50年前の昨日は土砂降りの一日だった。そんな雨の中、翌日の結婚式に必要と指定された品々を自分で会場に運んだ。会場は労働会館、今のように豪華な式場はなかったと思うし、サラリーマンにはふさわしい会場名だろうと決めた。荷を下ろしながら会館の人と雨の心配を話しした。ところが翌日は、前途を祝ってくれるかのような申し分ない快晴のもとで結婚式を終えた。交替勤務の同僚も駆けつけ生演奏などでささやかな祝宴を盛り上げてくれた。
父の急死もあって病身な母と二人の妹と同居する中での新生活だった。その日から数えて今日は50年目の記念日になる。金婚式という祝賀の宴はないが、朝早く京都の息子夫婦と孫の連名で花とメッセージが届いた。何よりの祝いと、皆さんに見ていただきたく玄関に飾った。ここなら花も長く生きておられそうだ。
この50年間を4字熟語で表すなら、家族や親族間、職場でも地域でも「艱難辛苦」と「順風満帆」の間を行き来して今日まで来たと思う。この50年の積み重ねた経験に育てられた姿が今の自分だと思う。そんな中で家族の安泰が生活の1番の要だと信じて生活してきた。
弟姉妹とその連れ合いも高齢となりすべてが健康寿命という状態ではなくなっている。厳しい選択をしなければならない状況も起きており、これからは、こうした避けて通れない厳しい途がやってくることを心せねばならない。今日という日に改めて心の備えを言い聞かせる。孫の祝いの声に救われる。
労働会館でしたか、あの頃は会場としては主流?だったかもしれません。思い出です。