湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネ学習的就労支援活動・災害ボランティアの実践を書き溜めていきます。

Big Issue を支える当事者自助団体「あすなろ会」会則が完成し/県人材育成センター研究会開始

2009-06-09 12:41:55 | 引きこもり
--- 昨日は体調不良で、作成を原稿途中で諦めました。今回の記事は、連続して書き足しています。

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父が帰ってくる。留守の間に始末してしまおうと思っていた家事は、必ずといっていいほど残ってしまう。いやなことは残る。だから実は時間があっても片付かないものなのだが、その辺は諦めが肝心。

母は完全に体調を崩していた。父が帰ってくれば、その日一日は後始末と父のふて寝対策攻防となる。この周期が嫌で、手術後の胃の内容物逆流か、朝、嘔吐していた。それにもかかわらず、無理を押して父の帰る直前にいつの間にか出かけてしまった。後になって分かったことだが、母は胃を手術をした大学病院で、足のつりや、ひどくなった肩のこりなどの後遺症の診察・検査の予約をしていたのだった。

父はそんな家族のことには無頓着。自分を通していく。階段の手すりにしがみついたときは、ホームヘルパーさんや私の指示は見事に吹き飛ばして、動き出してしまう。動かなくなった側の足の階段の踏み込みが浅いために、段を踏み外す危険があっても、介護者は、手綱のように支える「腕力の調子」の変化を通じないと、掛け声指示などは、父には意味を成さない。

階段昇降の冷や汗をかく回数が増えると、ベテランが介助に来ることが減る。代わりの新人さんは、技術はあっても現場の手順を知らない。その隙間を埋めるために、素人の私がテンポを取ることになる。その混乱の中、父が足を踏み外す。私が危険を予想して矯正的な力を加え、力技で崩れを防ぎながら階段を上っていく。

今回は、父の体調も芳しくないにも関わらず、父は焦っていた。ホームからの帰り、尿意を我慢していたのだった。それを私達は察知できたが、紙パンツの中にしても平気な尿取りパッドを加えてあったから、処理は2階ですませるつもりでいた。しかし父には、それは失敗でしかなく、周囲に尿をこぼしても紙パンツは濡らすまいとあがくのだった。

左右に身体を大きく崩しながら、加えて今回は1度、後ろに転倒しながら、父は無我夢中で階段上の歩行器にしがみついた。

ここで問題が起こった。父は無意識に周囲にしがみつく。階段手すりを握り締めたまま、効かない側の手で歩行器を握り締めた時だった。次の行為に移ろうとしたとき動けなくなった。手すりを持つその手を、なぜかはずすことができないのだった。奇妙な光景だった。父は身体を振った勢いで、手すりの手を振りほどこうとしていた。その結果、父の身体は崩れ、歩行器を引き倒しヘルパーさんにぶつかった。

危なかった。あと数段で上がりきる状態だったから、転落すれば落差が大きいので命の問題になるところだった。「一度立とう!」と声をかけた。父は手の力にすがり、足で立つことを忘れていた。効き足が踏ん張った。ヘルパーさんは、歩行器が階段を落ちていくことを阻止。私は投げ技を父にかけるようにして、体勢をたてなおした。

一度握りしめてしまうと、自分の意志で手を放すことが出来なくなるという場面を体験させられた。「一度立とう」という指示は、父の虚を突く意味で放った言葉だった。この指示は正しかったのか、父の腰に両手を取られている私が、父の手足にどう関わればいいのか、強引に解決した危うい場面のことを、今も場面を反芻して考えている。

父は歩行器を押し出すように使うが、歩行器は本来、一歩一歩、その都度「持ち上げて」進む。歩行器の足の車輪がついていないタイプは押し出せば抵抗する。歩行器を背の高いものにしたのは安定していて正解だった。歩行器を使う父は、前傾して倒れこむように使っていたから、背の高い歩行器になって、前傾姿勢が直ったのだった。

父はポータブルトイレの蓋をあけて戸惑った。U字型の手すりが、父とトイレの間を阻んでいたからだった。とっさにヘルパーさんが歩行器を抜き去り、私が父をトイレに近づけて、放尿は無事に終わらせることが出来た。

日々の容態の一進一退を重ねながらも、背後で進行するのが「老い」。父のあざだらけの臀部を眺めていた。父がそのままベッドに移動しようとするのを制止して、ズボンを上げる。とたんにヘルパーさんは、屁を浴びることになった。怒りと嘆きが拮抗しながら私達を通り過ぎていく。それに気付かない父。育児のケアとの距離はどうだろう。高齢者介護は、「送るためのもの」なのだと、偏屈に背を向けて横たわる父の背中を睨みつけた。

