2010/11/20 記
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母がうなまぶしが食べたいと言い出した。うな重といわないところがなんともひっかかるのだが、母いわく、どのみち一口しか食べられないからだという。こうして私のけんちん汁は抹殺されたのだが、「食べたい」と言い出したとき、母の体調は要警戒なのだった。
19日は父の老健に行く約束の日。レンタル衣類代の支払いや、冬物の持ち込み衣料届け、車椅子散歩の準備が進んでいた。また、介護度が4から3に下がったため料金が変わり、加えて介護保険料改正で、料金があがることになるために、その変更の話を聞きにいかなくてはならなかった。
だから、母の突然の申し入れには、父の老健の帰りに平塚で待ち合わせで解決することになった。この「平塚待ち合わせ」ということが曲者で、自宅から平塚駅改札口まで「めまい」やダンピングを起こさないで済むかは、賭けでもあった。相模大野のグリーンホール駆け込みのような事態は再現したくなかった。
今回の巡回は昼間、相模大野が1件、海老名が1件だった。ひとりは彼の中退した出身校に立ち寄る必要があったが、これは授業担当の**さんが行くことになった。巡回を終え、帰り道は、私は海老名から厚木経由で北側から平塚の老健に寄ることにし、この選択が、今回成功したのだった。バス路の田舎道、今回異様な渋滞で、あとから聞いたところによると、細い工場地帯の町中の路上で、トラックの荷崩れ事故が起きたため、バス路線上下線とも通行止めになっていたのだ。路線を逆からはいったことで、事故地点を通らないで済んだのだった。
しかし渋滞は渋滞、予定を40分遅れて到着したので、早い日の入り、空が暗くなり始めて、父の車椅子散歩は中止となった。偶然は重なるもので、私の到着時、老健の入口も救急車が止まっており、入所者の女性が運び出されるところだった。隣接の所属病院には担当科の医師がおらず、別の病院に運び出されるところだった。事務室は騒然としていて、父の費用の支払いは出来たものの、新しいプランの確認は延期。月末にもう一度行くことになった。
話を聞くと、父は風呂場で指示無視の立ち上がり歩行事件を起こし、倒れる寸前に担当者が取り押さえる出来事が起きていた。その方向には何も無いのに、電車が来たと言ったという。認知症の進行を思わせる話だが、私が会った父は力が無くなった感があるが、極めて意識明瞭で、一応軽い会話は問題が無かった。担当者の話によると相変わらず他の入所者との交流は無いが、予定の先取り行動が出てきており、自分の始末に対する意識は強いという。認知症フロアなので、友人が出来ないのもやむ終えないことだった。母の近況を父に話したが、父の意識の中では祖母がまだ生きていた。
時間を早めに切り上げて、事務室に立ち寄って事故の復旧具合の話を聞いた。現場検証が終わって、片付けていたとマイクロバスの運転手から話を聞いているとのこと。渋滞はだいぶ解消していたが、問題は母である。携帯電話をかけてもバッグの底に入れてしまうので電話に出ないことが多く、時間通り平塚駅に着く必要があった。事故地点を通らない別路線まで歩くことにした。競歩で20分。この選択も当たりだったのだ。駅前も軽い混雑。到着が約束の時間の5分過ぎ。無事母と出会うことが出来た。
食事も帰宅も無事に済んだと思っていたら、母は帰宅時トイレに駆け込んでしまった。動悸がひどく、その場で座り込んでしまった。何かを食べたいと要求したときは、用心しなくてはいけなかった。夜の巡回を入れないでよかったのだった。
母のベッドを整え、母をベッドの縁に座らせた。寝かせないのは、ふたたび嘔吐を催したとき、ベッドから離れる時間がかかるので、様子見の間、ベッドに布団を折りたたんだ山を作って座位を保持する、もたれかかり部分を作った。
