日々のことを徒然に

地域や仲間とのふれあいの中で何かを発信出来るよう学びます

コーンは仕方ないのか

2017年04月16日 | 地域

 「昔、錦帯橋の花見時には西駅から錦帯橋まで人の列が続いた」そうだ。私に記憶はないが、公園も錦帯橋畔も足の踏み場もないくらい花見の宴で混雑していたことは記憶している。小学校入学前後のころ、我が家の近くでは老若男女が弁当を広げて宴をしていた。それは年に1度の宴だった。

 車社会になり観光地めぐりは便利になった。錦帯橋も花見の時期は例外ではなく車の列は大変なもの。先週の日曜日、知人は岩国インターを下りて自宅まで普通なら20分のところ、2時間を要したと覚悟していた以上だったと笑っていた。そんな混雑を避けるため路上駐車をさせないことも一策である。そのため、桜の根元に延々と紅白縞の三角コーンが並ぶ。

 先日、「コーンがなければ」と公園で写真撮影中の人から話しかけられた。知人も同じ場所で撮影するときコーンについて同じ思いを話していた。私も同感で「なければいいのに」と思いながら撮っている。しかし、遠来の人には気の毒に感じる。でも、コーンがなければ路肩は無料の駐車場に変わることはよく知っている。この場所に立っている駐禁の標識通り守ればコーンは不要なのだが。

 並ぶコーンを撮って、そこからコーンを不要な部分として削除してみた。処理の仕方はまずいがその違いはなんとなく判る。錦帯橋上流の桜のトンネルも同じ状況になっている。皮肉なことにコーンのおかげで車はスムーズに流れていた。道路標識だけで桜の景観が守れるのはまだ先の先だろうか。
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