日々のことを徒然に

地域や仲間とのふれあいの中で何かを発信出来るよう学びます

あの日から半世紀

2017年04月20日 | 生活・ニュース

 50年前の昨日は土砂降りの一日だった。そんな雨の中、翌日の結婚式に必要と指定された品々を自分で会場に運んだ。会場は労働会館、今のように豪華な式場はなかったと思うし、サラリーマンにはふさわしい会場名だろうと決めた。荷を下ろしながら会館の人と雨の心配を話しした。ところが翌日は、前途を祝ってくれるかのような申し分ない快晴のもとで結婚式を終えた。交替勤務の同僚も駆けつけ生演奏などでささやかな祝宴を盛り上げてくれた。

 父の急死もあって病身な母と二人の妹と同居する中での新生活だった。その日から数えて今日は50年目の記念日になる。金婚式という祝賀の宴はないが、朝早く京都の息子夫婦と孫の連名で花とメッセージが届いた。何よりの祝いと、皆さんに見ていただきたく玄関に飾った。ここなら花も長く生きておられそうだ。

 この50年間を4字熟語で表すなら、家族や親族間、職場でも地域でも「艱難辛苦」と「順風満帆」の間を行き来して今日まで来たと思う。この50年の積み重ねた経験に育てられた姿が今の自分だと思う。そんな中で家族の安泰が生活の1番の要だと信じて生活してきた。

 弟姉妹とその連れ合いも高齢となりすべてが健康寿命という状態ではなくなっている。厳しい選択をしなければならない状況も起きており、これからは、こうした避けて通れない厳しい途がやってくることを心せねばならない。今日という日に改めて心の備えを言い聞かせる。孫の祝いの声に救われる。
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人工知能に出会う

2017年04月19日 | 生活・ニュース

 映像では何度も見ているが目の前にするのは初めて。スーパーの一角で「ぼくとお話ししましょう。目と耳が青色に光っているとき話しかけてね。(緑色は考え中)」というお知らせを胸に掛け大きな目をした子どもくらいの人形が呼びかけている。手をあげ体の向きをかえながら話しかけられるのを待っている。珍しそうに眺める人はあるものの、残念ながら呼びかけに応える人は自分も含めいなかった。

 人工知能はAIと称され人知を越えようとすごい勢いで進化している。いや、させられている。囲碁・将棋界のトップとの対戦で勝を収めてるたびに関心が高まる。直近では将棋電王戦タイトル保持者の佐藤名人に勝利したことは記憶に新しい。正座して対局する名人らは時間とともに疲労するが、AIは疲労しないという大きな差はAIに有利な条件だろうがそれにしても素晴らしい。

 AIはビッグデータを活用して仕事をする。将来は人間を超えるのだろうか、そのためには人間と同じ知識や知性を持つことになるが、ビッグデータの情報を理論的に整理しても理性的に使うことが可能だろうか。情報からミサイル発射の結論が出ても人間なら一呼吸できるがAIにそれは可能だろうか。AIは人間が考えながらする仕事をする機械を動かすことまでにしてほしい。

 ガラケイでTVゲームも出来ない一人として、目の前のロボットにどう関わりどう接触したらいいのか見当もつかない。映像で怪獣や悪を凝らしめていれば、人ではない白い服の動く物体への対応が出来るのかも、そんなことを思いながら自分の遅れを改めて思い知ったが、撮ることだけは忘れなかったことを救いにしておこう。
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当分の間

2017年04月18日 | 地域
  錦川は市内北部千㍍級の山々をその源としいくつかの支流を集め瀬戸内海に至る清流で、市民の命の泉であり商工業発展を支えた。この錦川には国の名勝・錦帯橋があり、その姿は多くの観光客を堪能させる。その下流およそ2㌔に旧愛宕橋がある。市の配布資料によると、橋長は353㍍で昭和10年年3月に架設したが、洪水で一部流失し昭和30年に122㍍が架設された。

 この橋は車を使う地域住民には欠かせない重要な橋となっている。何分にも加齢で橋面の舗装は全長にわたりパッチワークのような補修跡が、欄干も傾いているなど「大丈夫、いつ架け替え」など何かの折に話題になっていた。それが橋面の舗装や欄干の取り換えなどの工事が昨年11月から今年3月末までの工期で始まった。迂回の不便を不満に思うことはなかった。