私の自分のベッドはくしゃくしゃである。夜中に限界がくると休止に飛び込んで横たわる、その状態のままなのだ。私の知り合いのIT屋さんも、親の在宅介護をしている。かれはベッドを持っていない。仕事の合間に毛布にくるまって、ソファーで睡眠。夜間のおしめ交換を担当している。しかし彼は40代、私は60代(なりたて)である。活力が違うよなと相手に言っているが、ベッドを使うだけいいじゃないですかと、妙な持ち上げ方をされている。父は夜間、いつの間にか階段上にいた。階段転倒との格闘技が、そのままのベッド放置の癖をつけてしまっていた。私はバツイチである。文句言う連れ合いももういない。私は介護という怪物に食われたなと思いつつ、やり残したことはやりきっておきたいと願っている。
昨夜は奇妙に夜間傾聴の予約メールが来なかった。静かな夜が過ぎていった。梅永雄二氏の「発達障害の人の就労支援ハンドブック 自閉症スペクトラムを中心に」を読み終え、炭谷茂氏の「ソーシャルインクルージョンと社会的起業の役割 地域福祉計画推進のために」に移った。炭谷氏の交渉、著作の読み直しが絶対に必要。交渉難航中。
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トリエステの日本縦断講演は、私が参加した東京講演が一番時間が短かったらしい。横浜講演はどうだったのだろうか気になる。精神病院を廃止し、地域センター通院型のインクルーシブな環境づくりの件は、興味がある。しかし今度の講演もそうだが、聴衆の設定をいつも誤っていると感じる。イタリアは精神病院の廃止を既に実現している。その発火点がトリエステの活動だった。実現には時間が流れている。その実践経過を知りたいのに、初めてトリエステを知るビギナー向けに企画されてしまうので、新しい情報が入らない。何のために来日してもらっているのかわけがわからないのだ。この手の来日企画はいつも的外れを経験する。なんとかならないものかと思う。
トリエステ精神保健局から「トリエステ精神保健サービスガイド : 精神病院のない社会へ向かって」が出ている。2006年に出たものだが、神奈川県の図書館にも複数在庫がある。予約を入れておいたが、しばらくは配本されないだろうなと諦めている。
夜間傾聴:なし
(校正2回目済み)
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母がうなまぶしが食べたいと言い出した。うな重といわないところがなんともひっかかるのだが、母いわく、どのみち一口しか食べられないからだという。こうして私のけんちん汁は抹殺されたのだが、「食べたい」と言い出したとき、母の体調は要警戒なのだった。
19日は父の老健に行く約束の日。レンタル衣類代の支払いや、冬物の持ち込み衣料届け、車椅子散歩の準備が進んでいた。また、介護度が4から3に下がったため料金が変わり、加えて介護保険料改正で、料金があがることになるために、その変更の話を聞きにいかなくてはならなかった。
だから、母の突然の申し入れには、父の老健の帰りに平塚で待ち合わせで解決することになった。この「平塚待ち合わせ」ということが曲者で、自宅から平塚駅改札口まで「めまい」やダンピングを起こさないで済むかは、賭けでもあった。相模大野のグリーンホール駆け込みのような事態は再現したくなかった。
今回の巡回は昼間、相模大野が1件、海老名が1件だった。ひとりは彼の中退した出身校に立ち寄る必要があったが、これは授業担当の**さんが行くことになった。巡回を終え、帰り道は、私は海老名から厚木経由で北側から平塚の老健に寄ることにし、この選択が、今回成功したのだった。バス路の田舎道、今回異様な渋滞で、あとから聞いたところによると、細い工場地帯の町中の路上で、トラックの荷崩れ事故が起きたため、バス路線上下線とも通行止めになっていたのだ。路線を逆からはいったことで、事故地点を通らないで済んだのだった。
しかし渋滞は渋滞、予定を40分遅れて到着したので、早い日の入り、空が暗くなり始めて、父の車椅子散歩は中止となった。偶然は重なるもので、私の到着時、老健の入口も救急車が止まっており、入所者の女性が運び出されるところだった。隣接の所属病院には担当科の医師がおらず、別の病院に運び出されるところだった。事務室は騒然としていて、父の費用の支払いは出来たものの、新しいプランの確認は延期。月末にもう一度行くことになった。