今回も無事に階段介助を終えた。ヘルパーさんは、危険な場面のとき、父は危険な事態に意識が向かっているのではなく、階段の天窓をぼんやり見ていたのだと教えてくれた。私は押し上げ屋、足に意識が集中し、父の顔面は見えない。私は「すみませんねえ」といいながら、歯を食いしばり、実に「機械的に」日録に印を押して手渡していた。

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Big Issue 販売再開の準備を進めている。16時に販売候補のTさんと待ち合わせていた。寝息を立てている父の傍らに、お茶とバナナを一房置いて、階段下にバリケードを築いた。そっと玄関に鍵をかけ、二階を眺めた。すでに非常用ボタンは首から下げているから大丈夫と、自分に言い聞かせながら、約束の茅ヶ崎サポセンに急いだ。

1時間もすれば、母が戻ってくる。父をひとりにしている旨のメールを母に送り、到着した茅ヶ崎駅前で、アル中の路上生活者++さんに会釈。Tさんに連絡ノートを手渡してくれたお礼の挨拶だった。

今日は、Tさんが名づけた当事者の自助団体「あすなろ会」の会則確認だった。文面が硬く、洗練されていないが、できるだけ風通しの良い規則を心がけた。たとえば、役員以外に「正会員」は設けず、企画に協力または参加する当事者、「企画会員」を「正会員」の位置に置いた。役員以外、住所はねぐらの住所の末尾に「路上」とし、名前も通称を許した。

そういう路上生活者の自助組織の芽が撒かれる。Big Issue のような具体的な日々の活動が無ければ、まず結集は無理だ。Tさんと話し合いながら、会則が誕生した。これを協力してくれたポルト湘南さんに届けることになった。ポルト湘南さんは、生活支援を行っている。山積する問題を聞くにつけ、底無し沼を感じている。ご協力に感謝。数日中にお邪魔することに。

併行して「あすなろ会」がサポセンの登録団体になる。私はTさんのバックアップに徹する。これで私の本来の畑「引きこもり」青年への活動に、**君の自殺後、消えかけていたネットカフェ巡回を再開することにした。Tさんの活動との接点でもある。これも「わーく」編集部の活動である。

Tさんとの話し合いを終えて、サポセンをでるところで、窓口スタッフの%%さんから、茅ヶ崎駅頭の女性の路上生活者の方の病状について情報をいただいた。この女性は茅ヶ崎駅頭の古参。事情があって路上に出てきているが、見守る以外にない状態が続いている。進言してくださったが手が出ないのが現状。%%さんにお礼を告げつつ、帰り道、Tさんが、もっとすごい状態のひとが、沢山隠れているのですけどねと語った。

昔は地域の空き缶ゴミ回収をすることができた。それも自治会費の財源だからと、拾うことが犯罪にされてしまう、丁寧に社会の隙間に目張りしてしまう閉鎖と排除の社会。路上販売も違反と追い立てリターンマッチの機会を奪いながら、やる気の無い脱落者のレッテルを貼り続ける生き方には組しないとつぶやいていた。

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家に戻ると、父の呼ぶ声がした。またかと2階にあがっていくと、どこから出してきたのかわからない昔の栄養剤の錠剤が部屋中に飛び散っていた。下半身は裸だった。パジャマのズボンが濡れて不快だから、部屋中を家捜しした。そのとき奥に眠っていたサプリメントを見つけ、蓋を開け損なったのだった。少なくとも二十年は昔のものだった。それを拾おうとして、周囲のものをしがみついて全部落としてしまった。

うんざりしながら、錠剤を拾っているとそれを呑もうとするので制止した。冷や汗をかいた。そのサプリがあった引き出しの奥には古い「解熱剤」と「風邪薬」が入っていたからだった。椅子の上に乗らなければ開けられない天袋戸棚を父は開けていた。天袋戸棚は手が届かないからと放置していた。椅子の上に立ったのは明らかだった。照明を直すとベッドの上に立ち上がって転げ落ちたばかりなのに、今度は椅子である。ベッドから立ち上がるのにふらついている人間が椅子の上に立つなどとんでもないことなのだが、危険行為を叱っても馬耳東風、全く効果が無い。事故が起きたとき横で危険回避法を説明しても、絶対に振り向かなかった。だから根負けしてしまうのだが、今回は失禁と着替え探しという動機が次々と危険行為を引き出していったことに注目した。古着を分かる位置においておくことにした。しかも1着。これは母と確認した。

