湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネ学習的就労支援活動・災害ボランティアの実践を書き溜めていきます。

母が留守となった父の介護から考えた(2最終)家は戦場と化した

2008-07-30 06:49:53 | 引きこもり
父との二日目の日が過ぎていった。とにかく次の瞬間何が起こるかわからない父との生活は、紐でつながれているように離れられない。昨日は脳の血管が詰まったり、破裂したりして様々な心身の障碍が出てくることを語っている番組があったので、半身麻痺が起こっている原因を話した。全く無視。

「痛くない、平気だ」といういつもの応答。
「痛くなくても麻痺があれば異常がでているということでしょう?」と問う。
全く無視。

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昨日は巡回と労大研修があったので、炒飯を作り暖めなおすだけにしておいた。覚悟してガスの元栓を閉めて家をでた。しかし、気が気ではなかった。父が元栓を戻す格闘をするからだった。元栓は、収納扉の向こう、高さ30cmのところあるので、中腰が出来ない父は、元栓に手を伸ばすことが出来ず転がってしまう。その場に座り込めば可能だが、今度は立てなくなるのだった。

そうは言っても、ヤカンを何度も丸焼きにし、ドライヤーを動かしたまま水に漬けてしまう前科があるので、労大が始まる前に電話を入れた。1回鳴っただけで父が出て「大丈夫だ」と言った。

22時すぎに家に戻って驚いた。父が階段に寝転んでいた。3段下には電話の子機がころがっていた。滑ったのだった。しかも父は、今滑ったのではなく、すでに何分かそのままになっていたのだった。厨房はすさまじい状態。満たしておいたヤカンの水が床にこぼれて飛び散り、椅子が横倒しになっていた。冷蔵庫はしっかり閉まっていないために、警告音を鳴らし続けていた。入口に近い冷凍食品は溶けていた。

茶の間には湯飲み茶碗がたたみの上にころがり、茶のしみがついていた。食卓は斜めに曲がり、その足でびしょぬれになった新聞が引きちぎられていた。セコムの非常用スイッチは電話の親機の横に放置されていた。

これが要介護3という状態だろうか。亡き祖母の尻拭きにつかったぼろきれと新聞紙を取り出し、こぼした水分を吸収した。手すりを伝って父がやってきて、一瞥すると濡れた戦場の茶の間に座り込んでTVをつけたのだった。

斜めになった食卓のまま、買ってきた寿司を目の前に出して、床に転がった茶碗にお茶を注いだ。私は耐えられなくなって、リモコンを取り上げてTVを消した。

想像が付いた。座ったまま、遠方のポットから茶を注いだので横転した。食卓の中で起き上がったから、卓がずれ、茶碗も飛ばしてしまった。雑巾の代わりに座布団を使って水気をこすった。そしてまたこけて、サイドボードの中身を地震に遭った痕のように転がしてしまった。居心地がわるくなって厨房でインスタント麺を食べるために湯を沸かそうとし、やかんをひっくり返した。水を取り出した冷蔵庫のふたがいい加減に閉まっていたことを、その騒ぎで忘れてしまった。あせって電子レンジの中をみると、グレープフルーツが破裂していた。

8時間家を空けた結果だった。これは惚けではない、家事体験不足と半身麻痺の結果なのだ。すべてそう。

濡れた靴下を脱がせ、寿司のセットの殻を下げた。

今日は8時30分に、ホームの車が通所デイの送迎にくる。あと1時間。就寝は送り出してからだ。

今日はDAISY の国際シンポと関東関係者の集まりがある。もとのブログに戻る。

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8/9(土)の会場が決まる。茅ヶ崎市のコミュニティホールC会議室

しかし時間と中身がまだ決まらない。困った…。

夜間傾聴:******(親)
     町田2君(仮名)
     入谷さん(仮名)


(校正1回目済み)
コメント
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