湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネの地域学習活動・就労支援活動の実践試行を書き溜めていきます。

*君が命を絶った、馬鹿な…

2007-05-29 06:04:32 | 引きこもり
*君が自殺。
とんでもない話が飛び込んできた。詳しいことはわからない。

一昨日、0時頃に彼から電話が入った。開放病棟を見に行ったところ、50~60代の統合失調症の患者さんの老人ホーム状態で、話が違うので、入寮を拒否したと語っていた。再び家庭で荒れて、家族を追い出したあとに電話をしているのだと語った。

彼をたしなめ、彼は就職を追うことで自分の状態が解決つけられる状態ではないから、SST(ソーシャル・スキル・トレーニング)をじっくりやった方がいいと勧めた。しかし、私の意見は解任された者の意見なので、意味が無いと彼は受け流していた。私の意見はわかっている、ただ確認しているだけだという風に、彼に聞こえていたように思う。

この再確認の背後にかすかな虚無が漂っていることを感じたが、近く「病院にいくから」という話で彼の語りが終わったので、「それでも私は、君を待っている」と応えたところで、先方から電話は切れたのだった。

それが彼との別れの会話になってしまった。若い命がまた失われていった。私を遮断する形で、彼は私に会話を求めてきたのだった。冷静理路整然と彼は語る。その論の整合性の破れの部分に、彼の激情が潜んでいる。

彼の解釈パッケージには誤解修復のルーチンはない。だから聴くものにとっては、物語を聞くような響きがある。それを修正させるには、あたかもアンチ・テーゼを立てるごとく、自立完結性をもったひとかたまりの論理パッケージを提供しなければ、彼は変化しない。矛盾から修正へと向かう対話の逐次修正は、そのプロセスでは起きていない。新旧部品が修理で入れ替わるように真実が埋め込まれる。

この差し替えは論が論を抑圧している。状況を分かち合うようにして対話は成り立つが、彼との対話は手札を持ったトランプゲームのそれのように、手札の状態は深く相手に対して隠されている。将棋や囲碁の場の共有モデルとは、構造が違っている。

彼との対話には、常に言葉の裏表を感じ取ることの必要性を意識してきた。彼の言葉には暗喩がない。私が論旨の流れの再構成をするのと同時に、「なぜ、今?」と照合的に自問することにしてきたが、その状況の矛盾が見えたとき、私は彼に対し、予測的に手を打つことになる。その手探りも、もはや虚空を舞うだけとなった。

*君、なぜ君が「ありえない」と言い切った自殺を選んだのか。君が私を信用できないとする疑惑の根拠としたものの反証となるものは、私の手の中にある。それを出すという行為が、君による「裁き」という枠組みに載ることを私はよしとしなかった。それは「裁き」ではなく「論議」の差異だからだ。

君の親御さんが、すべてを自分の采配のなかに入れたかったように、それは仕切った自分の世界をはみだすことがあることを忘れている。それは無意識とか相互行為によるもので、当事者には見えないものだし、各人に分担された役割から見える世界はそのすべてを共有できないものなのだ。

それなのに、君は電話をかけてきた。嬉しかった。君の論理矛盾でありそれは、君が裏で求めたように、私にも引き裂かれた川を渡りたいと願っていたことなのだ。

だが、もう君の封印された苦しみを、分かち合うことはできないし、状況の打開を相談することもできなくなった。この生々しい虚しさと君の笑顔を心に刻印することをもって、私は君への証としよう。

…性急すぎるぞ、*君!

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