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泥沼の内戦となったシリア--アラブの春の悲しい結末?

『知らないと恥をかく世界の大問題5』より 過酷な〝アラブの夏〟の深刻化

シリアは、イスラム教シーア派の分派であるアラウィ派のアサドー族が、国民の70%を占めるスンニ派の住民を押さえつけている構図でした。

イスラム教徒は大きく「スンニ派」と「シーア派」に分かれます。違いを簡単に説明しておきましょう。

初期イスラム時代、預言者ムハンマドが死んだ後、後継者をどうするかという話になりました。ムハンマドの後継者を「カリフ、あるいはハリ・ファ」と呼びます。

ムハンマドの血を引く息子たちは若くして死んでしまい、娘が残りました。その娘と結婚したのがアリーでした。アリーはムハンマドのいとこ。ムハンマドの娘と結婚したので、生まれた子どもはムハンマドの血を引いています。アリーとアリーの血を引く者こそが、カリフとしてふさわしいと考える信者たちは、「アリーの党派」と呼ばれ、やがて、ただ「党派」と呼ばれるようになりました。党派のことをシーアといいます。かくして「シーア派」と呼ばれるようになったのです。

早い話が、血統にこだわるのがシーア派ですね。

一方のスンニ派は、「血統にはこだわらずイスラム教の教えを守っていけばいい」という考え方です。イスラム教の慣習を守ればいい。慣習を「スンナ」といいます。彼らは「スンナ派」と呼ばれ、教科書には、この表記が使われていますが、日本のメディアは(欧米のメディアも)、「スンニ派」という呼び方をします。スンニ派という呼び名が習慣になってしまったのですね。

スンニ派は、全世界のイスラム教信者の85%を占め、シーア派は15%です。つまりィスラム教徒は、「慣習が大事」派が85%で「血統が大事」派が15%ということです。

その少数派のシーア派の教えが広がるなかで、シリアの土着宗教と混じって独自色のある教えが生まれました。それが「アラウィ派」です。「アラウィ」とは、「アリーに従う者」という意味で、一応シーア派ではありますが、仏教の輪廻に似た転生思想も入っています。

シリアのスンニ派にしてみれば、この状況はおもしろくありません。住民がアサド政権を倒そうと立ち上がったとき、主体になったのは、長年抑圧されてきたスンニ派でした。これを同じスンニ派の国・サウジアラビアやカタールが支援しました。

反政府勢力に対して、アサド政権は軍を使って弾圧します。しかし、「自分の国の国民を弾圧するのはイヤだ」と戦意を喪失する将兵が続出します。かなりの将兵がシリア軍から離脱し、反政府の「自由シリア軍」を結成します。

したがって、自由シリア軍(=反政府勢力)には、もともとシリア軍にいた将兵、つまり戦争のプロが大勢いるのです。武器弾薬もたくさん持って離脱しています。

この結果、シリアは反政府勢力が国土のかなりの部分を支配するに至りました。これに危機感を抱いたのが、隣国レバノンにいるヒズボラ(神の党)です。ヒズボラは、シーア派の過激派組織です。イランやシリアの支援を受けて、レバノンで勢力を拡張してきました。レバノンの南隣のイスラエルとも戦闘を繰り返し、強力な武装組織に成長してきました。このヒズボラの戦闘部隊が、シリアのアサド政権支援に入ったのです。

これにより、シリア国内では形勢逆転。反政府勢力は徐々に陣地を失っていきます。

その一方で、国際テロ組織アルカイダは、スンニ派の組織で、シーア派を目の敵にしています。シリア情勢を見て、中東各地からアルカイダ系の武装組織が流れ込みました。アルカイダ系武装組織は、アサド政権と直接戦うのではなく、反政府勢力の自由シリア軍を攻撃して、支配地域を拡大しています。反政府勢力の中でも戦闘が起き、内戦が泥沼化していってしまったのです。

反政府勢力の中には、「アルカイダに乗っ取られるくらいなら、アサド政権のほうがまだましだ」と、アサド政権との間で停戦協定を結ぶ動きが出てきました。

この混乱のなか、化学兵器(サリン)が使用されました。反政府勢力の支配地域で毒ガスのサリンが使われ、大勢の死者が出たのです。反政府勢力は、「アサド政権の仕業だ」と批判。これに対してアサド政権は、「反政府勢力が国際社会の同情を得るための自作自演だ」と反論します。国連の調査団が現地に入り、サリンが使用されたことを確認しますが、調査団の目的は、サリンが使われたかどうかの確認だけ。どの勢力が使用したかまでは調べないということを条件にシリア国内に入ったので、犯人は不明です。
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血糖値コントロール

