支援の場合**

 滞在型支援は、ふたつの場合を分けて考える必要がある。ひとつは「移住や長期滞在をベースにするもの」で、地元の方との個別交流を育てられる利点がある。従来の環境整備や地場産業復興支援と同じく、各地域の支援者連絡会(ネットワーク)を通じて協力体制を作り、そこを通じて地元行政や実務者組織と協力関係を作っていく。また非被災地からの支援の、地元への仲介とガイドの役割を担える立場になる。
 ここで注意すべきことは、遠野まごころネットの中でも議論された「生活支援活動」は、他の領域の活動と連絡を保ちつつも「別個に活動連携していった方がいい」ことだ。環境整備や地場産業復興支援活動は、いわば「がんばり」で結びつく「公的な顔」の活動であり、「子育て・介護・保健医療・高齢者/障がい者のQOL向上・食事保証etc.」の家庭生活をめぐる「私的な顔」でつながることが基本になる。それゆえに、非常にデリケートな面を持っている。以下は失敗の事例である。訪ねればいいというものではない。


(資料に見る現状2 背景)高齢者の崩れる心身/
被災者自身による巡回相談支援員制を開始


●2011年10月14日・朝日「孤独 忍び寄る危機」

●「(資料に見る現状3素人訪問) 仮設訪問 半数は「拒否」」


**生活の個別支援拡張と寄り添いの必要さ**
――― 「何のための訪問なのだろうか」被災したことで、家庭にはさまざまな問題が起きている。

家族や財産、仕事の喪失という問題は、高齢の方には簡単に「再建」とはたたない。避難所生活の後遺症で心身の衰えが起き、当人の生存感の衰退が深まるのみならず、熟年の方にも介護の負担がのしかかっている。若い方では、母子家庭が矛盾の頂点となるような、子育てと仕事・介護の両立、障がい者の方の社会的居場所の喪失などが、被災という状況のなかで複合化し、先鋭に問題化している。

特に注意が必要なのは、親しい方が身近におらず、家族のみに人間関係が閉じている方の孤立化であり、被災ストレスによって許容値の狭くなった家族の間の諍(いさか)いから、外部の助けを得られないような社会的隔離状態を作らないことが大事だ。

見ず知らずの他人が突然のりこんできて、「さあ、悩みを話せ」といわれても、話せるはずがない。例え元気な方でも、他人にはいえない悩みや孤独を抱えている場合もある。家族の前では話せない抑圧した思いを抱いている被介護者もいる。食事会や喫茶に出て「元気」「大丈夫」の言葉を聴くことが苦痛な方もいる。そういう孤立する人々、特に単身高齢者、お荷物視される障がい者・認知症者、狭い仮設の部屋で逃げ場の無い嫁姑の対立のあるお嫁さんの闇というように、深い悩みは支援の隙間に落ちてしまう、本来生活支援の中心にあるべき方々への支援は、正面突破は論外、や集団交流だけでは解決しない。

顔見知りの方と作業をすることによって、孤立感を克服する試み、食事会・喫茶も大事な生活支援だ。しかし、集団による何気ないいたわりや態度に苦痛を感じるひともいる。

つまり、ひとつの処方箋で解決できないのが生活再建だ。しかし、支援員制度が、個人の内面に割り込むようなことになっては、問題が大きい。この状況を突破していけるのは、集団に疲れた人の「生活の個別支援と寄り添い」のプログラムを立て、実行することである。散歩・通院・買い物等の寄り添い、旧居
住地域の友人との再会のバックアップ等々。

密室のような環境ではなく、散歩中の対話
と傾聴のように、言葉が出るのを身近で受
けとめていけばいい。集会所プログラムや
共同作業のプログラムと連携して、効果を高めていく。

**被災地に中継点を作る場合**
災害ボランティアが生活支援に取り組む際、困ることは被災者の方々と以前からの知り合いではないことから、距離感に悩むということがある。滞在・移住型支援と異なり、短期間、支援者の余暇を使った支援ということになると、個別支援という領域は、地元実務者または滞在・移住型支援のカウンセリング経験者という範囲に限定されてしまう。
短期支援者には無理な領域ということになってしまうのだろうか。

これは個別支援企画が未だ検討の歴史が浅いからだ。他の支援活動よりも明確な形で、専門職の助言が必要となるチーム的な活動を基盤にすることが要求される。複数の支援者が、無計画に同じ被災者の方に接点を持とうとすれば、被災者の方の迷惑以外の何者でもないことになる。しかし直接的なカウンセリングでないならば、短期支援者の入り込む余地はある。ただその采配を地元実務者に任せるのは、煩雑さと重責が重なり現実的ではない。精神障がい研究のなかで検討されているACT(包括的地域生活支援プログラム Assertive Community Treatment)に準ずるようなチームサポートの枠をアレンジしていくことが現実的だと思われる。

