湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネ学習的就労支援活動・災害ボランティアの実践を書き溜めていきます。

福祉PJの問題点/おやじの会に参加し(福祉ベンチャーパートナーズ大塚さんたちと)

2007-05-20 07:05:25 | 引きこもり
福祉PJの方針が確定できずに困っている。「福祉」という概念自体、自生的な概念ではなく、「統治」を孕んだ概念だ。問題を見極め「整理し」解決策を「施す」という内容を持っている。様々な活動の前に立ちはだかる壁の「高次の共有」を基礎にしている。つまり、問題があるからそれに取り組むという個々の活動を、一度丸ごと抱え込む発想が要求される。ここが難しい。

単純に高齢者・介護・障碍者…というような分野の重なり目が距離のために見えないという難しさだけではない。ひとのライフ・サイクルという還元から、それぞれの活動を結びつけたとしても、共通の解決していくべき壁(対象)を見出すというよりも、「よりよい理想形」へと導く活動だからである。交通事故の個々の交渉を行うことと、事故多発地点の道路交通整備を行うことは次元が違うのだ。

NPOサポートちがさきの福祉領域の活動には、余暇支援ネット参加PJ、就労困難な若年者就労支援PJ、福祉PJがある。広義にはシニアネットなども含んでくる。それらは個々に課題を抱えており、福祉PJだけが直接の壁を持っていない。

お互いが交流できるように場を設定しても、事故当事者が道路計画に踏み込むのは稀だろう。つまり、福祉PJを立ちあげる意味は、個々の活動の前進のために役にする活動を加えるのではなく、常にそれらの問題が、当事者間に閉じている現状を打開すること、つまり啓蒙啓発的な活動に、現在的な姿があるのだと思う。

昨年度、サポチガ会員対象に連続講演会を行った。あらゆる領域から現在抱える問題点を紹介してもらったのだが、これが「紹介だけでは意味がない」という批判に晒された。そこで何かやることはないかとなった経緯がある。しかしこれは、いろいろな会議に押し捲られて、いまここで解決するべき手立てが見えない、言い換えれば「TVを手をこまねいて見ているだけではないか、そんな暇はない」という批判に聞こえる。

しかしいわゆる福祉の領域の諸活動は、当事者の内側に問題が包み込まれ閉じていて、公衆の課題、公衆の協力へと広がらないのが実情であって、ここを媒介することは、意味がないことではない。対象が「サポチガ会員向け」ということではなく「市民向け」に変えていく必要があるということだけなのだ。

しかしここには、マスコミの報道がある。そこと切り分ける価値をPJは持っているだろうか。それを個々の活動の取材という形で、活動の生の切り口を価値とするなら、膨大な労力をそこに注がないとならないだろう。ではクリティークな側面を前面に出していくというなら、余計なお世話論と格闘になるだろう。

場を開放するから使ってください式の「掲示板」「メーリングリスト」「ブログ」は、よほど必要性に満ちたテーマの場でなくては、ただ閑古鳥が鳴くか、一部レギュラーのたまり場となるだけで、波及効果は風化してしまう。

福祉PJは「仕掛けていく」PJが命なのであって、この緊張を弛緩させないために、思案の期間をもつことにした。数ヶ月充電休みである。関係者との中間的な意見交流はメールなどにて、つめていくことにした。

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(株)福祉ベンチャーパートナーズ代表の大塚由紀子さんと会った。湘南おやじの会・町田おやじの会の共催講演会の場だった。参加して見てわかったことは、参加者がお互い周知の仲というか、交流が蓄積していて、よそ者状態(当たり前か)だったことだ。

私は就労支援の基本は当事者性にあると考えている。ところが会の話を聴いていて浮かび上がってきたのは、背負い込んでいる世界の差だった。私の抱えている世界は「引きこもり・軽度発達障碍・精神障碍・社会福祉」の世界だ。ところが、おやじの会で語られている世界は、知的障碍・中~重度障碍の世界だった。私の提案はこの差異をうまくコーディネートして地域就労の流れを作ること、「社会の中へ・地域の人々の中へ」という包摂的な質の就労志向の中に差異を統合していくことで、統合可能な状況なのだった。

今回の話は、優れた実践情報の交流が主だったのだが、大塚さんは、やはり訓練による職場適合という志向の中にある。労働のインタラクションの絵が手薄に見える。クロネコメール便の自転車配達をしている青年が、配達する量が多いほど喜ぶというのはなぜだろうか。立ち作業で広告の袋詰め作業を効率よく行ってる方々の表情が充実しているのはなぜか。その辺が意識化していない違和感がつきまとった。

世田谷の「すきっぷ」見学をFVP主催で行うそうなので、ここの活動はぜひ一度見ておきたかったのでさっそく申し込んだ。人数が少ないので、大塚さんとは改めて話せるだろう。

まあ、またお邪魔することを前提に、飲み会の席という無粋な場所で「PJ」と「わーく」の紹介をさせてもらったが、局面が共有されていないので、完璧に空振りして終わった。この場面の無さこそ、引きこもり青年が格闘する無意識の壁、手がかりの無さは、かみ締めておいていい。非難する意図は無い。ただ無意識のうちに私たちは「仲間」という形で閉じているのだ。その傷口の痛みは忘れないようにしていきたい。引きこもり青年と付き合うための矜持である。

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夜間傾聴:レギュラー君1名

きょうの仕事:文書関係自宅仕事

p.s.育成会にお邪魔できなかった。月曜日にまわすことになった。

(校正1回目済)
コメント
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