『血糖値コントロール』より 炭水化物、糖分のとり過ぎが、高血糖状態を招く

気がつかないところに潜む悪玉 知らずに食べているこんな食材に注意

 血糖値上昇を抑える最大のポイントは炭水化物、砂糖を控えることです。しかし、中にはそれが分かりづらい食品があります。こんなところに大量の炭水化物が入っていたのか!と後悔しないために、隠れ悪玉を知っておきましょう。

 おいしそうに炊き上がった野菜の煮物。食卓の定番です、というお宅も多いことでしょう。気をつけてほしいのは、具材として使うじやがいも、かぼちや、にんじん、れんこん、豆類などです。優しい顔をして、これらの野菜はかなりの炭水化物を含んでいます。

 さらに調理に使う砂糖、みりんを見逃してはいけません。自宅で料理をするときは人工甘味料に置き換えが可能ですが、外食の煮物はやめたほうがよさそうです。

 また、砂糖を使う煮物では、栗の甘露煮や各種佃煮が超極悪レベルです。

 隠れ炭水化物といえば、春雨、ビーフンにとどめを剌します。これらの原料は米です。ばっちり血糖値が上がりますよ。また、小麦粉で作られる鮫子の皮、春巻の皮、てんぷらの衣も要注意食材です。

 パンがNGなら朝食をコーンフレークやオートミールに換えようか、と考えた方、残念ながらそれも感心できません。コーンフレークのとうもろこし、オートミールのオーツ麦も炭水化物である点は変わりません!

 スナックの類では、せんべいやガムに注意。甘いおせんべい、おいしいんですけどねぇ。その他、あめ、ジャム、羊かん、おしるこは、もちろん×!

サバ、イワシ、エビ、力二 魚介類をしっかり食べる

 魚には血液をきれいにする成分が含まれていることが知られています。なかでも、EPA(エイコサペンタエン酸)、DHA(ドコサヘキサエン酸)は、サプリメントの宣伝でも聞き馴染みのある成分です。

 EPA、DHAは、魚の中でもサバ、イワシ、アジ、サンマなどの青魚に多く含まれています。どれも日本人が昔から好んで食べてきた近海魚ばかりですね。

 DHAは脳や目の神経の働きをリフレッシュすることも分かっています。目や脳の働きに不安を感じ始めたら、より頻繁に食べるといいでしょう。

 最近、糖尿病腎症の抑制に効果があると発表されて話題になったのが、アスタキサンチンという成分です。

 アスタキサンチンはカロテノイドの一種で、鮭、イクラ、エビ、カニなどに含まれる色素成分です。本来は青緑色で、加熱されると赤く変色します。イクラ、エビ、カニは、コレステロールが多く敬遠しがちな食材だっただけに、好きな人にはうれしいニュースです。

 なお、アスタキサンチンはオリーブオイルやお酢と一緒に食べると、さらに効果が上がるといわれています。メニューをひと工夫してみましょう。

 魚介類には、ほかにもおすすめの食材があります。イカ、タコ、貝類に含まれる夕ウリンには抗酸化作用があり、肝臓を活性化する働きがあります。肝臓は消化吸収したブドウ糖の中継基地として重要です。肝臓を元気を保ちましょう。

甘すぎるフルーツは敬遠 朝食にバナナはいかが?

 新鮮なフルーツにはビタミンやミネラルが豊富に含まれ、一般的には健康的な食材とされています。しかし、フルーツの中には糖分をたっぷりと含むものもあり、糖尿病患者には注意が必要です。

 特に、桃やぶどうは甘いほど商品価値が上がるのか、意図的に糖分を高くしている商品もあります。おいしさに誘われて食べ過ぎると、血糖値が急激に上がりますので気をっけてください。また市販のフルーツジュースには砂糖が大量に加えられているので、控えたほうがいいでしょう。果物の中でおすすめなのがバナナです。ビタミン132、カリウム、クエン酸、メラトニンなど有効成分を多く含んでいます。ビタミン132は糖代謝、カリウムは血圧降下、メラトニンは活性酸素の除去に効果があります。

 そして、バナナといえば東京マラソンの給水地点でランナーたちに配られたことが話題になりました。また、自転車競技やテニスの試合の合間に選手たちが食べている様子もおなじみですね。

