湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネ学習的就労支援活動・災害ボランティアの実践を書き溜めていきます。

「あすなろ会」の小さな波紋/父の依存度の深まりの中で

2009-06-04 14:02:31 | 引きこもり
父の宗教関係の信者さんの家庭の介護話が流れてきた。重い認知症のご母堂が有料老人ホームに入所し一ヶ月がたった。徘徊と他害等の問題のために、連日ホームへの呼び出しがあり、ついに「退所」するようにといわれて、金銭トラブルと受け皿さがしに追われているという。他人事ではなかった。父は他害はないが、ものを壊す。足が悪いから、今のまだらに起きる幻覚と錯誤の状態が進行しても、遠出は出来ない。しかし、危険行為と指示無視、防御的暴力は、体力が衰えても続くだろうし、常態になってもおかしくは無い。

当人と職員ともに下手をすれば命と身体に影響する危険な行為を、指示を無視して平然と「やってしまう」ために、職員さんにとっては、日々責任問題が起こる。この点が信者さんの状況と似ているから、入所後すぐに退所を迫られかねない。リアルな話を聞いてしまったと、ここ数日母が落ち込んでいた。

見学会のあった一昨日、父は昼間寝続けた。食事を部屋に届けるとき、寝ているからと放置していたため、私が帰宅後、ベッド上はすさまじい状態になっていた。失禁して気持ちが悪いから、父は紙パンツをはずしてしまったのだった。その状態で再び失禁。毛布の下は防水シート上に水溜りが出来ていた。静かに寝ていたというより、動けなかった。その動かない判断がまだ出来るのだった。しかし失禁のことを食事を運んだとき母に訴えなかった、私の場合にも黙りとおすのだが。しかし母は介護の意欲を失っている。匂いがすさまじいのに、食事を置いて戻っていたのだから。母に聞いたが、もともと部屋が臭くなっているので、気が付かなかったというのは、本当のようだ。他の物事にも、敏感さがじんわりと失せてきているのを知っているからだ。任せきれない状態に入りつつあることを実感している。

今回はその時間が長かったために、背中に汚れが回り、全身の清拭が必要となった。夜の0時過ぎ、「風呂に入る」という父を言い含めながら、全身の清拭を行った。幸い水曜日はデイサービスで入浴が出来るので、洗浄剤を使わず山のように手ぬぐいを使って全身を拭いていったのだが、困ったことが起きていた。父はベッドから立った状態で1回転するようにダイビング転倒していたので、四肢は擦り傷だらけだった。そこが汚れて炎症を起こしていたのだった。病院なら消炎酵素剤の投与をしながら、手当てを行うところだが、古い鎮痛解熱剤を飲ませるかどうかで、母と議論になった。薬剤の目的が違うからだった。

私は消炎剤の入った軟膏を塗る程度に留めるべきだと主張、午前1時になろうとしているのに、軟膏を切らしていることが判明。思いついて母の化粧水を持ってこさせた。成分に消炎効果とあったものが2種類あったので、刺激の少ない方を、しばらく流した水道水で少し希釈して、脱脂綿で叩くように塗っていった。普段マキロンなどの傷薬があったのだが、ここ数日、私が会合にでかけていたので、薬を補充していなかった。

母が主張していたのは、昔、歯科から祖母の顎の炎症に処方されたポンタールだった。メフェナム酸カプセルである。比較的安全な薬ではあるが、やはり10年前の薬はやめたほうがいいということになった。

問題は防水シーツの交換の方だった。

椅子に座らせた父を母に見張りをさせて、交換するのだが、事前に尿取りパッドを利用して、尿溜まりを吸収させておく必要があった。私が交通事故で長期入院していた頃の記憶が役に立っている。病室のシーツ交換のときは、待合室に移動させられるが、私は邪魔にならないように廊下にいた。同室のふたりの輩の下世話な看護師の尻談義や相手の経歴詮索話が性に合わず嫌いだったからでもあった。しかし、シーツ交換の手際のよさには感心した。しかしそのことが実際に役に立つとは思っても見なかった。

私のベッドメイクの待ち時間にも父は部屋を歩き、便をしようとした。段取り通りには作業は行かない。終了して午前1時半。階段を降りたところでまた、歩行器の音がしていた。昼夜逆転かなと思いつつも夜間傾聴の待機を始めた。こうして一昨日の夜は過ぎていった。

昨日、デイサービスの際の階段介助の開始時間が遅れた、というより父の非協力で出発間際のつまづきがあったからだ。ところどころに打ち身の後遺症があり、それが重なって階段を降りる危険が増していた。