 4月になって通行止めの表示期間が「当分の間」と書き換えらえた。なぜと思いながら工事現場を見ながら通っていた。先日、回覧板で「落橋の恐れのある損傷個所が見つかり工期延長となり5月末まで通行止めと」とあるが、確定ではないようだ。損傷箇所は昭和30年の補修箇所で、現状では通行の安全が確保できないとある。

 橋面の舗装は新設橋のように仕上がり欄干の取り付け工事も始まっている。現場の表示は6月末まで工事となっている、安全になるまで待とう。気がかりなのは欄干の取り付け部にある橋名と架設日を彫りつけた石柱の行先、ぜひ残してほしい。改修後の橋には不似合いなようでもあるがどうなるだろう。隣町で架け替えられた大和橋のそれは近くに保存されている。
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春の嵐

2017年04月17日 | 自然 季節

 土用というと、夏の暑さが最も厳しい時期に当たると思う。この暑さを乗り切るための風習として、江戸時代の万能学者で発明家の平賀源内がウナギを食べれば夏バテをしないという仕掛けから始まったウナギの厄日は知られている。しかし、土用はすべての四季にあり、立春、立夏、立秋、立冬の前の18日間を土用というそうな。

 ということで今日は春土用の入りで立夏(5月5日)までとなる。春と秋の土用期間中に「社日」といって土を動かしてはいけない日があることは祖母からよく聞かされていた。社は土地の神様の意味で、この日は農作業を休み五穀豊穣を願い神に感謝する日という。菜園農家の祖母がこうしたいわれ事を大事にしたのは強い信仰心から、そう気付いたのは祖母が亡くなって10数年過ぎていた.

 春の意味ある日だが天気は荒れ模様の予報が出ていたので午後予定の用事も午前中に繰り上げ「大雨、波浪、洪水」注意報が出るころには済ませた。移動性の高気圧と低気圧が西方から交互に日本列島を通り抜ける。その高低の入れ替わりで荒れた天気となる。映像の解説を見ているといつの間にか予報士になっている。大方散った桜には緑鮮やかな新葉が一斉に出始めた。この雨がひときわ助けになるのだろうが、錦川沿いの国道は夕方から通行止めになった。

 「今日、女房は低気圧じゃけえ」と男社会でたまに聞く例えのごとく低気圧は気象用語だけでない。「不穏な様子や変動が生じている、あるいは生じようとしている状況」などでも低気圧を用いる。近隣にはきな臭い低気圧が発生してるが、政治家からはその解決策は何も示されていないが、硝煙臭う低気圧の通過は避けなければならない。
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コーンは仕方ないのか

2017年04月16日 | 地域

 「昔、錦帯橋の花見時には西駅から錦帯橋まで人の列が続いた」そうだ。私に記憶はないが、公園も錦帯橋畔も足の踏み場もないくらい花見の宴で混雑していたことは記憶している。小学校入学前後のころ、我が家の近くでは老若男女が弁当を広げて宴をしていた。それは年に1度の宴だった。

 車社会になり観光地めぐりは便利になった。錦帯橋も花見の時期は例外ではなく車の列は大変なもの。先週の日曜日、知人は岩国インターを下りて自宅まで普通なら20分のところ、2時間を要したと覚悟していた以上だったと笑っていた。そんな混雑を避けるため路上駐車をさせないことも一策である。そのため、桜の根元に延々と紅白縞の三角コーンが並ぶ。

 先日、「コーンがなければ」と公園で写真撮影中の人から話しかけられた。知人も同じ場所で撮影するときコーンについて同じ思いを話していた。私も同感で「なければいいのに」と思いながら撮っている。しかし、遠来の人には気の毒に感じる。でも、コーンがなければ路肩は無料の駐車場に変わることはよく知っている。この場所に立っている駐禁の標識通り守ればコーンは不要なのだが。