 このようにバナナは活力の源ともいえます。朝食にパンを食べている人は、バナナに換えてみるといいかもしれません。

 そのほかでは、抗酸化力の強いキウイはいかがでしょうか。キウイの皮にはポリフェノールがたっぷりと含まれていますので、皮ごとミキサーにかけてジュースにして召し上がってください。効果抜群です。
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『近代世界システム』の構成 第四巻--長い一九世紀

『近代世界システムⅣ』より 『近代世界システム』全巻の構成

「長い一九世紀」の叙述をめざした本書、つまり第四巻にさしかかると、二つの問題に直面した。時代がすすむにつれて、近代世界システムの地理的範囲は拡大するので、その分、読まなければならない材料も膨大なものとなる。しかも、研究文献の数は、どこか特定の一国にかんしてさえ、少なくとも算術級数的にはふえていく。というより、ほぼ、幾何級数的にふえていく。このことだけでも、これらを読みこなし、得た知識を総合するのに、とてつもない時間がかかる。これこそ、第四巻の刊行がこんなに遅くなったことの、いささか覚束ない申し訳である。もうひとつ、ときが過ぎるにつれて、多くの他の知識人の活動にふれて、執筆にあてる時間がなかなかとれなかったこともある。

二つ目の問題は、この巻の主題をどこにおくか、ということであった。これまでの分析からすれば、主題は産業革命ではありえない。産業革命が資本主義制度を生んだなどということはありえない。というのは、私見では、そんなことは、ずっと以前に起こったことだからである。フランス革命や南北アメリカの諸革命のような、いわゆる大民主主義革命を主題にするわけにもいかない。というのは、どちらの革命も、従来いわれているようなものとはまったく違う、と考えてきたからである。そこで、ここでは、フランス革命が全体として近代世界システムに与えた文化的影響を、この巻のキイをなす主題としたいと思う。それを私は、近代世界システムのジオカルチャーの産物とみなしたい。つまり、この世界システムの全域でひろく受け入れられ、以後の社会的行動を制約することになる一連の思想、価値観、規範などのことである。

フランス革命は、政治変革の正当性と主権在民の概念を正当化したものだ、と私がみなしていることは、いずれ明らかになるはずである。ペアをなすこの二つの信念は、さまざまな影響をもたらした。まず第一に、こうした二つの概念がひろく流布したことへの反動として、近代の三つのイデオロギーが生まれた。保守主義、自由主義、急進主義がそれである。中道自由主義がほかの二つのイデオロギーを「飼い慣らし」、一九世紀が進行するとともに、勝利していくというのが、本巻全体の議論である。具体的には、ことは、イギリスやフランスのように、自由主義国家の創設というかたちをとって進行する。また、この過程は、主要なタイプの反システム運動の誕生を促進したが、同時に、そのインパクトを一定の範囲内に抑える役割をも果たした。反システム運動の概念は、ここではじめて登場する。ここでは、市民権という概念によってもたらされた利点と、こうした利点の程度について抱かれがちな幻想とを扱う。最後に、この過程はまた、歴史的思考にもとづく社会科学の形成を推進したり、反対に抑制したりしながら進行する。時期的には、一七八九年から一九一四年まで、というより、より正確には、一七八九年から一八七三年ないし一九一四年までを扱うことになる。

とはいえ、やがて気がついたのだが、このような重点のおき方をすると、本来ならこの巻で書くはずであったつぎの三つの物語は、第五巻に先送りせざるをえないことになった。すなわち、ひとつには、列強によるアフリカ分割と民族解放運動の勃興、第二に、ヘゲモニー国家としてのイギリスに代わる、アメリカ合衆国とドイツによる経済的こ収治的ヘゲモニー争い、その結果としてのアメリカのヘゲモニーの確立、最後に、[近代世界システム、つまり、資本主義的世界経済への]東アジアの組み込みと、その周辺化、および二〇世紀末以来のその再興の物語とが、それである。

この三つの歴史は、いずれも一九世紀中頃のどこかにその源をもっているが、一九一四年頃に終わったかのように語るのは、どうみても合理的とはいえない。一九世紀の歴史は、すべからく二〇世紀につながっている。一九一四年という年は、これら三つの物語のいずれにとっても、それ自体としては、転換点というわけではない。三つの物語のそれぞれの主要な部分は、勃興と衰退ないし衰退と勃興の激変のなかにあった。とまれ、私としては、これらの物語はいずれも、「長い二〇世紀」の物語であって、つまり、イギリスの世紀の物語ではなく、アメリカの世紀の物語であったと考える。したがって、読者諸賢には、とりあえず、寛容と忍耐をお願いしたい。

