これから秋に向かうと果物の季節になる。子どものころは家々の畑や庭に柿、栗、無花果、枇杷などの木が植えられ、季節になると今とは違いおやつ代わりにした。庭で草抜きしているおばさんに断って柿などは遊びの途中で口にした。そんなとき「ケガをしんさんなよ」と声を掛けられた。
よく通る裏通りに高いブッロク塀がある。色つき始めたザクロが塀の上から通る人を見おろしている。これは欲しくても手が届かない。というより、このザクロは生ったまま終焉を向かえている。毎年生るが毎年収穫された様子はなく、無収穫が続く。ザクロは好みがあり、あの強い酸味は誰でも好きではないようだ。
こうした無収穫はザクロに限らず、庭に植えられた家庭用の果物には多い。柿や枇杷はその代表のように歩くと見かける。鳥もやってこないのか熟して道路を汚す。自らもぎ取らなくても店頭には美味そうに並べて買われるのを待っているそれを求めれば済む。柿は翌年のために一つ残しておけという祖母の「木守柿」など今は風化している。
辞書によると収穫は「農作物のとりいれ」の意だが、転じて一般に得たものや成果をいうそうだ。それに通ずるかどうか、中国では種子の多いことからザクロは子孫繁栄の象徴とされ結婚式の祝宴には使われたという。急速な人口減少に苦慮する日本、無収穫では自然に申し訳ないことになる。