 並ぶコーンを撮って、そこからコーンを不要な部分として削除してみた。処理の仕方はまずいがその違いはなんとなく判る。錦帯橋上流の桜のトンネルも同じ状況になっている。皮肉なことにコーンのおかげで車はスムーズに流れていた。道路標識だけで桜の景観が守れるのはまだ先の先だろうか。
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酒まつり

2017年04月15日 | 地域

 市内には、最盛期の半分ほどに減ったが5つの蔵元で日本酒が作られている。日本酒とは日本固有の酒で、ビールやウイスキーなど外来の酒に対していう。和食ブームで日本酒の売れ行きは好調、特に山口県産は人気が高い。酒米が不足しているとローカルニュースでは聞く。その酒米増産に酒造会社も農家と一緒に取り組むとか。

 酒の味は飲む人の好みで評価が異なる。有名で高価なら全員が美味いかとは一概に言えない。ある資料によると味の濃淡と香りの強弱の4分類した呼び方が分かりよい。それによると塾酒(じゅくしゅ)は香りも味も濃厚な酒で熟成酒など。醇酒(じゅんしゅ)は香りは淡く味が濃厚な酒で純米酒や山廃など。薫酒(くんしゅ)は香りが濃く味は淡い酒で主に吟醸系など。爽酒(そうしゅ)は香りも味も淡い酒でさっぱりした生酒。

 こんな予備知識を持って酒まつりに出かけた。会場広場には酒とそれの肴、もろもろの食べ物の香りがして予備知識は役立たずとなったが、大勢の愛飲家の笑顔は写真になる。参加の目的は郷土芸能「こぬか踊」を撮るためで私は初めから酒は無縁だった。こじんまりした舞台一杯に舞う姿は何よりの肴になったと思う。

 祭り広場を見下ろす直径5㍍の大杉玉、日本一の大きさと案内の人に教えられたが蔵元のシンボルとして存在感を感じさせる。広島ナンバーのバスを見かけたが、毎年、チャーターバスで参加という広島のブロガーさんたちだろうか。いい機嫌の元同僚に出会う、ここならではの出会いに乾杯と肩をたたきあった。
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10連勝ではまだ遠い

2017年04月14日 | 生活・ニュース

 ある会合で高齢の男性、「昨夜は寝れんかった」というその口調には悔しさがこもっている。その原因は広島カープの10連勝、言い換えれば読売ジャイアンツの3連敗ということ。C対Gで昨夜Cは9回に逆転し、今季12試合目なのに10連勝を達成した。カープの健闘は鯉のぼりの季節までという風説は途絶えそうだ。

 しかし、これで喜んではいけない、というのは10連勝では優勝できない、とこれまでの記録が示している。過去、12と11連勝を達成したシリーズでは優勝しているが、10連勝でストップしたシリーズは優勝できていない。ジンクスから言えば今夜の阪神戦に勝利すれば連覇への可能性が増す第1ステップということになる。

 今朝の地元紙1面、「コイ10連勝」と太字のゴシックで載り「10連勝を達成し、マウンド付近でハイタッチし、喜び合うナインたち」の写真が載っている。喜ぶばかりではなく「大瀬良 悔しさふり絞れ」と題する辛口記事がある。「反省とは過去を悔いることではない。未来に生かすものだろう」とし、「次の巨人戦で感情がほとばしる熱投を望む」と結ぶ。記者も一緒に戦っていることを思わせる。

 高齢者にはGフアンが多いという。プロ野球の放送、昔はラジオ、テレビ中継がはじまっても放送の大方は巨人が係る試合、報道に誘われてそうなった人も多い。カープの試合は地元放送局のラジオ中継が唯一だった。世は移り放送技術は進歩し「カープ女子」を誕生させた。眠れなかった知人のため巨人も頑張ってもらいたい。
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間に合った

2017年04月13日 | 地域

 錦帯橋畔の桜が開花して見に出かけられる日は雨や分厚い雲の、花見の日も雨など日和に恵まれず写真をあきらめていた。午前中の予定が早く終わった。午後の約束まで2時間ある、ということでカメラ片手に錦帯橋畔へ出かけた。少し歩けば汗ばむ感じ、若い人らは少ないが花見客も大勢、絶好の花見日和。