目下計画中--書いているうちに変わるかもしれないが--の第五巻は、一八七三年から一九六八年ないし八九年までを扱うことになる。さらに、やり遂げられればの話であるが、第六巻では、資本主義的世界経済の構造的危機が主題となり、一九四五年ないし一九六八年から、二一世紀中頃のどこか、たとえば、二〇五〇年くらいまでが対象となるだろう。私の考えでは、その頃には世界の状況はすっかり変わっているはずで、近代世界システムは決定的な終焉を迎え、代わりのシステムに譲位しているはずである。いまだ知られていない、知りようもない、この後継となるシステムは、単一であるのか、複数になるのかもわからないし、その特徴がどういうものになるのか、まだ素描する段階にもない。
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自己をならうなり

本が好き

 キンドル・ペーパーの皮のカバー、7千円もするものが即売だったそうです。そこに本好きを感じます。本体の半額です。

お客様との接点

 20年間探してきた答えがこんな近いところにあるとは。

クルマの大罪

 こんな面積を占めるのか? ここに居ない時になぜ、なくならないのか? なぜ、買わないといけないのか? なぜ、今後ともインフラを使わないといけないのか? 

 なぜ、人のペースに合わせないといけないのか? なぜ、運転しかできないのか? なぜ、運転しなければいけないのか? なぜ、こうもトラブルが多いのか? 協調して走っているのに、なぜ、世の中に協調がないのか?

 なぜ、疑問点を残したまま先に進めようとするのか?

 これらは目的が手段になっていることから発生している。クルマには存在する意味を考えてもらいたい。これを最初に明示したのは、入社する前です。車が何をしているのかを考えたら、クルマ自体が変わるだろうと思った。道路に無残に轢き殺された毛虫の身になって考える。

自己をならうなり

 「仏道をならうというは、自己をならうなり」(『正法眼蔵』「現成公案」巻)

 本来、自分自身にそなわっている仏になるべき可能性を実現しようと説いた。人間が本来的に自分自身にそなえている尊厳性や純粋性を確実に把握する。それが自己にならう。パートナーという以上は自分自身を鍛えないといけない。

 道元の行き着いた先は、言語だけでは追い求めて得ることができない、非言語の世界。うわべだけの言葉が横行する時代に、人々の荒廃したこころの豊かさへの回帰を示唆している。こころの豊かさとは、非言語の世界を透過した「愛語」の世界に帰結する。

 愛語は、愛心よりおこり、愛心は慈心を種子とする。愛語には回天の力がある。そして、「愛」はIとなる。

国家とは

 「国家」は、社会が秩序と平和の維持のために組織的暴力を独占できる条件を決定する法秩序の別称である。①人は国家の名において行動し、国家は個人にサーヴィスを要求しそれを受領し、また個人に恩恵を与えるのである。②国家は社会的変革のための制度的機関や手順のたいていのものを提供する。③国家は法の執行のための機関を供給する。

 それが故に内戦が発生する。一八〇〇年から一九四一年の間では、その数は二八の内戦と八五の国際戦となり、比率はまさしく一対三となる。フランスのユグノー戦争、イギリスでは一五世紀のばら戦争と一七世紀の内戦、ドイツでは三十年戦争、スペインでは半島戦争、アメリカ南北戦争、中国の太平天国の乱といったような内戦は、生命と経済の犠牲において、現代の国際戦をはるかに凌ぐものであった

世界国家の縮図としてのスイス

 世界国家がもたらすと期待されているものを、スイスはすでに達成しているようにみえる。スイスは、独自の言語、文化、歴史、忠誠心、政策をもった幾つもの主権国家から新しい連邦国家をつくることができた。世界の一三〇余の国家はなぜこれと同じことができないのだろうか。

 そもそもの国家連合を構成していた一三の加盟国は、領土が隣接し、ドイツ帝国と(プスブルク家に対してともに抵抗するなかで結ばれた。共通の敵として、それらがある。

 スイス軍は、そもそもの国家連合における中心部をなしていた山間の谷によって事実上外国の攻撃を免れていた。スイスヘの攻撃がもたらす軍事的損失に比べると、勝利の魅力は小さかった。

 スイスの誕生と存続を可能にしたのは、憲法協定に表明された意志の力だけではなく、幾つかの特殊かつ独特な状況が結びついた結果である。強大な隣国のまっただなかにあって生きのびることができた。
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あと半年

