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要素還元主義からの脱却

『科学のこれまで、科学のこれから』より 科学のこれから

要素還元主義は科学を推進する上で実に有力な方法であり、三五〇年以上にわたって積み重ねられてきた歴史があるだけに、多大な成果を残してきたことは明らかである。現代の科学・技術文明は要素還元主義の成果の上に成り立っていると言っても過言ではない。また科学の方法として要素還元主義しか確かな方法を見出していないのも事実である。であるから、現実には要素還元主義の方法を基本的な拠り所にして科学を進めるしかなく、要素還元主義を全否定するわけではないことを最初に強調しておきたい。

要は、要素還元主義が通用しない複雑系をどう捉えるかであり、曖昧な科学知しか得られない科学とどう付き合うかである。あるいは、系が多数の要素から成り立っているために統計的な処理をせざるを得ず、確率でしか結果が言えない場合に私たちはどう対応すべきかである。答えが完全にわかっているわけではなく、ある種の可能性が、ある確率で示されるのみということが多いのだ。確率の計算は一般には厳密であり、そこに疑いを差し挟む余地は少ない。しかし、絶対的な答え(っまり一〇〇%の確実さで言える解)ではなく、あくまで可能性の確かさの割合でしか言えないのである。

しかし、人間はシロかクロか、(一〇〇%か○%か)をはっきりさせないと安心できない動物であり、そもそも確率で物事を判断したり考えたりすることに慣れておらず、不得手としか言いようがない。科学に対しても要素還元主義的に明確な答えが得られると期待してしまうので、不確実なことしか言えなかったり、確率でしか言えなかったりすると途端に科学を信用しなくなりかねないのである。

たとえば、IPCC(気候変動に関する政府間パネル)の報告によって地球温暖化問題は常識化しているかのようだが、それにクレームを付ける研究者もかなりいる。それも、地球が温暖化していることに疑いを持つ人(気温の計測が地上や都会に偏っており完璧ではないことがその根拠)、温暖化は認めるが二酸化炭素などの温室効果ガスが原因ではないとする人(温室効果は水蒸気がほとんどであって二酸化炭素などはあまり効かない、むしろ高エネルギー宇宙線の効果や太陽活動の変化を重視するという立場)、温暖化は一時的なゆらぎに過ぎないと主張する人(いずれ地球寒冷化か訪れると達観している立場)など、多様な意見がまじっている(環境保護を主張する人間が自分たちの存在意義を社会に認知させるためという陰謀説まである)。

そもそもIPCCとして、地球温暖化の原因が人間の活動である確率は九〇%(第五次報告書では九五%)であるとは言っているが、一〇〇%確実とは断言していないのである。気象(気候現象)が複雑系であるためにそうとしか言えないのだ。科学的真実は、多数決で決まるものでも、権威(この場合はIPCC)がそう言うから信じるものでもない。あくまで疑ってかかる懐疑主義が科学者として採るべき態度なら、むしろクレームを付ける方が科学者として健全であるかもしれない。また、集中豪雨の頻発や台風の巨大化や砂漠化の進行などの気候変動すべてを地球温暖化のせいだと言ってしまうと、わかったような気になって思考停止に陥る危険性があり、地球温暖化が原因とは限らないとあえてクレームを付けることによって、より慎重でより多角的に研究する態度につながるかもしれない。というわけで、IPCCの言うことを安易に信じて、オオカミ少年のように地球温暖化を喧伝するのは正しくない(だから何もしなくてもょい)、という立場の人間がいることは事実だろう。

しかし、そのように懐疑主義を徹底して何も対応しないという行動原理は、要素還元主義によってすぐに絶対的な解か得られる見込みがある場合には肯定できるが、複雑系においては簡単にそのような答えにたどり着かないのは明らかであり、だからといって答えがわかるまで何もしないわけにはいかないのである。温室効果ガスが実際に地球温暖化を引き起こしているという主張が正しいなら、このまま温室効果ガスの排出を野放しにしていると、やがて温暖化が暴走するようになり、結果的に手遅れになるかもしれないからだ。つまり、地球温暖化問題に関しては不確実な科学知しか得られないのだけれど、市民の合意の下に何らかの行動を選択することが求められているのである(むろん、積極的に何もしないことも選択肢の一つではあるのだが)。

実は、政府が要素還元主義に固執したために対応を誤った事例はいくつもある。たとえば、オゾン層の破壊がフロンによると推測されてフロンの製造・販売を禁止しようとモントリオール議定書が国連で採択されたとき、日本政府は「科学的証明が不十分である」という理由で反対した。また、水俣病の原因物質として工場排水に含まれている水銀が問題となっても、「科学的根拠が明らかでない」として水銀説を採用せず、結果的に被害者を増やすことになってしまった(水俣病だけでなく、数々の公害や鉱害や薬害の認定でも同様の失敗を繰り返してきた)。これらは、要素還元主義の立場から原因と結果が一対一で完全に符合しない限り認めないという態度に起因しており、何も対策を取らないことへの言い訳として「科学的根拠」が持ち出されたのである。これらの問題は、最初は複雑系の様相を呈していてすぐに明快な答えが得られないことが多かったのだ(よく調べると科学的根拠が明確になった比較的簡単な場合なのだが)。

生態系の危機や地震予知のような問題も典型的な複雑系であり、また微量放射線被曝や環境ホルモンの人体への影響など、現在の実験によって一〇〇%確実な結論が出せない問題も複雑系の一種である。こうして眺めてみると、複雑系は私たちが日常的に接しているマクロなシステムに多い。そして、私たちがどう対応すべきか決定を迫られる問題が多く、要素還元主義に固執していては不可知論のままで止まり、何も決められず無責任ということになってしまうのだ。
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