湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネ学習的就労支援活動・災害ボランティアの実践を書き溜めていきます。

4/8 なぜ社会活動を行うのかということ/災害ボランティアの根拠

2018-04-09 05:41:28 | 地震津波災害ボランティア
2018/04/08 記
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午前2時台、島根県西部を震源とする群発地震が発生した。推定最大震度5強、M5.8深さ12km 横ずれ型地震。過去の鳥取地震と同型とか。嫌な傾向。

4/14 にドキュメント「槌音・ちかくてとおい映画会」の神奈川上映がある。かながわ県民センターホール(鶴屋町)10:00am~12:30pm当日券¥1.2k- かながわ2.11ネットワーク主催。

この後、横浜ラポール・シアターで「自閉スペクトラム症の人の就労を考える」が、13時からあるが、¥2k- 両方出ると¥3.2k-は高い。常総市の交通費がでてしまう。両者我慢と相成った。土曜日は家政婦さんを頼む必要があるし…。

寿連絡会の**さんと久々にメール交換した。ビッグイシューの神奈川のデポー的役割をしてきた医師の++さんの様子を聞いたのだが、実は故・永山則夫氏の顔が文春のムックに出ているというFBの記事をみたからだった。「無知の涙」の作者である。


私は当時、競争社会とか社会的孤立のことを発信していた。私が語ったのは、標準進路と人生を追って生きるその生き方が所得世襲をめぐって競争原理を是とさせており、人身事故や罹患、家族崩壊等のリターンマッチが補償されていない不合理のことだった。

私は二流進学校にいたために、授業は納得のいかないことだらけだった。例えば、小学校のとき、「1+1=2」となるとは限らないことに気付いた。水どうしは合わせても2となるとは限らない。米と小麦粉を合わせても2にはならない。犬とカラスを合わせて2とは何か変というようなこととか、英語ではなぜ単数や複数でもyouなのかという問いに教員は「余計なことを考えず覚えろ」という、いわゆるまなびの脱線が許されないこと。(実はフリースクールでは許されている。)漫画は輪郭線で絵が描かれているが、実際はその境に線はないこと。(これは大人になって朦朧体や近傍の存在を知るのだが。)俗に屁理屈と言われ、聞き流されてしまうことが多かった。

そういう中で、効率記憶と解法類型直感を追う中では、私の歩んだ「重病と臨死体験」や、「三世代同居と介護における男性の位置」という常識外の体験を持つ者が、さるぐつわを噛まされているような不合理感がある。それは私の場合、貧困に集約されない個的体験であったのだが、永山則夫をめぐって、知識習得のハンデをめぐって、貧困こそ不合理の根源とする友人がいて、議論をしていたことを思い出した。私が夜間中学や社会的困難を抱える方にこだわるのは、社会が標準の幻惑にはさまり、対話に閉じていること。だからこそ、ぎゃくに、自由さを備えた「参加と協業」が豊かであることを伝えていく必要を感じているのだ。

私は災害や戦災によって絶たれる人生の不合理さと同時に、被災家族の生活復旧に収斂する活動に、違和感を感じている。単身者が再び無視されている。様々な人生が交錯したのも災害や戦災である。そこに何をまなぶのか、ましてや相互監視の地域復旧は、支援とは言えない。「セイフティーネットの形成とその地域補償」という課題を見通せない活動は、限界だと思っている。

多様性を支える発想を災害ボランティア活動の中に見い出せないか。互いの命を慈しむ活動の端緒をつかみたい、そうおもうのだ。

夜間傾聴:ふたり
(校正2回目済み)

コメント
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