あと半年

 早くも6月。あと半年で、どうにかしないと! パートナーと未唯空間を。

本屋の店員は高度サービス化

 本は重たいので、本屋の店員は肉体労働だそうです。電子図書になった時に、本屋はどんな姿を見せるのか。重さだけが変わっただけの本屋ができるといいのかなと思います。どうやって見せるか、それを読み込んで推奨するところ。それをワクワクしながら、お客様に伝えていくこと。

 電子書籍になったからと言って、全て、プルにするわけにはいかないでしょう。プッシュしないと。そこでコミュニケーションが生まれないと。本屋の店員は接客業が中心になる。高度サービス化していく。

 今の本屋の店員は台車がオフィスになっている。台車に個性を出している。

図書館員と本屋の店員

 図書館員もそうですけど、本のことを知らないといけない。図書館は本の返本処理ぐらいです。棚の出入りが少ない。市民が借りていったからと言って、補充するわけではない。新刊書はコーナーにおけばいいだけです。

 新刊書の装丁も、TRDに任せれば済んでしまう。棚に並べるのは、返本ボランティアでもできるのだから、図書館員はもっと、先進性を持たないといけない。

本を開いてもらう番人

 図書館とか本屋は出会いの場です。借りたいとか、買いたいとか思わせることです。出会いのモノになることです。本を開いてもらうための番人。本とお客様とをつなぐお手伝い。

 いい本屋とスタバはよく似ている。お客様にお勧めすることをしている。問われればではなく、お客様の様子を見ながら。

 ポップも書くのも、こういうのもありかなという世界になってきている。そこで考えるのは、電子書籍になった時にどうなるか。物理的なモノがなければならないのか。

 何しろ、本の種類は膨大です。人間が多様であるためには、本は膨大でなければならない。膨大な海の中をどうやっていくのか。簡単な選択肢は読まないことです。それだと、人の意見に惑わされます。思考停止に入ります。

 意見に惑わされなくて、何も考えなければ、社会を悪くします。何もしないことも自由を放棄することと一緒です。ポップとしては、この人は本当にこの本が好きなんだなと分かるものがいい。愛をどう表現するかです。

 新しいことをやってみようと思っても、現実には他の作業が多くて、手が回らない。だから、後回しになる。店の雰囲気づくりのための作業、やってみたいアイデアとか妄想ばかりどんどん膨らんで溜まっていく。

 お客様がストーリーを言って、それが分からない時はそこから答を出そうとする。書評も事前に押さえて、返品を止めるようなこともやっている。情報も立体的になっています。

チームでの活動

 そして、本屋はチームである。こんなことをやりたいだけど、一緒にやらないと誘って、乗ってくれる人、一人でも面白いことをカタチにする。これはスタバのIさんそのものです。一緒にやってくれる人を思いながらやっていく。それが本来の情報共有。個人の存在から発していくこと。

 本屋に向くのは、誰かにこれを伝えたい、届けたいという思いがある人。

 Iさんの場合、多くな特徴があります。チームです。どうやって、チームでやっていくのか。個人でやるよりも、はるかに強力になります。守られているという感じです。

Iさんへのインタビュー

 どこかで、Iさんに本格的にインタビューしましょう。何の思いを伝えたいのか、つなげたいのか。

 2か月後の撮影会の後は、インタビューです。チームについて、どう思いますか? 伝えたいことは何か? 社会を変えていくために、底辺を支えている人からインタビューをしていく。そのための突破口です。

 本当はインタビューしなくてむ伝わっているけど、それをIさんの言葉にします。
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岡崎市図書館の10冊

370.4『希望の教育』持続可能な地域を実現する 創造的復興教育

007.6『入社1年目のエクセル仕事術』

289.2『素顔の孫文』国父になった大ぼら吹き

913.6『親鸞』既往は咎めず

493.7『「うつ」な気持ちをときほぐす 勇気づけの口ぐせ』アドラー先生が教えてくれた心の持ち方

019.0『読書礼讃』

537.9『午前零時の自動車評論』

290.9『地球の歩き方 ドイツ』

007.5『Googleサービスを100倍活用する本』Googleサービスを使いこなして『もっと便利に』 この本を読めばもっと使える!

209『138億年の歴史』インフォグラフィックで見る 宇宙の始まりから現代世界まで ⇒ この間、137億9千万年と書き換えられた。それを丸めて、138億年ですか。1千万年は短い時間ではないと思うけど。
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