話を聞くと、父は風呂場で指示無視の立ち上がり歩行事件を起こし、倒れる寸前に担当者が取り押さえる出来事が起きていた。その方向には何も無いのに、電車が来たと言ったという。認知症の進行を思わせる話だが、私が会った父は力が無くなった感があるが、極めて意識明瞭で、一応軽い会話は問題が無かった。担当者の話によると相変わらず他の入所者との交流は無いが、予定の先取り行動が出てきており、自分の始末に対する意識は強いという。認知症フロアなので、友人が出来ないのもやむ終えないことだった。母の近況を父に話したが、父の意識の中では祖母がまだ生きていた。
時間を早めに切り上げて、事務室に立ち寄って事故の復旧具合の話を聞いた。現場検証が終わって、片付けていたとマイクロバスの運転手から話を聞いているとのこと。渋滞はだいぶ解消していたが、問題は母である。携帯電話をかけてもバッグの底に入れてしまうので電話に出ないことが多く、時間通り平塚駅に着く必要があった。事故地点を通らない別路線まで歩くことにした。競歩で20分。この選択も当たりだったのだ。駅前も軽い混雑。到着が約束の時間の5分過ぎ。無事母と出会うことが出来た。
食事も帰宅も無事に済んだと思っていたら、母は帰宅時トイレに駆け込んでしまった。動悸がひどく、その場で座り込んでしまった。何かを食べたいと要求したときは、用心しなくてはいけなかった。夜の巡回を入れないでよかったのだった。
母のベッドを整え、母をベッドの縁に座らせた。寝かせないのは、ふたたび嘔吐を催したとき、ベッドから離れる時間がかかるので、様子見の間、ベッドに布団を折りたたんだ山を作って座位を保持する、もたれかかり部分を作った。
私の自分のベッドはくしゃくしゃである。夜中に限界がくると休止に飛び込んで横たわる、その状態のままなのだ。私の知り合いのIT屋さんも、親の在宅介護をしている。かれはベッドを持っていない。仕事の合間に毛布にくるまって、ソファーで睡眠。夜間のおしめ交換を担当している。しかし彼は40代、私は60代(なりたて)である。活力が違うよなと相手に言っているが、ベッドを使うだけいいじゃないですかと、妙な持ち上げ方をされている。父は夜間、いつの間にか階段上にいた。階段転倒との格闘技が、そのままのベッド放置の癖をつけてしまっていた。私はバツイチである。文句言う連れ合いももういない。私は介護という怪物に食われたなと思いつつ、やり残したことはやりきっておきたいと願っている。
昨夜は奇妙に夜間傾聴の予約メールが来なかった。静かな夜が過ぎていった。梅永雄二氏の「発達障害の人の就労支援ハンドブック 自閉症スペクトラムを中心に」を読み終え、炭谷茂氏の「ソーシャルインクルージョンと社会的起業の役割 地域福祉計画推進のために」に移った。炭谷氏の交渉、著作の読み直しが絶対に必要。交渉難航中。
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トリエステの日本縦断講演は、私が参加した東京講演が一番時間が短かったらしい。横浜講演はどうだったのだろうか気になる。精神病院を廃止し、地域センター通院型のインクルーシブな環境づくりの件は、興味がある。しかし今度の講演もそうだが、聴衆の設定をいつも誤っていると感じる。イタリアは精神病院の廃止を既に実現している。その発火点がトリエステの活動だった。実現には時間が流れている。その実践経過を知りたいのに、初めてトリエステを知るビギナー向けに企画されてしまうので、新しい情報が入らない。何のために来日してもらっているのかわけがわからないのだ。この手の来日企画はいつも的外れを経験する。なんとかならないものかと思う。
トリエステ精神保健局から「トリエステ精神保健サービスガイド : 精神病院のない社会へ向かって」が出ている。2006年に出たものだが、神奈川県の図書館にも複数在庫がある。予約を入れておいたが、しばらくは配本されないだろうなと諦めている。
夜間傾聴:なし
(校正2回目済み)