父のデイサービスの日だと言うのに寝坊をしてしまった。傾聴が3時台にあって、4時過ぎには終わるというか、息苦しい思いを受け止めている最中、父の呼び声が聞こえ、中断を余儀なくされてしまったのだった。これは傾聴の仕事にとっては一番いけない行為だった。命を搾るように語る方の告白を中断したときのダメージを考えてもらえば分かるだろう。
幸い今回は、古参旗の台君の通院などの事務的な近況報告を受けている最中だった。先方が事情を知っているので、謝って中断させてもらった。
父はベッド上で眠っていた。「何だろう、寝言かな」と思って近づいてみて慌てた。どの様に寝返りを打ったのだろう、汚れた毛布の代わりに出した、規格外に大きいタオルケットが、ひも状に足とベッド柵に巻きつき、丁度、柱に縛り付けられていたかの様だった。戦いをしたのだろう、巻きつかれていた足首の色が変わってしまった。
タオルケットをはずすのが、これまた大騒動だった。父は寝返り回転が出来ない。うつ伏せになれないのだった。そのためにタオルケットを緩める作業は、父の下半身の位置を持ち上げる必要があった。がむしゃらに足を引いて暴れるから、少し位置を変えても事態は元に戻ってしまうのだった。我慢して緩めていてくれれば、ベッド柵がはずせ、タオルケットがはずせると思ったのだった。ところが考えてみれば、ベッド柵をはずしたとき、父のがむしゃらの蹴りに左右への寝返りが加わり、介護者もろとも怪我をする可能性があった。
母を起こして父を押さえることも考えたが、母の力では押さえつけることは無理だった。思案の末、「これから危ないことをするから、ここのベッドにしっかりしがみついて!!」と緊迫した声を父に掛けて背中をこづいた。対角線上のベッド柵に父の関心をそらしたのだった。瞬間勝負だった。
タオルケットを挟み込んでいるベッド柵を全力で引き抜き、柵を抱え込んだ。私の腕を蹴る父。…何とかはずすことが出来た。父を落ちつかせて、タオルケットをはずした。
眼鏡が床に落ち、ねっとりとした暖かい液体が腕を伝わってきた。父の尿だった。私は父の介護をするとき、下着になることにしている。汚れるからだ。今回の格闘もそれがよかった。半そでだとひっかかれる可能性が大きいので、いっちょうらのTシャツを着込んだ。私はTシャツ文化圏外の人間なので、こういうことが起きる。
作業用の防水紙シートを父の腰周辺に吸水面を下に敷き、掃除用の使い捨てアルコールパッドを使って臀部を清拭。(油を取りすぎて肌によくないが、こういうときは、ぼろ布よりは始末がいい。)紙パンツ交換と着替えをさせて、次のシーツ交換のために、父を椅子に座らせようとして、はたと困った。長時間縛られていた足首の色が悪くなっていた。このまま立たせれば転倒する。このまま足首を放置してはいけない。そう判断し、私の上半身をアルコールパッドで拭いて、湯沸かし器から熱湯をくみ出し、茶の間から電子ポッドの湯の残りを継ぎ足して、湯が入ったバケツを2階に持ち出し、ボロ布をつかって、足首の清拭をしながら温湿布を行いマッサージを施した。さすがに父は抵抗しなかった。
騒ぎを感じ取り、母が様子を見に来た。緊張する父。母は感情的に父を叩くからだ。湯に足を浸け、足湯したらどうかと母。湯量が少し足らなかったが、座位を取らせベッド高を下げて足を暖めた。
ふたりいれば、椅子へと移すことが出来るだろうというところまで、足湯は時間をかけた。シーツ交換を済ませて、父を横たわらせる頃には4時30分を少し回っていた。汚物ゴミを庭先のペール缶に捨て、シャワーを浴びて、シーツと着替えを洗濯し終えたら5時を過ぎていた。
8時30分にはデイサービスのための階段介助のヘルパーさんが来てしまう。父の朝食の素材の下ごしらえを用心のために作ってから、仮眠した。