 散り始めの桜の花びらが芝生の上、行きかう人らのそこかしこで舞っている。錦帯橋上流から下流に、吉公公園にと撮って回る。撮るポイントはほぼ決まっており、今年もいい眺めだと思いながらシャッターを押す。

 先日、新聞やTV報道された日本最古級の染井吉野(掲載の写真)、今年も見事に咲いてホッとする。見つけてから数年になるが、樹齢130年とは思えない。もう一つ、花を咲かせた染井吉野の幹の空洞から孟宗竹が伸びている木、これは発見して10年くらいになる。「竹抱桜」とかってに命名していたら「抱竹桜」と表札が立てられたが今は無くなった。これも珍らしくて大事にしたい1本、散策の都度見守っている。

 急ぎ足の1時間余、例年のコースを一回りした。午後の用事を夕方終える。撮った写真の整理はこれからゆっくり、お気に入りがあればいいのだが。 
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立っていく人に

2017年04月12日 | 生活・ニュース

 浅田真央さんの引退表明は内外に多くの驚きをもたらしたが、また多くの感動ありがとうという感謝の言葉が響くように返ってきた。ニュースにワイドショーといった報道は引退一色になり、満開の桜も驚いているようだ。今日、引退を語る記者会見、200名ほどの記者が会場を埋めたというから、その重大性を感ずる。

 50分間の記者会見の最後、「晴れやかな気持ちで引退できる」と語った後、涙を浮かべしばらく言葉につまり報道陣に背を向けた。向き直り、「競技で経験したことを忘れず、新たな目標を見つけ笑顔で前に進む」そんな締めくくりだった。真央スマイルはフアンならずとも希望を抱かせる素晴らしさが宿っていた。多くの人から贈られる言葉にもそれを感じる。

 このようにやり遂げて去る人もあれば、新社会人となったばかりの若い人の中には思いもしない理由で去る人もある。社会人となるからにはそれなりの決意を持っていたのではないだろうか。それなのに「通勤の満員電車がいやだ」「朝起きが苦手」など去っていく理由にはならないが現実にあると報道される。驚きでもあるが、採用決裁した企業はそうした意志薄弱を見抜けなかったことになる。

 新入生や新社会人を見送るように桜は役目を終え散り始めた。今日も出かけた先の広場では散った花びらが風に舞っていた。「散る桜をめでる表現」をローカルTVで紹介していて思わず撮っていた。そういえば、古人は桜の散り際の潔さを愛惜した。世界中の多くの人が真央さんの引退を桜の散り際を見るような気持ちで送る。
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小学校の入学式

2017年04月11日 | 回想

 近くの小学校の入学式。大学の入学式で新学生より祖父母と両親などを合わせた人数が大きく上回っていて驚きながら、これが今の時代かと感じたという文章を読んだ。それほどではないようだが、多くの新児童は両親と一緒で少し緊張感を感じる。胸に付けてもらった赤い花も嬉しそう。

 5年生作の「6年生 今度は1年生に 逆戻り」という川柳を面白く読んだ。それは、呼び方は逆戻りだが1段上がって中学生になったことを川柳的に祝っていると感じ面白いと思った。園児の年長組から1年生も同じだろう。3年生の男子は「1年生 はいいてくるんで がんばるぞ」と頼りになるお兄さんになる決意が頼もしい。

 古い古い話。「先生が職員室に来いといや」始業時間まえの運動場へ級友が呼びに来た。「なんかしたんか」と心配そうに聞く。職員室へ呼び出されるとは尋常ではない話。職員室へ入ると「今日の入学式で在校生の挨拶をしろ」と小さな紙片を渡された。文章は記憶していないが挨拶はできた。入学する一人に妹がいる、式場の後ろにいた母は、私によく似ている6年生と思ったという。まさか我が子が壇上で挨拶など思いもしなかったのがその理由らしい。

 今風には許されないのだろうが、私は子供の小中高大の何れの入学と卒業の式に顔をのぞかせていない。すべてではなかろうが、多くの家庭で似たような環境だっただろうと思う。入学式を終え両親と手をつなぎ帰路につく新児童を見ながら「専業主婦」が通用したあの頃の時代は良かったと懐かしむ。幹から直接咲いた桜の一輪になぜか1年生が重なった。
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