未唯への手紙

未唯への手紙

民主主義と資本主義

2014年06月08日 | 3.社会
コミュニケーションの原点

 月曜日はIさんの目をしっかり、見ましょう。コミュニケーションの原点です。

 ワクワク・ドキドキは存在を認めるところから始まります。次は腕相撲か見つめ合いか。それとも、にらめっこ。

独我論的主観

 独我論的に仮定された主観のうちに、必然的に存在している全ての触発と作用の極、すなわち、体験流を貫いている動機付けの主観は、多様な要素のうちにおいて、それそのものとして存続する努力の主観である。

愛する人

 愛する人の人格的個性を積極的に好きになること。愛する人が受動的、能動的な態度の全体が起因できること。愛する人の身体上の個性的な表現や理知的な身体性そのものが好ましくあること。

 努力はこうした喜びを可能な限り豊かにする活動に向かうだけでなく、愛する人との人格的な触れ合いにも向かい、知性と努力を共にする共同体を向かう。

今週の本はヒットせず

 今週の本はほとんどヒットしなかった。だから、読み飛ばした。蓄積されている本もヒットするかどうかの判断基準で読み飛ばします。何しろ、先に進むことです。考えることです。

OZさんへのメール

 何か、話をしたくて、OZさんに1年ぶりにメールしたけど、きっぱり、断られた。

民主主義と資本主義

 人間の本性は資本主義に反逆する。人と人との関係こそが社会の真の姿であり、労働の分割があるとしても、人間の関係は直接的でなければならない。ファッシズムは社会が民主主義を単に破壊するだけでなく、民主主義に復帰する可能性まで除去してしまう。

 民主主義と資本主義が両立しないことは明らかである。権威主義的国家の身が資本主義に内在する矛盾に対処しうる。

 資本主義と民主主義の矛盾の解決策には二通りある。一つには、民主主義な原理を政治面から経済面に拡張する。生産手段の私有の廃止、さらには、独立的な自由的な経済領域の消滅、すなわち、社会主義である。

 もう一つの方法は、民主主義的政治領域をなくしてしまう。これは産業分野において、組織された資本主義が社会全体になる。これはファッシズムである。つまり、資本主義と民主主義を解決しようとすると、社会主義かファッシズムになるしかない。

未唯へ

 枕を無印で買ってきました。隣の勧めで。抱き枕の方がよかった。

 本当にぼやけて見える。

 ICZR100はエイデンで、税別で19000円(税別)

 親にとって、子は絶対的な存在であるべきです。条件はいらない。それだけです。

地域公共人材

 自分を選ばれた人間と思っていない。選んだ人間だと思っている。地域人材とは、Think Globally, Act LocallyとThink Locally, Act Globallyの両面が体現できるじんざいとしているけど。後者はヒットラーですね。

 京の公共人材未来を担う人づくり推進事業事業の意味は、すぐれた視野・能力を持ちながら、様々な理由で就職できていない人が地域には多数存在している。そうした人材の能力を活かせないのは社会としては大きな損害である。

パートナーの相談

 それにしても、昨日は楽しかった。こんな時が来るんですね。去年のミカロスでは考えられないことです。

フリーライダー(タダ乗り)という考え方

 行政が独占してきた公共活動を地域社会の仕事として、社会化する。この時に、地域社会に新たな分断を引き起こす可能性がある。

 それまで、税金によって、実施されてきた公共サービスがボランティア活動を含む社会的仕事として展開されることになる。税金によって、公平に負担してきた社会的コストをボランティアを含む共同の当事者の負担に転嫁することになる。それらの活動に参加しない市民は、社会的サービスにかかるコストを負担しないフリーライダーになる。それを社会的な不公平の拡大として見る。

 活動家と社会ライダーとの社会的不平等を平準化するための仕組みが必要になる。そのための仕組みとして考えられるのが、フリーライダーから社会的コストを間接的に負担する方法。または、公共的活動に参加する市民を地方税で優遇する。

 それ以前に、存在の力をどう見ていくのか。地域ポイント制で見ていく。それではコントロールされます。それぞれ、個人の存在の力に寄らないと、全体が回りません。

街にディスカッションできる場

 スタバに任せるのではなく。やはり、ディスカッションできる場、周りがやかましくなく、ある程度の飲み物・食べ物がある場を町の中にどう作るのか。これを家に求めては、設備が大変です。