湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネ学習的就労支援活動・災害ボランティアの実践を書き溜めていきます。

「優れた入門書とはなにか~生物観察の手引きの児童書から~(中)」を載せました

2004-08-20 05:58:55 | フリースクール
--- 今回も、ここの話から広げています。「独学から始める困難を超える」話。

☆自主学習のヒント集「優れた入門書とはなにか~生物観察の手引きの児童書から~(中)」☆


 まず自分の関心から学びを始めた場合、学校の授業よりも様々な困難にぶつかるために、なかなか持続できない。その学びの構造の大きな差は、「自ら道を探れねばならないこと」だ。手探りで進む道は、充実と背中合わせに頓挫(挫折とはいわない)が貼りついている。

 ここでは、無理して突っ込んでも実がないということも一面の真実であって、さっさと白旗を揚げて、別のことに移るというのも手なのだ。わかり方は、フロー・チャートのように一筋縄でいかないし、基本と応用ということ自身が怪しい。別のことをやっていて突然、突き当たっていた壁が崩れることがある。系統性にこだわるとろくなことがない。それは知識がそのような構造になっていないからだが、かといって三日坊主の汚名を着せられては、これまたしんどい思いをせねばならない。

 そこでひとつのテーマで始めた学びが壁にぶつかるまでを、たどりなおしてみると、入門書やマスコミから刺激を受けたり日常の疑問からスタートした場合も、「決定的にひとりだ」という当然の限界にぶつかるのだ。この「ひとり」というのが曲者で、視点が動かないために立ち尽くしてしまうのだ。

 ところが社会はうまくできているもので、知識は必ずそれを支えている人がいるのだ。その人たちと関係を結ぶと視点が動いてくる。他者の視点が自分の発想をずらしてくれるのだ。ではその人たちの知識と出会うには、どうしたらいいのだろうか。学校の授業では、こんなことは考えないでもよかった。

 学校以外の接点は、果たしてあるのだろうか。これは親も未経験のことが多いから、アドバイスもできない。しかしひとつは社会教育の窓口がある。地域図書館とリファレンス・サービス、博物館・美術館などの社会施設と学芸員の方々への質問、インターネット上の関連HP主催者へのアクセス、著者への問い合わせなどこれだけでもかなりヒントが得られる。しかしこれらは仲介者や大人の随伴者がいたほうがいい場合も多い。

 僕のやや下の世代に高野生さんというひとがいる。学校をやめてから、スワヒリ語を身につけようと、単身アフリカに赴く。「僕の学校はアフリカにあった」(朝日文庫)を読むと彼の熱気が伝わってくる。

 しかし願いがこうダイレクトな場合はともかく自分で研究(学び)を始めてみて疑問がわいたとき、それをどう解きほぐしたらいいかという場面になると、どこにどうアクセスしたらいいものか、そのこと自体がわからなくなる。このとき、やっと僕のような仲介者が意味を持ってくる。

 まずは自分に完結せずに「人と出会い、その対話を通じて道を開いていくこと」を戦略化するのだ。学びの集団(学校とはいわない)に飛び込めれば、さらに大きな転換も期待できる。

 つぎに押さえておきたいのは、本文に書いた「自分のホームグラウンドつくり」ということだ。「本を読んで触発されて学びたいと思った。しかし、どこから、どのように?」この後者が厄介なのにその情報がないのだ。これも大事なこと。

 質問される側にたてば、学校外で学ぶものは何者なのかがわからない。どんなに未熟であろうとも、自分の歩んできた道を示さなければ、相手がわからないから、答えようがない。その自らが歩んできた道が形にならなければならない。

 これらは独学から始めた者が否応なしに抱え込まなければならない矛盾だ。しかしそれを上回るだけの知識の価値が出てくる。それは「自分で掴んだもの」という価値だ。だから僕はこうして、君にメッセージを書いているのだ。


  (参考)「僕の学校はアフリカにあった
       ~15歳,マイナスからの旅立ち~」
       高野生・著/朝日文庫 た19-1
       ISBN:4-02-260665-7 '91/10

       鎌倉市腰越図書館    2000013249
       鎌倉市深沢図書館    3001108871
       藤沢市民図書館総合館 0000621813
       茅ヶ崎市立図書館本館 0110681244

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