心配は現実ものとなり、父は悪い方の足を滑らせ落下、私の全身に体重がかかった。ヘルパーさんの咄嗟の判断で父を横転させた。危うく墜落するところだった。迎えのホーム職員の方に引き渡すまで、大人4人が父を抱え込むことになった。

父の留守の間に、部屋の掃除と買出しをするのだが、私自身も前日の見学会の徹夜が堪えていた。授業の応援を今回パスさせてもらい、1時間仮眠した。昼間は電話や訪問者があって、母が外出しているときは継続して寝ることが出来ない。

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掃除途中で、買物がてら、駅前に元Big Issue 販売のTさんを捕まえに出た。Tさんは「あすなろ会」の会則原案を書き上げ、メモを私に受け渡すことになっていた。茅ヶ崎駅南口の路上の誰かが私とTさんの「袋入り交換メモ」を持っていてくれることになっていた。ところが、最近南口は集団仕事が入ったか、アル中の++さんを除いて誰もいなくなるので、結局受取が空振りしていた。今回も同じと諦めて吉野家に向かおうとしたとき、

「ちょっとぉ、飛田さ~ん!」と、++さんが追いかけてきたのだった。

明らかに表情が開いていた。彼が「交換メモ」を預かっていたのだった。嬉しかった。やっと味方と思ってくれたことを感じたからだった。階段下でティッシュを配っている青年が異様な顔をしてみていたが、Tさんに渡したと同様に++さん用に「わーく」編集部の名刺を、髭面の++さんに渡した。

「ありがとう、今後ともよろしく。」

と伝え、とくに行政のことで困ったことがあったときは「交換メモ(路上BBS)」に書けば協力するというと、++さんは、おもいっきりの笑顔で名刺をぴらぴらさせてうなづいた。

「あすなろ会」はどうやら順調な出発が切れそうだ。

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デイサービスの帰宅時間の16時半までに、買出しを終えて家に戻った。端正な文字でTさんは「会則原案」を書いてきた。「フォーラム懇談会」の会則を参考資料に渡しておいたので、真似したらしく文体はこちこち。ざっと読んだところで、階段介助の信者さんが現れた。

父は機嫌を直して戻ってきた。ゆっくりと休み休みなんとか階段を上がることが出来た。しかしガーゼだらけ。入浴したあと擦り傷の傷口の手当をしてくれたからだった。ところが良く見ると下半身の服が違うのだった。「やったな」と直感。案の定、出発直前に便意を催し、間に合わなかった模様。ベッドに誘導後、信者さんが帰った直後、ポータブルトイレの前で転んで周囲も汚してしまった。

出かける時間があと1時間に迫っていた。20分差の入れ替えで母が帰ってくることになっていたが、目の前の事態のこと以外は考えられなくなっていた。時間内に始末を終えなくてはならなかった。身はひとつである。案の定父はじっとしていなかった。洗濯物を階段下に下ろして、下洗いをしていると私を呼ぶ声がした。父がベッド柵に足先を突っ込んで逆立ちに滑り落ちていた。じりじりと時間が迫っていた。父が「拭けないので尻を拭いてくれ」と注文、重ねて家の前の放置自転車の件で浜竹交番から電話が入り、ついにタイムリミット。巡回は延期。正直言って悲しくなっていた。大の大人が仕事の始末もつかない。

巡査がやってきて、自転車の状況聞き込みをした。悪い予感は的中した。父が大きな歩行器で階段上に現れたのだった。父は来客に応じるつもりで出てきていた。駆け上がって父を部屋に戻した。巡査が異様な雰囲気に気が付いて、敬礼をして帰って行った。敬礼されても困るのだが。

落ち込んで洗濯物を干していると、巡回先の小田急相模原君から本校経由で連絡が入った。話したいから、遅くなっても来て欲しいとの事。申し訳ないやら、心理カウンセラーにはなれないなと思う。私は教員の端くれである。彼に感謝しつつ、受諾し、出遅れたバスに乗ることにした。母と丁度入れ替えだった。

終バスに間に合わず、小田急相模原君の課題を抱えて帰ってきた。微妙なのである。リスクの少ない方を善しとする判断だけでは決められない事態がある。同僚にも話せない事態を私達外勤講師(困難請負屋)は自己責任で抱え込む。無事過ごしてとんとん、成功などまずない。その隘路を一緒に歩く。

夜間傾聴:なし

(校正2回目済み)
コメント
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