つまり短期支援者は、ここのチームが準備する活動をチームの一員として実行し、結果を返してもらうという形だ。散歩・通院・買い物等の寄り添い、旧居住地域の友人との再会のバックアップ・生花の個別配達等々という形で実践し、その人との対話や様子を口頭で報告してもらい、要注意の方には、その後の地元サポートに委ねていく。(実務者数の圧倒的な不足は承知の上だが。)

この個別支援活動チームが地元の受け皿となり、支援活動の中継点となる。生活支援の中の個別支援活動は、より組織的な関わりを前提として拡張していく。個別支援活動チームは、短期支援者の参加の機会を広げるために、喫茶や食事会・手芸などの見守り支援のセクションとして、支援者の入口をつくっておくべきだろう。
  

**非被災地における被災地生活支援の場合/「民間交流」へ**
非被災地における生活支援活動の場合、一般の方は、被災地の家族の実情のイメージがないうえに、個人の生活に立ち入ることへの抵抗感があるため、支援活動をつくる必要があっても、なかなか活動自身が立ち上がらない。また協力したいと思っても、手立てが見えない。

この壁を超えて、災害ボランティア活動の生活支援への拡張を拓く鍵は、「仮設生活の不自由さへの同情」のような浅いレベルに留まるものではなく、「失われた家族」と「断ち切られた未来」という重圧を課せられた家族と、「奪われた余生」という悲しみや虚しさを抱える高齢者の、いつ自分自身にも降りかかるやもしれぬ事態という気づきと理不尽さに立ち向かう共感を、「家族と人生」という観点から、呼びかけられるような活動はできないものだろうか。

被災直後のチラシ配布やカンパ活動への通行人の暖かい支援を思い浮かべている。それはマスコミ報道の影響の同情と単純に解してしまえるものではない。そこには、実家や出生地の惨状、知人・友人・親戚の被災と窮状という自分に連なる想像力が働いていた。

被災地に生活する人々の現状を届ける優れた活動としては、写真展・ドキュメント映画上映会などのビジュアルな情報提供や、一対一の絵葉書文通などがある。しかし状況をしっかりと伝える試みは、「ひとの交流」にあるだろう。インターネットメディアを使ったTV会議なども使えるが、私たち非被災地の代理経験メッセンジャーとして、高校生・地元大学生を被災地に送ったり、手の空いた大人の被災者や実務者を招待したりする試み、「民間交流」を組織し、「ナイター」ではないが膝を交えた懇談を積み上げていくことが、小さな試みのように見えるが、実は大きな意味を持ってくる。

この「民間交流」は、交通費・宿泊費というようなコストの壁が出てくる。このとき初めて「被災地産商品の販売」を伴って費用負担軽減を図る活動として行なう。今までの被災地産物品販売活動は、純益を復興支援にと呼びかける活動だったが、せちがらいという批判も有ろうが、旅費捻出のためと訴えていく。勿論助成金も申請

具体的な「旅費実費」捻出販売をうたっても、「民間交流」懇談会実現のためと目的を明示して「商品販売」すれば、実費の一部補助となる。大事なことは、この交流で得たことを皆に企画に載せて還元していく。その意味で文通は文化習慣に馴染まない場合もあるが、「葉書絵」は間口が広い。文字媒体ゆえの深さも見込める。このときの文通は、実名と実名の交流だ。寄せ書き提供のような集団対手段ではない、より心のひだにふれ、気持ちの吐露につながる個人と個人の文通を組織する。

**民間交流紙の発行**

 地元の声の交流を図る。地元の各地災害ボランティア共有の交流紙を発行する。被災者の仕事と家庭の状況が浮かぶものにしたい。裏面は被災者の日常紹介の記事というフォーマット。PDFファイルの形で各団体に提供し印刷配布してもらう。要望や生の声の取材は各地域を巡回する団体や駐在員が行う。特徴的なことは、災害ボランティアの共有通信紙であること。諸行事企画レポートを載せるための交流紙ではなく、各号テーマは持っていても、身辺情報・家族情報を主軸におく。

取材した被災者の交流会との関連を密に保つ。

**茅ヶ崎市防災活動への参加**

 東日本大震災の体験を地元還元していく活動に参加し、組織力を高めるために積極参加したほうがいい。「わーく」編集部では

・災害初期誘導員制度の提唱
・QR―IDカードの発行と利用

のふたつの提案を茅ヶ崎市防災対策課に提案している。詳細は別の機会に。

eof.
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