案の定、寝坊。下ごしらえ策成功で、ヘルパーさんが着替えをさせている10分の間に冷麺を作って、父に食べさせた。父が食べ終えた3分後には、「まもなく迎えの車が到着する」という電話連絡が来るという具合だった。父は興奮していた。「やってはいけない」と毎回制止している階段下の襖を握り締めようとし、手を押さえつけて、ひと悶着あったものの無事送り出すことができた。
墓石屋のCM電話が入ったり、介護用品屋の奇襲があったり、結局また眠ることができなかった。睡眠時間との気力の戦いが介護なのである。
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昨日は県人材育成センターの「産業人材育成フォーラム」があった。能開校系の企画。私は「不透明な社会で不安を抱える若者の対処支援プログラム開発分科会」に登録していた。いわゆる社会運動系とは違う、行政外注を請負うプロ組織の会合のようなものなので、場違い参加なのだが、分科会が「企業側のプログラム開発を目的とする」と狭く対象設定していることに対し、私は行政と行政協働の社会活動に対してもモデル提案していくという「相手を広げること」を主張し、参加している。
障がい者畑の方や、行政関係の引きこもり青年も担当している就労相談関係・大学心理カウンセラーの参加もあり、いわゆる企業コンサルや、産業カウンセリングの立場からはみだす方の参加があるので、空転ですべてが終わるとは思わないのだが、社会現象を「職場マッチング」・「心理歪み修復」に切り詰めることはおかしいのだが、「今、自分の出来る専門性」という言い方でこの点はすりぬけられていくことは、目に見えていた。しかし、分科会が対象とする相手を「実績の延長ではなく拡張していくべき」という論で話す価値はあると思っている。能開校のテリトリーが暗にあるのだろうが、そんな訳で、異分子が入り込んだ状態は昨年来ずっと続いている。
私は喫煙問題の始末を出先に相談されていた。美容師の希望を持って、縁故の店でバイトしながら、大学をやめて専門学校に移ろうとしていた青年だった。店の仕事中の喫煙が問題になっていた。「仕事中の禁煙が守れない位なら仕事は続かないから、この道、やめろ」と説教されたと怒りをぶつけてきていた。
私は応えずに、本校で会うことに。時間をかせいだ。私は狸。
それはそうと切り替えて、父の昼食の下膳を済ませて、とにかく家を飛び出した。新年度初回というのに、名刺を忘れた。しょうもない話。分科会も今年度初の20分遅刻となった。
分科会は、会の参加者の自己紹介と、会の目的と内容の原案確認とその修正議論で終わり、最後に座長を選出した。
第二部は「今どきの若者の活かし方~若者の気質とアプローチの仕方~」(大泊剛氏 人材育成学会副会長・(株)人事工学研究所所長)の講演会だった。「民間なんですよね」という雰囲気は私だけ。タイトルをみただけで、職業研修。不況で非正規の解雇、正社員の配転・解雇と連鎖倒産の圧力がかかる現場で、仕事のやる気一般をどう植え付け、企業にマッチングさせていくかという手法を、講演者は、あれこれ解説されていた。火事場の説教のような気がする。
行政外注職系の実情をまさに見聞している感あり。
母に電話。父の食事を頼み、(食事時間が)遅れるが、母と私の分は職場に立ち寄ってから帰るので任せろと伝えた。喫煙問題君と会うためである。
本校に着くと、すぐに喫煙問題君の母親から電話がかかってきた。柱を蹴飛ばしているから、そちらにはいかないと思うとの話。実は想定どおりだった。日録を書いて、タイムカードを押して帰宅した。
仕事を通じて「かけがいの無い他者」に出会わないと、本当にやりたい仕事といううものは出てきてくれない。幸い彼は適職のようなセンスを持ち合わせている。彼もそれに気付いているから蹴飛ばす。夜に電話しておいでと伝言を頼んだ。