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私の古い知り合いに教具作家がいる。彼に適任のような仕事が舞い込んでいた。彼も福祉施設の職員をしながら、作家稼業をしていた。彼はセンスがあり器用だった。私の論理は必要から起こされている。ところが彼の場合はその「必要」の手綱を断ち切ったところに仕事を作っていた。デザイナーの仕事とは本来そういうものなのだろう。しかし意図的にキッチュな世界を善しとするので、あざ笑えば足元に穴が開くと思っていた。

しかし作業を始めて早々限界を感じてしまった。専門書を時間の合間に読むときもそうなのだが、助走というか心の静穏を整える準備段階から抜けることが出来ないのだ。苦し紛れに類似品の過去メモを探して読んだ。アイデアメモである。ところが私のアイデアメモは、軽度発達障がい絡みの子を対象にした教材教具メモなのだった。今回は一般向け。勘所を知っている教員が使うものではなく、当人の自習用である。

私の限界は、個別の子の顔があること。誰々がどの場面で使うという教具なのである。彼ならこともなげに入口を引き寄せるだろうにと、うらやましくも思う。ともあれ、第一作メモを作り終えた。

私の夜間の時間帯は、こういう請負業や相模原の塾の教科授業計画を組んでいる。また進学資料の整理や、巡回の子の個別レポートを抱えている。その隙間に夜間傾聴が入り、活動関連書籍の読み込みや、情報収集、チラシなどの作成と、父の夜間対応が入っている。午前中にケアの仕事を入れて欲しくないのは、夜明けに眠る私の睡眠時間が断たれるからだ。ホームも訪問サービスも朝型で組まれている。憂鬱の種なのだが。

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朝食を出した。さっそく父は小便に立ち上がった。放置して階段を降りたら、大型家具が倒れた音がして、父の呼ぶ声がした。なんとベッドサイドからポータブルトイレを離したにも関わらず、ポータブルトイレの本体を遠くに投げ飛ばして父が倒れていた。仰向けに倒れそうになり、ポータブルトイレにしがみついたのだった。トイレの蓋が外れてしまい、尿の入ったバケツか父のすぐ横に防臭剤の青いシミを作って飛び散っていた。父は尻を打って、しぶきをあびて青い顔をしていた。衣類もびしょびしょである。

すさまじい音に母も上がってきた。現場を見るなり、「もう、いやっ!」とトイレットペーパーを父に投げつけて階段を降りてしまった。トイレの土台の15kgあるコンクリート土台がふたつ横倒しになっており、片方が父の足のうえに倒れていた。小指の爪がはがれて出血していた。まずい、糖尿病者の足の指先の怪我はまずいのだ。直らないので雑菌が入り,壊死して、足の切断などをすることにつながるのだった。

父を起こすのに、うつぶせになるように指示し、横でやって見せた。しかし振り向きもせず、椅子にしがみつくのだった。手を払い、床に両手を付かせたが、全くいうことを聞かずにつぎのしがみつくところを探すのだった。

青い尿シミが拡がってしまうので、古新聞を取りに階段を降りた。椅子が投げ飛ばされていた。無視することにした。火が付けば山火事状態になってしまうからだった。関係ないことを連想していた。父は戦争中、パラシュート降下訓練を受けている。受身をそこで覚えたのだろうと父方の叔父が言っていたことを思い出した。冗談ではないのだが。

父を清拭し、着替えさせ、床を拭いた。猛烈な匂いのトイレの修理を終えた。歯を食いしばっていた。その表情が父をいっそう頑ななものにしていた。父はおしぼりをTVに叩き付けた。ガス抜き!切れたら終わりである。

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今日から、県人材育成センターの官民協働研究会の引きこもり関連の分科会が始まる。昼食を両親に出したら、藤沢に出かける。帰りに「きずな」によって、そこから相模大野に出る。相模線経由の帰りになる。もう事件を起こさないでくれと天井を眺めている。


<気になった新聞記事から>
●「再就職後も生活保護支給 仏で新たな低所得者支援策導入」
●「プレhttp://www.schoolnavi-jp.com/ス工業も労働局から是正指導/朝日広島版」
●「ホームレス支援「積極関与を」 宮崎で講演/朝日宮崎版」
●「映画:四ノ宮浩監督「BASURA」高校生以下無料に--27日から公開/東京」
●「介護施設整備、計画の半分 補助減響く 06~08年度」
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