夜間傾聴:旗の台君(仮名・中断陳謝)
自由が丘夫妻(仮名・おひさしぶり)
(校正2回目済み)
幸い今回は、古参旗の台君の通院などの事務的な近況報告を受けている最中だった。先方が事情を知っているので、謝って中断させてもらった。
父はベッド上で眠っていた。「何だろう、寝言かな」と思って近づいてみて慌てた。どの様に寝返りを打ったのだろう、汚れた毛布の代わりに出した、規格外に大きいタオルケットが、ひも状に足とベッド柵に巻きつき、丁度、柱に縛り付けられていたかの様だった。戦いをしたのだろう、巻きつかれていた足首の色が変わってしまった。
タオルケットをはずすのが、これまた大騒動だった。父は寝返り回転が出来ない。うつ伏せになれないのだった。そのためにタオルケットを緩める作業は、父の下半身の位置を持ち上げる必要があった。がむしゃらに足を引いて暴れるから、少し位置を変えても事態は元に戻ってしまうのだった。我慢して緩めていてくれれば、ベッド柵がはずせ、タオルケットがはずせると思ったのだった。ところが考えてみれば、ベッド柵をはずしたとき、父のがむしゃらの蹴りに左右への寝返りが加わり、介護者もろとも怪我をする可能性があった。
母を起こして父を押さえることも考えたが、母の力では押さえつけることは無理だった。思案の末、「これから危ないことをするから、ここのベッドにしっかりしがみついて!!」と緊迫した声を父に掛けて背中をこづいた。対角線上のベッド柵に父の関心をそらしたのだった。瞬間勝負だった。
タオルケットを挟み込んでいるベッド柵を全力で引き抜き、柵を抱え込んだ。私の腕を蹴る父。…何とかはずすことが出来た。父を落ちつかせて、タオルケットをはずした。
眼鏡が床に落ち、ねっとりとした暖かい液体が腕を伝わってきた。父の尿だった。私は父の介護をするとき、下着になることにしている。汚れるからだ。今回の格闘もそれがよかった。半そでだとひっかかれる可能性が大きいので、いっちょうらのTシャツを着込んだ。私はTシャツ文化圏外の人間なので、こういうことが起きる。
作業用の防水紙シートを父の腰周辺に吸水面を下に敷き、掃除用の使い捨てアルコールパッドを使って臀部を清拭。(油を取りすぎて肌によくないが、こういうときは、ぼろ布よりは始末がいい。)紙パンツ交換と着替えをさせて、次のシーツ交換のために、父を椅子に座らせようとして、はたと困った。長時間縛られていた足首の色が悪くなっていた。このまま立たせれば転倒する。このまま足首を放置してはいけない。そう判断し、私の上半身をアルコールパッドで拭いて、湯沸かし器から熱湯をくみ出し、茶の間から電子ポッドの湯の残りを継ぎ足して、湯が入ったバケツを2階に持ち出し、ボロ布をつかって、足首の清拭をしながら温湿布を行いマッサージを施した。さすがに父は抵抗しなかった。
騒ぎを感じ取り、母が様子を見に来た。緊張する父。母は感情的に父を叩くからだ。湯に足を浸け、足湯したらどうかと母。湯量が少し足らなかったが、座位を取らせベッド高を下げて足を暖めた。
ふたりいれば、椅子へと移すことが出来るだろうというところまで、足湯は時間をかけた。シーツ交換を済ませて、父を横たわらせる頃には4時30分を少し回っていた。汚物ゴミを庭先のペール缶に捨て、シャワーを浴びて、シーツと着替えを洗濯し終えたら5時を過ぎていた。
8時30分にはデイサービスのための階段介助のヘルパーさんが来てしまう。父の朝食の素材の下ごしらえを用心のために作ってから、仮眠した。
案の定、寝坊。下ごしらえ策成功で、ヘルパーさんが着替えをさせている10分の間に冷麺を作って、父に食べさせた。父が食べ終えた3分後には、「まもなく迎えの車が到着する」という電話連絡が来るという具合だった。父は興奮していた。「やってはいけない」と毎回制止している階段下の襖を握り締めようとし、手を押さえつけて、ひと悶着あったものの無事送り出すことができた。
墓石屋のCM電話が入ったり、介護用品屋の奇襲があったり、結局また眠ることができなかった。睡眠時間との気力の戦いが介護なのである。
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昨日は県人材育成センターの「産業人材育成フォーラム」があった。能開校系の企画。私は「不透明な社会で不安を抱える若者の対処支援プログラム開発分科会」に登録していた。いわゆる社会運動系とは違う、行政外注を請負うプロ組織の会合のようなものなので、場違い参加なのだが、分科会が「企業側のプログラム開発を目的とする」と狭く対象設定していることに対し、私は行政と行政協働の社会活動に対してもモデル提案していくという「相手を広げること」を主張し、参加している。
障がい者畑の方や、行政関係の引きこもり青年も担当している就労相談関係・大学心理カウンセラーの参加もあり、いわゆる企業コンサルや、産業カウンセリングの立場からはみだす方の参加があるので、空転ですべてが終わるとは思わないのだが、社会現象を「職場マッチング」・「心理歪み修復」に切り詰めることはおかしいのだが、「今、自分の出来る専門性」という言い方でこの点はすりぬけられていくことは、目に見えていた。しかし、分科会が対象とする相手を「実績の延長ではなく拡張していくべき」という論で話す価値はあると思っている。能開校のテリトリーが暗にあるのだろうが、そんな訳で、異分子が入り込んだ状態は昨年来ずっと続いている。
私は喫煙問題の始末を出先に相談されていた。美容師の希望を持って、縁故の店でバイトしながら、大学をやめて専門学校に移ろうとしていた青年だった。店の仕事中の喫煙が問題になっていた。「仕事中の禁煙が守れない位なら仕事は続かないから、この道、やめろ」と説教されたと怒りをぶつけてきていた。
私は応えずに、本校で会うことに。時間をかせいだ。私は狸。
それはそうと切り替えて、父の昼食の下膳を済ませて、とにかく家を飛び出した。新年度初回というのに、名刺を忘れた。しょうもない話。分科会も今年度初の20分遅刻となった。
分科会は、会の参加者の自己紹介と、会の目的と内容の原案確認とその修正議論で終わり、最後に座長を選出した。
第二部は「今どきの若者の活かし方~若者の気質とアプローチの仕方~」(大泊剛氏 人材育成学会副会長・(株)人事工学研究所所長)の講演会だった。「民間なんですよね」という雰囲気は私だけ。タイトルをみただけで、職業研修。不況で非正規の解雇、正社員の配転・解雇と連鎖倒産の圧力がかかる現場で、仕事のやる気一般をどう植え付け、企業にマッチングさせていくかという手法を、講演者は、あれこれ解説されていた。火事場の説教のような気がする。
行政外注職系の実情をまさに見聞している感あり。
母に電話。父の食事を頼み、(食事時間が)遅れるが、母と私の分は職場に立ち寄ってから帰るので任せろと伝えた。喫煙問題君と会うためである。
本校に着くと、すぐに喫煙問題君の母親から電話がかかってきた。柱を蹴飛ばしているから、そちらにはいかないと思うとの話。実は想定どおりだった。日録を書いて、タイムカードを押して帰宅した。
仕事を通じて「かけがいの無い他者」に出会わないと、本当にやりたい仕事といううものは出てきてくれない。幸い彼は適職のようなセンスを持ち合わせている。彼もそれに気付いているから蹴飛ばす。夜に電話しておいでと伝言を頼んだ。
夜間傾聴:旗の台君(仮名・中断陳謝)
自由が丘夫妻(仮名・おひさしぶり)
(校正2回目済み)